第十話『俺は確かに選ばれたんだ』
【王都シトノーシア】は【グラツィア王国】の首都である。
基本的に荒野や草原が多いグラツィアのほぼ中央ににシトノーシアは位置している。。
この国には広大な土地があり、自然資源や海の幸も豊富。また野性動物が多く済み、魔物はいるが大したものはいない。また加えて平坦な道が多いため、商人や気軽に旅をする人物が多いのだ。
そんな穏やかな国であるから、国の王のノイバは信用する三人の領主に一部の地域を統治させ、広大な国土を統一している。
その中央に位置するシトノーシアは、流通の中心となるため、入都の条件はそう厳しいものではなく、税等も特にかけられていない。また人が多く集まるため、かなり広い土地の上に成り立っている。
だが、なにも入都してくるものや、都の治安を軽視しているわけではない。それらを維持するために、シトノーシアにはノイバも誇る騎士団と魔法部隊がある。
都内の治安、及び入都の管理監視。また周辺の魔物討伐等、幅広く活躍している。
そして、もちろんそのため日々激しい訓練がシトノーシア城にある錬成場で行われている。
土地の広さを活かして作られた、数々の錬成場は大きく種類を分けて三つある。
ひとつ目は大錬成場。騎士団と魔法部隊が同時に訓練するために作られた場所である。魔法部隊は騎士団の中にある部隊で、彼らもまた肉体的な戦闘訓練そして騎士団本隊も魔法を使っての訓練をするため、月に二、三度は使われる。
二つ目は部錬成場。こちらは騎士団本隊、魔法部隊と分かれて使われる。全体の基礎訓練、連絡事項の伝達に使われるため、それぞれに一つずつと、自由使用用の計二つある。
三つ目は班錬成場。部隊をさらに五〜八人ほどの班単位にしたときに連携などの確認に使われたり、個人鍛練のために利用される。
数は数十ほどあるが、全てを使うわけではないのでいくつか余っている。
その一室にユキトはいた。身体を軽く動かしたいユキトにとっては、班錬成場はちょうどいい大きさである。
実を言うと、ユキトの頭はもう大分冷えてきている。それでも頭を冷やしたいという名目のまま使っているのは、冷静だからこそ分かる、胸中のもやもやとしたものを晴らせればと考えたからだ。
だが胸を燻るそれは、一通り汗を流したても消えることはなかった。
少し上がった息をゆっくり整え、整備された石畳に寝転がる。
天井は吹き抜けになっていて、空では太陽がサンサンと元気よく自己主張している。自分のことを誇らしげにしているかのようなその姿は、まるでいまのユキトの対比のような錯覚すら覚えさせた。
そんな雲ひとつとない青空に向かって、ユキトは小さなため息をひとつはく。それのせいか、一瞬、空が曇ったような気もした。もちろん、それは気のせいだが。
「……はぁ。どうするかな。いや、まぁ【勇者】はやろうとは思ってんだけど」
ユキトの独白がどこにでもなく響く。口に出してみると、ますます自分がどうしたらいいのかわからなくなった。
「みんなはなんて言うんだろな」
みんな、と言ってユキトが思い出すのは、やはり旅を共にした仲間たち。
それぞれの顔を思い浮かべて、どんな反応をするのか想像してみる。
「……簡単だな。みんなやってみろって言うんだろうな」
そして、自分も一緒に、ってみんなして言い出すのだろう。そう考えると、その光景が自然と頭に現れ、少し笑ってしまった。
ユキトはその笑い声が、どこか懐かしむようなものだったことに気付き、そして更に自嘲の笑みを浮かべる。
あの世界から別れを告げて、たしかに時がたっている。けれどまだ一週間もしないうちに懐かしむというのは、自分も案外さっぱりしたなと思ってしまう。
かつては、それこそ故郷へ帰りたいと一ヶ月ほどはなんだかんだで喚いたというのに。この差は……やはり一年を過ごした経験が大きいのだろうか。
「それでも、な。やっぱり、帰る場所は欲しいよな」
目を閉じて、仲間の姿を思い出す。一緒に見てきた景色や体験してきたことも。
すると、脳裏にふっとある光景が記憶の底から浮上してきた。
ユキトと同じくらいの年齢の少年少女が規則正しく並んで座っている。
ユキトの視線の先では緑っぽい大きな板の前に大人が立っていて、ぶつぶつと何かを言いながら白い文字を羅列していっている。周りはそれを聞いていたり無視していたり、手元を忙しく動かしながら、机と板を交互に見ていたり。
ユキトには、凄く懐かしい光景。
(最後に受けた授業、なんだったっけ……)
どうでも良いような疑問が浮かんで、しかしそれについて考える間もなくいつの間にかユキトは静かに寝息を立てはじめた。
床を鳴らす音が耳に届いた瞬間、ユキトはまどろみから覚醒した。
すぐに周りを確認し、しかし、状況を思い出して少し気を緩める。半ば反射のように行ったそれは、もうユキトの癖になっている。
足音はまだ少し遠い。
ゆっくりと上半身を起こし、足音が聞こえる錬成場の出入り口の方を見る。ちょうど、扉が開くところだった。その先にいた人物に、ユキトはわずかに顔をしかめる。
入ってきた人物は先客が居たことが予想外だったのか、一瞬、動きが止まった。
しかしすぐ気を取り直し、スタスタとユキトの方へ歩いて数歩手前で立ち止まった。
