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旧・木花開耶物語  作者: crow
第一章
2/40

木花開耶物語2話

最後まで読んで頂ければ幸いです。

PROLOGUE

 あの不思議な夢に現れる少女(まさかの電波さん)との衝撃の出会いから、一夜が明けた。

 僕はと言えば、特に目立った変化も無く、いつも通りの朝を迎えていた。

 そう、大きな変化は無かった。

 だって僕等が出会った事は結局、数ある出会いの一つでしかないのだから。

 日本規模いや、世界規模で見ればこの事は単なる男女の出会い。

 それ以外の何ものでも無い。

しかしながら、強いて言えば変化は在った。

そう、あの夢を見なくなった。

 久しぶりに、真っ暗で何も無い空間を旅した。

 そして、いつも通りの時間に目覚ましが僕を起こした。

 寝覚めは……まあ、最悪だった。


 とは言ったものの、寝覚めが悪いので学校を休みますと言う訳にもいかず、渋々、支度を始める。

(えーっと、今日の授業は……)

 時間割を思い出したながら、必要な教科書やノートを鞄に詰める。

(日本史、古典、生物、数学、芸術……だったかな?)

 さてどうしたものか、数学のノートが見当たらない。

(おかしいな、昨日は確かに在った……はず)

 昨夜の記憶を振り返りるが、一向に数学のノートは見当たらない。

(まあ、他のノートに写せばいいか)

 即決し、支度終了。

部屋を出て、一階の食卓へと向かう。

「あら? おはよう、開耶」

「おはよう、母さん」

 辿り着いた食卓には、既に朝食が並べられていた。

 ご飯(勿論、白米だ)、味噌汁(勿論、具は豆腐とワカメだ)、焼き魚(勿論、鮭だ)、お茶(勿論、緑茶だ)。

 今日は和食のようだ。

「いただきます」

「はい、いただきます」

 箸を手に取り、もう片方の手にご飯の入った茶碗を持ち、箸で焼き魚の骨を取る。

 全く同じ動作を、母も行う。

 その光景は正に、瓜二つと言った感じだ。

 これもまた、いつも通りの日常の一つだ。

 やはり大きな変化は無かった。

「どうかしましたか?」

 僕の浮かない顔を察してか、母が心配そうな声で尋ねてくる。

「いや、別に……何でもないよ」

 愛想の無い返事をする。

 

僕の家族に父は居ない。

 別に母に冷たく当たる理由が、父が居ないせいと言う訳では無い。

 ただ、朝は低血圧なのと、頭の回転が遅くて返事をするのが億劫(おっくう)なだけ。

 本題に戻ると、少々、説明不足だったので補足をさせてもらう。

 父は居る、けれど今は居ない。

 僕も詳しくは知らないが、父は作家らしい。

 だからと言って、放浪の旅を許していい理由などには成らない。

 少なくとも僕はそう思った。

 しかし、母は違った。

「あの人の決めた事だから」

 口癖のようにそう言う。

 

父と最後に会った(正確には見た)のは、もう五年以上も前の事だ。

 当然、顔など思い出せるはずが無い。

 それ以前の問題で、僕は父が嫌いだ。

 なぜなら母がその父のせいで、朝から晩まで様々な仕事を担い、家事もし、僕のお小遣いや学費、食費、その他諸々(もろもろ)の生活費を負担しているからだ。

 そんな母の痛々しい姿を見るのは忍びなかった。

 代われるのなら代わってあげたいくらいだ。

 しかし、現実的に高校生のアルバイト如きが一体、何の足しになる?

 精々、自分の小遣いが良いところだろう。

 それとも今から学校を辞めて、就職でもしてみるか?

 中卒でどこの企業が雇ってくれると言うんだ?

