第二十四話・戦闘開始
「……なによ、これ……」
マナが目を覚ました先は、目を疑いたくなるようなものであった。
薄暗い馬車の中、そこには鉄製の首輪を付けられた女子供が大勢いたのである。皆一様に俯いており、すすり泣く声がマナの鼓膜を揺らした。
彼女は昨夜、ふと顔を出したリュートに誘われるまま前線基地の外に出ていた。キッカケは「マナさんに見せたいものがあるんです」と言うリュートの誘いだ。
洗い物を片付けてもう寝ようとしていたところだったのだが、そう言われると断るのも少々申し訳ない。それ故に、少しだけならと思いマナは彼に同行したのである。
だが、その先。大柄な男達に囲まれたかと思いきや、首裏を手刀か何かで強打されて意識を飛ばしてしまった。
そして、目を覚ました先がこの場所である。
馬車の出入り口に目を向けてみるが、そこには鍵が三つほど取り付けられていた。見るからに頑丈そうな造りだ、そう簡単に破壊は出来そうにない。
魔法を使ってみるかと思いはするが、彼女が得意とするのは火の魔法だ。下手をすればこの中にいる女性達にも被害が及ぶ。入り口を破壊出来なければ、内部が炎の海に支配されてしまう可能性が高い。
それにご丁寧に両手は腰の後ろ辺りで鎖に繋がれている、これではどうにも出来なかった。
「悪趣味ね、もう……!」
周囲の女性や子供達は皆、既に脱走を諦めてしまっているように見える。抵抗した者もいるのか、中には頬を腫らしている女性の姿もあった。
当然だ、抵抗しない方がおかしい。マナとて諸悪の根源がこの場にいれば足でも頭突きでも出そうな勢いだ、それほどまでに彼女の頭には怒りが宿っている。
だが、そんな時。不意に施錠されていた鍵が開く音が聞こえた。
押し開かれた扉の隙間から、太陽の眩い陽光が射し込む。馬車の中が薄暗い為、その光はマナの瞳孔を特に強く刺激した。
朱色の双眸を眩しそうに細めながら、彼女はその出入り口に見える姿を見遣る。
「ああ、起きたか。おはよ、マナ」
「あんた……っ!」
それは、リュートだった。マナがその姿を見間違える筈がない。
しかし、彼はこれまでとは異なり人を見下すような――明らかな嘲笑を浮かべていた。装いとてそうだ、普段のベレー帽など被ってはおらず、髪は項の辺りで一纏めにしている。
黒のロングコートを羽織り、ポケットに両手を突っ込んで足で乱暴に扉を蹴り開けた。そんな態度と物音に馬車の内部にいた女性や子供達は肩を跳ねさせて身を縮める。完全に怯えた様子だ。
「これは一体どういうこと!? ここにいる人達はどうしたのよ!?」
「うるせぇな、そんなんだからジュードの奴に見向きもされないんだろ? ヒステリーな女はモテないぜ」
「な――っ……!」
口調とて、これまでとは全く異なるものだ。
蔑むように目を細め、卑しく口端を引き上げて笑う。そんな表情、マナは見たことがない。恐らくジュード達もそうだ。
呆気に取られるマナを見下ろし、リュートは表情そのままに大袈裟に肩を疎めてみせた。
「その点、カミラはか~わいいよなぁ。ふわふわしてておっとりしてて、淑やかでウブで男が特に好きそうなタイプ。ジュードの野郎が好きになる訳だぜ、お前とは真逆だもんなぁ」
「……っ」
「お前みたいな色気のない女じゃ、カミラには勝てなかったんだよ。ザ~ンネンでしたぁ。――ハハッ、恋に敗れそうでヤケになってる女が一番チョロいんだよな」
それは、マナが薄々思っていたことだ。
自分では、カミラには勝てない。ジュードは、長年一緒にいた自分にも向けることのなかった表情を、カミラにだけは向ける。ジュードが彼女に惚れているのは一目瞭然。気付いていないのは当人達だけだ。
リュートの言葉は、容赦なくマナの心に突き刺さっていく。事実だが、事実なのだが、それでもリュートに言われるのは悔しい。悔し涙が浮かびそうになって、マナは思わず俯いた。
そんな彼女の様子を見て彼は小さく鼻を鳴らして嘲るように笑うと、早々に踵を返す。
「お前は奴隷として売られるんだよ。良かったな、これでジュードの奴が他の女とイチャイチャするのを見ないで済むぜ、ハハハッ!」
「…………」
そして、また馬車の中には薄暗さが戻った。扉が閉ざされた為である。施錠されていく音が幾つも響き、マナは静かに目を伏せた。
「(……そうね。ジュードの傍にいなければ、気持ちが膨れるようなことも……もうないわよね……)」
リュートの言うように、ジュードが他の女性とベタベタするところも見なくて済む。これまでのような嫉妬に苦しむ日々からようやく解放されるのだ。
そう考えて、マナは一つ涙を流した。
* * *
「ちび、本当にこっちなんだな?」
「ガウッ!」
一方で、前線基地を飛び出したジュード達は先に駆け出して行ったウィルと合流し、南下していた。
ちびを先頭に立て、その後に続く。もう何度目になるか分からないウィルからの問いに、ちびは律儀に吼えることで返事を返す。
匂いを辿る邪魔にならぬようにとジュードとリンファはその背から降り、ちびの後に続いていた。
ジュードはクリフの馬の後部に乗るルルーナを肩越しに振り返ると、その仔細を求める。
