第十三話『酒場での談義』
アラムとディネストに追い付くのは、手を繋いだ二人にはなかなか難しかった。人込みを縫いながらもなんとか追い付き、ほっと一息をつくのも無理はないほどに。
ディネストが勧めていた店は、活気ある通りから少し離れながらも、レンガ調の落ち着いた店だった。壁や床の色合いや机や椅子のデザインもユキト好みで、装飾も目立ち過ぎず、けれど店内が寂しく感じない程度にある。
その様相は、酒場ではあるが居酒屋というよりは小洒落たバーを予想させた。未成年のユキトは、そのどちらも行ったことはなかったがこういうのはイメージである。
店内も広く、幸いなことに他の客もいない。角隅のあたりの席を取れば、大きな声さえ出さなければここの店主に話が聞かれることもなさげ。
談議の場所としては申し分なかった。
アラムはもちろん気に入って(酒場ならどこでも喜びそうではあろが)、アリスティも満更でもなさそうだった。
「つまり、私達の最終的な目標は各地を魔物の侵攻から守る、もしくは救い、かつ統率しているであろう魔物……仮に魔王とする輩を討伐すればいい、と。そういうことだな」
「その通りだな。王様からはそう頼まれた」
各国の心証をよくして、良いパイプ作りもしたいみたいだが、というのは心に留めてユキトは頷いた。
「つっても、ユキトが帰るために巫女さんの魔力を元に戻すために、精霊のところに行くんだろ?」
「寄り道して悪いけど、そうしたい」
ユキトが元の世界に帰りたがっている、というのは三人に伝えた。案外あっさりと頷かれて、かつて皆に引き留められたことを思い出した。
どこか胸が締め付けられるような感覚。
「良いって良いって。それに、言い伝えみたいなもんだと、聖剣は精霊の力を授かれるんだったけ?」
「ああ、らしいな。嘘か本当かはわからないが、嘘だとしたら」
ディネストがちらりとユキトに視線を向けた。かいま見えるその視線は、昨日もユキトに向けてきたものと同種のものだ。
すぐに消えたそれを、あえてユキトは無視してマイノン(紅茶のようなもの)を口に含んだ。
「そこらの剣に少しの利便性が付いただけの、大したこともない剣でしかなさそうだ」
「そんなはずは……聖剣は、代々に渡って教会と王家が協力して保管してきたものです。ただの剣であるはずなど」
「……お前は喋るな」
自らの役目にも繋がるものをけなされたように感じたのだろう。アリスティは思わず口から言葉が出た様だった。
しかしそれも、凄みあるディネストの一言でピタリと止んでしまった。
さっきからずっとこの調子だ。気付かれぬ程度にため息をつく。
(これは……なかなかまずいかもしれないな)
昨日、ユキトがディネストに怒りを抱いた時にも思ったのだが、どうやら彼はアリスティをあまり快く思ってはいないらしい。
大声をあげる等、迷惑になるような行為こそしていないが、彼が明らかにアリスティを拒絶しているのは言うまでもない。
それをどうにかしようと思ったユキトとアラムだったが、それとなく言った程度では効き目がなかった。
アリスティも完全に萎縮してしまって、しばらくは一言も口を開かなくなったくらいだ。
「ま、まぁとにかく、それは実際にやってみればわかるだろ?」
「その方法は?」
「方法っつって……んなの知るかよ。でもそもそも行かなきゃ始まらないんだぜ?」
「……それもそうか。だとしたら、寄り道が多くなるのだろ?」
「悪いけど、そうなる」
【聖剣】の強化が出来るのは本当の話ではあるが、それに加えてユキトの私情が混じっているのも事実だ。
最終的な目標は地球に帰ること。異分子であるユキトが長く自分の世界でないところにいるのは、宗教的にいいことではない。
宗教が根強く魔法にも関係するこの国において、それは無視できないことらしいのだから。
「謝る必要はない。お前にはお前の事情があるのだから」
それにしても、ディネストは随分と物分かりがいい。自分の考えをそう曲げるようには見えなかったのだが、間違ったのだろうか。
【勇者】に拘っていた節が強いし、てっきりすぐさま魔物を討伐しにゆくべきだ、と急かすのかと思っていたのだ。しかしどうして。
自分ではない【勇者】が更に力を伸ばすという可能性があるというのに、それを助長するようなのだ。負けを認めた相手が更に強くなるというのに。
(勇者として強い俺を倒して、また自分が勇者だって言い出しそうだな)
ないこともなさそうである。昨日のディネストの執着ぶりは、大丈夫かと心配してしまうほどだったのだから。
胸中の思いを漏らさないように努めながらディネストを見る。
円テーブルで向かいあっているため、すぐさま視線が交差した。
ディネストの視線からもまた、何も感じられない。
睨むわけでもなく、ただたまたま視線が交差しているだけ。
それを破ったのはアラムだった。
「じゃあ決まりだな。精霊がいるっていうとこで、一番近いのは……どこだったけ?」
交わした視線は特に何事もなくアラムに移り、ユキトはそのまま彼が問い掛けた相手に目を向け、ディネストはあからさまに視線を明後日の方へと向けていた。
「一番近いのは、風の精、フルエーテスの祠です。場所は、【深遠の森】の奥深くと言われています」
精霊がいる祠の場所は、ユキトも覚えている。たしかにその場所だった。