 高卒なんて今時ノルマだ。

 現実は僕に重く()し掛かって来る。 

 どうする事も出来ない無力な自分を、日々の中で感じ続けるのは苦痛以外の何ものでも無い。

 唯一の安らぎは、学校に居る間だけだ。

 学校でみんなと笑ったり、怒ったり、悲しんだり、驚いたり、泣いたりしている時だけが、現実を、現状を忘れられる。

 しかし、家に戻れば嫌でも現実は見えて、聞こえて、感じてしまう。

 だけれども、今はまだ均衡がとれている。

 家での時間、学校での時間、その狭間に在る僕だけの時間。

 それが所謂(いわゆる)、現在を認識し、整理・納得する為の時間。

 このまま、このまま、何も起こらず、あと二年。

 それだけの時間を費やし僕は……この家族から、独立する。

 それだけが、僕の希望だった。

 どんなに馬鹿にされようが、どんなに止められようが、どれだけの他人を傷つけようが。

 この進路だけは、この意志だけは、この夢だけは。

 誰にも邪魔させない。

 誰にも、だ。


「動き出す日常」

――二XX六年六月七日 朝

 いつも通りの時間にいつも通りの通りを抜け、いつも通りの商店街を見つめる。視界には何一つ変わる事の無い、平凡で平和な風景が広がっていた。せかせかと歩くサラリーマン、携帯を見て驚くOL、楽しそうに散歩する老夫婦、ヨタヨタと走るオッサンと自転車、特に眩しい訳でも無いのにサングラスをして気取って駆け抜けるランナー、黄色のカラーリングがされた目に悪い自家用車その一、その後ろで排気ガスを平気で振り撒き進む自家用車その二。そして、そこを冷めた目で見る僕……と一人の少女。

 僕は思わず立ち止った。いつも通りの風景の中に、いつも通りでは無い物質が混じっていたからだ。

「おはようございます、開耶様」

 と、彼女は頭をぺこりと下げた。

「お、おはよう」

 常識的判断で挨拶を返してはみたものの、そんな呑気な事をしている場合で無い事に気づく。

「ど、どうしてこんな……いや、此処に?」

 こんな所に、と言いかけて言い直す。辺りを見回すと、周囲の住宅の窓が空いていたり、この近辺に住む人達が外に居たりした。相手の悪口とは相手の居ないところでするものであり、相手の居る前では決してしてはいけない事だ。つまり、いくら僕がこの商店街に大した物が揃っていないと思っていたとしても、今、口に出すのは得策では無いと言う事だ。

 そんな僕の些細な気遣いにも気づかず、彼女は口を開く。

「はい、私は開耶様の身辺の警護に参ったのですが、お邪魔でしょうか?」

(彼女の言っている事が、全く分からないのは僕が悪いのだろうか? いや、きっとおそらく、たぶん間違いなく、その答えはNOだ。仮にもし、僕にそういう電波な知識が在ったとして……という仮定でさえ思い付かない)

 落胆にも否定にも見える脱力感を、僕は示した。すると彼女は、即座に一歩退き、僕に背を向け、瞬く間に去って行った。

「えーっと……結局、何だったんだろう?」

 誰に言うでもなく、そう呟き、通学する事にした。


 大通りに入り、もう学校の見える位置までやって来た。

「おーい、サクー!」

 すると数メートル後方から、僕を呼ぶ声がした。この時間帯のこの場所で、僕を呼び止める人物は……まあ、一人しか居ないだろう。僕は立ち止まり、彼の到着を待った。

「よう、サク」

「おはよう、ハル」

 簡単な挨拶を交わし、足を動かし始める。それに彼が歩調を合わせ、僕等は並んで歩く。すると彼は僕の顔を見るなり頭を抱え、唸り出した。

「どうしたんだよ、らしくない」

「ああ、いやさ。サク、お前……昨日、いつの間に帰ったんだ?」

 ホントはこちらからその話題を振りたかった、と言う僕の考えが彼に分かるはずも無かった。なぜなら彼は勘はいいが、察しは悪いからだ。

「えっ、えーっと、いつだったかなあ……?」

「なんじゃそりゃ?」

「そ、そうなんだ、気づいたらもう教室で……いつの間に帰って来たんだろう? って僕もビックリだったよ」

(とても苦しい言い訳。僕は夢遊病患者か! いや、夢遊病患者に失礼か)

しかしながら、ハルはそれ以降、特に昨日の事を問い詰めてこなかった。ふーん、と納得したような、呆れたような声を漏らし、それから教室の前まで無言で進んだ。


 丁度、ハルが教室のドアに手をかけた時、急に思い出したような口調で尋ねてきた。

「あっ、そういや日本史の宿題。サク、やった?」

 ハルが宿題をまともにやって来た事が一度も無いと知っていれば、この言葉がどれだけ白々しく聞こえるか分かるだろう。

「いや、僕もやってない」

(まあ、僕も他人の事を言える立場では無いけどね)

「またクッシーにでも見せてもらうか」

「そうだね」

 そう言って、笑いながら教室に入って行く……つもりだった。

何故かは分からないけれど、僕の足は止まっていた。ハルだけがどんどん遠退いていった。彼の腕を掴もうと手を伸ばしたが、届かなかった。その代わり、と言っては何だが不思議なモノを掴んだ。そして掴んだ瞬間、景色が一変した。廊下だったその場所は、上も下も無い不可思議な空間となった。

唐突な出来事に、僕の頭は混乱した。いや、むしろこの状況で混乱しない方がおかしいだろう。そんなツッコミが入れれるのならまだ安心か、と安堵の溜め息を漏らす。

 すると暗闇の中から、そのモノは言った。

――何の為に、彼を呼び止めようとしたんだ?

