第十四話『違う。違う。違う』
ふと冷たい風を感じてユキトは木の枝を拾う手を止めた。
グラツィアの気候からしてまだそう寒くなるような季節ではないのだが、思った以上に風は冷たかった。
身を少し震わせてマントを深く着込む。
空を見上げれば、いつの間にか日差しが木々の間から見えないことに気付く。
茜色の空も片端では少し暗くなり始めている。
「のんびりしすぎたかな」
普通ならあまり褒められない状態だ。野営をする以上、準備は明るいうちにするのは鉄則だ。
旅も二度目だと言うのにこれでは先が思いやられるな、と軽く自責し気を入れ直す。
それでも実際に、ユキトの気が緩んでしまうのも仕方なかった。
あまりにも順調すぎたのだ。旅の準備から、この【深遠の森】に到着するまで。
街中では取り立てて騒ぎが大きくなることはなく(それでもアリスティとディネストは多少騒ぎの種になったが)、旅慣れたユキトにディネスト、野営の心得はアラムもあれば多少の不便を無視すれば困ることはろくになかった。
夜中に襲撃もなく、昼に遭遇したのもゴブリン団体が二回でどちらも五体ずつ。敵ではなかった。
最初はディネストがアラムの実力を見たいと騒ぎ出し、快諾したアラムがものの十数秒で戦闘を終わらせていた。
ただ、反り血を浴びたまま帰ってきたアラムを見たアリスティが小さく悲鳴を上げて少し気を失ったことくらいか。
まさか倒れると思っていなかったユキトは反応が遅れてしまったが、ディネストが彼女を受け止めた。散々の厭味を浴びせながら、だが。
もうひとつの戦闘はディネストと回復したアリスティが担当をしてすぐに終了。
連携というようなものはまるでなかったが、それぞれの力量自体はアラムは分かったようだった。
そんな風に、本当になんの危なげもなく着いてしまったものだから、知らず知らずのうちに気が緩んでしまったらしい。
野外では癖になっている【気】による常時聴覚の強化による索敵はしているが、それにすらろくに反応がない。
しかしそれでも油断は禁物だ。そう心に留め、枝木集めを再開した。
今度は手早く作業しながら、寒くなりそうな夜を凌げるくらいは持って行こうと考えながら。
「遅いぞ」
「悪い」
【深遠の森】から少し離れたところで野営の準備をしている仲間のもとへ行く。
ディネストの咎めに一言で軽く返事をする。
とは言え、実際に遅くなってしまったのは自分の責任だ。手早く風が通りやすく木を組んで、すぐに火が回るようにする。
「アリスティ、お願い」
魔法はなかなかに便利だ。
きちんと魔力の調整が出来るアリスティは、焚火に必要最低限の火を燈すことができる。
もっとも、それくらい【召喚の巫女】としては当然なのだが。
小さく頷いて詠唱を開始する。
「サーネス・フェイ」
アリスティの詠唱によって、魔法が発動し、組んだ木の下にある落ち葉などに火が点く。
風は吹いているが、石で囲ってあるし、最初の火種が消えないように気をつければ大丈夫だろう。
遮るように風上に立ち、火が回るまで待つ。
それなりに火が炎になってきたら、木を追加してしばらくは消えないようにする。
そうしている間に水の調達に行っていたアラムが戻ってきて、それに伴いディネストとアラムで鍋を用意する。
今夜はスープを作るようだ。スープ用の固形物を溶かしただけの、あの味を思い出すと少し気が滅入らなくはないが、それは旅をする以上仕方ないことだろう。
我慢するしかない。
ぼんやりと火を眺めながらも、時折周りの様子を伺う。
警戒をしていないわけではないが、どうも気が入らない。
事実、四人もいれば大抵の敵襲は先に気付けるし、まだ完全に暗闇というわけではない。
そんな余裕と、なにもすることがない暇という時間がユキトから緊張を奪っている。
いまいるメンバーで一番会話が弾むアラムと話そうにも、意外なことに息のあった作業をディネストと進めているため、声をかける気は起きない。無論ディネストにもだ。
そしてもう一人暇している人物がいないことないのだが……
(そんなに俺を避けたいのか)
