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旧・木花開耶物語  作者: crow
第一章
4/40

木花開耶物語4話 前編

4話は少々長めになりそうなので、前編と後編に分けることにしました。

ちなみに後編は現在執筆中なのですが、全く書き終わる気がしません(泣)。

PROLOGUE

――二XX六年六月八日 昼

「サクーっ、今日はどこで食べるー?」

 まるで何事も無かったかのように、陽気な口調でやって来るクッシー。

「あっ、そうだ。今日のお弁当は~、何と私の手作りなんだ!」

 そんな彼女の三メートル後方には、せかせかと机の上を片付けている玉ちゃんが見えた。

「玉ちゃんのタコさんウィンナーに対抗して、私はカニさんウィンナーを……」

――ガタンッ

 クッシーとの会話を絶ち切るように、立ち上がる。勢いよく立ち上がったせいか、椅子が倒れてしまった。

 乾いた空気の中を椅子の倒れた音が反響する。周囲の視線が僕等に集まった。

「ごめん、クッシー。今日は、お弁当忘れたから食堂に行くよ」

 しかし特に構う事も無く、用件を告げ、教室を去った。

「そう……じゃあ、ね」

 僕の後姿を茫然と眺めながら呟く、彼女の声が何故か震えていた。


 南海市立南海高等学校(つまり此処)には、食堂と購買が共に存在する。

 特に深い意味は無いようだが、創立以来ずっと在るらしい(校長談)。

 しかも食堂と購買は敵対関係では無く、むしろ協力関係に近い。

 ある奴から聞いた話では、食堂で使える食券を購買で売っていたり、購買で買った弁当を食堂の日替わりメニューにしていたり、更には食堂のおばちゃんと購買のおじさんが一緒に帰っているという目撃情報も在るらしい。

 まあ、そんな事は正直どうでもいい事だ。誰が誰と仲良くしようが、日本では決して罪では無い。それこそ誰かの邪魔をしている訳でも、何かの迷惑になっている訳でも無いのだから、訴えようも無い。いや、そもそも訴える必要性すら無い。

 そんな事を考えながら、食堂への道を歩いていた。確かにその筈だったのだが、目の前は全く別の場所。

 この理解不能な現状に対して、不思議に思う暇も、疑問に思う事も無く、容易に理由が分かった。どうやら考え事に夢中になって、階段を下がり忘れていたらしい。

 現在地は、食堂の真上。正確には、旧二年A組の教室前だ。

(食堂は……まあ、いいか。別にお腹減って無いし……)

 今の僕には食事よりも、ハルが休んだ理由を満たす答えの方が欲しい。

 ハルは何故、休んだ?

 反省文が嫌だったから?

 いいや、そんな事は無い。むしろやって来る筈が無い。どうせ……

「あー、なんだ。やってみたのですが、デキがイマイチでさー」

「結局、やって無いんでしょ?」

「流石、クッシー。その通りだ」

威張(いば)って言うな!」

――あははは。

 こんな具合になる事を予想していたのだが、見事に裏切られた。それはもうあっさり、しっかりと。ここまで完璧だと逆に清々しい程だが、どうもそんな気分には成れない。

 そう、僕の念頭に在るのは昨夜の事件。被害者はニニギ、犯人は依然として逃走中の(と言っても、警察に申請したりしている訳では無い)アレだ。現段階で犯人の特徴は全く掴めておらず、今は被害者であるニニギの回復を待っている。

 それよりも気掛かりなのは、犯人の目的だ。もしニニギを襲った理由が無い、()しくは無差別だったとすれば、ハルが襲われる可能性も充分に考えられるのが現状だ。現時点では可能性の域を出ないこの予想が、本当に起きない事を祈るぐらいしか僕には出来ない。

 けれど、妙に胸騒ぎがして収まらなかった。


――二XX六年六月八日 同刻 とあるビルの屋上

 晴天の(もと)、強い風が颯爽(さっそう)と吹き荒れる其処(そこ)に、天国と地獄(携帯の着信音)が虚しく木霊(こだま)する。(いき)(はか)らいか、曲に合わせてバイブレーションが動く。

