木花開耶物語5話 後編
本来なら、もう少し早く公開の予定でしたが、少々家庭の事情を挟みまして……(言い訳?)
言い訳ついでにもう一言、この5話はこんなにも長くなる予定ではなかったです。この分だと6話も・・・・・? って感じです。
――二XX六年六月九日 とあるビルの屋上
目が覚めると、夜が明けていた。それから段々と意識が回復していき、ここまでに至った経緯を思い出す。
(確か、昨日は……)
遊びをせがまれて、仕方なく付き合ったつもりが、気づいたら昼を過ぎてて、飯を食いに街に出掛けた先で変な会話を聞いて、それで……。
「ハル様~……むにゃ」
「!? はあ、何だ、寝言かよ……びっくりした」
俺の隣で、俺の腕を枕に、未だ熟睡中の女の子。見た目(主に顔)こそ歳下に見える(つまり童顔だ)が、中身も相当な幼稚さ加減で、成長しているのは背丈と胸と尻だけ。とは言っても、歳は知らない(訊けない)し、身長も一五〇そこそこで、胸と尻は身長の割に出てるってだけだ。
(まあ、高校生じゃねえわな……)
しかしこの子こそが、今回の朝帰りの原因である。
まあ、色々とツッコミたい事は俺にも、聞いてる奴等にも在るだろうが、全て置いて、まず聞いて欲しい。
この子は俺の――嫁だ。でも、それだけしか俺には思い出せない……って、おい!
ちょっと待った! 帰るなって! 話は最後まで聞いてけって! 冗談じゃないんだよ! おーい? 誰か居ますかー? 居ませんよね? はあ、これから先、どうなるのやら……?
――二XX六年六月九日 南海市立 南海高等学校
――キーン、コーン、カーン、コーン
予鈴が鳴った。間もなく担任が来て、HRが始まる。しかし教室内は、それどころでは無かった。原因は満場一致で、教室にある二つの空席だった。残念ながら、この二つの空席が列の一番後ろに在れば、ズレた時期の転校生で納得だった。しかし、その机は私達のよく知る人達の物に間違い無かった。
(サクもハルも、何してるの……? 早くしないと担任、来ちゃうよ……)
どちらからも、連絡のメールは来ていない。
「玉ちゃん、サク達から連絡あった?」
と、尋ねると申し訳なさそうに小さく首を横に振った。私は玉ちゃんにいいよ、とジェスチャーして向き直る。
もし、遅れて来るなら、担任にバレないように出席確認まで時間を稼いでくれ、というメールが来る。それにこういう時、二人は大抵、一緒に来る。ハルが居なくて、サクが居る時はあっても、サクが居なくて、ハルが居る時は無い。
しかし、どちらからも欠席の連絡メールも、遅刻の連絡メールも来ていない。
(このまま、何もしなくていいの?)
そう、思った時、教室のドアが開く。教室は一斉に静まり返り、みんなが入って来る者に注目した。そして願った、入って来るのが二人である事を……。
しかし、そこに現れたのは――無情にも担任だった。
「よーし、出席、取るぞー」
ドアが閉まるのとほぼ同時に、この教室の現状をまるで知らない担任が口にする。それを聞いた生徒達が再びざわめく。
その中で私は一人、試行錯誤をしていた。サクとハルは本当に来るのだろうか、と。
もし来るのなら、私のすべき事は時間稼ぎ。
もし、二人とも来ないなら、どうして来ないのか担任に尋ねるのが私のすべき事。来ない理由がサボりなら心配は要らないけど、もし風邪とかだったらお見舞いに行かないと、心配で何事にも身が入らない。
こんな風に成ったのには、明確な理由がある。
それは小さい頃のある出来事で、それ以来、私は自分の知らないところで、自分の知らない事が起こっていると思うと、何もかもが怖くなった。だから、私は何もかもを知りたい。知らないという事が無い程に知りたい。知らないという恐怖を知っているから、知らないという事を――無くしたい。
こんな自己満足で自意識過剰な行いが、誰かに受け入れて貰えるとは思ってない。それでも私は、全てを知らなくてはならない。自分の為にも、そして周りの為にも……。
と、過去の私なら考えていただろう。けど今は変わった。もう自分を優先するような、嫌な自分とは別れたのだ。だから、私は二人が来ると信じて――時間を稼ぐ!
そんな、心配性とは似て非なる感情を追い払うのに、時間をかけ過ぎてしまった。気づけば、担任はもう出席を取り始めていた。
「えーっと、次は……柏木」
「……は、はい」
(もう、柏木ちゃん!? 何でもいいから話を逸らさなきゃ……!)
