2話
ちか先輩から毎日のように雑用を押し付けられていたある日。
ちか先輩はあたしに試合を申し込んできた。
『あたしに負けたら、レギュラー降りてね。1年がレギュラーなんて、とても迷惑なの。
先輩たちのこと考えてみなさい。レギュラーになれたかもしれない人が、あなたのせいでなれなかったのよ』
『そんなことを言われても、あたしが選ばれてしまったんだから、しょうがないんじゃないでしょうか?』
あたしはいつでも強気だった。
意地っ張りで、誰にも弱さを見せたくない。
バカな奴だ。
『まあ、でも。あたしに負けるぐらいなら、大会ですぐに負けちゃうから、出ないでよね』
『そんなこと・・・』
ちか先輩はキャプテンの次にうまかった。
そんな人に勝てるのか?
あたしは不安と、同時に試してみたいという気持ちがあった。
『わかりました』
この時の好奇心が、あたしの人生を狂わせた。
ちか先輩の送りだすボールは、常にあたしの体の位置だった。
体の位置は取りにくいボールだ。
だから、ちか先輩はそこにばかりボールを送っている。
それぐらいにしか思っていなかった。
何回かラリーを続けていると、一瞬の動きの迷いをつかれ、見事に顔面にボールが的中した。
ちか先輩のボールの威力はすさまじく、あたしは少し後ろに飛ばされた。
『くっ・・・』
『何よ、その顔。あたしがもしかして、わざと当てたって思ってる?』
『いいえ』
この時に確信した。
この人はあたしの体を傷つけようとしている。
そうして、大会には出さないつもりだと。
その気なら、あたしは全力でボールを返せばいい。
だけども、それは簡単なことではなかった。
すでに2セットとられそうなところまでいっていた。
あたしの点は全く入っていない。
『さっきまでの強気はどうしたのかしら?』
『今からでも追い抜いてみせます』
そこからあたしは、踏ん張り続けて、見事に1セットとることが出来た。
『どうですか?』
『生意気ね。でもまだ1セットでしょ。そんなのとる前に、あたしが勝つに決まってるのよ』
ちか先輩からの余裕はなくなっていた。
少し焦っているようにも見えた。
あたしも思った。
ちか先輩に勝てるかもしれない。と・・・
だから、ちか先輩はあんなことをしたのかもしれない。
『さあ、ちか先輩からのサービスですよ』
『調子に乗っていられるのも今のうちよ』
ちか先輩からの強烈なサーブは、バウンドをつけることなく、そのままあたしの方へと・・・
『ぐっ・・・』
あたしは右側に倒れこんだ。
『うっ・・・』
ちか先輩のサーブが、あたしの右手首に当たったのだ。
『さあ、立ちなさいよ。あたしに勝つんでしょ』
右手がしびれていて、動かなかった。
こんな状態でテニスを続けられるわけがない。
そう思ったけど、あたしは必死に立ち上がろうとした。
ちか先輩は、そんなあたしをあざ笑いながら近づいてきた。
『おっと、ごめん。手が滑っちゃった』
『うわぁ!・・・ぅ』
『わざとじゃないよ。ごめんね』
ちか先輩は、あたしの手首目掛けて、ラケットを落とした。
『ちか先輩・・・汚いですよ。そこまでして・・・』
『何よ。調子のってんじゃないわよ。もう二度とテニスできないようにしてやる!』
もう一度先輩が勢いよく、ラケットを振りかざそうとした時、誰かの手がちか先輩の腕をつかんだ。
『何をしている』
『キャプ・・・テン』
ちか先輩はキャプテンを見て、青ざめた顔になった。
もう皆帰ったはずなのに、一番見られたくない人に見られてしまった。
おおよそこんなことを思ったに違いない。
『凪鎖ちゃん。大丈夫か。とりあえず保健室にいこう。君はそこに残っていろ』
初めてキャプテンの怒ったところを見た。
練習中はすごく厳しいけれど、すごく優しい人で、怒ったところなんて誰も見たことがなかった。
だからあたしは嬉しかった。
それなのに・・・
保健室に行くと、すでに保健の先生は帰っていた。
『シップだけでも張っておいたほうがいい』
『ありがとうございます』
『そこのソファーに座っていろ』
キャプテンがあたしの為に・・・
ちか先輩はキャプテンの幼馴染だった。
仲の良いあの二人を、恋人同士だと思う人も少なくはなかった。
『キャプテン・・・あの、さっきのことは』
『何も言わなくていい。ちかが君に試合を申し込むと言ったから、おかしいと思って見てた。
だから、すべてわかっている』
『そう、ですか・・・』
キャプテンはあたしじゃなくて、ちか先輩を心配していたに違いない。
『ほら、腕を出せ』
『ありがとうございます・・・』
『それにしても、これじゃあ今回の大会には出られないかもしれないな』
『そう、ですね・・・』
楽しみにしていた大会に、あたしはこんなことで出場できなくなった。
『ありがとうございます。あたし・・・帰ります』
『凪鎖ちゃん』
『えっ?』
キャプテンが、いきなり顔の間近までせまってきていた。
一瞬頭が真っ白になった。
気づけばキャプテンにキスをされていた。
えっ、何で?何でこんなことになってるの?
