第二十六話・対決
「……? なに、なんだか騒がしい……?」
気付かぬ内に眠っていたマナは、外から聞こえてくる騒音に気付いて目を開けた。周囲に見える女子供達も同じだ、一体何が起きているのかと不安そうな表情を滲ませながら出入り口に視線を向けている。
まさか奴隷の引き取り人が来たのかと、嬉しくはない想像を巡らせながらマナは眉を寄せて表情を顰めた。
壁を支えに静かに立ち上がると、依然として後ろ手に拘束されたままの両手に小さく舌を打ち、それでもその場に居合わせる面々を安心させようと口を開く。
「大丈夫、大丈夫よ。いざとなったらあたしは魔法を使えるから……大丈夫。ちゃんと、みんなのこと守るからね」
魔法一つでリュートをどうにか出来るとマナは思っていない。
だが、風の国にあるアウラの街でジュードと殴り合いの喧嘩に発展した際、リュートが扱ったのは風の魔法だった。
風は火には弱い。そして火魔法はマナの得意とする属性である。上手くいけばリュートを倒してここにいる人達を守れるかもしれない、助けることが出来るかもしれない。そう考えたのだ。
その言葉に勇気付けられたのか、マナの近くにいた少女達はほんの僅かに表情に笑みを浮かばせ、か細い声で「ありがとうございます」と礼を紡いだ。見たところマナよりも幼い。リンファと同じ――もしくは更に年下だろう。疲れ果てたような風貌には幼さが残る。今の少女達にとっては、僅かな希望であっても嬉しいもの――縋りたいものなのだろう。
マナはそんな彼女達に笑い掛けるが、その刹那。
木製の馬車の壁に、何かが激突してきたのである。
それにより馬車の壁は破壊され、割れた隙間からは外の眩い光が射し込んできた。
「――っ! な、なに!? ちょ、ちょっと、大丈夫!?」
砕けた馬車の木板は内側に折れてしまったが、取り敢えず近くにいた少女や子供達に破片の類は当たらなかったようだ。
何事なのかとマナはそちらに駆け寄るが、そこには目を回して完全にのびている人相の悪い男が倒れていた。何かに吹き飛ばされてきたらしい。
ずっと薄暗い馬車の中に閉じ込められていた為に、外の陽光は聊かマナの目には眩しい。無理矢理に瞳孔を開かれているような錯覚と痛みさえ感じた。
男が突っ込んできたことで、馬車の出入り口は既に役に立たないものとなっている。男が空けた穴から脱走することが出来るからだ。
一体何があったのかとその箇所からマナは外を眺めるが、彼女の目が捉えたのは――
「アンタねぇ、ちょっとやり過ぎたんじゃないの?」
「はい、やり過ぎました」
両手を腰に添えて呆れたように目を細めるルルーナと、相変わらず無表情で身構えたままのリンファであった。
どうやら今現在マナの傍らで目を回している男は、リンファの蹴りで思い切り吹き飛ばされてきたらしい。固い馬車の壁に叩き付けられて後頭部を打ち、それで意識を飛ばしたものだと思われる。
「リンファ! ルルーナも!」
「ああ、いたいた」
「マナ様、お怪我は御座いませんか!?」
破損した箇所から不意に顔を覗かせたマナを見つけるとルルーナは一度緩く目を丸くさせ、リンファは珍しく慌てたように駆け寄ってきた。
そんな二人の様子を見て、思わずマナはポカンと口を半開きにさせて呆然と彼女達を見つめる。
考えなくても分かる、自分を探しに――助けに来てくれたのだ。そこでマナは胸に鋭い刃が突き刺さるような錯覚を覚えた。
「(……あたしって、本当にバカ。ジュードのこと言えないじゃない。むしろジュードよりバカだわ)」
自分は、リュートに言われて何を思っただろう。
彼が言うように奴隷商人に売られれば、今後はジュードが他の女性に靡く様を見ないで済む。そう思った。
だが、彼のことだけだった。ジュードのことしか考えていなかったのだ。今こうして、自分を助けに来てくれたルルーナやリンファのこと。ウィルやカミラ、ちびにメンフィス、クリフなど。仲間のことは全く頭に浮かばなかった。
いなくなれば、こうして探しに来てくれる大切な仲間であると言うのに。
そこまで考えてマナは思わず俯く、自分の視野の狭さが本当にどうしようもなく嫌になった。
そう思うと、自嘲気味な笑みが洩れた。だが、その表情は何処か清々しい。
「(こんなんじゃ、ジュードが振り向いてくれないのは当然よね)」
だが、マナはすぐに顔を上げた。その顔には、すっかりいつもの快活な彼女らしい表情が戻っていた。
* * *
リュートは緩やかなカーブを描く剣を片手に持ち、素早い切り返しでウィルへ攻撃を叩き込む。一振りの後にすぐに切り返して薙ぎ払う、その繰り返しだ。