「あっ、あの、先生……」
「ん? どうした、クッシー?」
ここで注釈を入れさせて頂くと、一部の教師は私の事を友人達が呼ぶように「クッシー」と言う。因みに、その第一人者がこの担任だった。
思い返せば、初対面の時から妙に馴れ馴れしい(良く言えばフレンドリーな)感じだった。しかし、この担任の深層心理は未だに謎な部分が多かったりする。楽観的かと思えば、急に真面目な話をしたり、何の前触れも無く授業を変更したりと、正に破天荒な教師なのだ、この人は。そして、そんな担任を私は自然と危険視し、近づかなくなった。
「え、えーっと……ですね」
因って、私は固まった。
話し掛けるのまでは、何の問題も無く円滑に進んだが、その先は何も考えていなかった。とりあえず、出席確認を止める。それしか考えていなかった私のミスだった。
いつもは前もって連絡が在る為、共通の話題を用意して置くけど、今日は突然の事だったせいか何の話も無い。つまり、私には沈黙以外の手は無い。いや、そもそもこんな(良い意味で)変人と合う話題なんか、常日頃から持ち合わせられる訳が無いのだ。
「どうかしたのか、クッシー?」
「えっ、はい。あの、その……ですね」
万事休す、教室の扉に視線を送るが、誰かが入って来る気配は無い。そして会話を引き延ばすのもこれが限界。これ以上は、私の手に余る。
(どうすれば……? サク、ハル……私に出来る事って、なに? それとも、私ってなにも出来ないのかな……?)
俯いたその時、クエスチョンマークを頭上に浮かべていた担任が、何か閃いたかのように納得し出した。
「ああ。分かった、分かった。それなら俺も知ってるからー」
「えっ? 何の事ですか?」
勝手に(悩ませたのは私のせいだけど)悩んで、勝手に納得されても、こっちはさっぱり。当然、唐突に状況説明を求めた。
「は? だからサクヤは今日、休むって、保護者から連絡きてたぞーって話」
「えっ? そ、そうなんですか?」
担任の意外過ぎる発言に、思わず訊き返してしまった。
「は? それが言いたかったんじゃねーの?」
「ええ、まあ。いや……いえ、はい」
とりあえず丸く収まった事を良しとしようとする気持ちと、他人の厚意(?)に甘えてしまって良いのかという後ろめたさが交錯し、答えを曖昧にしてしまう。
「どっちなんだよ。まあ、いいや。それよりも問題なのは、連絡をしてきた奴だ」
「え? サクの……あっ、開耶君のお母さんじゃなかったんですか?」
つい、教師の前で愛称を使ってしまった。
この担任はそういう細かい事を気にしない人だけど、それが習慣になってしまい他の教師の前でも出るように成っては問題だ。優秀な生徒としてではなく、一人の人間として、それが礼儀であり暗黙のマナーだ。
(いや、前提として私はこの人を教師と認識していないんじゃないかな……?)
「ああ。なんか声が随分と若かったし、サクヤの事を様付で呼ぶから、おかしいなあ、と思ったんだよ。そんで、サクヤとはどういう関係ですかー、って思い切って訊いてみたんだよ」
(やっぱりこの人、やる事が教師っぽくないなあ……)
「そしたら、ソイツ『私ですか? 私は佐久夜様の嫁です』って平然と答えやがったんだよ。だから俺も『はい、そうでしたか』って切ったよ」
「…………」
とりあえず、教室は白けた。別に、そういう作戦を前以って立てて居た訳でも、合図を取った訳でも無く、一斉に音が止んだ。そして、みんなの視線は自然と最後に喋った担任に向けられた。
そこで空気を読んだ担任は、今、私に話した内容をもう一度ゆっくりと話し出す。
「だからな、よく聴けよ。サクヤの嫁を名乗る謎の人物から、欠席の連絡が俺に来た。お前等はコレをどう思う?」
「サクを速攻、学校に連行してその嫁とやらについて尋問します!」
目に怒りを浮かべた男子一同が口を揃えて言う。
「今すぐサクくんからお話を伺いたいです!」
笑顔の女子一同もまた、口を揃えて言う。
どちらも今の話で何を想像したのかは分からないけれど、教室内が乱れ始めている事に変わりなかった。
もう私、一人だけでは収拾がつかない程に教室は荒れていった。最初は周りの人達と喋っているだけの小さな塊が、段々と強者の居る塊に飲まれ、巨大化していき、最終的には二つの塊と成り、騒いでいる。
一つは、サクの嫁を見たいと主張するグループ。多数派、メンバーは主に女子で構成。
そしてもう一つは、そんなサクを敵対するグループ。少数派、メンバーは主に男子で構成。
因みに私と、玉ちゃんと、元凶は中立と司会進行役。
「さあさあ、全員がどちらに付くか決まったところで、穏便に話し合いで解決しようじゃないか? どちらかが、どちらかを納得させれば勝ち。その方が公平だし、お互いケンカには成らねえだろ? それに納得できねー奴は、反論すればいいんだから、なあ?」
