第二十七話・決着
勢い良く突き出したウィルの槍が、リュートの片腕を掠める。
リュートは腕に走る痛みに表情を歪ませつつ逆手に持つ剣を握り締め、振り被った。だが、その剣の刀身はウィルの身を捉えることは叶わない。
ウィルは片足を軸にして身を翻すと、隙だらけになったその背を槍の柄で思い切り強打する。リュートの比較的小柄な身はいとも簡単に吹き飛び、地面に転がった。しかし、身のこなしは良いらしい。すぐに大地に片手をついて体勢を立て直すと、武器を構えるウィルを睨み上げた。
怒りや憎悪を前面に押し出す彼とは対照的に、ウィルは常の如く何処までも冷静だ。冷ややかな目でリュートを見据える。
「っざけ、やがって……!」
やられているのは何もリュートだけではない。ウィルの腕や肩など、切り傷は確かに刻まれている。
しかし、ダメージは遥かにリュートの方が蓄積していた。片腕に負った傷は彼の脳にダイレクトに痛みを訴え、脈を打つのに合わせて痛覚を刺激する。
こちらを見据えるウィルを暫し睨み上げるが、すぐに湾曲刀を片手に飛び出す。これまで優男を演じてきた男ではあるが、根は非常にプライドが高いらしい。
先程のようにリュートは振り被り、素早い切り返しを以て矢継ぎ早に攻撃を叩き込んでいく。辺りには金属同士が衝突する音が響き渡った。
しかし、既に彼の仲間はいない。残っていた男二人もジュードとちびにより喰い止められている。彼の援護をする者は、誰もいないのだ。
一対一の戦いであれば、ウィルがリュートに負けることはない。交信さえなければ、彼はジュードよりも強いのだから。
繰り出される攻撃に対してウィルは両手で槍を持ち、全てを柄で防いでいく。幾ら湾曲刀とは言え、槍の柄を簡単に折ることは出来ない。
そして頭に血が上れば上るだけ、視野が狭まり勝機は消えていく。今のリュートにはそれを考えるような余裕さえなかった。
剣が柄に叩き付けられる度に、ウィルの手にはその衝撃が伝わる。時折骨に響くような鈍痛を感じながらも、眉を寄せて力任せに薙ぎ払った。
既にダメージが蓄積したリュートの身は容易によろけ、しかしまた直ぐに攻撃に移ってくる。
「もう諦めろ、これ以上は大怪我するぞ」
「黙れ! この俺がっ……! 負けるかよ!!」
最早リュートには制止など届きはしなかった。プライドを打ち砕かれ、完全に躍起になってしまっている。
しかし、挑発することだけは忘れないらしい。矢継ぎ早に攻撃を叩き込みながら、リュートは口端を引き上げて嗤った。
「へっ、やるじゃねーかよ、ブラコン兄貴!」
「悪いかよ、ジュードは可愛い弟分だ」
その言葉に、ウィルの胸中はなんとも複雑な感情で満たされる。それと同時に僅かな痛みを感じた。
彼は過去、ジュードに心ない一言を向けたことがある。そして、未だに謝罪出来ていないのだ。謝ろうにもなかなかタイミングを掴めずにいる。
リュートは小馬鹿にするように鼻で笑いながら、更に言葉を向けた。攻撃の手は止めず、表情には何処までも嘲りを滲ませて。
「お前さァ、マナのどこがいいんだよ?」
「……なに?」
「ガサツで乱暴でヒステリーで、胸もなけりゃ女らしさも色気もねえ! ルルーナの方が美人で、カミラの方が可愛い。そんな女のどこがいいんだよ?」
無遠慮に告げられていく言葉の数々に、ウィルは槍を握る手に力を込める。この男が、一体マナの何を知っていると言うのか。ずっと昔から共に育ってきたウィル自身さえ完全に知り尽くしている訳ではない。寧ろ知らないことの方が多い。
それなのに、知り合ってまだ間もないこの男が――彼女の何を知っていると言うのだ。ウィルは怒りで腸が煮えくり返りそうになった。
マナはリンファやルルーナと共に、馬車の中に囚われていた少女や子供達を救出した。
衰弱している者が多く、支えがなければ満足に歩くことさえままならない子供もいた。救出された安心感からか、はたまたこれまでの恐怖が今になって込み上げてきたのか、四肢が震えて身を支えられない者もいる。
それだけ酷い扱いを受けてきたのかとマナは思わず表情を歪ませた。リンファを見てみれば彼女は普段の無表情とは異なり、眉を寄せて不愉快そうな表情を浮かべている。恐らく奴隷であった頃のことを思い出し、彼女達に重ねているのだろう。
ルルーナもその整った風貌を不快に歪ませていた。彼女は奴隷の実情を把握していないのだろうかと、ふとマナの頭には純粋な疑問が過ぎる。