「えっ、えーっと」

 僕は言い淀んだ。明確な理由など無かったからだ。ただ、何か違和感がして、僕は止まった。でもハルはそれに気づかず、進んでいった。だから止めようとした。しかしその違和感の正体は分からない。言葉では表現できない、そんな感じだ。

――それが分からないのなら、呼び止めなくて正解だ

「正解?」

――そうだ。常に答えは正解か不正解のどちらか。正解で無ければ不正解、不正解で無ければ正解だ

 その言葉を最後に、そのモノは目の前から消えた。そしてあの不可思議な空間も、気づけば僕は教室の入り口に居た。

(今のは一体……?)

そもそもあの空間に物が在ったかどうかさえも定かでは無かった。空気と話していた様なそんな不可解な出来事だった。いや、それ以前の問題で僕はあの時、何を掴んだんだ?

「おい、サク? どうしたんだ、そんな所で立ち止まって?」

 中々、来ない僕にハルがそんな悠長な言葉を投げかけてきた。現状から察するに、僕は白昼夢でも見ていたらしい、という事で無理矢理納得した。これ以上、在りもしない空想もとい妄想に(ふけ)るのは得策では無いからだ。現実を見ろ、目の前にはいつも通りの風景が広がっているじゃないか。さあ、僕もいつも通りの行動をしよう。そうすれば、変な夢や空想、妄想が嫌でも吹っ飛ぶから。そう自分に言い聞かせ、僕は一歩踏み出した。しかし、教室の中は僕の予想を完全に裏切る状況だった。

 クッシーの席の周りに、日本史の宿題を忘れたアホな生徒(僕とハルもその一員だけど)が群がって居た。そこまではいつも通り、特に変化の無い光景だった。しかし、妙な雰囲気だった。その答えは、間違い探しの要領ですぐに分かった。妙な雰囲気の正体は、誰も宿題の答えを写していないからだ。

そんな事も知らず、ハルはいつもの調子で人だかりに入って行く。

「よう、皆の衆。宿題は(はかど)ってるか?」

 しかし、誰も応えない。いつもなら、もう写し終わった人が居て、そっちに行けと言われるのだが、今日はそれも無い。それどころか、誰一人として声を発していない。無音の間が数十秒続いた頃、ハルがキレた。

「おいっ! 聞こえてんなら、返事くらいしろや!」

 ハルの怒鳴り声が、教室内に響いた。そこでやっと、みんな我に帰る。

「……それどころじゃねえぞ」

 ある生徒が、そんな言葉を漏らした。当然、聞き逃す筈も無かった。

「どういう意味だよ?」

「クッシーが……あのクッシーが……」

「クッシーがどうかしたのか?」

 その生徒は現状を受け入れられない、という風に廊下へと走り去って行った。

「お、おいっ! ちょっと待てよ! ちっ、何がどうなってるんだよ」

 常に前向き思考のハルでも、現状がおかしいと言う事には気づいたようだ。そしてその根源にはクッシーが居る事も。

「ハル、行こう」

 僕はそう呼び掛け、人だかりに埋もれたクッシーの席を指さした。

「ああ、行って確かめてやるよ」

 ハルはそう頷き、人混みを掻き分けながら走った。その後ろに僕は続いた。掻き分けられた生徒は、さっき走り去った生徒と同じような表情で立ち尽くしていた。

(一体、この先に何が在ると言うんだ?)


と、まあ、勢い良く飛び出したものの目的地は目と鼻の先だし。って言うか、そんなワクワク、ドキドキするような物が在る訳が無い。なぜなら、ここが現実だから。超詰まらなくて、超息が詰まって、ファンタジーの欠片も存在しない現実だから。誰もが主人公で誰もがサブキャラ、いつエンディングを迎えるのか、どこが終わりなのかも知らない人生と言う名のロールプレイングゲーム。始めたら、終わるまで終わらない。コンテニュー? リセット? そんなものは無い。そもそもセーブデータだって無い。そんなどう考えてもプレイヤー不利な条件下で僕達はプレイし続けなければいけない。その終わり、とやらが来るまで。さて、愚痴もこのくらいにして現実を見ますか。