かくして、サクの今後が懸かった討論会の火蓋は切って落とされるのだった。
(サク、学校来ない方が良いかも……)
――二XX六年六月九日 木花家
「佐久夜様の容体は?」
面会謝絶、という赤字の貼り紙をした、外とは隔離された部屋から出てきた私に瓊瓊杵様が駆け寄り、待ちに待った事を尋ねられる。それと言うのも、佐久夜様の護衛と思って今朝、自宅に向かったところ、玄関で倒れていた佐久夜様を発見し、今に至るのですが……。
「発熱、頭痛、嘔吐、その他諸々の症状が見受けられますが、命に別状はないかと」
「はあ、良かった。って、良くない!」
一瞬でも佐久夜様の苦しみを軽く見てしまった事に対して、瓊瓊杵様が御自分で即座に訂正を入れる。それを俗に乗りツッコミ、と言うのは瓊瓊杵様の知るところではないのだろうけれど、私はこの状況下で笑うべきなのか、諫めるべきなのか、対応に困り果ててしまった。すると、助け舟と言うには少々語弊があり、偶然と言うには必然的な言葉が、瓊瓊杵様より発せられる。
「如何にか為らんか、鈿女?」
「如何にか、と仰いますと?」
瓊瓊杵様の心中はお察し出来ましたが、侍女である私が、主である瓊瓊杵様よりも先に申し上げるのは無礼行為。周りくどくなりますが、こうするのが礼儀であり、私の忠義心の表れと酌んで頂ければ本望なのです。
「佐久夜様の事じゃ。如何にかして、治すか、痛みや症状を和らげる事は出来ぬかの?」
「その事なのですが……。物さえ揃えば私が如何にか出来るのですが……。何しろ彼方とは勝手が違う故、物が無ければ私には如何にも……」
主君に嘘を吐くなど、言語道断。つまり、この言葉は事実。その事は瓊瓊杵様も重々承知の筈。そして私の申し上げた『物』と言うのが、此方の『物』でない事も理解して頂けた御様子で、私達の間には重い空気が漂った。
沈黙を破ったのは当然、瓊瓊杵様の方だった。何か名案を思い付かれたらしく、その顔には笑みが浮かんでいました。
「打開策を講じた。聞きたいか、鈿女?」
「瓊瓊杵様、そのような事をまた仰って……」
この態々聞きたいか尋ねるのは、礼儀の類ではなく、瓊瓊杵様の悪い癖なのです。私も私以外の者に、そのような口調を使わないように使用し出した頃から何度も遠回しに注意はしているのですが、瓊瓊杵様は基本的に私以外とは会談される機会がありませぬ故、強く言う事も出来ず、いつの間にか口癖のように成ってしまわれたのです。私の至らない教育が生んだ、悲惨な結果。願わくは、佐久夜様と佐久夜様の前でだけは、この口癖が出ない事を祈るだけです。
「よいではないか、相手は鈿女じゃし。それで、聞きたくないのか?」
「……では、是非聞かせて頂きます」
「と、その前に一つ、伺いたい事がある」
「何でございましょうか?」
「その『物』とは、彼方に在る『物』と同じ効力を有する、此方の『物』で代用は可能か?」
「そ、そうですね。言の葉の上では、瓊瓊杵様の仰っている事は正しいです。……しかし大変申し訳難いのですが、それは限りなく無に等しい可能性です」
彼方に在る物が此方にも同様に存在している、とは限らないのです。むしろ彼方にしかない物が在り、此方にしかない物が在る、その方が理に適ってます。決して交わる事の無い、上と下の世界が等しく結ばれているとは考えられません。
「それはつまり、鈿女。『物』は有るかも知れんし、無いかもしれん、と言う事か?」
「はい。及ばず乍ら私には、その問いの答えを断言する事は出来ません」
私は顔を伏せ、瓊瓊杵様の問いに率直な意見を返しました。すると、瓊瓊杵様が似合わぬ高笑いをし始めました。私は到頭、瓊瓊杵様の思考が如何にもならない問題に対して狂い出したのか、と心配したところ、それは杞憂に終わりました。
「ふふふっ。やはり昨今の私は冴えてるぞ、鈿女」
「と、仰いますと?」
「私の打開策は、この事態を本当に打開できるかもしれん。よいか、まずそなたは……」
――二分後
「本気ですか、瓊瓊杵様?」
私は出来得る限り平静を保ちながら、今、瓊瓊杵様が説明して下さった打開策の内容について、率直且つ真面目で冷静な意見を述べさせて頂いた。通常なら、主の意見に訊き返すような真似は致しませんが、今回ばかりは主の心意を確かめざるを得ない内容でした。まさか、私と瓊瓊杵様が――。
「本気じゃ。これも佐久夜様の為、そう思えば、このような事で怯んでいる場合ではない! それに今後の事も考え、この策は実行不可欠じゃ!」
と、一人で頷く主を横目に、私はもう回避は出来ないと覚悟をしていました。
(何故か、瓊瓊杵様からは本命の任務とは違う活気を感じるのは気のせいでしょうか……?)