 しかし、持ち主は軽快な音楽とは裏腹に頭を抱えていた。

「あれ? えーっと、どのボタンだったかなあ……? うーん、コレかな……?」

 と、電源ボタンを押してしまった屋上の生物は、耳に当てた携帯電話からツー、ツーという音しかしない事に首を傾げた。

「あれー? おかしいなー?」

 本来なら、この向こうからは愛しの彼の声がする筈だったからだ。

 しかし、彼の声は一向に聞こえてこなかった。

 されど、屋上の生物は自分が間違っている(など)とは全く考えていなかった。

「まぁ、いいや」

 最終的に、彼に買って貰ったばかりの新品携帯は、遊び飽きた玩具(おもちゃ)のように放り投げられる始末となった。

――その数十秒後、再び着信。

 放り投げた携帯に急いで駆け寄り、今度はこっちと言わんばかりに、先程とは逆のボタンを押す。すると……。

「お、やっと繋がった。……さっき、右側のボタン押しただろう?」

「ううん、コレがおかしいの。私は言われた通りに押したもん」

 携帯の向こう側では、それは深い溜め息が漏れた。

 自分の非を全く認めないどころか、責任を買ったばかりの携帯に押し付けるとは、もうお手上げだ。

(こりゃ、手っ取り早く用件だけ済ますに限るな……)

「で、目的の奴は居たのか?」

「ううん。でも……」

「でも?」

「面白そうな物が在ったよ♪」

 またも深い溜め息が携帯の向こう側から聞こえたが、当の本人は御構い無し。どうやら、その面白い物とやらが相当お気に召したようだ。

「あっそう。……で、その玩具はコレよりは()ちそうか?」

「うん、ハル様♪」


非現実的日常(ノンフィクション・マイライフ)

――二XX六年六月八日 夕方

 日は西へとゆっくり傾き始め、それに比例するかのように気温のグラフも下降線を辿っていた。とは言ったものの、一℃や二℃の微妙な変化を察知するほど、僕等は敏感な肌を持ち合わせていない。だから結局のところ、熱い日である事以外の何物でも無かった。

 そして僕等の掃除に対するモチベーションも限界に達する直前だった。

「……暑い」

「うん、そうだね」

「……はい、そうですね」

 いや、訂正しておこう。もう限界だった。

 彼是(かれこれ)、掃除を始めてから現在に至るまでの五、六分間はこんな感じのやり取りの繰り返し(エンドレス)となっていた。それは到頭(とうとう)クッシーの頭が過熱(オーバーヒート)したのか、それとも僕に幻聴が聴こえているだけなのか、はたまた全員が同時に白昼夢でも見たのか、という光景だった。

 要するに僕等は狂っているのだ。

 原因は一概に暑さとは言えないが、要因の一つとしては充分だ。けれど、やはりしっくりこない。暑いのは今日に始まった話では無いし、年々暑くなっているからと言って今日が過去で一番暑い訳でも無い。

 しかし事実、僕等は狂っている。

 同じような会話を延々と繰り返しても誰も止めないし、きっと掃除は終わっているのに誰も帰ろうとしないし、何よりも誰もハルの心配をしていない。それどころか、話題にすら上がらない。これを狂っている、と言わずして何と言うのか。


 そんな何かするでも無く、上の空で屋上に居続けて早二分が経った頃、今まで僕等を苦しめてきた日の光が唐突に陰った。その時、皆の視線が一斉に空に向く。しかし空は澄み渡っていて、冗談でも御世辞でも無く、快晴の青空だった。

 それで我に帰ったのか、クッシーが口を開く。

「掃除……終わったよね? じゃ、帰りますか」

「えっ……あ、はい」

 その不意打ちの様な発言に、玉ちゃんが少々遅れて返事をする。そして二人が出口へと歩き始める中、まだ僕は空を見上げていた。何故か、陰った理由が空に在る気がして空を睨んでいた。その内、答えが降ってくる気がして淡々と睨んでいると……