僕の目には、当然、有り触れた風景が映った。クッシーの席に座るクッシーと、それを囲むように群がる生徒。唯一違うのは誰も答えを写していない、と言う事だけ。

「クッシー?」

 ハルが呼びかける。しかし彼女は顔も上げず、何かの作業に没頭している。

「……、……れた」

周りに群がる生徒の一人が、絞り出すような声で呟いた。たぶん聞き逃したハルは、たぶん聞いていたであろう僕に視線を向け、通訳を促した。しかし残念な事に、僕もその呟きは聞き取れなかった。なので無言で首を横に振った。するとハルは心底面倒臭そうに頷き、大声で言った。

「おい、クッシーがどうしたって? はっきり言えや!」

 場は静まり返った。当然、と言えば当然なのかもしれない。ハルはクラスの中でもムードメーカー的存在だ。そしてその彼が今、怒りを露わにしている訳だ。そりゃ静まり返っても無理は無い。しかし問題点が一つ在った。その事を本人が分かっているかどうかだ。もし本人が分かっていなければ、この静寂をみんなが彼を無視していると勘違いし兼ねないからだ。勿論、みんなにその気が無いのは僕が十分に知っている。しかし、だ。勘違いで彼が怒りだしたら、誰が彼を止めると言うのだ。僕? いや、無理だから。

 そんな半ばどうでもいい事に思考していたせいで、渦中の人物が動いた事に気づくのが少し遅れた。

「……クッシー」

 誰かが呟いた。誰が呟いたのか、そんな事はどうでもよかった。ただ、今、重要なのは沈黙を続け、このおかしな状況の中心に居た、と言っても過言では無い人物・クッシーがやっと動いたという事だけだった。

彼女は無言で彼の前まで行き、止まった。誰もが見守る中、先に口を開いたのは意外にもクッシーの方だった。

「ハル、みんなに当たらないで……悪いのは私だから」

 真剣な眼差しの彼女は、確かにそう言った。そしてその言葉はしっかりと彼の耳にも届いた。

「は?」

しかし意味までは通じなかったようだ。

(まあ、僕も前半部分しか意味分かんないんだけど……)

 すると、周りを囲んでいた生徒達が一斉に笑い出した。僕は突然の事だったから驚いたけれど、ハルとクッシーはつられて笑っていた。それを見て、僕も自然と笑みが零れた。それから間も無く、朝練を終えた玉ちゃんが教室に入って来て、いつものバカ騒ぎメンバーが揃った。いつも通り、玉ちゃんはここまでの経緯を全く知らないけれど輪に入って笑った。だから僕等も、もう何が何だか、どうして怒っていたのかとか、誰が悪いとか、誰と誰が居たのかとか、全部忘れて騒いだ。そして、それは僕達に現実を告げるチャイムが鳴り響くまで続いた。


「――で、結局、何が在ったんだっけ?」

 改まった口調のハルがそう口走ったのは、確か一時限目の日本史が始まる五分前の事だった。その時、僕達はクッシーの席を囲んで、昨夜のドラマの話題で盛り上がっていた。

「だから、聞いてなかったの? それとも……バカ?」

 妙に真剣な口調だったハルに、クッシーはいつもの調子、と言うかまあ、ある意味で真剣に対応をした。因みに僕はハルの訊いた質問の意味も、クッシーが答えた返事の意味も、二人の会話が面白い具合に食い違っている事も、全部分かった上で黙っている事にした。

「は? いつ言ったんだよ?」

「はあ……ハルってほんとにバカだよね。世界で一番バカなんじゃない?」

「何でそうなるんだよ? 確かに俺はそんなに、ってか頭は良くない、もしかしたらバカかもしれない。けどな、今回ばかりは俺に非は無いぞ」

「じゃ、何、私が悪いの?」

「うっ、そう言う事を言いたいんじゃなくて……」

 と、ここで両者が黙り込んでしまったので、潮時だと判断して僕が仲介役として間に入る事にした。しかし、無情にも始業を告げるベルは鳴った。

――キーン、コーン、カーン、コーン

「サクと玉ちゃん……と、ついでにハルも早く席に戻らないと」

「誰がついでだ!」

「ほら、先生来たよ」

 そんな脅しのような言葉に乗せられ、ハルは渋々席に戻った。その光景を見た、周囲の生徒が笑っていた。

やっぱり、いつも通りの日常だ。みんなの笑顔の中心には、常に僕ら四人が居て、昔からの知り合いみたいに仲が良くて、偶に喧嘩もするけど次の日には仲直りして、一人ひとりがみんなを必要とし、みんなが一人ひとりを必要としている。そんな関係で僕達は繋がっていて、決して離れる事は無くて、誰にも壊されなくて、どんなモノにも全力で立ち向かって、どんな結果でも受け入れて、怒って、泣いて、笑って、次も頑張る。そんな日々がいつまでも続くはずだった。