上機嫌な主の後を、腑に落ちない侍女はゆっくりと付いて行く。その先が既に戦場に成っているとは露も知らずに……。
――小一時間後……南海高校近辺
昼前、普段と変わらず南海市は寂れた雰囲気を醸し出していた。殺風景な街に輪を掛けて無人。無論、昼前は外に出てはいけない、などというルールが在る訳でも、本当に市民全員が出払っている訳でも無い。ただ単純に誰も外に居ないだけ、なのである。
しかし――今日は違った。普段は殺風景なその空間に、二つの人影が在った。
その人影は、然も自分の庭を歩くかの如く、堂々とした振る舞いで大通りを歩いて来た。その歩く姿は、パリコレなどにも充分に匹敵する優美さだった。
しかしその光景を見て、騒ぐ者も、足を止める者も、嫉妬を抱く者も居なかった。
なぜならば、この二人以外、外に居る者が居ないからだ。その点では、二人にとって良かったのかもしれない。それと言うのも、彼女達はコレを隠密行動と称していたからに他ならないのだが……。果たして、この行動のどの辺りが隠密なのかは、知る由は無い。
「それで、この立派な建物が学舎か?」
前を歩いていた少女が学校を指さし、後ろの女性に尋ねる。
「左様でございます」
それに対して後ろに居た女性は、執事の様な立ち振る舞いで応じる。
「では、参るかの」
そう言って、何の躊躇いも無く、校門から学校へと二人は侵入して行った。
しかし、この堂々たる不法侵入を許す道理は無かった。と言うか、許される筈が無い。これが仮に深夜こっそりと忍び込むのならまだしも、白昼堂々と正面から、というのは些か考えが浅はか過ぎる。
それから間も無く、二人は係りの人に呼び止められた。
「ちょっと、そこの。そう、そう、君達。ちょっと、いいかな?」
どうやら、二人はまさか自分達が呼び止められるとは、全く考えていなかった様子。
「何でございましょうか?」
係りの人の呼び掛けに応じたのは、前を歩く少女だった。その少女は、後ろで控える女性を一瞥してから、係りの人の方を向いた。
「えっ――」
だが、係りの人は驚愕した。それは振り向いた少女が、正に「人形」と評して間違いない程に人らしかったからだ。
風に靡く清らかで長い黒髪、服から露出した肌の白さ、そして何よりも印象的なのは大きな赤い瞳。それが彼女の「人形」とよく呼ばれる由縁であった。そう、人に見えないけど、人の形をしているモノ。だから――人形。
「あっ――」
数秒間、見惚れてから係りの人は我に帰った。常識的に理由もなく凝視されれば、不快に思う。しかし、少女は見られていた事を特に気にした風はなく、係りの人を静かに薄く微笑むように見据えていた。その瞳に怒りの色は無く、むしろ穏やかだった。
それから、少女は穏やかな調子で係りの人に問い返す。
「それで、私達に何か御用が在ったのでは?」
「ああ、そうだった。お譲ちゃん達は、何組の生徒だい?」
彼女達にとって、その問いは不意打ちだった。そもそも、学校を学舎と呼称している時点で、学校についての知識が無い事は明白。それに加えて、この正面突破を隠密行動、と言ってるのだから当然、彼女達に答えは無い。
会話が途切れ、沈黙が流れる。所謂とこの、気まずい雰囲気が辺りに拡がる。その空気を察してか、係りの人が尋ねた理由を話し出す。
「校則で遅刻の生徒は、係りの人が教室まで連れて行く決まりなのは……知らんようじゃな」
それを聞いて少女は、安堵の溜め息を漏らす。どうやら、この少女達が係りの人の目には、この学校の女生徒の一人として見えているらしい。それが有らぬ誤解とは知らず、係りの人はとりあえず校舎の中へと二人を招いた。
――南海高校 とある教室
本来ならば、この時間は数字を用いた論理的思考を養う時間であって、決して私的な理由で討論をし合う時間では無かった。況してや、それを抑止力である教師が促進させるなんて言語道断の極み。仮にそれが認められるとしたら、それはもう学級崩壊レベルの事態だろう。
しかし、現に私的理由による討論会が成立し、学級崩壊をしていない矛盾が存在する。
さて、どちらが間違っている、間違っていない、なんていう詰まらない話は後回しにして、そこが今どんな状況なのか見てみるとしよう。
「……であるからして、木花 開耶くんの身柄はこちらで一時、預からせて頂きます」
メガネの似合う女生徒が淡々と理屈を述べた。
「ちょっと待ったー! そんな意見、納得いくかー!」
勢いよく立ち上がる反対勢力。威勢が良いものの、反論としては説得力に欠ける。
「そうだ、そうだ! 偉そうな理屈なんていくら並べても、こっちには全く通じてないからなー!」
いや、彼等に反論なんて立派なものを求めるのが間違いだった。
「何だと!? かなり噛み砕いて話してやったつもりなのに……。これは作戦を練り直さないと……。奴等の馬鹿さ加減は計り知れないぞ!」
メガネの子側のとある男子生徒が悔しそうに叫んだ。相手側も、馬鹿と言われた程度では傷付かない、強靭な精神の持ち主達らしい。
「おー、やれーやれー、盛り上がれー」
この光景を、巻き込まれないように少し遠くから椅子に跨って傍観するのは、元凶もとい教師らしき人物。いや、言動だけでは既に彼の人物像は、悪ふざけの過ぎた男としか認識できない。