だが、今はそんなことを言っている暇はない。とにかく囚われていた少女や子供達を安全な場所へ連れていくことが先だ。それに、もう恐ろしいことは何もないのだと安心させ、ゆっくりと身も心も休ませてやりたい。
そこへ、ふと前方に人影を発見した。
「おーい! 大丈夫か!?」
クリフだ。魔法使い達を感電させて倒した後、男二人はジュードに任せて誘拐された少女や子供達の捜索に来たのだと思われる。
剣を片手に持ち、こちらへと駆け寄ってきた。
「クリフ様、囚われていた方々が衰弱しております。街へお連れして休ませた方が……」
「分かった、……つっても、この辺りじゃ小さな村くらいしかないな」
「けど、休めないよりはマシでしょ」
見れば、商人達に囚われていた女子供は数人程度ではない。優に十は越える。それだけ多くの子供や少女が誘拐されたのだと思うと、クリフとしてはなんともやり切れない。
リンファの言葉通り、確かに彼の目にも少女や子供達が衰弱しているのは容易に理解出来た。衣服はボロボロで、顔は殴られたのか腫れ上がっている者もいる。非常に痛々しい光景だ。
ルルーナの言う通りである。村では確かに満足に休むことは難しいかもしれないが、全く休めないよりは良いだろう。
「そうだな……マナちゃんも疲れてるみたいだしな」
「え、あ、あたしは大丈夫です。この子達みたいにずっと捕まってた訳じゃないし……」
囚われていた少女達は、一体いつからあの薄暗い馬車の中にいたのかさえ定かではない。脱走さえ諦めてしまう程に長い期間だったのかと思うと、マナの胸はまた一つ痛んだ。自分よりも幼い子供や少女が多いように見える、そんな年端もいかない者を奴隷として売ろうと言うのだ。リュートやその仲間には当然ながら嫌悪感が湧く。
慌てたように返答するマナを一瞥してから、クリフはその後ろに見える少女や子供達へと視線を投じた。
「……とにかくもう大丈夫だ。みんな、ちゃんと家に帰してやるからな」
そこで、クリフはふと表情を和らげる。そしてそう告げると、少女達は疲弊が残る中でも安心したように微笑んだ。
それを確認してクリフは踵を返すと、肩越しにルルーナやマナを振り返る。
「じゃあ、まずは坊主達と合流しよう。大丈夫だとは思うが、あっちも心配だからな」
「え……ジュードも、来てるの……?」
それは、マナには意外な言葉であった。朱色の双眸を丸くさせて思わず、と言った様子で呟く彼女を隣に立つルルーナが横目に見遣る。その表情は何処か呆れを孕んでいた。
「アンタ、バカじゃないの? ジュードは仲間がいなくなって放置出来るような子なのかしら?」
「ちなみにウィル様も一緒です」
「……ルルーナにバカ呼ばわりされるのは気に入らないけど」
「なによ、反応するのはそこなワケ!?」
口にこそ出さないが確かにバカだとマナは思った。自分はバカだ、本当に大バカだ。そう思う。
来てくれる筈がない、と。そう思っていたのだから。来てくれる筈がない、ジュードが助けに向かうのはカミラだけなんだと。
小さく洩らした呟きに反応したのは、当然ルルーナだ。腰に片手を添え、納得がいかないとばかりに眉を吊り上げて金切り声を上げる。
すっかり当たり前となった彼女とのやり取りに、マナは緩く眉尻を下げて笑った。
「(本当にバカだわ。確かにカミラのことは好きになったみたいだけど、あたし達へのジュードの態度が変わっちゃった訳じゃないのよね。相変わらずおバカだけど優しいし……なのに、あたしったら……)」
顔を上げて、何かルルーナに言葉を返そうとしたマナであったが、それは叶わなかった。林の中に当のジュードの姿が見えたからである。その傍らには、やはりちびがいる。
自分よりも大柄な身の男二人をそれぞれ背中合わせで座らせ、ロープで両者の身を一纏めに拘束している。男達は膝や太股から血を流しているが、深刻なのは顔面だ。余程暴れ回ったのか、男達の頬は見事に腫れ上がり目蓋が片方垂れ下がっている。
ジュードにやられたのだろう。彼らの身体に他に切り傷や裂傷は見られない。あくまでも命を奪わないやり方を選択したのだと思われる。その腫れ具合を考えるとこちらも色々な意味で充分に酷いのだが、ジュードがそれを理解しているかどうかは不明だ。
「おいおい坊主、ま~た派手にやったなぁ……」