「ルルーナ、あいつが奴隷商人って言うのは本当か?」
「ええ、間違いないわ。ずっと思ってたのよ、どこかで見たことがあるって」
「女子供を誘拐した罪で指名手配されてるんだ。恐らく誘拐した人達を奴隷として売り捌くんだろうさ、悪趣味な話だぜ」
ジュード達が王都ガルディオンを発ち、水の国アクアリーへ向かう時にはそのような手配書は出回っていなかった。彼らがアクアリーに行っている間にそのような事件が火の国エンプレスでは起きていたのだろう。
前線基地に初めて訪れた時にリュートはいたが、クリフと面と向かって顔を合わせたことはなかった。それ故に気付けなかったのだ。メンフィスも鉱石を手に入れるためにエンプレスを離れていた所為で、リュートが指名手配されている男だと知らなかったのだろう。
リンファはジュードの傍らを歩きながら、軽く眉を寄せて呟く。
「……カミラ様が何度も殴り飛ばしていた時から、注意しておくべきでした」
「そうだな……今思えば、カミラさんは何か危険を感じ取ってたのかも……」
「カミラちゃんの場合は条件反射っぽいけどね」
「おいおい、お嬢ちゃんって結構暴力的なのか」
カミラは、リュートに触れられるだけで甲高い悲鳴を上げて殴り飛ばしていたくらいだ。男慣れしていないとは言え、ジュードやウィル、メンフィスにクリフなどに対してはそのような暴力は働かない。リュートは下心がありありだったからなのかもしれないが、確かにカミラは的確にリュートにのみ鉄拳を叩き込んでいた。
ジュードと必要以上に接触した場合や、彼の――普段は見えない肌などを見た時もよく悲鳴を上げて一人で騒いでいるが、やはり殴り飛ばすようなことはない。
純粋だからこそ、何か善からぬ気配を感じ取っていたとも考えられる。
以前ルルーナから聞いた地の国グランヴェルの事情を思えば、一刻の猶予もない。国境を越えられたら、こちらからは手出しが出来なくなってしまう。
幸いにも、ちびがマナの匂いを辿り向かう先は火の国の南部だ。恐らくは、まだ地の国に向けて発ってはいないのだろう。
そこで、ジュードはウィルに視線を向ける。
マナに対する彼の気持ちを、ジュードは随分と昔から知っている。普段ならば口数も多いが、今はそんなことはない。余計な口を開くこともなく、先を歩くちびをジッと見つめてその後に続いている。
怒りを押し殺しているのがジュードにはすぐに分かった。妹であり、時に姉のようにさえ感じるマナのことは当然ジュードとて心配だ。だが、彼女に淡い想いを抱くウィルはそれ以上に心配の色は強いだろう。容易に理解出来る。
「――なんだぁ、テメェらは!」
その刹那であった。林の出入り口付近に見えてきた野営地らしき一角、そこに佇む大柄な男が不意にこちらへ怒声を張り上げたのだ。見るからにガラが悪い。片手には斧を持ち、奥にある大きな馬車を守っているように見える。所謂見張り役のようなものだろう。
馬車の隣には簡素なテントが設置されており、中からは幾つかの声が聞こえてくる。距離がある為に何の話しているのか内容までは分からないが。
「ガウッ!」
「……ちび、ここか?」
「ガウガウッ!」
「間違いないって」
前脚をしっかりと大地に張りながら威嚇するように吼え立てるちびを見て、ウィルとリンファはジュードを振り返る。すっかり通訳のような認識だ。
状況には不釣合いだが、自分の――魔物の声が聞こえると言う現実を普通に受け入れてくれている二人の反応が純粋に嬉しかった。
次いでジュードの返答に合わせて、彼の肩に乗ったままのライオットが「に!」と短い片手を掲げると共に声を上げた。――正直、なぜ声を上げたのか分からない。存在を主張したかったのだと思われる。
そうこうしている間に、テントの中からは複数の男達が出てきた。見張り役らしき男と同じように何とも厳つく、屈強な男達だ。中には魔法使いらしき装いの男も見えたが。
「なんだなんだぁ、ガキが揃いも揃って……」
「待て! ガルディオンの騎士もいやがるぞ!」
一人の男が、馬上から自分達を睨むクリフの存在に気付いた。白銀のその鎧は王都ガルディオンの騎士のものだ。男達が分からない筈がない。
クリフはルルーナを後ろに乗せたままで馬を下りると、腰から剣を引き抜いた。
「こんなところに潜伏してたとはな。だが、お前らの悪事も今日までだ、全員とっ捕まえてやる!」
「やれるモンならやってみやがれ!」
男達はクリフの言葉に吼えるように各々声を張り上げる、戦闘は避けられそうもない。こちらの態勢が整うのを待つ筈もなく、男達は勢い良く駆け出してきた。クリフはそれを見て身構え、ウィルやリンファもそれぞれ武器を手にして構える。朝の戦闘訓練でやや消耗はしているが、今はそんなことを言っている場合ではない。
ジュードは駆けて来る男達の奥、魔法の詠唱に入る魔法使い達を見て嫌そうに表情を歪ませた。ちびは素早く後退し、そんなジュードを守るように彼の前に移動して低く唸る。それを見てジュードは腰に提げる鞘から剣を――アクアブランドを引き抜いた。
そして、ウィルに視線を向けて様子を窺う。今回は主に彼の援護をしてやりたい。そう思いながら、仲間達と共に駆け出した。