「サク~っ、置いてくよ~?」

 と言う、クッシーの声。僕は視線を落とし、出口を見る。二人が手を振って待っていた。

「……今、行くよー」

 軽く返事をして、再び空を見上げる。しかし空は晴れ渡ったままで、やはり雲は一つも無かった。

(気のせいか……? いや、気のせいだ)

 そう、自分に言い聞かせて僕は空へと背を向ける。すると、いつもと似た風景が目の前に拡がっている。ただ一つを除いて、だが。

――もう、それだけでいいじゃない

 空から声が降ってきた、そんな感じの声がした。どこか掴みの所の無いその声は、一体誰に向けて放たれたのか? 僕か? そうだとしたら、一体誰が? クッシー? それとも玉ちゃん? いや、二人は前に居る。じゃあ、誰が?

 確かめようと振り返った時、僕の目の前を突風が吹いた。

 それはまるで、とても大きな物……例えば飛行機とかそういう類の物が、目の前を駆け抜けた時に生じる風圧に似た、そんな風だった。

「サクっ!」

「こ、木花君!」

 二人が慌てて駆け寄って来て、初めて気がついたのは自分が地面に座っていた事だった。

「大丈夫? 急に座り込むから、体調でも悪くなったかと……って大丈夫?」

 心配して話しかけてくるクッシーの後方で、慌てふためいて右往左往している玉ちゃんが可笑(おか)しくて、つい見入ってしまっていた。

「えっ……ああ、うん」

「良かった~ 一時はどうなるかと……」

 彼女が胸を撫で下ろすのを見て、後方の彼女も状況を察したのか、安堵の溜め息を()く。

「えーっと……それよりも、僕って急に座り込んだの?」

「へ? 覚えてないの? こりゃ、マジでヤバいかも……」

 と、妙に変な心配を掛けてしまいそうだったので、これ以上の質問は控える事にする。当たり前だが、空から声が聞こえた、などと口走った日には精神科への直行は免れないだろう。

 そして、不意に見上げた空は赤く染まり始めていた。


 日の容赦無い照りから、幾分かマシになった放課後。グランドは先生の怒声と生徒達のやる気の声で満たされ、校内も吹奏楽だか、管弦楽だかの演奏で賑わっている。唯一、静かである筈の図書室さえも監督不在で無法地帯と成っていた。

 そんな頃、僕は一人寂しく大通りをゆっくりと歩いていた。

(あの陰は? あの声は? あの風は?)

 そんな疑問が頭の中をぐるぐると(めぐ)り、僕を掻き乱していた。思いつく限りの答えを出し切っても、全く以て納得しない自分に少々の嫌気を感じながらも、あの時の事を鮮明に思い出そうとする。

「……っと、ととっ?」

「ひゃ、きゃあ!」

――バタンッ

 目を閉じて歩行するのは、危険だ。そんな小学生でも(下手すれば三歳児でも)分かるような当たり前を見落としていた僕は、見事なまでに悪い例を世に見せつけてしまった。

 要約すれば、転んだ。より明確に表すとすれば……段差に(つまづ)いて、前から歩いて来た人を巻き込んで転んでしまった。つまり、弁解の余地も無い程に僕が一方的に悪かった。

「す、すみません。大丈夫ですか?」

 と、言いながら先に地面から起き上がろうと、手を突いた。

「ん?」

 その時、異様なモノを掴んだ。転んだショックで多少朦朧(もうろう)としていた意識は、ソレを平気で掴んでしまった。ソレの形状は強いて言うならば、プリンの様に軟らかかったのだけは明瞭に覚えていた。

 しかし、その行為が事を思わぬ方向へと進めていく引き金となった。

「いや~ 最近の若者は結構、大胆不敵だね~」

 と、言われも無い見解を述べる声がしたのは、紛れも無く僕の下からだった。駄洒落でも、冗談でも、妄想でも無く、確かに声がしたのは下からだった。

 背筋が凍ったかの様な、悪寒(おかん)が僕を包んだ。恐る恐る、視線を落とすが既に悪い予感しか無かった。

「まあ、襲われるのは私に魅力が在っての事だから嬉しいんだけど……流石に時と場所くらいは選んで貰いたいね~」

 (ようや)く意識がはっきりし、自分の置かれている状況を把握できた。とは言っても、そんな冷静になっている場合では無かった。

 僕は巻き込んでしまった人の上に馬乗りに(またが)り、更に地面を突いた筈の手は、その人の胸を堂々と掴んでいた。そしてそれを視認した瞬間、血の気が引き、その場に凍りついた。