ウィルが愛用する槍は、リーチが長く殺傷力が高い。しかし、素早い切り返しに対応するには得物が長く、やや困難なのだ。それが分かっているからこそリュートはウィルに休む間を与えず、矢継ぎ早に攻撃を繰り出していく。
更に最悪なことに魔法使い達が起き上がり、魔法でリュートの援護を始めるだけでなく――テントの中に残っていた男達が二人、加勢にやって来たのである。完全に多勢に無勢状態だ。
ウィルは地を蹴り後方に飛び退くことで距離を取ると、槍の下部に装着させた蒼い鉱石――アクアマリンへ意識を集中させ、リュートの足元へ水魔法を放った。
それは『スプラッシュ』と言う中級クラスの水属性攻撃魔法だ。リュートの足元に現れた水は周囲を巻き込むように渦を為して広がり、程なくして中央が盛り上がる。それは大きな水柱となった。範囲内に巻き込んだ敵を上空高くへ打ち上げる効果がある。
しかし、リュートは即座に後方へと身を引き水柱から余裕で逃れた。表情にはその余裕を感じさせるような、小憎らしい笑みさえ滲ませて。
外れたとなると、男達の心は躍る。勝ちを確信でもしたかのように斧を振り上げ、一斉にウィル目掛けて駆け出してきた。
リュートは逆手で自らの横髪を背中側へ払い、目を細めて嘲笑を浮かばせる。
「はっ、一人で俺達とやるなんて無謀だったなァ。まっ、精々あの世で後悔しろよ、マナはちゃ~んと売り払ってやるからさ」
だが、それでもウィルは慌てるようなことはしない。
自分の背中側で詠唱する魔法使い達の声が鼓膜を揺らしても、こちらに駆けて来る男達を見ても、何処までも冷静だった。
表情には笑みさえ滲ませ、緩やかに双肩を疎めて見せる。
「悪いけど、俺は平気で人様を裏切れるお前と違って――ちゃんと信じてるんだよ、仲間ってのをな」
「あん?」
次いだ瞬間、詠唱していた魔法使い達が一斉に悲鳴を上げた。なんだと思ってリュートが見てみれば、そこには感電したように身を痙攣させる魔法使い達の姿。そして、彼らはすぐにその場に力なく倒れ込んだ。
やや離れたところには、クリフが前へ剣を突き出して立っている。間違いない、彼が放った雷の技が原因だ。依然として魔法使い達は水の結界を張っていた。そこに雷を叩き込まれて感電したのだろう。
使えない、とリュートが舌を打った直後。今度はウィルの元に駆け出した男達が悲鳴を上げた。
男の一人に真横から黒いウルフが体当たりをかまし、思い切りその身を吹き飛ばしたのである。もちろん、それはちびだ。更にその後ろからジュードが駆け付けると、残ったもう一人の男へ躊躇うこともなく蹴りを叩き込んだ。それは以前リュートを蹴り飛ばしたドロップキックの如く、男の利き腕に見事に決まった。男の手からは反射的に斧が落ち、大きくよろけて倒れ込んだ。
ジュードは即座に体勢を立て直すと両手で水の剣――アクアブランドを持ち、男達の両足へ刃を走らせた。
「うぎゃああああッ!!」
肉が裂ける感触が伝わり、思わずジュードは表情を顰める。普段彼は片手で武器を扱っていたが、今現在は肩が本調子ではないことから両手で振るうようにしたのである。
その為、片手で振るうよりも遥かに威力が増していた。両手で剣を振り回すのだから当然なのだが。
思った以上に深く男二人の膝や太股を抉ってしまい、ジュードは罪悪感を覚えるが今は構っていられないと敢えて意識を引き離した。
「ウィル、遅くなった。大丈夫か?」
「ああ、遅いぞ、ったく。……ザコは任せた」
男達は、足をやられたからと言ってまだ諦めたようには見えない。手が生きている限り、何かをしてくるだろう。
ウィルは男二人の相手をジュードに任せ、リュートへと向き直る。高みの見物でも決め込むつもりだったのか、彼の表情には先程までの余裕はなくなっていた。心底忌々しそうに表情を歪ませている。
負ける気など、ウィルは一切感じなかった。
「ほら、やろうぜ。その面、ぶん殴ってやるから」
「へ……っ、面白い! やれるモンならやってみろよ!」
ウィルは思った。本当ならジュードにこの役を任せてやりたいと。
風の国のあの街で、隙を見せたとは言えジュードはこの男に――リュートに負けたのだ。リベンジをさせてやりたいと思ったが、やはり今回ばかりは彼にも譲ってやれない。
この男はウィルの想い人を貶し、侮辱したのだから。
「マナを侮辱した分、ジュードを可愛がってくれた分。纏めてきっちりお返しさせてもらうからな」
改めてリュートと対峙し、ウィルは槍を持つ手を突き出す。
彼の紫紺色の双眸には、確かな怒りが滲んでいた。