第九話『ふざけるな』
ユキトの手の中には、銀一色の剣があった。柄頭から切っ先にかけてすべてが銀。煌めきが強いわけではないが、けれど神秘的ななにかを感じさせる造形。柄から鍔は腕の良い細工師が時間をかけて作ったことがありありとわかるほど端麗。
刃渡りはユキトの腕より少し長い程度、柄は片手用だが一応両手でも使うことを想定している。もっとも、ユキトには剣の形をした【聖剣】には大した意味もないが。
ユキトが懐かしいその外観を観察していると、周りから、おお、というような感嘆のような声が聞こえ
てきた。
「……まさか、本当に勇者だとはの」
ノイバも例外ではなかった。驚きはたしかに顔に出ている。
予想はしたから試したとは言え、勇者でない可能性の方が高いと踏んでいたのだ。
しかし【聖剣】は彼の手元にある。初代【勇者】の血を引く王族ですら触れることは出来ても扱うことは叶わないそれが。
だがそこで落ち着きを取り戻し、ユキトに声をかけるのは彼が王たる故の一つか。
「して、ユキト……いや、当代【勇者】ユキトよ。おぬしはその剣の担い手となった以上、こちらとしてはおぬしにしてもらわねばならないことがある。まずは話を聞いてもらえるかの」
ユキトは頷き、頼まれるまま元のサイズに戻す。念じるだけの作業はもう慣れたものだった。
ノイバはその姿に違和感を覚える。【勇者】にしても、やけに冷静すぎる気がするのだ。
たしかに召喚魔法は勇者として適性ある人物を呼び出すのだが、ここまで動じることすらないものなのか。ノイバも他の都に自慢できる騎士団や魔法部隊の面々ですら、初めてみる【聖剣】の顕現に言葉を失っているものがほとんどだ。
なのにユキトは戸惑うことはなく、かつノイバの頼みにしたがって簡単に剣を元の形にしてみせた。
心の動きがないということは、付け入る隙も当然少なくなる。ユキトがノイバの思うように動くか、それが心配になった。
いや、いまから話すことをそれとなく憤りを煽るようにすれば、或は……。
ともあれ、まずは話をして反応をみるしかない。
思惑を張り巡らせながらノイバはユキトに語り始めた。
「……なるほど。つまり、自分が【勇者】に相応しい者として召喚され、事実そうなのだからいま世を脅かしている魔王を倒して欲しいと。そういうことですね」
「あぁ。概ねそうなる」
ユキトは安堵した。ここまで特に変わったことはない、と。
「では……自分を召喚した理由はわかりました。ただ、一つお聞きしたい。元の世界に還ることは、可能ですか」
「それは……」
やけに反応の悪いノイバをユキトは訝しむ。
その姿に、ユキトは最悪の場合を想像する。
「……答えられないことなのですか?」
前回、異世界からまた地球に戻る必要があったのは、異世界から召喚された人物が、本来はその世界にはいない存在だからだ。
正常に回っている世界に、異分子が紛れるのはよくないと信じられていたから、ユキトは別れを盛大に惜しみながらも戻ることを決断した。
けれど、ユキトにとって故郷の日本がどうでもいいわけではない。
家族がいて、友人がいて、長い時を過ごした場所である。
異世界で知り合い、死線を友にした仲間とさらに心から想っている相手がいる世界と、とどちらを比べたら、たしかに天秤は異世界に傾いたが、かといって故郷が軽いわけではない。
もし叶うのなら、どちらの世界も行き来したい、と思うほどに。
いまは時間を遡って同じ世界にいる。けれど、ここで過ごした日々が必ずしも同じ結果になるとは限らない。そして恐らくは、ここでも結局ユキトは結果的には異分子として扱われる。
ともすれば、望ましいのは地球へ還ること。
それが出来ずにここに留まり続けるというのは……やはり、あまりよくないものなのだろう。
「……儂は召喚について詳しくは知らぬ。その辺りはうちの巫女から聞いてもらうしかの」
ユキトの胸が跳ねた。
巫女と、ノイバは確かに言った。そして、この城で巫女と呼ばれる人物を、ユキトはひとりしか知らない。
「すでに呼んではいるのだが……ふむ。ようやく来たようだ」
ノイバの視線の先、そしてユキトの背中の向こうの扉が開いた。足音が二人分聞こえてくる。
片方はガシャガシャと規則正しくはあるが、騒々しい音。もう片方は静かで静謐とでも言うような音と間隔。
金属音を鳴らしていた騎士のひとりが止まり、室内へ一礼をすると扉の脇に寄った。
その後ろから、ひとりの女性が進んでくる。
その姿がユキトの記憶を刺激する。
「……やっぱり、お前なんだな」
まだ少し遠いが、紛れもない。
彼女自身だ。
その名前を叫びたくなるのをぐっと堪える。
「失礼します」
「来たか。まずはこちらに来い」
ノイバに促され、ユキトの横を通って玉座の横に着く。
ユキトの視界に入ったその顔は、悔しいほどに『彼女』だった。
自然、ユキトの手が胸元に行き、いまは服の中にしまい込んであるネックレスを、服の上からそっと触る。
(大丈夫だ。これがあるってことは、あれは夢じゃない。嘘じゃないんだ)
少し目をつぶり、ゆっくり自分を落ち着かせる。
「初めまして。当代の【召喚の巫女】アリスティ・レーテインです」