(あれ、これヤバくないか? 何とか弁解しないと……。いや、待てよ。この状況、どう見ても僕が悪くないか? 前方不注意と公然わいせつ……)

 軽く警察沙汰(ざた)だった。それもまだ、電車の中とかそういう勘違いや冤罪にされやすいシチュエーションでは無く、普通の路上で、だ。しかし、とりあえず幸いだったのは、被害者様が悲鳴を上げなかった事と、この近くに偶々(たまたま)僕等以外居なかった事と、南海市の警察署が此処から遠い事だった。

 だが、安心も出来なかった。事実、幸いだった事は直接的な問題解決にはあまり関係無いからだ。つまり、大袈裟かもしれないがここからの言動一つひとつに僕の未来がかかっているという事だ。因みにこんな所で、まだ見ぬ輝かしい未来を失う気は更々無かった。

 そんな御世辞にも立派と言え無い決心をした頃、被害者様が軽い感じで話しかけてくるのだった。

「コノハナ サクヤくん、とりあえず退()いてくれると助かるんだけど……」

「え? あっ、すいませんでした」

 そういえば、ずっと彼女の上に乗り続けていた事に全く気づかなかった。それに輪を掛けて胸も掴んだままで、どう見てもこれから弁解して如何(どう)こうなるとは思えなかった。そして、誤解と分かって貰える確率(と言うか可能性)がボーダーを下回った、そんな気がした。

 ネガティブオーラを無意識に放出しながら、静かに腰を上げ、彼女の上から退()く。

 しかしこの行為もまた、問題の解決には直接関係は無い。むしろ、解決(かいけつ)云々(うんぬん)如何(どう)とかの前にすべき事だったと、反省中。

「どうも~ ……よっ、と」

 そう言って、体操選手の様な身の(こな)しで起きあがる彼女。ふと、彼女のショートカットの髪が揺れたのが目に留まる。その何の変哲も無い動作が、何故か魅力的に感じた。

(理由はおそらく……女性的な魅力……だろう)

 実際、僕の周りで女性と呼べるような人が、母以外に居るだろうか? ああ、そういえばウズメさんはこっちの類かもしれない。何にせよ、僕は女性と呼べる人に対しての免疫(と言うか耐性)が無い。もしくは低いようだ。

 そんな現状どうでもいい事を、彼女を見て改めて感じていた。

「ん?」

 僕の視線に気づいた彼女が、不思議そうに首を傾げる。

(まあ、無理も無い。結構、凝視してたし……)

 またも墓穴を掘る僕。弁解どころか、どんどん悪い方へ悪い方へと進んでいく。(まさ)に負の連鎖に(はま)った愚か者の様だった。

 と、その時、ある名案を思いついた。これはいける。何の根拠も無い自信が湧いてきた。そして何のシミュレーションもしないまま、僕はその名案とやらを実行するのだった。

「……えーっと、さっきはすいませんでした。あの、その。……ぶつかったのも、さ、触ったのも事故で……」

「あー、胸の事? 別にいいよ♪ 減るモンでも無いし~」

「えっ?」

 即答。訊き返したくなる程、スムーズな解決に呆気にとられる。そんな僕に構わず、彼女は続ける。

「そんな事より、ほら、行こう」

「はい、何処へ?」

「そりゃ……ヒ・ミ・ツ、でしょ♪」

 余談だが僕の閃いた名案、それはよくよく考えてみれば途轍も無くバカな作戦だったと思う。なぜならその名案は所謂(いわゆる)とこの、それが出来れば苦労していない、と一蹴されてしまう、身も蓋も無い名案だった。


