第八話『謁見の間には初対面の知った顔』
「わざわざ足を運んだこと、感謝する」
上から目線の口調であったが、ユキトはそこまで不機嫌な気持ちにならなかった。
心に余裕があるというのも大きいが、それ以上にその声には思わず従ってしまいそうになる要素があるのではないか。
相変わらずの才能だな、としみじみ感じる。
昔はこの声にやり込められて不本意だった旅に出ることになったのだと思うと、まだ多少のしこりを感じなくはないが、最後には誠意を見せてくれた相手でもあるし、いまさらかな、と思いながらその声に応える。
それに気をよくした男――【シトノーシア城】の城主、つまりはこの都市の王はユキトに問いをなげる。
「さて、ユキト、と言ったな。儂は王のノイバだ。どうやら、おぬしは自分が勇者だと言っているらしいが、聞いているのはそれだけでもある。己の口でその辺りのことを話してみせい」
周りにいるものどもにもな。そう言って王は部屋の二辺を埋める列に目をやった。
左右に三列。かなり広い謁見の間であるが、そこを縦に埋め尽くしているのは騎士と官職の面々。
見知った顔が多くあるが、いまはただの他人だ、と自分に言い聞かせる。
一言断りを入れ、顔をあげてユキトは自分の身の上話を語った。過去とは言え、二年も届かず一年と少し前の記憶だが、あいた密度の濃い時間に、色褪せた部分もある。そこを慎重に補完しながら、語り、急に森の中に自分がいて、アラムに推されここまで来たことを話した。
話せる限りの全てを話し終えると、ノイバは面白いものを見付けた、というような顔をしている。
その顔に少し記憶を刺激された気がした。
「ほぅ……異世界、と言い出すか。なかなか面白い発想だ。事実であれば実に興味深いが……どれ、なにか証拠でもあるのか?」
発想と言っている時点ですでに信じるもなにもないだろ、と思うが、どうやら伝わることはないらしい。
あの時は学生服だったために、案外あっさりと理解して貰えたが、やはりどうも感触が違うことに違和感を覚えるユキト。
ただ一応、なにも考えずにきたわけではない。
「証拠とは言いづらいものがありますが、自分の黒髪と黒の瞳は自前のものです」
この世界に黒髪は滅多にない。一部ではあるが、少なくともここにはあまりいない。
説得のための証拠としては弱いが、一考する余地を感じさせる程度には効果はあるはずだ。案の定、ノイバは少し考え込む姿を見せる。
ここを乗り越えなければならない。もしこのまま一蹴にされて勇者のゆの字にもなれないのだとしたら、この先どうするかが困る。生きる分には問題ないだろうが、地球に帰れる可能性がなくなりかねない。
アラムには悪いが、ユキトにとって居心地のいいのは、やはり地球での生活であり、それに筆頭……下手をしたらそれを越えるくらいに【勇者】と旅をしてくれた仲間たちとの繋がりが心地よく感じるのだ。
アラムに接することに関しては割り切っているつもりだが、それでも『アラム』とダブらせてしまい、やる瀬ない気持ちにもなっていたりする。
それは恐らく、ユキトの知る人の誰にも感じてしまうのだろう。そんな気がする。
【勇者】になる必要はない、という選択肢も浮かんできたが……でもそれは出来そうにない。
いまでこそ、シトノーシアは余裕のある状態であるが、もしユキトが【勇者】になった時と変わらぬ状況なのだとしたら、この余裕は魔物が進行している地から遠く離れて被害をそこまで感じていないだけに過ぎない。ここから歩いて数ヶ月ほどの離れた地では、魔物の進行に必死で抗っている地があることをユキトは知っている。
それを知っていて、そのまま見過ごすことは、ユキトには出来ない。
改めて、自分のためだけじゃなく【勇者】にならないと、と意志を固いものにする。
「確かに珍しいものではあるの」
思考に沈んでいた意識がノイバの声で浮上する。
ユキトの考えは楽観的なものから少なからず現実的なものに変わっていた。【勇者】でいたい、というのを『アラム』が聞いたらあんなに嫌がっていたのに、と笑うのだろう。『アリスティ』も。苦笑を押し殺し、自分を律する。
ユキトの変化に気付いた人物もいた。ユキトもそのことに気付き、動きのあった人物を確認する。
「ジクシス」
「はい、なんでしょうか」
王が読んだ名はユキトも知った顔だ。宰相のジクシス。三十半ばにも至らずに宰相までのし上がった実力ある男である。
観察眼も良いものを持っており、ユキトの表からは微かな変化を目敏く発見した一人でもある。
「どう考える。答えてみせ」
「私個人の意見でよろしいのでしたら。手短で申し訳ありませんが、このユキトという少年は嘘はついていないでしょう」
私が保証しますよ、とノイバとユキトに人の良い顔を見せている。
(嘘は、か。相変わらず感の鋭い人だ)
「……それに、肝も据わっていますね。武の心得はない私ですが、彼が勇者だとしても私は疑問を持たないでしょうね」
動じないユキトをみての言葉だろう。たしかにジクシスの観察眼は、いち日本人だった過去のユキトには驚きは多大だったが、知っていれば動じることも少ない。隠しごとあることは恐らくバレてしまったが、そこはさすがだと思えばどうということはない。
とにかく、宰相である彼の評価に一安心する。
「ふむ。そうか。……そうだな。ではガトノフ」
「はっ」
続いて呼ばれたのは、これもユキトには知った顔のひとり。騎士団長のガトノフだった。