「先生、煽らないでください! 収拾、つかないじゃないですか!」
その教師と同じ立場に居る、クラス代表の女生徒。彼女だけがこの大乱闘の中、正しきが何であるのか、はっきりと分かっている人間だろう。
「あー、うー、えー、どうすれば……?」
また一人、その場の空気に流されそうになっている女生徒が。彼女もまた、この討論が始まってから中立地帯に存在していた。しかし前者の女生徒と違い、後者の女生徒はどちら側に付くべきか分からずに中立地帯に居た。
「あー、玉ちゃんはそこで待ってて! 私が何とかするから」
流されそうな女生徒を、クラス代表が制した。彼女にとって、今日は散々な一日に成る事は途中から見ても容易に想像できた。
それで本題に戻ると、これは見事に混乱、と言うよりは混沌と言うべき状況になっていた。そして議題に戻ろう。この矛盾のどちらが間違っているのか。
既に学級崩壊をしているのか? もしそうであるなら、この討論会は私的な理由で行われている事が成立する。そしてそれが成立すると同時に、この場に居る全ての人間が問答無用で罰せられるだろう。
それとも、この討論が授業の一環で、決して私的な理由で争っている訳ではないのか? 仮にそういう目論みの下で行われているのだとしても、現状を見た教師達は満場一致で異を唱えるだろう。
この矛盾の結論は――とりあえず、保留とする。その理由付けをするとすれば、予期せぬ来訪者、と提言しておこう。
――そして、事態は更に悪化する。
南海高校北館三階の一番奥が、木花 開耶他三名の所属するクラスの位置である。それが先程までの物語の舞台である。
そして、物語の舞台はその階の廊下へと移る……。
「この先が、お求めの教室で御座います、ご主人様」
「爺よ、大義であった。もう己が仕事に戻ってよいぞ」
爺と呼ばれた男は少女の言葉に従い、自らの持ち場へと去って行った。そう、言葉を交わしたのは先の不法侵入者と門に居た係りの人だった。
いつの間にこのような関係を築いたのか? いや、出会ってからまだ三十分と経っていないのにそれは不可能だ。ならば、どうやって? その答えは雲を掴むようなモノだが、鍵を握っているのがこの少女達、という事だけは確かだった。
「潜入、隠蔽と順調な進行じゃな」
再び前を歩く少女が、後ろに付き添う女性に投げ掛ける。
「はい。私も貴女様の手際の良さに深い感銘を受けました」
すると、女性は皮肉っぽく棒読みの言葉を返した。
「そうであろう? 彼の有名な軍師も、私の大胆不敵且つ手練手管に尽きるこの策は思い付かなかったであろう」
そんな女性の皮肉をまるで理解していない少女は無垢な笑みを浮かべ、上機嫌で語っている。そして、まるで隠密行動と言ったのを忘れたかのように、堂々と廊下の真ん中を歩いて行った。勿論、その後ろで頭を抱えている女性には気にも留めなかった。
それから十数秒後、目的地前に到着。しかし目的地と思しき部屋からは、叫び声や、授業とは思えない物音が外まで聞こえてくる。
果たして、ここが目的地に相違ないだろうか、と後方の女性が少々の不安を抱く中、何の迷いも躊躇いも無く少女は扉に手を掛ける。しかし、扉が開かれる事は無かった。
「お待ちください。中の様子が異常です」
それまで、少女の行為を後方で全て黙認していた女性も今回は只ならぬ気配を感じたのか、流石に止めに入った。
「多少の危険や障害は付き物じゃろう。この程度の事で臆してはこの先、やっていけんぞ? それに案ずる事はない。この先に居るのは全て人の子じゃ」
「それは、そうですが……」
危機感の無い少女が、自分の事を何様だと思っているのかは分からない。しかしながら、少女の言っている事が、全て間違っている訳でもなかった。だから女性も下手に言い返せなかった。けれど、心配性の女性が言うように教室の中が異常な状態なのは少女以外の誰もが気づく状況という事も、また事実だった。
「さあ、行くぞ。私の後に付いてくるがよい」
「……は、はい」
もう誰にも少女を止める事は出来なかった。そして、女性の感じていた嫌な予感は的中するのだった。
――一方その頃、教室の中では……
「お前等の提案は一つたりとも認めんし、こちらは妥協する気も無い!!」
と、外見的に馬鹿そうな男子生徒が叫んだ。
「そちらの要求を訊きましょう」
その意見に対して、向かいに座っていた女子生徒が、極めて冷静に提案する。
「いや、議題から話が逸れてます。議題に関係の無い話はご遠慮ください」
クラス代表が注意を促すが……。
「俺達の要求だと? そんなものは決まっている。こちらが最優先・無制限に、木花 開耶への尋問及びその他諸々を行えるという権利、それだけだ」
馬鹿の集まりの中で唯一、話が分かりそうなメガネ男子だったが、どうやら見込み違いだった。しかし、話は議題へと戻りつつあった。
「何だと!? そんな人権も血も涙も無い様な非道行為を黙認しろ、だと……? そんな事が許されるのか? いいや、決して許されない! 僕達の目が黒い内は君達に好き勝手はさせない!」