大して狂暴な生き物もそうおらず、魔物もせいぜいが大人一人でも充分に倒せるゴブンリン程度といういかにも初心者用の場所だった。
ゴブンリンは群れていることが多いが、せいぜいが三匹だったのでユキトの初めての戦闘にも適していたことが記憶にある。
「移動にかかる時間は?」
意外なことにディネストがアリスティに声をかけた。顔こそ彼女に向けず、虚空を見つめているが。
喋るな、と言わないのはやはり場所ばかりは彼も知らないからか。
ただ、そうは言ってもアリスティからすれば恐怖が付き纏うもので、わすがに肩を揺らしながら答える。
「森までは、徒歩で十日ほど。森の入口から深奥までは半日もあれば大丈夫だと思います」
「……ラノンドを使って森まで二日といったところか。往復と予備も考えると、最低でも七日分の食糧と水は必要だな」
「七日分もかよ。多すぎじゃねぇか?」
「遠出の備品を妥協するのは、そう褒められたことではないな。野外で安全で居続けられる保障などない」
これにはユキトも賛成だった。かつては旅などろくにしたことがない三人で向こうみずなことをしたものだから、何度苦労したことか。
水を探し、狩りをしてなんとか食いつなぐのが大変だった。
今回はその辺りを、やはり旅を知らないと思われている自分がどう伝えるべきか悩んでいたものだが、それも杞憂に終わった。
「そんなもんか。そこら辺で狩りでもしりゃ良いと思うんだけどな」
ディネストの言うことは正しいのだが、アラムからしたらその都度自給という考えがやはりあるようだ。それが彼らしいとも言えるが。
「それは本当に長期的な旅に限る。今回はそうまでする必要はない」
四人分とは言え、七日間程度だったらそう大した荷物にならない。日持ちの良いパンや干し肉なんかは、スペースこそとるがそう重くはならない
問題なのは水だが、穏やかな気候のこの土地なら一日にそんなに飲む必要はないし、森にはどこかしらに涌き水くらいはあるだろう。行きの二日ならなんとかなる。
「その辺は後から手分けして買いに行こう。時間もあんまりかけたくないし」
ユキトの提案に三人が頷いた。
「あぁ、ユキト。路銀には余裕はあるか?」
「ん、あぁ。たぶん。金貨を七十枚だったかな。それくらいある」
「なっ、七十!? 金貨を!?」
バッ、と声を張り上げたのはアラムだ。ユキトにも気持ちはわからないでもない。
彼の村で金貨といったら一枚で一、二年は余裕で暮らせる金額だ。驚くのも無理はない。
「……王も随分と羽振りがいいのだな」
「多い、ですね……」
ディネストもやや呆れている。騎士も悪くない賃金を貰っているはずだが、それでも多いものということか。
そして空気を読んだのか感嘆しているアリスティは、実は硬貨の計算が出来なかったりする。もちろんユキトはそれを知っていたが、あえて突っ込まない。
からかうのもやぶさかでは無いと思うのだが、あまりにも好意のカケラもなさげだし、彼女が通貨の価値も知らないことに対して過剰に反応しそうな人物もいる。ただの悪循環にしかならない。
「それだけあるのなら、必需品を揃えても、装備を整えるくらいの余裕はあるだろう」
ディネストが僅かに笑みを浮かべる。もちろんだよな、といってくるかのようだ。
ただ、その金は還れない、という望みがそもそも断たれているから、せめて旅くらい豪華にさせろとノイバを言い含めて入手したと知ったらきっとその表情は百八十度変わるのだろう。
「装備を整える? いまのでも充分そうだけど?」
ディネストのいまの装備は、騎士団が使う団印が入った鎧でこそないが、それに見劣らないものを感じさせる鎧を見に纏っている。防御力は申し分なさそうだし、使えぬほど年期が入っているわけでもない。
やや目立つということさえ除けば、別にどうということはないだろう。
「旅にはマントのひとつくらいいる。それに、予備の剣もひとつほどあったほうがいい」
「あぁ、なるほどね」
たしかにマントは必要だろう。汚れよけにもいるし、野宿のときに下に引いたりも出来る。
フードが着いたものならば、日光なども防げる。
「ってなると、巫女様もマントは欲しいよな」
「どうしてですか?」
「顔を隠すためだ。お前は一般民にも有名だということが分かっていないのか? 目立つということくらい理解しろ」
「……はい」
(またか)
やはり、ディネストはことあるごとにアリスティに突っ掛かる。アラムが宥めているが、それがこうも続くのは不安でしかなかった。
ただ、ディネストの言うことも正しくあり、ユキトとしては目立ちたくないために、アリスティにはフード付きのマントは羽織ってもらうつもりだった。
おそらくもう勇者云々の話は街に広り始めている。
あまり姿を見せて旅に支障をきたしたくない、という言い分のもと【勇者】お披露目は避けてきたのだ。それを崩したくはない。
もっとも、この酒場に来る間にも見られてしまった可能性は高いが。
どちらにしても、マントは必要になってくる。そしてディネストも剣が欲しいとなれば、自然と行く店のリストに服飾屋や武具屋があがる。
そこまで行くのなら、最初から必要な食糧なんかも皆で買いに行き、そのままディネストとアリスティの用事ついでにユキトとアラムも装備を整えることになったのだった。
金はあるのだから、という金銭的な将来が危なげな理由をつけながら。