 (たま)に疑問に思う事が在る。小さい頃は、どうしてあんなにも明日が輝いて見えていたのか。その問いに対する解答を言えば、そんな事に理屈も理由も無い、だ。だが、強いて言えば、何も知ら無かったから、そう言われればある程度、納得がいく。

 つまり、明日も今日と同じような事の繰り返しなど知らず、明日は何か違う事が、明日こそは何か起きる、そんな理想を抱いて生きている訳だ。それを若さと言うのか、幼いと言うのかは置いといて、そんな頃がどんな人にも在ったのかについて考えたい。

 とりあえず、僕には在った。何の根拠も無く、明日は今日より楽しくなると信じてた時期が。そして、それは知らぬ内に()めてしまった。原因が何だったのかは覚えていない。ただ覚えているのは、あの最低放浪親父が帰って来ると信じて待っていた、幼き日の残酷な僕が居た事だけだった。


 学校を出てから約三十分が経過し、屋上で見た青空とは正反対の赤い空が頭上に拡がっていた。日が沈み出した事で夕方の気温は昼間に比べ、随分と過ごしやすいところまで下がっていた。しかしながら、春の心地良い風から、夏の生温かい風に変わりつつある今日この頃、この街には熱気が(こも)っていた。朝も昼も夜も外は例外無く暑く、正に生き地獄と化していた。

 そんな頃、僕は被害者様のお願いに従い、途方も無い付き添いをさせられていた。

「……あの、どこに向かってるんですか?」

 本日、三回目の目的地確認。因みに一回目と二回目の返事は、寸分違わず同じだった。三度目の正直、という(ことわざ)が在るように少々の期待を抱いて尋ねるが……。

「んー? ヒ・ミ・ツだよ♪」

 この一点張りで、会話が全く成り立たないのが現状。それに加えて、目的地は依然として不明。推測もこの人の行動からは不可。

 どうやら、道に迷ったらしい。しかも目的地の場所も覚えていないらしい。彼女は、秘密、と言っているが、これは一種の強がりの様なものであって、僕をからかっている訳で無いのは理解できたし、その心理状態に陥るのも少なからず分かる。

 さて、まさか自分の安請け合いがこんな事態を招くとは、誰が予想できただろうか。そもそも無駄にバカなのも、必要以上に頭が良いのも、最高に無口なのも、言動が電波さんなのも困るが、この人はそれとはまた違う意味で困る。

(いや、一先(ひとま)ず落ち着くべきだ。冷静になれ、愚痴を言っても状況は変わらない。思考を切り替えよう)

 とりあえず、南海市はそんなに広く無い。浅間(あさま)区と、大室(おおむろ)区と、伽藍(がらん)区の三区で構成されたこの南海市の総面積は大体一五平方キロメートル未満だ。建造物も、観光地も、名所も、全く無いこの辺鄙(へんぴ)な地で、待ち合わせの目印に成りそうな場所と言えば……あそこしか有り得ないのだが、其処(そこ)はもう通り過ぎた。いや、それ以前の問題で迷うような所では決して無い。余程の方向音痴や、天賦(てんぷ)の才で無意識に道に迷う人でも、間違いなく辿り着ける其処は完全に候補から外れていたが、よく考えれば南海市には其処くらいしか近未来の物は無いではないか、という田舎の発展途上事情はさて置き、恐る恐るダメ(もと)で尋ねてみる。

「……あのー、もしかして駅に用ですか?」

「……そうだった、駅だった。よく分かったね~」

 こうして、僕の悲惨な付き添いは一転し、意外な場所への道案内へと変わったのだった。


――南海市は田舎だ。

 それはどこと比べて、という訳で無く平均的に見て、だ。

 まず着目する点としては、コンビニの数だ。三区在るのに対して、コンビニは二つしか無い。言うまでも無く不便極まりない状態だ。しかも、二十四時間営業では無い。

 次に自然の占める度合い。市の南側一帯は海なので浜だ。しかし、それは北側がアスファルトだらけという意味では無い。北側にはまず南海高校が在るのだが、位置は山の中腹だ。つまり、北は山、南は海と超自然的な街だ。