そして話は、再び逸れていく。しかし会場はどんどん炎上していく。
「だから、議題に直接関係無い話は控えて下さい!」
そして絶対的存在である審判の声も届かず、戦況は堂々巡りへと陥る。
そういえば、まだこの討論の議題について触れていなかった。両者が対立し、争い合う根源たる理由、それが議題。そして今回の議題は知っての通り、木花 開耶をどちらが先に拘束するに値する価値のある行為か、争っている。しかし客観的な立場から見れば、どちらも同等ぐらい如何でもいい内容だ。と言うよりは、どうして争い合う事で結論を出そうとするのか。そちら方が余程、興味深い内容だ。
さて、第三者の意見はこの辺にしておこう。そろそろ、彼女達の登場だ。
「非道行為? じゃあ、お前達のやろうとしている事は人道的なのかよ?」
狡賢そうな男子生徒が、笑みを浮かべながら言い返す。
「くっ、確かに。拘束権を求めて争っている時点で人道に外れている。だが、それならば人道とは何か定義してもらいたい!」
サク敵対グループが沈黙。サクの嫁を見たいグループの予想外な切り返しにグループ内が荒れる。
「おい、定義ってなんだ?」
「いや、定義は分かるだろ。むしろ、人道ってなんだよ?」
「ちょっと、待てよ。分かってる奴等だけで話を進めんじゃねえ」
「お前に説明してたら、日が暮れるだろ」
「そんなこと言ってる暇があるなら、頭を使え。どう考えてもこの勝負、こちらが圧倒的に不利だ」
「どうして?」
「メンバーが馬鹿ばっかりだから、だろう?」
「半分正解。正しくは使えない馬鹿ばっかりだから、だ」
「どういう意味だ、ゴラァ!!」
「そのままの意味だよ! それよりも、怒ってる暇があるなら辞書でも引け!」
「辞書ってどうやって使うんだよ!?」
「もういい。お前は前線に立って、大声で相手を威嚇してろ」
これが、サク敵対グループ内の現状。どうやら、仲間割れは何とか回避した模様。しかし、次の反論について中々、良いものが出来上がらないらしく、頭の良い連中はその頭脳を総動員して奮闘中。
「あれ? 私達もしかしてこの勝負、勝てそう……?」
「勝てそうじゃなくて、このまま行けば勝てるよ!」
サクの嫁を見たいグループが、やっと見えた勝利に喜びの声を上げようとした。
――その時、教室の扉が開く。
そして入口には、そんな状況など全く意に介さず、我が道を突き進む者が居た。その者は堂々とした振る舞いで教室の中に入って行き、中心まで来ると歩みを止めた。
「――我が名は日高 ニニギ……転校生じゃ!」
「同じく、転校生の天野 ウズメで御座います。ニニギ様、コホン。ニニギ共々、以後お見知りおきを」
そう、それは南海高校の制服に身を包んだ瓊瓊杵と鈿女で間違いなかった。
――二人が教室に来るまでにあった会話
「それでは鈿女、予定通り私達は転校生を装って侵入するぞ、よいか?」
事後承諾をウズメに告げて、どんどん先を行くニニギ。
「お待ちください、瓊瓊杵様!」
そんな彼女を慌てて引き止めるウズメ。そしてそんなウズメに「まだ、何か?」と言いたそうな目つきのニニギ。それに恐れを感じつつも、冷静に対応する。
「確かに、私達はこの学校の制服を着ています。外見で見破られる可能性は、恐らくないでしょう。ですが、中身で見破られる可能性は充分にあります。お分かりですか、瓊瓊杵様?」
極めて正論な指摘を受けたニニギは、ウズメを馬鹿にするかのように何度も頷きながら向き直る。
「そうじゃの。それは御尤もな意見じゃ。正体を簡単に見破られては、これまでの努力が水の泡じゃからのぉ」
この如何にも何か企んでいる口上のニニギ。しかし、ウズメは彼女の含みのある口調には全く気づきもしなかった。それよりもニニギに今回の提案が通った事の方で頭が一杯だったらしい。どうやら、この策にウズメは異常な勢いで反対の様だ。
「瓊瓊杵様、お考え直して頂けるので……」
「ではまず、鈿女の私に対する敬語を止めさせるとするかの」
「はい?」
思いも寄らない返答に、間の抜けた声が漏れる。しかしニニギは、そんなウズメに構わず次々と言葉を並べていった。
「次に、私達にも現代風の名を設けよう。私は先程、拝借した書の中から名に合うものを選んだ。鈿女には……確か、丁度いいのが……あったんだが。ああ、あった。
コホン、そなたの学舎内の名は天野 ウズメじゃ。よいな?
それから、私とそなたの関係も改めるべきじゃな。そうじゃのぉ……トモダチ、という上下の繋がりではなく、横の繋がりに変更じゃな。あとは……」
「瓊瓊杵様、僭越ながら暫しお待ちください。私の許容を越える事態故、混乱して居ります」
率直且つ冷静に答えたウズメだが、その混乱の程は尋常ではなかった。
それもその筈だった。なぜならば、ウズメは作戦の中止を前提で話しているのに対して、ニニギは飽くまで作戦を続行する前提で話を進めている。これでは話が噛み合う筈がない。むしろ、今の今まで気づかなかった事の方がおかしかった。
「瓊瓊杵様。……申し訳御座いませんが、今一度、仰って頂きたい所存であります」
「仕方がないの。面倒……いや、時間もあまりないから、簡潔に要点だけ話すぞ?
