第四話『仲の良さは不思議と変わらない』
「なんとかなってよかったぜ。なぁユキト」
この男は……。どうしてこんなに元気なのだろうか。
「アラム。初対面の相手にこういう押し付けるような言い方は好きじゃないが、今回の苦労の原因は確実にお前だ」
「なに? 馬鹿言うんじゃねぇ、違うだろ! お前がさっさと、狩りに行こうとしないからだぜ!?」
「はぁ? お前があんだけ騒がなかったら、獲物が逃げるわけないだろ!」
ユキトとアラムの口喧嘩……というより、もうただのじゃれあいは、狩りが終わって川のほとりについても続いていた。不毛な争いは、まだ終わりそうにない。
もっとも、どっちが悪いだ、悪くないだといい合いつづけながらも、アラムは手際よく【コトイノイ】を解体し、ユキトは肉を食べやすいサイズに切り取り、アラムが持っていた鉄串に刺してたき火にあてて調理をしている。この息のピッタリさは、二人の仲が良い証拠だろう。
初対面の相手に気兼ねなく接するアラムの快活さもあるが、ユキトが『アラム』を知っていることが大きかった。アラムの行動や癖は、ユキトにとってはすでに馴染み深いものであるのだ。
なにより、楽しい。
まるで、『アラム』と馬鹿騒ぎしているかのような――……いや、アラムと馬鹿騒ぎをしているのだ。楽しくないはずがなかった。
アラムもアラムで、初対面のユキトと遠慮なく楽しんでいる。憎まれ口を叩きあっても、アラムの根は変わってない。それにユキトは少しだけ安堵した。
「にしても、ユキトと俺の息がピッタリだったな。驚いちまったぜ」
「俺もだ。ここまで合うとは思ってなかった」
ユキトの言い分は嘘だ。長い間を『アラム』と過ごし、何度も何度も近くで彼と戦っていたユキトにとって、アラムの動きに合わせてお互いに動きやすい位置取りをすることくらいは造作もない。
息が合うと言うよりは、ユキトがアラムに完全に合わせていた。
それができたおかげで、狩りの時間自体は、獲物を探すのに異常に時間費やしただけですんだ。仲良く(と本人たちが思っているかは微妙なところだが)騒いでいなければ、たとえ些細な危機を察知して逃げる野生の動物たちでももっと早く見つけることは出来たはずだ。
けれどユキトはその点には触れず、ゆっくりと楽しい時を過ごす。
肉も焼けてきて、さぁ食べようか、そんな時だった。ユキトの耳に、微かではあるが異音が届いた。
(草の音……風じゃない。でかい生き物の足音だ)
音の間隔から、人でないのは明らかだ。人とは違うリズムで刻まれる音から、四足歩行の何かだと当たりをつける。
「アラム。この辺りになにかいる……おい、一旦食うのを止めろ」
アラムが旨そうに頬張っている肉串を取り上げる。もちろんアラムは抗議の声を上げるが、ユキトは無視する。
「あとにしろ、あとで。とにかく、このあたりにいそうなやつは心当たりないか?」
「んだよ、ったく……。えーっと、この辺? ここは川も浅瀬だし、どちらかと言うと森の外円部だしな。とくにいねぇと思うぜ?」
「……そうか。ならいいけど」
「うっし、じゃあ返せって」
手にもっていた肉をアラムに返す。
「それに、例えなんかいたって大したやつは来ない。森の深部には、キラーベアーっていう厄介なやつもいるけどな」
キラーベアーという単語に少なからず反応してしまう。ユキトにとっては軽くトラウマものだからだ。
もっとも、アラムが言うにはこの辺りにはいない。なら大して心配する必要もないか、と警戒をとくユキト。
結果的に言ってしまえば、それは間違いだった。
ユキトが警戒を解き、自分の肉串を取ろうと手を伸ばした時、計ったかのように森の草影から飛び出してくる獣がいた。
獣は人の優に三倍はありそうな巨体を、信じられない速さで動かし、砂利道をかける。
自分の定める獲物に向かって、威嚇の叫び声を上げる。久しぶりの獲物だ。逃がすわけには行かない。