 最後に知名度。これははっきり言って、書店で売っているような地図帳には地名が載らない程の低さだ。かなり専門的で細かい地図帳ならもしかしたら、というレベルの問題だ。

 それに加えて、わざわざ此処を尋ねるような有名で特殊な物も無いこの街は、当然の様に閉鎖的だ。来訪者を迎える気なんて更々無い。例えば大阪や京都、沖縄の人なんかと比べれば一目瞭然だ。

 田舎で、発展途上で、閉鎖的で、超が付く程、自然に優しい(誰得?)我が街は、残念ながら堕ちるとこまで堕ちている、そう言われても仕方が無い……筈だった。

「え~、何コレ~?」

 目を輝かせ、未知の物体に心を躍らせている被害者様は軽い足取りで僕の前を行く。

「あー、それは駄菓子屋ですよ」

 自分の街に在りませんか、と訊こうとして止める。なぜなら、それは田舎発言だからだ。田舎ではよく在る事だが、自分達の街で少し有名な店はどこにでも在ると勘違いするタイプの田舎発言だ。

 自称・駄菓子屋のボロボロになった看板を横目に、胸を撫で下ろす。

(発言はよく考えてからしよう……)

 そう、固く心に誓うのだった。

 そんなこっちの気も知らず(まあ、分かる筈も無く)、被害者様はどんどん道を行く。そしてまた何か見つけたのか、奇声にも聞こえる興奮染みた声を発している。

「わ~、スゴイ~!」

 やれやれ、と思う反面、こんな街でも楽しんでもらえて良かったと感じつつ、どうしてこんな事になったんだっけと思いながら、被害者様の指さす方を見た。

「あっ……」

「ね~ね~、コレ何の入口~?」

 僕の傍らでピョンピョンと跳ねながら、彼女は尋ねてくる。それは、もう不思議そうに其処を眺めながら。

「此処は……」

「ココは?」

 次の言葉が出なかった。いや、正確には出さなかった、だ。

 何と表現したらいいのやら、と(がら)でも無い気遣いよろしく、先程決めた縛りを(かんが)みつつも、やっぱり此処はああ呼ぶしかないと断念する。

「此処は……住宅街跡の入口です」

「……」

 無言。意外性が高過ぎる反応だった。

 この人とは初めて会ったが、この数十分間でどういう人かは大体分かったつもりだ。

 まず、この人は空気を読まない。もしくは素で読めないのかは定かでは無いが、特に酷かったのは……ああ、思い出したくも無い。

 次にこの人は、筋金入りのバカだ。日常生活にこそ支障は(きた)さないが、おそらく学校などに通っていたとしたら、問題児は確定だろう。良い例として、彼女はおそらく地球は自分を中心に回っていると考えているのではないかと思われる。

 最後にこの人は、常に喋っている人だ。それこそこちらから話しかけなくても喋っているし、こちらが返事をしなくても喋っている。とにかく、喋っている人なのだ。

 そんな人が黙ってしまった。それが意味するのは、つまり想定外の出来事の発生。もしくは、勿体(もったい)振ったわりには(いや、そもそも勿体振った訳では無いのだが……)拍子抜けだった為の思考停止(彼女に思考というモノが在ればの話だが)かもしれない。

「……」

 沈黙は続き、当然誰も居る筈の無い住宅街跡の入口は静寂に包まれた。ゴクリ、と僕の息を()む音が自棄(やけ)に大きく聞こえた。次の瞬間、予想通り予想外な発言で彼女が沈黙を破る。

「おお~、ココがあの住宅街跡の入口ですか~!」

 と、何故か大好評の住宅街跡。もう意味不明を通り越して、笑えてくる。

「……なんですよ」

「ん~?」

「そうなんですよ! 此処が()の有名な住宅街跡の入口なんですよ~!」

 彼女の無駄に高いテンションに同調。無謀過ぎる行動に出てしまった。しかし……。

(ヤバい、ちょっとコレ楽しいかも……)