そう思うほど彼女――暇をしているアリスティはユキトと頑なに接触することを避けている。
視線は合わせないし、話しかけても基本的に伺うような声音や口調で全く落ち着かない。
その容姿が自分の想い人である故に、さらにそれは増す。
正直、もう地球に還るのだから、と彼女への想いは募らせないつもりだった。
愛しいとは思う。けれど、叶わないのだから。
出来るのは大切な思い出にすることだと思っていたのだ。
なのに、揺さぶられる。
彼女を見ると、『彼女』を思い出してしまう。
けど、ここ数日でそれも薄くなってきた。
最初から違うと割り切っていたのもあるし、なにより、
「あの、勇者、様?」
『彼女』はユキトのことを、一度たりとも勇者と呼んだことはないのだ。
「ん? どうかした?」
ユキトを見て、『彼女』は話しかけてくれた。
彼女はユキトを、勇者としてしか見ていない。
「いえ、その……なんでもありません」
呼び方一つで違いが生まれ、その違いはさらに些細なものや、大きな違いまで気付かせていく。
「そっか」
『アリスティ』は、必要なことはきちんと伝えてきた。言葉を濁すことなんて本当にごく稀だったくらいに。
(やっぱり、違うんだな)
ユキトの左斜め先にいる彼女は、やはりどこか戸惑うような仕種をしながら伺うようにこちらを見ている。
それをあえて無視しながら、ユキトはただ火の灯を眺めていた。
微かに残る記憶に思いを馳せながら。
◆
たき火を囲んで三人ほどが座っている。
どうやら火でスープを温めているらしい。よく旅人が利用する手軽に出来るものであるから、彼らもまたそのひとつだろう。
「暇だ……」
その一人、余りにもやることがなさすぎたユキトは思わず呟いた。
「旅なんてそんなもんだぜ、ユキト?」
「そうは言ってもなぁ……」
共に旅を始めたアラムに言われるが、理解はしていてもどうしようもないのだ。
「ゲームやりたい」
それにこう漏らしてしまうのも、家での生活の大半をゲームに使っていたユキトなら仕方ないだろう。
「試合? 剣も振れないくせに、そんなに怪我したいのか?」
「あー……そういうのじゃないから」
「異世界の文化か」
「やっぱりちげぇんだな」
「まぁな」
文化が違うのは当たり前だった。
ユキトがいまいる世界は、かつて架空のものでしかなかったのだから。
食べ物も違えば、生き物が違う。
歴史が違えば、学ぶことが違っていて。
日常が違えば、楽しみ方も違うのだ。
ユキトがちらりと聞いた話では、こちらでの勉強は武器の扱い方や狩りの仕方、非常時の対処の仕方などの講義や実習を行うらしい。
読み書きや簡単な計算すらも、学校で必ず教えてくれるわけではないのだとか。
アラム曰く、「知らなくてもなんとかなる」かららしい。逆に、身を守る手段はないと旅どころか辺鄙な村では生き残れないこともあるとも言った。
それを聞くと、いかに日本という国が穏やかなのかがわかった。
ただ、いまいるのは危険な場所。それも野外で寝泊まりしようというところだ。
少しは警戒心を持ったほうがいいのかもしれない。
……そうは思うのだが。
「やっぱり、暇なんだよなぁ」
今なら嫌いだった数学とかでも嬉々としてやってしまいそうだし、苦手な暗記だって真剣に取り組めそうだ。実際にやれと言われたらまずやらないだろうが。
結局、甘んじて暇を受け入れるしかないのだ。
ユキトが暇だと騒がなくなると、途端に場は静かになった。
それもそうだ。
ここにいる三人は、元から面識があったわけではなく、巡り合わせのようなもので出会ったに過ぎないのだから。
まだ出会って一週も過ぎていない。打ち解けるのはそう簡単な話ではないのだ。
特に、ユキトとあと一人の彼女――ユキトをこの世界へ呼んだ人物、アリスティの二人は。
変わらないと思っていた日常から、無理矢理に遠ざけた彼女に対する感情はあまり良いものではない。
【召喚】をされて、戸惑って。成り行きのままに原因の元に行き、そしたら意思を無視して命令だけをされた時にはかなり怒りが沸いたものだった。