「あ、クリフさ――マナ、大丈夫か!?」
ジュードは男の肩に片足を乗せ、縛り上げる縄を両手で引く。背中に掛かる声に振り返った先、そこにマナの姿を捉えると思わず双眸を見開くなり咄嗟に声を向けた。その拍子に強く締め上げ過ぎたらしい、男達からは「ぐえええぇ」と言う苦しそうな声が洩れる。
「あ、ごめん……」
苦しげな声に反応してジュードは男達を見下ろすと、苦笑い混じりに片手で自らの後頭部を掻く。そうして、すぐにマナの元へと駆け寄った。
「ジュード……ちびも、……大丈夫、なの?」
「それはこっちの台詞だって、大丈夫なのか? なにか乱暴なこと……!」
「な、なんともないわ。平気よ」
普段はあまり向けられることのない言葉に、マナは僅かに頬を朱に染めた。ジュードは別にカミラのことだけしか心配しない訳ではないのだ。
想い人に純粋に心配されるのは、妙に気恥ずかしい。マナは咄嗟に両手を胸の前で振ってみせる。当然嬉しい。嬉しいのだけど、でも反応に困る。そんなところだ。
そんなマナの心情も露知らず、ジュードはそこで深く安堵を洩らすとあちらは大丈夫かと視線をウィルの方へと投じた。出来ることなら加勢したいとは思うのだが、彼の気持ちを考えると、そのようなことをするのは何よりも野暮に感じた。
それに、ジュードは知っている。その上で信頼している。ウィルならばリュートに負けたりはしないと。
だが、リュートもウィルもこちらを見ていない。
会話こそ所々しか聞こえてこないが、リュートが何か煽るような言葉を向けたものだと思われる。ウィルが思い切り槍を振るった、まるで剣の如く。
ウィルが愛用するのはパルチザン型の槍だ、剣のような刃は付いている。斬り付けてもダメージは期待出来るが、やはり武器の形状としては突く方が遥かに威力が高い。しかし、弱ったリュートにはそれでも充分だったようだ。
思わぬ反撃にリュートは剣で弾き直撃を免れたが、それでもウィルは休む間を与えなかった。利き手に槍を持って構え直し、そして瞬時に切っ先へ意識を集中させる。
「マナは確かにガサツで怒りっぽくて、女の子らしいところはないかもしれない。ジュードのことを鈍い鈍いとか言って結局自分も鈍いし、ルルーナと喧嘩しかしないから俺の心労は増えるばっかりだし――」
矢継ぎ早に、早口で捲し立てるように紡がれていく言葉にリュートは怪訝そうな表情を滲ませる。ウィルが何を言いたいのか、彼には予想も出来ない。
「けど、けどな、俺はそれでもそんなあいつが―――そんなマナが、好きなんだよ!!」
次いだ瞬間、思い切りその腕と槍とをリュートへ向けて突き出した。
すると槍の切っ先が竜巻の如く渦を巻く風を纏い、突き出しと共に衝撃波となってリュートの身を襲う。それは鋭利な刃物のような鋭さを持ち、彼の左脇腹を深く抉った。
リュートは双眸を見開き、吹き飛んだ。林の木に背中を叩き付けられ、苦悶を洩らす。空咳が洩れたが、咳き込む度に脇腹に刻まれた傷が激痛を訴えた。血液が逆流し、口から血を吐き出す。
ウィルはそんな彼の首横に、槍を突き出して添えた。
「……ここまでだ。命は取らない、国にしっかりと裁いてもらえ」
その言葉と状況に、リュートは頭を垂れて項垂れる。反撃しようにも脇腹の激痛の所為で、彼にはもう剣を握るだけの力も残っていなかったのだ。それどころか出血の影響で意識さえ危うい、多少なりとも朦朧とし始めていた。
そこへ、ジュードとちびが駆け寄ってくる。
「ウィル……」
「……終わったぜ、ジュード」
「うん、あのさ」
「……うん?」
ウィルは、てっきり労いに来てくれたのだと思っていた。だが、ジュードの要件は違ったらしい。振り返って見てみれば、珍しく言い難そうに視線を斜め下に外して「うん、あの」と何度も頻りに繰り返している。心なしか、その頬はほんのりと赤い。
なんなのかとウィルは怪訝そうな表情を滲ませはしたのだが、程なくしてジュードの視線が移る先。それを辿って理解した。
そこには、朱色の双眸を見開いて顔を真っ赤に染めたマナがいたのである。信じられないと言わんばかりの様子で、こちらを凝視していた。
『――そんなマナが好きなんだよ!!』
声を張り上げてしまったが為に、その部分はしっかりと彼女の耳に届いたらしい。
それを理解して、ウィルは顔面から血の気が引いていくのを感じた。