 (など)と末期まで堕ちてしまった僕と、始めから堕ちている彼女。ある意味で僕等は合っているのかもしれない。(たま)には自棄(やけ)になったって良いじゃないか、そんな考えが僕を後押し、このままのテンションをキープする事に努める。

 さて話が戻るが、さっきとは打って変わった僕のテンションに、普通の人なら退()くのだろうが……。

「へー、ココってそんな有名なんだ~」

 と、全く動じない彼女。分かってはいたけれど、やっぱりこの人……バカだ。


 そう言えば、話が前後する事になるのだが、何故、僕達が住宅街跡の入口に居るのかの経緯を話していなかった。そんな改まった話では無いのだが、一応。

 僕と彼女が出会った(事故った)場所が、駅から学校へと続く大通りの約中間地点。それから彼女に連れられ、学校側(駅とは完全に反対方向)へと向かい、学校を通り過ぎ、山の山頂まで上がり、東側へと下った所で、目的地の指摘をし、駅へと向かった。その道中に住宅街跡の入口(北端)が偶々(たまたま)在った訳だが、中々に無駄な時間を過ごしたと思える。特に……いや、止めておこう。何もかもが無駄だった訳じゃないし、楽しくなかった訳でもないし、何よりも気が紛れた。そして決心もついた。


「へー、ココが住宅街跡か~ ホントに何にも無いね~」

 僕の三メートル前方を歩く彼女は、スキップをする様な勢いで住宅街跡を出口(南端)へ向かって行く。その光景を朧気に捉えながら、後ろをのんびりと付いて行く。

「住宅街跡の入口(あっち)に行ったのは初めてだけど~ 住宅街跡(こっち)に来るのはこれで二回目かな~」

「へー、そうなんですか」

 どこがあっちなのか、こっちなのか、ツッコミどころとツッコミたい気持ちは在ったが()えて無視(スルー)。簡単な相槌で済ます。しかしそんな事も全く気にせず、会話は進行する。

「前に来た時は飛んで(きた)し~ 暗かったから、こんな感じとは知らなかったな~」

(とんできた? 方言か? まあ、いいや)

 と、少々の疑問を抱きながらも、あっさりと流し、我に戻ったところで、この勝手に始まった勝手過ぎる話題に乗ってみる事にする。

「そうなんですか。……因みに一回目っていつ来たんですか?」

「うーんとね~ 昨日……だったかな?」

「昨日……ですか」

「うん。けど、用もすぐ済んだからさっさと帰っちゃった。だから、しっかりと来るのは今日が初めて」

 本当に楽しそうに微笑む被害者様の(かたわ)らで、僕は浮かない表情をしていた。しかしやはり予想を裏切らないKY(空気読めない)さで、彼女はどんどん前へと進んで行った。しかも鼻歌を口ずさみながら。因みに、曲は……現状と何の関連性も感じられない「海」だった。


 とりあえず僕等は歩き続け、気がつくと住宅街跡の出口が目と鼻の先に在った。そういえば丁度その頃、日が西の空に沈むのを二人で見送った。彼女が太陽に手を振るのを見て、苦笑しながらも、昔の自分を見ている様で目を逸らした。

――何もかもも無条件で信じていた幼き日の僕

 そんな自分の愚かさに気づいたのは、父親が約束を破ったあの日。世界は僕を中心に廻っているのでは無い、と気づかされたあの日。そして、自分という小さく、愚かで、弱い存在を実感した日だった。

 それ以前の僕は少なからず、幸せに生きている人達、と呼べる人種だっただろう。日々が充実していて、何の不自由も無く、思うまま、望むままに動いていた世界。そして、いつだってその中心には自分が居て、それ以外は考えられなかった世界。常に自分が優先で、周りなんて視界にも入って無くて、でも(ひと)りは嫌いで、いつの間にか人に従い、人を従える上下関係だけの世界。そこで勘のいい奴や、察しがいい奴は気づく、世界の中心に自分は居なかった、と。

 けれど、僕は違った。いや、正確には違う。僕は最初から知っていただけだ。世界の中心に人は居ない。在るのは……だって。

(あれ、何だっけ?)