壮年の騎士と言うに相応しい人物で、四十を越えながらも絶大な体力に緻密な技量がある騎士団のトップ。そしてその年の中で身につけた理解力と包容力は、人の上に立つものとしては充分すぎるほどにある。そしてそれだけに人を見る目は騎士団の中でも随一である。もちろん、ユキトの先の変化にも僅かながら反応していた。
それでも彼がどういった反応をするのか、ユキトにも全く検討がつかない。騎士でありながら、王の仰せのままに、とは少し違った感覚である彼は、自分の意見をきちりと言うだろう。だからこそ、ノイバはガトノフに意見を求めたのだろう。
そのガトノフに自分を勇者に相応しいと思わせるには、どうすればいいか――……答えはすぐに出た。
静かに、ただ静かに【気】を練る。攻撃的なものではなく、そこに感じさせる。
そして、意識して無意識にそれを行う。自分でもなんだそれ、と思わないでもないが、でもそうするのだ。
無意識になるように、意識してコントロールをする。あえて言うなら、反復練習の時にある感覚だ。同じ動作を繰り返してやることを始めるのには、意識して始めるのがほとんどだ。
そして同じ動作の繰り返しというのは、慣れればそこに意識を向けなくとも続けることができる。そんな感覚。言葉ではイマイチ言い表せないが。
そしてそれを感じたのは――……四人。ガトノフと副団長、そして騎士団のエース(なにかとユキトをライバル視していた男だ)に、ジクシスは反応せず、代わりに魔法部隊の方からひとり。
「……たしかに肝は据わっているかと。動揺もせず、そしていまなお集中は途切れていない」
成功、だろうか。【気】の気配を集中の証と取っているようだ。【気】という概念が、魔法大国のこの都には浸透していないのが幸いしたか。
「そして、なにより意志が固いよう。勇者となってその意志の固さが発揮するのであれば、信用に値するでしょう」
…………まさか、ここまで褒められるとは。
ガトノフは騎士団の中では、あまり褒め言葉を言わないことで有名だった。言うとしても本人がおらず、また仲の良い相手だけにぽつりと言うらしい。そのガトノフの称賛に、騎士たちもやや驚き気味のようである。
「なるほどの……さて、ならばマートナイ」
「はい」
次に声をかけたのは、魔法部隊のリーダーのマートナイ。ユキトの【気】に反応したひとりである。
魔法大国の王直属の魔法部隊のリーダーだけあって、その魔法の腕は【召喚の巫女】さえいなければ、都でもかなりのハイレベルである。
魔法部隊を真剣に強き良き部隊にしようと頑張る熱気ある人であり、部下もそれに応えるほど人を引っ張るのが上手い。なぜか一人称が誰に対しても(王に対してすら)僕であり、かつ意見を濁すことはないことから、周りからは豪胆と呼ばれといる。
頭の中で情報を羅列したが、ユキトは魔術に関してはお手上げなのでなにも出来ない。【気】は張りつづけているが、恐らく何かを感じる、程度だし期待は出来ない。
「まったく……ノイバ様もお人が悪いですね。いまさら僕の意見は言うまでもありませんよ」
王を冗談すら怪しい口調で客人の前で軽く批判した挙げ句、丸投げ。……こいつ大丈夫か、とユキトが思うのも無理はないだろう。そうであって欲しい。
だがノイバはそれを気にした様子もなく、こちらも軽くそれは悪かった、と言っている。
「どうやら、儂の意見とみなの意見もそう違いはないらしいな」
それでもノイバが口を開く時はみな真剣に話を聞くのだから、そこにしっかりとした体制が見て取れる。
「ガトノフ。あれを用意せい」
「はっ」
ノイバの命令をうけてガトノフを一列をして部屋から出る。
異様な緊張感が部屋を覆う。誰も一言も発することはなく、ただ静かな時間が流れた。
しばらくして。ガトノフが戻ってきた。
「持ってきたな?」
「こちらに」
ガトノフが持ってきたのは、両手ほどのサイズの箱だった。シンプルなデザインながら、華やかな装飾の施された作り。
もちろん、ユキトはそれを知っている覚えている。
ガトノフはその箱をノイバのもとであけ、手の届く位置に持っていく。
「ユキトよ、いまからおぬしを試させて貰う」
「なにを、でしょうか」
わかってはいる。
だが、聞かずにはいられないことだ。
ノイバはガトノフから箱を受け取り、開けた側をこちらに向ける。
「おぬしを勇者か見定めるのだ。王家に伝わるこの【聖剣】での」
やはり。ユキトの予想は外れていない。
こんどはガトノフが箱を受け取り、玉座からユキトの方へ降りてくる。
「もしおぬしが勇者であるのならば、その中にあるいまは小さな剣の形をした【聖剣】に触れることが出来るはずである」
箱がユキトの前に差し出された。その中には全長が掌程度しかない小さな剣。
「これが、ですか」
「そうだ。もう誰も知らぬ過去のこと、伝承によれば世に二つとない鉱石を使い、当時の勇者のためにシトノーシア随一の鍛治職人が作ったもの。真に勇者であれば、その剣も認めるであろう」
ノイバの言葉はもうユキトの耳に入っていなかった。どの道すでに聞いたことのあることなのだから。
ユキトの中で緊張が高まり、自然とゆっくり動きながら手を伸びていった。
一瞬、迷いが生まれた。
本当に自分は勇者のままなのか。もし違うのだとしたら……。
だがその迷いも一瞬。
気付けば、ユキトの手はもう箱の上に来ていた。
そのまま止めることはなく。
ユキトは【聖剣】に手を伸ばした。
手が触れた瞬間。
ユキトを中心に、部屋に風のようなものが生まれ。
それが収まった時、ユキトの手には懐かしい重みが手の中にあった。
手の中のそれ――【勇者】の証とされる【聖剣】に一言。
「また会ったな。こんどもよろしく頼むよ」