ふざけるな、と思わずにいられないほどに。
なにか悪い夢の中なのかとも思ったが、そうでもないのは明らか。まだ大丈夫だが、いつか精神面に堪えるものがあってもおかしくない。
そんな理由でユキトを現状に誘ったアリスティには、普通の会話すらしたくない。もしすれば、今は抑えているものがまた首をもたげてきそうだった。
思い出す度に怒りが沸き上がってはけるが、それに任せて彼女との関係をこれ以上壊すのも避けたい。
日常から遠ざけたのは彼女だが、日常へ戻るのにも彼女しか出来ないのだ。
なんという皮肉なのか、この現状を終わらせるために、起因となった人物に協力をしてもらわないといけないらしい。
だがそうと分かっていても、やはりユキトは彼女とあまり接することはしたくない。さすがに旅をする以上は、会話が必要なこともあるが。
そう思って彼女なるべく避けようとしている。しているのだが、それがろくに上手くいかない。
それというのも、彼女から話し掛けてくることがよくあるのだ。
にべもなくただ無視すればいいのだが、それすら出来ない。
というのも彼女が、
「あの、ユキト様?」
沈黙などものともせず、今ユキトに向かって浮かべる、柔らかで人懐こい笑顔を浮かべるからだった。
ユキトが彼女を快く思っていないことを分かっていてなお、そうやって接してくる姿に、ユキトはどうしようもなく戸惑いを覚える。
その笑顔が凄くユキトの良心を揺さ振ってきて、彼女がこの世界にユキトを誘ったことを忘れそうになったり、彼女に気を許してしまいそうになる。
でも、ユキトの意地のようなものがそれを留める。
彼女自身の意思でユキトを喚んだわけではないのは分かっていているのだ。それくらいは。ただ理屈と感情を秤にかけると、感情が重くなってしまう。
だから、やはりユキトは彼女にどこか素っ気ない態度になってしまう。
「……なにか?」
自分でも分かるくらい硬質な声だった。
だが、アリスティはそんなことは気にしないかのように変わらずユキトに話し掛けてくる。
彼女を拒絶しきれないのは、こうしてくるのが一番大きいのかもしれない。
「よければ、ですけど、こちらの文字の勉強でもしてみますか? 退屈凌ぎくらいにはなりますよ?」
「別に、話すことは出来るんだから別にいいだろ」
理由こそ分からないままだが、ユキトはこの世界の言葉が理解出来るし、話すことも出来た。そのおかげでそれほど困ることはなかった。
たしかに、文字が読めないのは困ることがないわけではないが、ユキトでなくても理解出来る人が一人いれば事足りる。
「つってもよー、ユキト。勇者だったら、それくらいは出来た方がいいんじゃねぇの?
俺も手伝うしよ」
「アラムも読めるのか? だったら、俺はお前に」
「一応、って程度だ。人に教えるなんて真っ平だっての。まあ、ユキト。文字なんて別に誰が教えようが結果は大して変わらねぇんだ。やる気があるなら、それにしっかり応えてくれる人が先生の方がいいだろ?」
「え……いや、まだやるって言ったわけじゃ」
「んでもやらないなら、また暇だ暇だって言うんだろ?」
そんなことは、と反論したかったがそう言わない自信がないので留める。
「つーわけで、巫女様。俺とこいつ共々、暇つぶしついでによろしく頼むぜ」
「はい。気楽にやりましょう。そんなに大変じゃないと思いますから」
「……人の話、聞けって」
ため息をつきつつも、いつの間にか苦笑が浮かんでいた。それも、あまり嫌なものでない、穏やかなものが。
(まぁ、確かに暇することはなさげだけどさ)
こうして、野営をする時などの暇な時間は、何かしらの勉強をするという習慣がユキト一行に生まれた
のだった。
◆
昔を思い出して、ユキトは苦笑する他なかった。あの時はユキトがアリスティを避けていた。
それがいまとなっては、ユキトが彼女から遠ざけられている。
それでこれと言った問題はない。なにげないことを話したりする時はあまり要領を得ていないが、必要なことは淀みなく話すし、仕事などは出来る範囲できちんとやる。