あぁ、やっぱり。
「…………ユキト・オームラです」
やっぱり、初めまして、なんだな。
ユキトの中で、もしかしたら、という思いが消えた気がした。
「どういうことだよ」
ユキトの声が謁見の間に響いた。
どうにも抑えることが出来ず、敬語を忘れた揚句に思わず【気】を使ってしまい、怒鳴りはしていないが、威嚇するかのようになってしまった。
その声に、大半の者が顔を青くしている。騎士団の面々ですら、平気な顔をしているのは最初にユキトの静かな【気】に気付いた三人のみ。いつでも動き出せるのは団長のガトノフだけだ。
もちろん、ユキトは暴れるつもりなど毛頭ないが、その現状に、いっそのこと力を使った脅し程度はしようかと考えてしまう。
しかし、それをすれば、ユキトの望みはまず叶わないだろう。歯ぎしりしながらもなんとか抑える。
そのユキトに充てられたノイバだったが、なんとか口を開く。
「ユ、ユキトよ。少し落ち着いてはくれぬか?」
「落ち着く? 落ち着いてるさ。ただな、俺があんたたちに怒りを抱いてるのはたしかだ。
勝手に呼び出されて、勇者をしろと言われた。まぁこれは良い。今更だ。覚悟は出来ている。でもな、もしいまの俺が命懸けの旅をしても、元の世界に還る見込みが全くないって言われたんだ」
ノイバとアリスティを睨みながら、ユキトは記憶を辿る。
かつてもここで怒ったことがあった。あまりにも理不尽な申し出に、どうしようもなく、ただ怒鳴り散らしたことが。
あの時はいまのような力がにユキトにはまだなく、騎士に抑えられ、キチンと還れることを約束になんとか落ち着いたのだ。
だが、今回は、そもそもとして還る見込みがないと言われた。
【勇者】になるは別に良いのだ。
命の危険はたしかにあるかもしれないが、それでもいまのユキトなら前ほどの苦労はしない自信がある。
だが、その結果として元の世界に還れないというのはどういうことなのか。だいたい、異分子はいてはならない世界ではないのか。前回がそうで、今回がそうでないというのは考えつかない。
「……この世界から発つだけならば、時間と手間はかかりますがそう難しいことではありません」
なんとか、という面持ちでアリスティがユキトに説明を始める。
その辛そうな顔に痛むものがあるが、だが還すことは出来ないといったのも彼女なのだ。ユキトの心境としては、そうやすやすと許せるようなものではなかった。
「ただ問題なのは、勇者様を還す先の座標が分からないことで……」
「……どういうことだよ、それ」
ユキトの視線が完全にアリスティに向くと、彼女の顔が一層青くなった気がした。
ただでさえ白い肌が、さらに悲惨なことになっている。
「そ、その、召喚魔法というのは、対象の場所と呼び出す場所を必要とするんです」
「それで?」
ユキトは魔法については知らないことばかりだ。アリスティの説明も、結局は聞くことしか出来ない。
「召喚魔法を応用している送還魔法も同じで、その座標軸をそのまま運用するのです」
「その俺を呼んだ時の座標がわからないから、どこに戻すのかも分からないということか」
「そういうことに……なり、ます」
ユキトの機嫌が変わらないことを感じたのか、アリスティの声は尻すぼみになっていった。
「そりゃまた、ずいぶんと迷惑なことをしてくれたな」
ぽつりとユキトが呟くと、アリスティは俯いてしまった。顔を上げる様子はない。
そのまま無言の空気が続く。
ユキトはどうしたものかと考えながら。
ノイバもまた、どうすればユキトが怒りを収め、旅に出ることを同意するのか考えながら。
アリスティは召喚魔法での対象の見失い、座標の未発見、そうした度重なる失敗に心を沈ませ、いまだ不穏な空気を漂わせるユキトを恐れながら。
宰相であるジクシスやその他文官たちはあるものはユキトを恐れながら、またあるものはユキトの様子を粒さに観察し。
ガトノフ率いる騎士団や、マートナイ率いる魔法部隊の面々はユキトがなにをしても取り押さえられるように待機をしながら。
ずっと続くかに思われた張り詰めた静寂を破ったのは、ユキトだった。
無意識に纏った【気】を収め、穏やかな声を意識しつつノイバに声をかける。
「ノイバ王」
「な、なに用か」
「頭を冷やしたい。最低限、まともに生活ができるような部屋を用意してくれないか」
声は穏やかであったが、敬語は完全に意識していない。
それを咎めようと副騎士団長が身を乗り出したが、ガトノフがそれを抑える。それを見たユキトはガトノフに目礼をする。
「その程度ならたやすい。いま使用人を手配しよう」
ノイバに礼を言い、今度はガトノフに、
「出来れば身体を動かしたい。訓練場所なんかは借りれますか」
「あぁ。空いてるとこならば構わない。練習着も欲しければ貸し出そう」
「お願いします」
それを最後にユキトは口を閉ざし、また他の者も口を開かなかった。
再び静寂に包まれた空気は、異常な空気を感じながらも意を決して入室してきた使用人が来るまで続いたのだった。
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