まずは、そなたの私に対する敬語を一切禁ず。
次に、学舎内でのそなたの名前は天野 ウズメじゃ。
最後に、私達の主従関係じゃが一時的に無効に致す。以上。
異論は無いな? さあ、行くぞ」
それまで黙って頷いていたウズメが最後の規則を聞いた途端、血相を変えた。
「お待ちください、瓊瓊杵様! 主従関係の無効とは、一体どういった――」
「――ウズメ、異論は無いな?」
ニニギは静かに言い放った。その表情は頑なで、妥協の色は一切無く、こちらの言い分を何も受けつけない事が、長い付き合いのウズメには難なく理解できた。
当然、それ以上の会話は無かった。そしてこれが彼女達なりに考えた転校生の設定だった。
――そして現在……。
ニニギとウズメが教室に入った当初、生徒達は二つの理由で目を奪われた。
まず一つ目は、彼女達の不可解な行動だ。
突然、入って来て「転校生だ」と自らを語ったところで、誰が快く承諾できるだろうか。いや、むしろ生徒達は自分達が全力で挑んでいる論争を一体どのような理由で中断させるのか、憤りと訝しむ眼差しで黙然していた。だから彼女のした返事は、この場に居る生徒達の目を奪うには充分過ぎたのだ。
そして二つ目。それは彼女達の外見上の問題だった。
彼女達の容姿が、他と比べて端麗過ぎるのは言うまでも無い。だが、ひとえにそれだけが理由だった訳ではない。いや、むしろこの点に限るといっても過言ではない。
確かに、彼女達は正体を見破られないようにする為、この学校の制服に身を包んでいる。しかし、それは飽くまで言葉通りの意味だ。これから彼女達の外見を見たままに述べる。それが真実であり、事実なのだ。
下半身の方から順を追って解説を、まずは履物。どこで入手したのかはさて置き、履物には彼女達とは確実に無関係な人物の名が書かれていた。きっと、制服や名簿と同様に無断拝借なのだろう。
次に、靴下……は至って普通なのでスカートへ。これも無断拝借した制服をそのまま着ているだけなので、特に問題は無い。むしろ、これ以外は主に問題ばかりだ。
最後に一番の問題、それは上半身に在った。夏服ブラウスのボタンを全開、その裾が広がらないようにお腹の辺りを帯で留めている光景は、誰がどう見ても異常でしかなかった。
そしてこれもまた、生徒達の目を引き付ける理由としては過大評価ではなかった。
これまでの解説を総合すると、男子生徒の大半は彼女達の美貌に見惚れ、衣服には全くと言っていい程、興味を示していない。それに対して、大半の女子生徒は彼女達の美貌よりも、制服の着こなし方に釘付け状態だった。そして残る一部の生徒は、彼女達の意外な発言に驚き、茫然となってしまっている。
しかし、このどれにも当てはまらない人物が一人、この教室に居た。
その人物はこの混乱の中でも決して冷静さを欠かず、常に公平な立場から意見を述べ、己が信じる事を貫いていた。それは、このクラスが学級崩壊するのを繋ぎ止めていた、と言っても納得できる頑張りだった。
そして、今、その人物が彼女達と対面し、何を感じ、どう動くのかを見届けている。
「えーっと、確か……日高さんと天野さんだったっけ? ようこそ、このクラスへ」
そう言って、その人物は挨拶のつもりで手を差し出した。その距離、僅か数メートル。教室の中央まで来た転校生達は、その人物とはかなり間近な位置関係にあった。
「……誰じゃ、お主は?」
第一声がそうだったように、この転校生の発言には驚かされる事が多い。彼女が平然と発言する一方で、聞き手の生徒達は度肝を抜かれる思いばかりしている。
しかし彼女の発言を咎める声は、意外にも近くから聞こえた。
「瓊瓊杵様! そのような物言いは……」
意外にもその声の主は、同じ転校生の天野のものだった。
その時、生徒達の頭に常識が過ぎる。彼女達は転校生だ。知り合いの訳が無い。偶然、転校してくる場所と日が同じだっただけだろう。
しかし、現実はその常識的根底を覆すやり取りを、止めなかった。そしてその光景を目の当たりにした生徒達は唖然となった。
「ウズメさん、お言葉が可笑しくなっておいでですわよ。おほほほ」
しかし会話は続く。天野の注意を軽く笑って受け流す日高、しかしその目は笑っていない。位置関係上、彼女の表情まで見れたのは天野とその人物だけだった。
「うっ……申し訳御座いませんでした」
その威圧感と畏敬のある視線に気圧されたのか、天野はすぐさま謝罪した。
当然の如く、教室は静まり返った。意外に次ぐ意外の連発で、一部の生徒は神経が衰弱し、他の生徒達も状況が飲み込めず立ち尽くした。
そんな中でも、やはりその人物だけは違って見えた。その迷いの無い瞳には、二人の只ならぬ関係は容易に見透かせただろう。
「あのー、ちょっといいですか?」
険悪なムードの中、先陣を切ったのは当然、その人物だった。皆の視線が一点に集まった。