「おーい、じゃ、宿題を集めるぞー」

 教壇に立つ教師が、当然のように言った。すると、教室中で小さなざわつきが生まれた。そのざわつきは次第に周囲を吸収していき、どんどん大きくなっていった。その内のどこかから、はっきりとした言葉が耳に入る。

「宿題、宿題ってあの教師マジウザいんだよね」

「うん、宿題とかもう時代錯誤だし」

「宿題って確か、今朝クッシーさんに写させて貰おうとしたら……だったんだよね」

「そうそう、だからたぶん誰もやって無いんじゃない?」

(そう言われてみれば僕も、宿題、写して無かった……)

 しかし今はそれどころでは無かった。ざわつきは(とど)まる事を知らず、ドンドン大きくなっていった。いつもならまずこんな事態には成らないが、大概こういう時はクラス委員長のクッシーがみんなの暴走を止める。だが、その当の本人は俯いて、黙っている。偶々、視界に入った玉ちゃんはいつも通りおろおろして居た。そしてもう頼みの綱はハルしか居ない、と思った時、先生が怒った。

「お前等、静かにしろ! それで宿題はどうなったんだ? 出せる奴は居ないのか?」

 その一喝で教室は静まり返った。流石に僕達、生徒も馬鹿じゃない。教師に刃向かって、残り少ない学校生活を、肩身の狭い思いをする気は更々無い。だからと言って、教師のした質問にいちいち解答する必要性は全く無いのだが、どこにでも勘違いをしている奴とは居るもので……これがまた面倒事を招いた。

 静まり返った教室の中で、一人の生徒が恐る恐る挙手した。

「あのー、先生」

「ん、どうした?」

「先生のモットーは確か、写してでも宿題は出せ、でしたよね?」

「ああ、そうだ。部活で忙しいお前等の事を思って、宿題は写すだけでもいい事にした。その代わりに絶対提出を原則とした。解答の成否を問わずな」

 ん? 中々良い教師じゃんって? そんな事は無い。生徒の為とか言いつつ、結局は自分の受け持ったクラスは提出物をしっかりと出す、っていうアピールの材料にしているだけなのだから。因みに刃向かえば、すぐに担任に報告されて、生徒指導室で楽しい楽しい座談会及び反省文が待っているらしい。

「で、結局、出せる奴は居ないのか?」

 気持ち悪い笑みを浮かべながら、教師が僕達を見渡す。いつもならコイツのこんな顔を見る事も無いのだが、今日は誰もクッシーから写させて貰えなかったらしい。まあ、クッシーにもそんな日が在って別に悪くない、と僕は思う。だって、その宿題の答えはクッシーが頑張って解いて、導き出した答えなんだから。僕達が、当たり前のように見せて貰うのは虫が良過ぎる話だ。

 しかし、誰も宿題を提出しに行かなかった。そう、あのクッシーさえも。その異変に僕とハルが不思議がって居た頃、どこかの誰かがぼそりと呟いた。

「……だってクッシーがやってきて無かったから、誰も写せなかったんじゃん」

 まず自分の耳を疑った。それからハルの方を向いたが、ハルも同じように信じられない、という表情を浮かべていた。玉ちゃんは……聞いてなかったらしい。同じくクッシーも。

(それにしても、クッシーが宿題を忘れただって?)

 自分が宿題を出せなくてもしかしたら生徒指導室行きなのかもしれない事とか、さっきまで話していたドラマの話の続きとか、夢に出てきた少女が予想外にも電波さんだった事とか、全部後回しにしてクッシーが宿題を忘れた、という事が信じられなかった。

この事態を一般的な事に例えるなら、朝のニュースで本日の天気予報を忘れて次の話題に入るのと同等ぐらいの衝撃(ショック)が今、僕とハルに訪れている。僕等の間に言葉は無かった。そんなはず無いよとか、クッシーに確かめてみようよとか、言いたい事は沢山在ったけど、沈黙だけが続いた。

しかし教師は構わず、提出を締め切り、授業へと移った。そして先程の呟きを始まりとして、クッシーが宿題を忘れた、という内容のざわつきが所々で生まれる。当然、同じ教室に居れば嫌でも聞こえるようなそのざわつきに成っていた。

「クッシーが宿題、忘れたんだよー」

「知ってるよ、でもどうして忘れたんだろ?」

「もう優等生を演じるのに疲れたんじゃない?」

「違うよ。きっと失恋したんだよ」

「それの方が違うだろ。きっと部活の方がスランプなんだよ」

 様々な憶測が生まれ、消えていく。しかし言われた本人には、そのどれもが傷として残る。そうとも知らず、ざわつきはどんどんエスカレートしていき、最終的にはクッシーの悪口さえも出てきた。

 そんな生徒達に見兼ねた教師が怒ろうとした時、机を殴る音が教室に響いた。

――バンッ!

