第二十三話・指名手配
前線基地の敷地内に、刃物と刃物がぶつかり合う音が響く。
ウィルとリンファが、メンフィスとクリフを相手に朝の戦闘訓練を行っているのだ。
リンファはクリフと斬り結び、ウィルはメンフィスを相手に武器を振るう。ウィルもリンファも戦い方は全て自己流だ。リンファは過去に魔物狩りであった父に教えられていたと言うこともあるが、父を亡くしてからはほぼ自己流で戦うしかなかった。
それを、メンフィスとクリフが戦闘の型を整えているのだ。
騎士団の型が正しいかどうかと言われればそんなことはないが、それでも全くの自己流で戦うよりは攻守共にバランスが取れている。これまでよりは効果的に戦闘を行えるだろう。リンファは死と隣り合わせの日々を生き抜いてきたと言うこともあり、元々の筋は驚くほどに良いのだから。
そんな音を聞きながらジュードは前線基地の敷地内出入り口に座り込み、手にした爪型の武器を弄っていた。
体術を得意とする者が好んで扱う武器だ。手甲に鋭い爪を付けた武器であり、クローとも呼ばれている。彼が今弄っているのは、アイアンクローと言われる武器であった。
愛用の工具を片手に、そのクローを改造していく。装着する部分を広げてベルトで固定する形へと。
ちびはいつものようにジュードの背中側で腹這いになって、彼の手元を覗き込む。ゆらゆらと揺れる尾は上機嫌の証だ。
モチ男ことライオットはジュードの肩に乗り、座り込んでいた。
「マスター、何してるに?」
「武器を改造してるんだよ、ちびに付けようと思って」
ジュート達は戦う相手によって、鉱石を付け換えることで効果的な一撃を叩き込むことが出来る。
だが、ちびはあくまでも自前の爪や牙を用いて戦うしかない。柔らかい敵であればそれでも問題はないのだろうが、今回のように硬い鱗に守られた竜が相手ではちびの身が保たない。爪や牙が折れてしまう。
だからこそ、ちびの為に武器を用意しようとジュードは思ったのである。
ライオットはそんなジュードをジッと見つめて、黙り込む。そしてややあってから恐る恐ると言った様子で口を開いた。
「にー……マスターは精霊のこと……好きかに?」
「……ん?」
ライオットは、相変わらずジュードのことを『マスター』と呼んでいた。ジュード自身も特にそれを咎めるようなことはしない。
ふと肩から洩れた言葉に、一旦手を止めて横目にライオットを見遣る。相変わらずふざけた顔をしてはいるのだが、小さく短い両手を身体の前で合わせてもじもじとしていた。何処となく不安そうだ。
「前のマスターは、精霊のことが嫌いだったにー……」
「……そうなのか」
「に、精霊のことを見捨てたに……」
ジュードは寂しそうなライオットの様子を暫し眺めていたが、程なくして作業を再開する。ちびの腕に負担を掛けないように工夫する為、時折ちびの前脚を眺めたりしながら。
そんな彼の頭の中に思い起こされるのは、加勢に来てくれたのだろうシヴァが口にしていた言葉だ。
『小僧、俺は――何をすれば良い?』
あの時は何を言い出すのかと思ったが、今考えればジュードの指示を聞こうとしていたのだろう。
彼が本当に精霊であるのなら、マスターであるジュードの言葉を聞こうと。助けに入ってくれたのも、マスターを守る為だ。
作業の手を止めぬまま、ジュードは静かに口を開く。
「……よく分かんないけど、嫌いになる方が難しいんじゃないか?」
「に?」
「なんて言うか……オレにとってはさ、今まで精霊って身近な存在じゃなかったんだよ。架空に近いものって言うか……それをいきなり好きか嫌いかで聞かれてもなあ……」
これまで、ジュードの身近に在ったのはあくまでも『人間』と『魔物』だ。
精霊と言うものは何処までも架空に近い存在であり、よくある物語にのみ出てくるもの、と言う認識の方が強かったのである。
その精霊が実際に存在しているもので、自分がそれを使役する力を持っていると言う。その現実でさえ未だジュードは事実として受け止めきれていない。それなのに好きか嫌いかで問われても、答えなど出る筈もなかった。
「けど、シヴァさんには助けてもらったし、感謝してるよ」
「に、に、ライオットは? ライオットのことは?」
「…………え?」
そうだ、シヴァが加勢に来てくれなければクリフを助けることは出来なかった。それどころか、この前線基地は壊滅していたと言って良いだろう。死者も数多く出ていただろうし、ジュード達も生き残れるかは分からなかった。
結局逃げられてしまったが、シヴァはジュードにとって――否。ジュード達にとって命の恩人と言える。それを嫌いになる方が難しい。