「わーい、イチバンー! コノハナ サクヤも早く、早くー!」

 と(悪気は無いだろうし、計画的行動はこの人には無理そうだから、おそらく素なのだろうけど)、邪魔されて、我に帰る。前方数メートル先にピョンピョン跳ねる(ある意味)規格外生命体を発見し、溜め息を吐いてから小走りで駆け寄った。

「そんなに急かさなくても、あと少しで駅ですよ」

「もう、そんな釣れない事、言って~ つまんないじゃん~」

「はいはい、すみませんでした」

「ホントにそう思ってるの~?」

「えーっと、そうですね……スズメの涙くらいは思ってますよ」

「へー、スズメって泣くんだ~ 知らなかった~」

 言ってからなんだが、もっと彼女にでも通じるような言い回しが在ったのではないだろうか、と模索してみるが、既に後の祭り。僕が今から説明しても、しなくても、たぶんもう手遅れだろう。

「んー、スズメが泣くなら他の動物達も泣くのかな~? あ~、イヌとかネコとかも泣くのかな~?」

 そう、既に彼女の頭の中は動物が涙を流す(など)という、ファンタスティック極まりない妄想で溢れていた。そもそも動物は鳴くだろうが、泣きはしない。だからスズメの涙も言葉の綾だ。

(いや、待てよ。もしかしたら、言葉の綾も通じないんじゃないか?)

 とりあえず、今回の一件で分かった事は、彼女に(ことわざ)比喩(ひゆ)の類は通じないという事だった。


 と、まあ、予期せぬ事から、予期していたのに回避できなかった事も含め、様々な事が在った訳ですが、何か忘れていないだろうか? そうだ。これだけの時間、一緒に居たのにある事を訊き忘れていた。

 そう気づいたのは、住宅街跡の出口を西に進み、線路沿いの通りに出て、駅が肉眼で確認できる位置になってからだった。

 我が事ながら、どうして今まで気づかなかったのか、不思議でしょうがないその問いは、本来なら出会ってすぐにでも確認すべき事柄だった。けれど、結果として別れる前に思い出したので、これ以上自分を罵倒するのは止めた。

「あのー、そういえばまだ訊いてなかったんですけど……」

「んー? 何を? スリーサイズ?」

「とりあえず、初対面で訊く事じゃないですねー」

 うーん、と頭を抱える事、三秒。(ひらめ)いたらしく挙手をしてきた。仕方がないので、指名。

「はい、分かりました! 答えは……私に彼氏が居るか、居ないか、だ! ちなみに、彼氏じゃないけど、心に決めた人は居ます~」

「えーっと、違うし、そんな情報、どうでもいいんですけど……」

 えー、と項垂(うなだ)れてから三秒後、性懲(しょうこ)りもなく、挙手。またまた、仕方がないので指名。

「はい、今度こそ分かりました! 答えは……私の歳、だ! ちなみに……」

「はいはい。全く違いますし、訊く気も、意識した覚えも無いですから」

「じゃあ、なんなの~?」

 改まって訊かれると、なんとも答え辛い解答だった。端的に言えば、失礼を通り越して最低という評価を貰い兼ねない質問には違いなかった。それでも、今後の事も踏まえて、これだけは訊いておかないと不味(まず)かった。だから、仕方なく彼女に訊く事にする。

「失礼ですが、貴女(あなた)の……名前は何ですか?」

「私? 私の名前は登陽(とみや) 毘美(まさみ)! トミ、ミヤ、マッサー、マサミン、呼び方は何でもいいよ」

 やはり彼女は、僕の常識(よそう)をあっさりと裏切ってくれる。予想が外れた脱力感と、無駄にかかっていたプレッシャーが消え、気づいたら笑っていた。すると、彼女も何故か笑ってこっちを見ていた。

(……さて、と。彼女の事、何て呼ぼうかな)

 そんな楽観的で前向きな事を考え、駅へと入った。その先に何が在るとも知らずに……。

あっ、書き忘れていましたが、この物語はフィクションです。実在する……(中略)……ご了承ください。

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