そう思ったのかはわからないが、それくらいの気迫はありそうな勢いで、ようやくこちらに気付いた人間の“ひとり”に、自らの腕を振り下ろす。
鋭利な爪のついた丸太のような腕は、確実に目の前の人間……いや、食事を仕留めるだろう。
だが、その腕が目標に届く前に、突然側面から衝撃をうけ、巨体が簡単に浮く。
「グゥガッ……!」
浮いた身体に追い打ちをかけるように、さらに側面から鈍い衝撃が加えられ今度は吹き飛ぶ。
吹き飛んだ先にある岩にぶつかってずり落ちる。しかし、すぐに怒りの咆哮とともに身体を奮い立たせて立ち上がる。キラーベアーの見る先にいたのは、これもまた人間だった。
その人間がゆっくりと歩いてくる。
「させるわけない」
発せられた声が空気を震わし、キラーベアーの元へ届く。たとえ近くの村では、見たらなにもせずとにかく逃げろと恐れられているキラーベアーだが、それとて森の住人である。
生まれもってある野生のカンは、敏感にその声に含まれる意図を理解した。
慈悲なんてものはない、純粋な殺意。
「もう、仲間は殺させない。絶対に」
逃げるという選択肢はなかった。逃げようとすれば、確実に死ぬ。しかし、なにをしても生かすことを許す気配が微塵もない声を聞き、キラーベアーは本能に従うままに飛び掛かった。
背水の陣、とでもいうべき状態で襲い掛かってきたキラーベアーをユキトは冷徹に見る。すでに四撃を叩き込んだため、右の脇腹あたりは陥没し、口から血が出ている。
優位であることを確認するが、油断はしない。目の前にいる獣は、まだ力のない時とは言え、かつて自分が怯えることしか出来なかった相手だ。
一度だけみたさっきの動きは、かつてのそれと同じかそれ以上であった気がする。
手加減は、しない。
そこからはもう、一方的な戦いだった。いや、戦いですらない、狩り。
キラーベアーの攻撃をすべて躱す、あるいはいなす、時には合わせ打ちによって無傷でかい潜り、その度にキラーベアーは多大なダメージを受ける。
大地を陥没させる一撃は遂にひとつも届くことはなく、一瞬で下に潜り込んだユキトは下から突き上げる。宙に浮いた身体は、それ以上動くことはなく。
重力に従い落下を始めた巨体を、トドメの回し蹴りが捕らえた。
地面を何度か撥ねて転がったダークブラウンの巨体から、完全に動きが感じられなくなってから、ようやくユキトは纏っていた【気】を解いた。それと一緒に安堵の息を吐く。
【勇者】だったころに積んだ経験や鍛練は、過去の敵わなかった敵を越えるくらいにはなっていた。
付着した血を流すため、川で手を洗っていると、後ろから口笛と共に拍手が聞こえてきた。
「すげぇな、ユキト。素手であのキラーベアーを倒すとは思わなかったぜ。助かった」
「たまたま、だろ。向こうも最初は俺に気付いてなかった」
「謙遜すんなって。あんだけ余裕あったくせによく言うな」
謙遜というわけではないが、たしかに余裕はあった。身体を衝撃から守るためにしか【気】は使っていないし、攻撃はまったく食らっていない。
スピードも反射神経も、死に物狂いで身につけた自前のものだ。
「それだけの力もあれば、この森でフラフラしてても大丈夫だったわけだ。……って、そういやなんでこの森に居たんだ?
俺の村のとこじゃないなら、どっかからか来たんだろ?」
「あーっと、それは」
これは……どうしようか。
この森にいる目的はなにもない。気付いたらいたのだ。おそらく、また【召喚】されて。けど、それをそのままアラムに話してもいいのか。
『アラム』に会った時のように、説明すべきか。
「簡単に言えるようなものでもないし、とりあえず、戻って食べながらでもいいか?」
結論。とりあえず先延ばし。まずは美味しく肉を食べよう。
笑ってそういうユキトとアラムは、やはり仲の良いものだった。