魔王の話
魔王の話
「勇者が倒された?」
鏡の中にうつった人の王は従者からの言葉に顔を顰めた。
「クソが、こちらが50年もかけて作り上げた痺れ香を持たせたのに負けるなんて」
美しい顔には似合わない言葉遣い。
「女の方が扱いやすくていいと思っていたが、やはり勇者は男でなくてはダメだな。チッ、次の勇者を召喚する。すぐに準備に取り掛かるんだ」
その姿を見ていた勇者の顔はどんどん暗いものに変わっていった。
信じていたものに裏切られる。それがどれほど辛いか……
「魔王様、もうよろしいのではないでしょうか」
保乃花が表情を無くした勇者を見かねてそう言ってきた。
「あぁ」
俺もそろそろこの勇者も自分が捨て駒だったことを自覚しただろうと思って鏡の映像を止める。
しかし、勇者は先ほどの体制のまま動かない。
よほどショックだったのか……
そう思って声をかけようとしたとき。
「嘘」
勇者はポツリとそう言った。
「嘘よ」
そう言って顔を上げた勇者の瞳には涙がにじんでいる。
それでも泣くまいと必死に唇をかみ締めていた。
「嘘じゃねーよ。自分で見ただろーが」
「あんなの嘘。わたしを騙そうとしてるんでしょう!イリヤはあんなこと言わない!イリヤは優しくて、温かくて……それに」
勇者は一瞬言葉に詰まった。
しかし、キッとこちらを睨みつけながら叫ぶように言葉を吐き出す。
「わたしのこと、好きって言ってくれたもの!!!!」
哀れな女。
この女が元の世界でどんな生活をしていたかは知らない。
しかし召喚されるのは元の世界にいたくないと願っていた人間に限られている。
勇者が元の世界に戻りたいなどと思わないよう、最初からもとの世界を抜け出したいと思っていた人間の中から勇者の才能があるものを召喚する。それが勇者のシステムだ。
それに、そのほうが扱いやすいというのもあるんだろう。
心に傷を負った人間ほど、一度飼いならしてしまえば簡単な者はいない。
この女がいい例だ。
「信じる信じないは自由。だが最初に言っておこう。これは真実だ。お前を含め歴代の勇者は俺を倒すため捨て駒として扱われてきた」
「嘘!絶対に信じない!!」
「俺は別にそれでも構わないけどな。んじゃお帰り願おうか」
俺はそう言って扉の向こうを指差した。
「え?」
勇者はそんな俺に言葉を無くす。
「帰るって……」
「もちろんお前の愛しの王様のところにさ。帰りたいなら止めはしないぜ?」
笑顔の俺に勇者はどうしていいのか分からない様子だ。
「どうした?俺のことを信じないんだろう。だったら城に帰ればお前の優しくて温かい王様がお前の帰りを待っていてくれているはずだ。そうだろ?」
人間なんてそんなものだ。
いくら信じていると言った所でもしもという可能性があると動き出すことが出来なくなる。
この女も、心のどこかで疑っているのだ。
もしも、俺の言ったことが本当だったらと……
信頼なんて簡単に崩れる。
その瞬間を何度も俺は見てきた。
「さぁどうした?早く帰れよ。言ったろう。俺は同情でお前を殺さなかった。真実を知らないお前を哀れと思ったから真実を教えてやった。もう俺にしてやることは何もない」
「わ……わたしは」
永遠の信頼も愛も存在しない。
あるのは一時の感情だけだ。
「1つ」
勇者が言葉を発しようとした瞬間。
それを遮るように淡々とした声がした。
「1つ勇者様に助言をいたしましょう」
俺の後ろで静かに様子を見ていた保乃花がそう言って少しだけ前に出た。
「保乃花」
「お許しを魔王様。魔王様の言い方では少々言葉足らずです」
「なんだと!」
「魔王様は少し黙っていてください」
たく、コイツは本当に俺に対する敬意ってものがない。
まぁ当然といえば当然なんだけど。
「勇者様。わたしの質問に1つだけ答えてくださいませ」
「……何」
勇者は疲れきった様子だ。
精神的に参っているのだろう。
「もし貴方様でしたら……本当に好きな方を死ぬかもしれない戦場に行かせたりしますでしょうか?」
その言葉に、勇者の目からポロリと一粒の涙が零れ落ちた。
それきり勇者は口を開かなくなった。
残酷な女だよ、お前は。