「テメエら、クッシーだけのせいにしてんじゃねぇぞ!」

 その音の主はハルだった。彼は勢いよく立ち上がり、みんなの方を向き怒鳴った。そして怒ろうとしていた教師も、無責任な事を言っていた生徒も、クッシーも玉ちゃんも僕も、ハルを見た。何十、何百という視線の中、彼は全く怯みもせず言った。

「だってよ、おかしいだろ? こんだけの人数居て、どうして一人だけ悪いって事に成るんだよ? もしこのクラスの誰かに、何か言い掛かり付ける奴が居たとして、お前等は知らん振りするのか? ソイツだけ嫌な思いすればいいって思うのか? それとも関係ねえって切り捨てるのか? 俺は絶対しねえ。もしも仲間(クラスメイト)が疑われてんなら、俺は迷わず仲間の味方につく。もしも、悪いっていちゃもん付けてくるなら、俺は迷わずソイツと正面から向かい合う。何故か、って? 全てを共有するのが仲間、ってもんだろ?」

 お前等の考える仲間ってのは俺の考える仲間とは違うのか、と彼はみんなに問う。勿論、彼の言っている事が間違っていないのは重々理解している。しかし、それは綺麗事でしか無いのも、また事実だった。結局のところ、感情論では説得力に欠けるのだ。だから、みんな答えに迷っている。心はハルと同じだが、頭が論理的に物事を捉えて邪魔をしている。

(あともうひと押し、何か、誰か……)

「私は……同じだよ、ハル」

「クッシー……」

彼の想いは、彼女に通じた。

それから先は……まあ言うまでも無くみんな大賛成で収拾がつけられない程だった。そして宿題云々よりもそちらの件で、僕等は担任及び様々な教師から怒られた。しかし僕等は笑っていた。別に怒られるのが好きとかそういう変な意味じゃなくて、ただ単にみんなが一緒だったから。そんな単純明快な理由だった。


 あれから時は経ち、放課後。僕等は屋上に居た。しかしそれはとても不本意ながらだった。と言うのも、僕等は一分一秒でも‘とある作業’をしたかったからに他ならない。

「――って訳で、俺達全員、反省文提出って事になったんだけど……反省文って何、書けばいいんだ? 一先(ひとま)ず思いついたのは、貰った原稿用紙にひたすら‘すいませんでした’って書く案と、あの教師の悪口を書き殴るっていうナイスな案が在るんだけど……どっちが良いかな? 俺としては……」

「どっちにしても絶対再提出だよ、ハル」

 クッシーの辛辣(しんらつ)な言葉がハルを貫く。その現実(こたえ)から逃れるようにこちらを見たハルに対して、僕と玉ちゃんは無言で頷いた。

「ええっ、どうしてだよ~」

 ハルの悲痛な声が乾いた空に響いた。

そう、僕等がしたかった‘とある作業’とは反省文の事だ。勿論、僕等の反省文はとっくに終わっている。問題なのは、この目の前の人物の反省文だ。

「どうして、って……ハル、本気で言ってるの?」

「ん? ああ、マジだよ」

「今の自分が置かれてる立場、分かってる?」

「うーん、まあ、何となく」

 ハルのバカさ加減に呆れたクッシーは、掃除を再開した。そのやり取りを見た僕も、溜め息を一つ吐いてから掃除を再開した。

(それにしても、ハルは本当に大丈夫だろうか?)