「なぜここを使用している」
問いということを感じさせないような声音で、ユキトに威圧感を与えようとしてくる。
それを軽く受けながらも、ユキトはさも不機嫌に答えた。
「なんでってな……身体を動かして頭冷やすために来たんだ。あんたの団長からも許可は貰ってる」
「それは知っている。あの場には居たからな」
「じゃあなんなんだ。正式に借りてるんだから文句はないだろ」
立ち上がって、服に付いた埃を払う。そしてそのまま伸びをひとつ。
だがどうもそのゆったりとした行動が、余計に目の前の騎士団エースを不機嫌にさせたようだった。
「錬成場ならば他にいくらでもある。わざわざここである必要がない」
そう言ってユキトの側まで来ると、嫌味なくらいに整った、やや中性的な顔を睨み顔にして一言。
「出ていけ」
と吐き出すかのようにたたき付け、指を出入りの方へ向けた。
これにはさすがにユキトも来るものがあり、思わず突っ掛かってしまう。
「訳がわからないな。悪いけど、まだ俺は身体を動かしたいし、わざわざ場所を移動すり気にもならない」
「……たかが客人だというのに随分な言い草だな」
「たかが、じゃないだろ。あんたらの望む【勇者】だ。なのに突っ掛かりすぎだろ」
「それだ」
【勇者】と口に出した途端、ユキトは相手の雰囲気が変わったことに気付いた。
刺々しいものが、鋭利な刃物にすり変わったような感覚。抜き身のそれは、いまにもユキトを貫こうとしてくる。そんな気さえする。
その様子に、ようやくユキトはある事を思い出した。
(あー……そういえばこの人ってたしか、かなり拘ってたな)
完全に忘れていたことに舌打ちをしたくなったが、いまさらであるし、したらしたでさらに機嫌を悪くさせかねないので我慢する。
「私はどうしても気にいらない。お前のような軟弱そうなやつが【勇者】だと言うことが!」
そう。そうだった。この男はやけに【勇者】への執着心が強く、ユキトに対して何度も突っ掛かってきたのだ。
どうやら今回もそれは変わらないらしい。
おまけに、謁見の間で何度も【気】を使っていたのに、それでもユキトのことを軟弱と決め付けてきている。本気にはなってはいなかったが、様子を見る限り威圧にはなっていたはずだ。
無意味にちょっかいを出してくるのを抑制するためにも出したというのに、なぜ変わらないのだろう。少し悲しくなった。
「……【聖剣】は俺を認めている。王様、宰相、騎士団長、魔法部隊長もそれは認めただろ。それを否定するのか?」
「くっ……何かの間違いだ。私の方が【勇者】になるに相応しいはずだ!」
そこまで言うか。
【勇者】を経験している身としては、そこまで簡単なものではないと伝えたいが叶わないに等しい。
「そんなこと言われても……そんなの誰にも分からないだろ。あんた、どうしたいんだよ」
「勝負だ」
「はぁ?」
「お前と私。どちらが強いのか決めればいい」
「理由はそれか? あんた、強ければ良いと思ってるのか」
「当然だろう。強くなくては何も救えない。何も救えない【勇者】など、誰も欲しないだろう」
「……そうか。なら余計にやりたくないな」
強くなれば、と思っていたことがユキトにもあった。
負けなければ。敵に勝てば良いのだと思っていたことが。
力だけを振りかざせば、あとには恐怖というものがついて来ることを分からずに。
仲間がいなければ、ユキトは自分で自分を追い込み続けていたかもしれない。だからこそ、【勇者】は戦闘力だけではないのだと分かった。
けど、それを知らないのなら、きっと勝ちも負けも彼の考えを助長するだけにしかならない。だから、ユキトは勝負などしたくはない。
の、だったが。
「自信すらないのか。そもそも、お前を呼び出したことが間違いなのかもしれんな。やはり、【召喚の巫女】も大したものじゃない」
最後の言葉がユキトの琴線を刺激した。
「気が変わった。やろうじゃないか」
【勇者】らしくないと言われたことなどよくあるユキトだが、彼を選んだ【召喚の巫女】にまで言われるとなるとカンに障るものがある。
いまでこそアリスティが呼んではいるが、元を辿ればユキトが【勇者】と成り得たのは『アリスティ』のおかげなのだから。それがなければ、今の自分は無いだけにユキトの意思は強い。
だが、けしかけてきた者にとっては、それは知らぬ事情であって関係ない。ただ巡ったチャンスに笑みを浮かべるだけだった。
怪我は最小限に抑えるため、練習用の刃引きをした剣を使うことを了承すると、錬成場の倉庫から互いに剣を取り出す。
ユキトは素手でもよかったが、相手が【勇者】としての資格を【聖剣】に求めているのだとしたら、拳では難癖を付けられるだけだ。幸い、旅の中で地道に使っていただけあって、剣も実戦で使えるくらいにはなっているので今回は剣を使う。
無言のまま、どちらともなく距離をとる。十数歩ほどを開けて向き合った。
「いまさら怖じけづくなどするなよ?」
それには答えず、ただ無言で見つめる。
「そうでなくてはな。……私はシトノーシア騎士部隊第一班副班長、ディネスト・マーシス」
これはあれか。やっぱり名乗らないとダメなのか。
……ダメそうである。諦めて、ユキトは改めて名乗ることにした。
「俺は……ユキト。【勇者】ユキト・オームラ」