だが、急かすように続いた問い掛けにジュードは暫しの沈黙の後に改めてライオットに視線を向けた。
「お前、精霊なの……?」
「に、にー!? な、なんだと思ってたにー!?」
「いや、ただのモチっぽい何かかと……」
「ひ、ひどいに! ライオットも立派な精霊だに!」
それはジュードにとって新しい新事実だ、どうやらこのモチっぽいライオットも精霊らしい。どうにも信じ難いことではあるのだが。
瞳孔が開いているように見える目を潤ませる様子に流石に苛めるのも可哀想かとジュードはそれ以上、意地の悪いことは言わなかった。
代わりに笑って、その身を片手で撫でてやった。するとライオットは改めてジュードの肩に座り直して、またもじもじと短い両手を身体の前で合わせる。
「にー、マスター……」
「ん?」
「精霊の中には、マスターや人間を信じられなくなってるのも多いに。襲ってくるのもいるかもしれないに……」
「……前のマスターが、見捨てたから?」
もじもじと不安そうな様子を醸し出しながら言葉を連ねるライオットを見遣り、ジュードは確認がてら言葉を向ける。
先程、精霊は前のマスターに見捨てられたと言っていた。原因と言えばそれしか考えられない。
そしてそれは間違いではなかったらしい、ライオットはジュードの言葉に小さく頷いた。
「それでも……それでも、マスターは精霊のこと嫌わないでいてくれるに?」
「信じられなくなってる、ってさ……」
「に?」
そこで、改造を終えたクローを太陽の光に翳すとジュードはその眩しさに軽く双眸を細める。そして身を反転させてちびに向き直り、その右前脚に装着を始めた。
ちびは依然としてご機嫌だ。相棒が自分の為に武器を造ってくれた、その事実が嬉しいのだろう。厳密に言うのなら、人間用の武器を簡単に改造しただけなのだが。
「それだけ人間のことを好きでいてくれたってことだろ。信じてたのに裏切られたんだ、……信じられなくなっちゃうのも仕方ないよ、精霊達は深く傷付いたんだと思う」
ジュードはちびの前脚に武器を装着する手を止めぬまま、一度中途で切った言葉の先をゆっくりとした口調で連ねていく。精霊に他にどのようなものがいるのかは分からないが、飾ることのない彼の純粋な考えだ。
だが、その返答はライオットの琴線に触れたらしい。もっちりとしたその身を震わせ、そして感極まったようにジュードの頭に飛び付いた。
「……っ、にー! マスターがマスターで良かったにー!」
「いだだだっ! 角、角が痛い!」
忘れてはいけない。
ライオットの額には、黄色の角が生えているのだと言うことを。飛び付いた際にジュードの側頭部に見事に角の先が激突したのである。
「に、にー! ごめんなさいにー!」
分かっている、ライオットに悪気はないのだ。だからこそ、思わず真横に倒れて角がぶつかった箇所を押さえるジュードも必要以上に怒ったりはしない。痛いことは痛いが、それもかなり。
だが、そんなジュードの視界に一つスラリと伸びた大層美しい足が映り込む。
あれ、と思って視線を上げてみると、そこには呆れたような表情でこちらを見下ろすルルーナが立っていた。
「……なぁにやってんの、ジュード」
「いや、何も……」
下から見上げるルルーナはと言えば、男性目線から見れば素晴らしいものがある。
足は恐らくマナの方が美しいとは思うのだが、だからと言って彼女が綺麗ではないかと言うと、そんな筈はない。スラリと伸びた足は白く、程好い肉付きである。ドレスの大きなスリットは腰の下辺りまで入っており、下着のものと思われる金のチェーンが覗く。上半身部分へ移れば彼女の豊満なバスト越しにその整った風貌が見えた。
しかし、悲しいかなジュードはそう言った際どい部分にほとんど目のいかない男である。――尤も、想い人であるカミラのものであれば話は別なのだろうが。
「ねぇ、ジュード。マナ見なかった?」
「え? いや、こっちには来てないけど……」
「変ねぇ、てっきり厨房で朝食を作ってるんだと思ってたのに……カミラちゃんも見てないって言うのよ。あの子、いつもこの時間には朝食作るためにバタバタしてたじゃない?」
「うん、そうだよな……ウィル達には?」
ルルーナの言葉通り、マナは誰が何か言わずとも仲間の朝昼夕の食事を担当してくれている。その彼女が仲間の朝食作りを放り出して自由にしているとは思えない。ガサツで勝気なように見られることも多い少女だが、思いやり深いのだ。
ジュードの言葉にルルーナは朝の訓練をするウィル達に視線を向けるが、すぐに肩を疎めてみせる。真剣な訓練の真っ最中だ。邪魔をするのは幾ら彼女でも気が引けるのだろう。
「おーい、ウィルー!」