これは杞憂でも無ければ、過保護でも無い、本当に起きている事に対しての妥当な心配だ。

なぜならハルは今回の騒動の主犯者と(低能な日本史の教師をはじめとする、それに便乗した哀れな腰巾着教師共に)勝手に決めつけられ、僕等の二倍近い量の用紙を渡された。それにも拘らず、彼の態度は全く変わらず、危機感すら見られない。それは良い意味で、僕等の協力を信じているからなのかもしれないけれど、最終的に反省文を書くのはハル自身なので、危機感や焦りぐらいは感じてほしいところだ。

(いや、ハルはいつも通り呑気な方が良いのかもしれない……)

 変に彼が焦れば、周りも影響を受けて予期せぬ事態を引き起こすかもしれない。そういう事を考慮すれば、ハルのこの冷静にも見える態度は周りに良い影響を与えていると思える。しかしながら、結局のところ反省文の作成に主として協力するのは一部の有志と僕等三人だけなので、この状況はあまり好ましくない。それと言うのも、彼には三つの問題点が在るからだ。

 まず一つ目の問題点として、彼が‘反省’という言葉の意味をどう捉えているのか。事と次第によっては、一から説明するかもしれない。

次に二つ目の問題点として、僕等が協力した事が教師達にバレないかどうか。腐っても相手は教師だ。今まで何百、何千という数の生徒を見てきただろう熟練の教師に、僕等の小細工がどこまで通じるかは未知数だ。

最後に三つ目の問題点として、彼に反省文を書く気が在るのかどうか。これはある意味、一番重要なポイントだ。現実的に考えて、こちらがいくら手伝ったり、補助したりしても本人が書かない事には何も進まない。そして残念な事にハルの文字はとても(良い意味で)独特で、真似して誰かが書くよりは本人が書いた方が断然早いのだ。

以上の問題点を瞬時に悟った僕等三人は打開策を模索している、と言うのが現状だ。

(さて本当にどうしたものか……?)

 掃除を片手間程度にしながら、問題について真面目に考え出そうとした矢先、問題の張本人が再び口を開いた。

「まあ、どうにかなるだろ。……だから心配すんなって」

(その根拠の無い自信はどこから生まれてくるのだろうか……?)

 その気持ちを代弁するかのようにクッシーが言う。

「ハルは危機感、無さ過ぎ。自分の事なんだから、もっと真剣に考えなさい」

「はいはい、分かりましたよ~」

 全く説得力の無い返事をして、ハルは自分の持ち場へと戻った。クッシーもこれ以上ハルに何か言っても無駄だと悟り、掃除に集中した。玉ちゃんは……一生懸命、自分の持ち場を綺麗にしていた。どうやら、こちらの会話は耳に入っていないようだった。そして僕も、掃除に専念する事にした。これ以上、独りで打開策を模索しても、何も浮かばないのが目に見えていたからだ。やはりこういう事は、みんなで一緒に頭を抱えて、考えた方が何倍も良い案が生まれるし、独りで考えるよりも気が楽で、何よりも楽しい。だから僕は僕にしか出来ない事を片付ける事にした。


僕等が無言になって二、三分が経過した頃、事件(大袈裟かもしれないし、正確には事故。又の名を不可抗力と言う)が起きた。

この屋上には一つだけゴミ箱が在り、そのゴミ箱は屋上掃除の際に出たゴミを収集し、定期的に捨てる為だけに在る。そして今日は、そのゴミを捨てる日で、僕等はそれを当番制で行っていた。前回の当番は男子、つまり僕とハルだった。なので、今回の当番は当然女子、つまりクッシーと玉ちゃんで間違い無かった。そう、間違い……は無かった。

「じゃ、ゴミ捨て行ってくるね~」

 あれからずっと続いていた無言の間を破ったのは、クッシーだった。声のした方に視線を向けると、クッシーがゴミ箱を両手で持ち、出口へと向かって歩いていた。そしてその隣に、玉ちゃんが申し訳なさそうに付いて居た。いつもならクッシーと玉ちゃんの二人が両側に付いて持って行くのだが、今日は違った。

「夏澄ちゃん、私も持ちます」

 玉ちゃんはクッシーの事を唯一、夏澄という名前で呼ぶ。特に意味は無いらしいけど、玉ちゃんらしいと言えば玉ちゃんらしいのかもしれない。

「ううん、そんなに重くないし大丈夫だよ~」

 と、クッシーは答えた。

確かに定期的にゴミ捨てをしているし、一般生徒は立ち入り禁止の屋上にペットボトルや缶のゴミは無い。在るのは精々、鳥の落とすゴミや、砂、(ほこり)程度だ。部活で鍛えているクッシーにとって、このゴミ箱など在って無いような物らしい。しかしそれが事件の引き金だった。

ゴミを捨てに行くという事は、要するに掃除は終了したという事だ。そんな訳でクッシーがゴミ捨てに行くと言った瞬間、ハルは僕の所に遊びに来た。丁度その時、予期せぬ突風が屋上を駆け抜けたらしい。と言うのも、僕とハルの所には風など吹いていなかったからだ。そう、その突風を受けたのは、クッシーと玉ちゃんだった。そして僕とハルは、その光景をしっかりと目撃してしまった。