パーティーの一員としては、しっかりと役目を果たしている。それなりのことを想定して、こなせるようにしていたのだろうが、実行できるのはやはり彼女の芯が強いからだろう。
『彼女』の強さはユキトがよく知っている。だから、『彼女』に心を許すまで至ったのだから。
そこで、ふと思う。
ユキトが『アリスティ』と次第に自然と話すようになっていったきっかけはなんだったのだろうかと。
それはやっぱり、『彼女』からの暇潰しの提案だっただろう。あれを受け入れたことで、ユキトと『アリスティ』の距離が縮みだした。
そして、そうなれたのは『アリスティ』がユキトにきちんと向き合ってくれたからだ。どうしようもない怒りを向けていたユキトに、どんなに無視をしても、どんなに避けても一緒にいた。
なら、『アリスティ』がユキトにしたように、自分もアリスティと向き合うべきなのかもしれない。とユキトは思う。
「なぁ、アリスティ」
出来るだけ柔らかい口調を意識してみる。それでも、ユキトは自分の声が強張っているのを感じた。
「なんで……しょうか?」
アリスティもそれを如実に感じたのかもしれない。焚火だけが光源だが、なんとなくその身に力が入って、瞳にいろんな感情がないまぜに映っているのが分かった。
それを感じつつも口を開く。ここでくじけたら意味がないではないか。
「あのさ……」
が、この後に続く言葉が出なかった。そして、最初からなにも考えていなかったことに気付く。
(うっわ、アホみたいだ)
そう心の中で自分を毒づくも、思い付きで話題をすぐに探せるわけでもなかった。
「えー……っと」
「はい」
間を伸ばしてなんとか繋げようとするも、良い案は浮かぶことはなく。
ついには、別にわざわざ悩むくらいなら、と頭は提言してくる。
なぜなら。
「いや、やっぱりいい」
なぜなら、ユキトの知る『アリスティ』は、ユキトを避けることはなかった。ユキトに話しかけられて怯えたりなどしないし、ユキトと話さずに済むことで今、目の前にいる彼女のように安堵を浮かべることも。
違うのだから。『アリスティ』とは。
違う。違う。違う。
目の前にいる人物が、『アリスティ』と姿形が同じだけの違うものに見えてしまう。
いまさらのことなのに、改めてそれを知ったようでなんだか頭を殴られたような気さえした。気分の悪さを感じる。
ユキトの変化に気付いたのか、恐る恐るといった様子でユキトを気にかけるアリスティに、ラノンドの様子をみてくると言い残し席をたった。
吐き気こそないが、ひどく気分が悪かった。
アラムとディネストに夕飯の辞退を申し出、アリスティに言ったようにラノンドのもとにゆく。
そこで立ち止まって、なるべく冷静になろうとするが、なかなか上手くいかなかった。
自分によく懐いたラノンドの頭を撫でながら、夜風にあたると、気分の悪さは少し引く。
それでも、立っているのが嫌になり、体を埋めたラノンドに背を預けながら空をみる。
月が二つ、輝く空だ。
一年。ユキトがその下で旅をした空。
大切な思い出の旅だった。
唯一その名残が残るものを出す。『アリスティ』から貰ったネックレス。
それを空に翳しながら、ゆっくり本音を漏らしたくなった。
「俺さ、『アリスティ』。お前なら全力で護れるんだよ。自分がどうなっても、どんなに辛くても、例え不可能なのだとしても足掻いて諦めることはないね」
けどさ、とユキトは続ける。
「同じ世界に一年遡っちまって、俺を知らないお前に会った。お前なんだよ。紛れもなく。でも、不思議と嬉しくはなかった。あいつはお前であっても、お前とは違う。一緒だけれど、同じじゃない。それが分かっちまったら、こう思うんだよ」
一息つき、一拍。
「俺は、正直な話、お前のようにあいつを護ることが出来るか不安だ。最初は、出来ると思った。お前と同じだから。けど、あいつはお前とは違うんだ。俺の知ってる、お前じゃないんだよ。なぁ。俺はどうすればいい?」
ユキトが語りかけるも、もちろん答えがあるわけがない。
ただ、寒い風だけが吹いてユキトを身震わせるだけだった。