『キャプ・・・テン?』
何で、何も言わないの?
『ちょっと・・・』
キャプテンはあたしのことを押し倒そうとした
『やめてください!』
『っ・・・』
気づけばキャプテンを力いっぱいに、吹っ飛ばしていた。
『何考えてるんですか』
『君が好きだ』
『へっ・・・』
キャプテンがあたしのことを?
それにしても、いきなりこんなこと・・・
『キャプテンは、あたしの体が目当てだったんですね。失望しましたよ』
『そうじゃない!』
『言い訳は聞きたくないです』
悲しかった。
バカみたいだ。
キャプテンに認められたって、勝手に勘違いしてたんだ。
昼間に繁華街をぶらぶらするのは初めてだった。
チンピラはいないだろう。
そう思っていた。
だけど、あたしの考えは甘かったみたいだ。
『あれあれ、高校生はこの時間学校だよねえ?ああ、そっかぁ。おじさんたちと遊ぶために来たんだね』
めんどくさいなあ・・・
毎度毎度、何で絡まれるのかなぁ。
『こら、高校生が何してんだ』
『げっ、この前の警官だ』
あたしよりも早く、その連中は逃げて言った。
おおよそ、ヤクザの類だろう。
『大丈夫か』
『あなたは、あたしを怒りに来たのか。守りに来たのかどっちなんですか?』
『どっちもだ。学校はどうした?サボったのか?』
『さあね』
大きなお世話だ。
そこら辺のヤンキーたちと一緒の扱いをされたくない。
あたしは別に、遊びたいわけじゃに。
ただ時間をつぶさなければならないからだ。
『親に連絡するから、住所と名前と電話番号教えなさい』
『いやです』
『なっ、警察をなめているのか』
『プライバシーの侵害ですよ』
『君ねえ』
ながいするのは面倒だな。
別の警官を呼ばれても困るし・・・
『それじゃあね』
隙をついて逃げた。
相手は自転車に乗ってるから、速度は速くても、狭い道は通れない。
自転車を降りたとしても、そのロスした時間であたしには追いつけない。
足は速い方だと思っている。
警官の姿は後ろには見えなかった。
ヤクザにまで絡まれるようになるとは面倒だ。
しばらくは繁華街をうろつけないな。
でも、どこに行けばいい?
また携帯が鳴り響いている。
メールの未読数はすでに50を超えていた。
すべてテニス部の1年からのものだ。
中身は見ていないけれど、きっと戻ってこいとか。そんなものだと思う。
あたしが辞めた原因を知っているのは、関わった二人だけだ。
言う気にもならないけどね。
プルルル
知らない番号からの電話だ。
誰だろうか。
『はい』
『凪鎖ちゃん。俺だけど、急にごめんね。だけど、君ときちんと話しがしたいんだ。
あのときのことも謝りたい。誤解も解きたい。君に戻ってきてほしい』
誰と聞かずもわかる。
キャプテンからだ。
おおよそ、あたしの番号は1年の誰かにでも聞いたのだろう。
『何度言われても、あたしはテニス部に戻る気はありません。それに、謝って頂かなくて結構です』
『凪鎖ちゃん。君が怒るのもわかる。でも、君みたいな人がテニスを辞める何て勿体ないよ』
『あたしは・・・貴方たちとはもうしたくないって言ってるんです』
『君が戻ってくるのなら、もう近づかないよ』
『そういう問題じゃないんです』
そう言って電話を切った。
正直あたしはキャプテンに失望をした。
けれど、キャプテンのことを嫌いになったわけじゃない。
けれど、テニス部には戻れない。
あたしは意地っ張りで、強がりな、ただの女の子。
『君のことが好きなんだ。ずっと前から、君のことが好きだ』
『何を言ってるんですか』
『さっきは悪かった。だけど、本気で愛してるんだ』
『聞きたくないです』
今そんなことを言われても、少しも嬉しくなかった。
何を考えているんだ。
そんな思いしかなかった。
『キャプテンは、ちか先輩のところに行ってあげるべきです』
『何言ってるんだ』
『ちか先輩はキャプテンのことが好きなんですよ。あたしになんて構わなくていいんですよ』
本気でキャプテンがあたしのことを好きだなんて、考えられない。
素直に喜べない。
あたしは、キャプテンのことが本当に好きだったのだろうか?
部室に戻ろうとすると、コートでちか先輩が泣いているのが見えた。
キャプテンに見られたことが、相当ショックだったのだろう。
慰めてもらえばいい。
二人でうまくやればいい・・・
その時にあたしは決意した。
一度に二つの物を失って、あたしは泣き崩れた。
テニスが出来なくなったことが、あたしにとっての一番の悲しみだった。
小さい時から、テニスのことだけ考えて生き続けてきた。
テニスを奪われることは、あたしの生きる意味を奪われたのと同じことだ。