だが、ジュードは特に気にすることもなく兄貴分の背中に声を投げ掛ける。マナがいないとなれば最早ジュードやルルーナだけの問題ではない。
すると、そこはやはり何かと過保護なウィルだ。真剣勝負の中でもジュードの声は彼の耳に届くらしく、こちらを振り返った。
しかし、その刹那――そんなウィルの頭部にメンフィスの鉄拳が降り注いだのである。
「――バッカモン! ジュードと言いお前と言い、戦闘中にヨソ見をするな!」
「す、すんません……っ!」
あちゃ、とジュードは思わず片手で顔面を押さえる。この光景は彼にも確かな覚えがあった。確か、風の王都フェンベルで水祭りに参加した翌朝だ。
ウィルはメンフィスに拳骨を落とされた箇所を片手で押さえながら、涙目でジュードを振り返る。余程痛かったのだろう。
「っつつ……で、なんだよ、ジュード……」
「わ、悪い……あのさ、マナ見なかったか? 厨房にいないみたいなんだけど……」
予想だにしない問い掛けに、ウィルは頭を摩りながら双眸を丸くさせる。朝からリンファと共に戦闘訓練を行っていたが、彼にもマナの姿を見た覚えはなかった。そしてルルーナやジュードと同じように厨房で朝食を作っていると思っていたのである。
リンファに視線を向けるが、彼女も小さく頭を左右に揺らすばかり。
「いや、見てないな……」
「ウィル様、そう言えば……」
「ん?」
しかし、そこでリンファが何かを思い出したように複雑な表情を滲ませながら口を開いた。辺りに視線を巡らせ、その姿が見えないことを確認し、改めて一言。
「……あの竜達の襲撃以降、リュート様のお姿も見えませんが……」
「……」
そうなのである。
あの竜達の襲撃の後、ジュードが倒れてしまったこともあり有耶無耶になってしまっていたが、あの騒ぎ以降リュートがいなくなっていた。火災で犠牲になったのではと思いはしたが、焼けた複数の家屋の中から彼の遺体は見つからなかったのである。まるで最初から、そこには何もいなかったかのように消えてしまったのだ。
ウィルはリンファの言葉に双眸を見開き、そしてクリフは怪訝そうな面持ちで口を開く。剣を鞘に収め、ウィルやリンファに歩み寄りながら。
「リュート、だと……?」
「……クリフ様?」
「リュートって、黄緑っぽい髪の優男か?」
普段は穏やかであったり、おちゃらけた男であるのがクリフだ。その彼が真剣な表情を浮かべている。
ジュードは双眸を丸くさせ、思わず問い掛けた。
「クリフさん、知ってるの?」
「知ってるも何も、あいつは極悪商人として指名手配中だぜ。お前らがアクアリーに行ってる間に手配書が出回ったんだ」
「――思い出した! あいつ、地の国に出入りしてる奴隷商人だわ。あちこちの国で女子供を騙して捕まえて、地の国で売り払ってるのよ! 髪型や雰囲気が違ったから気付かなかったわ!」
クリフの言葉に、そこでようやくルルーナは双眸を丸くさせて繋がった自らの記憶に声を上げた。だが、その言葉は決して楽観視出来るようなものではない。
ジュードは思わずウィルと顔を見合わせる。竜達が襲撃してくる前――リュートがなんと言っていたか思い出したのだ。
「まさか……あいつ、マナを……!」
「――くっ、あの野郎!」
「ウィル、待て!」
ウィルは忌々しそうに舌を打つと、真っ先に基地の外へと駆け出していく。メンフィスが制止の声を掛けるが、その程度で今のウィルを止められる筈がない。
「――馬だ、馬を出せ!」
「メンフィスさん、カミラさんと一緒にここにいて! ちび、マナの匂いは覚えてるな?」
「ガウッ!」
クリフは厩舎にいる兵士達に声を向け、ジュードは傍らの相棒に確認を向ける。即座に返る返事に頷くと、早々にその背に跨った。各々なんとも素早い行動、簡単に止められるものではない。
ジュード様、と声を掛けてくるリンファを肩越しに振り返り、ジュードは頷く。すると彼女は同じように小さく頷いてジュードの後ろに乗り込んだ。リンファは身軽だ、当然体重も軽い。彼女であればちびにとっても負担にはならない。
ルルーナは用意された馬に跨るクリフの後ろに問答無用に乗り込む、一度こそ困ったような表情を浮かべたクリフではあったが、今は余計な時間を取る訳にはいかない。
「メンフィス様、すぐに戻ります!」
「はあ……分かった、気をつけてな。ここの守りは任せておけ」
「はっ!」
最早、メンフィスでも止めるのは困難である。だからこそ一言向けるのみに留めた。クリフはしっかりと返事を返し敬礼をしてから、先に駆け出していったジュード達を追って馬を走らせる。
メンフィスは、そんな彼らの背中を心配そうに見守っていた。