「おっ、白」

「う、うん」

 ハルが呟き、僕は頷いた。しかしそれは同意してはいけなかった。なぜなら、僕とハルは次の瞬間、激怒したクッシーのビンタを食らったからだ。これが事件の一部始終となる訳だが、一番の謎をまだ話していなかった。それは……何が白なのか、だ。

簡潔にまとめると、あの突風が吹いた時、両手が空いていた玉ちゃんは咄嗟にスカートの裾を抑えたが、ゴミ箱を持って両手が塞がっていたクッシーのスカートは風になびいて舞い上がった。それから先は……まあ、言わなくても分かるだろう。そんな事が在り、僕等は各自解散となった。一番気がかりなのは、ハルの反省文の件だが、もうどうしようもないので、ただハルを信じて待つ事にした。

(まあ、ハルはやる時はやるタイプの人だから何とかなるだろう……たぶん)

 楽観的過ぎるのかもしれないし、心配し過ぎかもしれない。どちらにしても、ハルが反省文を書いてくるかどうかは半信半疑だ。それはさて置き、明日登校したらまずやるべき事が出来たのだけは確かだった。それは……クッシーへの謝罪だ。


 六月の空は日が高く、もう五時を過ぎたというのにまだ明るく、日射しは熱く感じる帰り道。六月と言えば梅雨なのだが、五月下旬から今日までに雨が降った日は一度も無いこの南海市。ある意味で、此処は気候が特殊な地域なのかもしれない。いや、それ以前の問題で特殊なのはこの住宅街跡の雰囲気だと思う。

(何なんだ、この殺伐とした空気は……)

 何かこの一帯だけ、生物が生息して居ない様な、そんな雰囲気を漂わせている。

これが僕の勘違いならそれはそれで構わないが、どうにもそれでは納得し難いのが現状だ。確かに此処で誰かとすれ違ったりした事は一度も無い。いや、一度だけ在った。あの電波さんと遭遇したのは確かここをもう少し先に進んだ所だ。

(いやちょっと待て、今はそんな事どうでもいいから、本題に戻るべきだ)

 自分で自分にツッコミを入れる虚しさを感じつつも、本題に戻る事にする。

 此処で誰かとすれ違ったり、出会ったりした事は一度しか無い。そう、あくまで誰か人とは。僕が言いたい事、それは……此処に人は居ないがそれ以外の生物、例えば野良猫とか、野良犬とか、鼠とかが生息していた、と言う事だ。そして現在その野良猫やら野良犬、鼠は影も形も無い。では奴等は何処に行ってしまったのか? どこかに隠れている? そんな事は絶対にあり得ない。なぜなら、奴等は自身の生存がかかっているからだ。

此処に生息している動物達は生きる為に、人間に近付く事も厭わない変わった動物達だ。その変わった動物達の生存の為だけに、自分の昼食の余りをあげている僕も相当な変わり者だが、誰かがやらなければ此処に居る動物達は間違い無く死んでしまう。少々前に語弊が在ったので訂正させて貰うと、此処に居る鼠以外の動物は本来、野良では無い。そして悲しい事に此処は、ペットとして飼われていた動物達の捨て場所ともなっているのだ。

流石に僕も動物愛護団体とかそういうのに入る気は無いし、動物もそこまで好きじゃない。でも人間が勝手に飼い慣らし、飽きたのか、世話が出来なくなったのかは知らないけれど、勝手に捨てるのは理不尽過ぎると思う。奴等は人間に飼われた時点で、もう自然界で生きていく術を捨てているのだ。捨てれば勝手に生きていくだろう、という身勝手な考えがどれほど甘い考えか、捨てた奴には一生かけても理解出来ないだろう。そして僕は、そんな身勝手な生物を同じ人間とは思いたくも無い。

だから実際には、ここで動物達を捨てに来ている身勝手な生物を何回か見かけた事が在る。どいつもこいつも同じような顔で、平気で捨てて行った。別れを惜しむ? そんな素振りは一切無かった。

だから僕は此処で動物達にご飯をあげる。僕一人では、そういう待遇の動物達全てを救う事は出来ないけれど、せめて自分の周りで、見えて、知って、分かっている範囲で困っている此処の奴等だけでも生きてもらいたい、そういう気持ちだ。

その動物達が今日は居ない。それはもう僕の勘違いでも、動物達の気まぐれでも無く、異変そのものだった。

読んで頂きありがとうございました。

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