「私はクラス委員長の夏澄です。みんなからは、クッシーって呼ばれてます」
そう、先程から登場していたその人物とは、このクラスの要の一人・櫛灘 夏澄ことクッシーの事だ。そしてクッシーは続けた。
「……今日から、このクラスの一員になるんだよね? じゃあ、よろしくね、二人とも」
クッシーの思いも寄らない発言に、今度は転校生が茫然となる番だった。それはクッシーが彼女達の関係を問い質すのではなく、無条件で二人を仲間として迎え入れるという行動に出たからだ。
尤も、日高の方はそんな心配など一切抱かず、反応はとても落ち着いており、無言の不動だった。つまるところ、教室は数刻前と変わらぬ騒然な状況へと陥った。
「二人を、クッシーが認めた?」
「って事は、二人はもうクラスの一員ってこと?」
「いやいや、流石にクッシーの一存だけじゃ……なぁ?」
「要の四人の内、二人が欠けた状態で決めるのは、些か腑に落ちない」
「でも、どっちもカワイイし、よくない?」
「そういう問題じゃねーだろ」
「いや、それこそ重要視する点じゃないか?」
「モチベーションとか、雰囲気とか、男子のやる気とか、重視するなら、尚の事な」
「女子的には、あの二人をどう思うんだ?」
「まあ、端的に言えば強敵出現、みたいな感じ……かな?」
「あれに勝とうと思うこと自体、既に無駄。生まれた時点でのクオリティーに差があり過ぎ」
などと途方も無い雑談が、至る所で繰り広げられている。
そもそもの事の起こりはクッシーに在る。それはクッシー自身も、重々承知の上だろう。だから、この事態を収拾するのもクッシーは自分の役目だと感じている。
クッシーが即決即断で、混乱を鎮めようと口を開いた時、天野の呟きに教室が一瞬で静まる。
「くらす、いいんちょー……ですか?」
「え?」
呆気にとられるクッシーと生徒達。まさか、クラス委員長という言葉について訊き返されるとは誰もが想定していなかった。否、想定できる筈もなかった。なぜなら、普通に生活していれば、その言葉の意味など考える必要も無く分かる事だからだ。
「えっと、天野さんの前居た学校だと呼び方が違ったのかな……?」
クッシーにできる最大限のフォロー。しかし……
「えっ? あの、その……」
返ってきたのは言い淀み、困惑する結果だった。
(何か訳ありっぽい事、訊いちゃったかも……?)
クッシーは「クラス委員長」について訊かれた時、嫌な予感がした。それがこの想定外の返答についてだったのかは分からないけれど、もうクッシーにフォローのしようがない事だけは確かだった。
天野の解答に注目が集まる中、今まで悠然としていた転校生が動いた。
「あら、ウズメさん。私達の所では違いましたよね?」
思わぬ方向からのフォローに、天野自身が一番驚いていた。
「??? ニニギさ……ニニギ、どういう意味でしょうか?」
しかし、困惑の方が勝ったのか、日高が言った内容を全く理解出来なかったらしい。そのまま、はい、と頷いていれば事は丸く収まったのだが……。
「だから、私達の居た所ではそのような呼び方はしていませんでしたよね、ウズメさん?」
語尾に行けば行くほど、凄味が増していったのは言うまでもない。ここでもやはり日高は、周りから表情を見れないと判断し、威圧感たっぷりの眼差しを天野に向けた。そんな天野に選択の余地などなかった。
「……は、はい、そうでした。瓊瓊杵様の仰る通りで御座います」
「あら、ウズメさんたら、また言葉が可笑しくなっておいでですわよ? おほほほほ」
日高の高笑いだけが、教室の中を木霊する。そしてその高笑いも程無くして終わり、重い沈黙が教室に流れる。
――パンパンっ!!
手を叩く音が室内に響いた。皆の視線が音源に集まる。その視線の先に居たのは……。
「おしまい、おしまい。転校生なんだから、この学校について知らなくてもしょうがないじゃん? だから、これから知っていけばいいんだよ。私達の事も、二人の事も、ね?」
と、場を仕切ったのは当然クッシーだった。彼女にかかればこの程度、日常茶飯事なので何も迷う必要もない説得だった。
「さあ、さあ。そうと決まったら、早速、歓迎会やろうよ! どうせ、四時限目も潰すつもりでしょ?」
「あったりまえじゃんっ!」
「歓迎会、賛成ーっ!」
その声に応えるかのように、皆が声や手を上げる。その中には、もう彼女達をクラスの一員と認めていない者など一人たりとも居なかった。
「よーし、司会・運営系はこっち集まってー! 体育会系の筋肉さん達は会場設営してー!」
着々と支度は進み、簡易ながらも会場は数分で完成した。
「おーい、こっちはもう出来上がったぜー!」
中央に二つの席が設けられ、それを囲むように倍以上の椅子が並んでいる。元々、論争をしていたこの教室に整理整頓された机や椅子などは一切存在していなかったせいもあり、早々に会場は出来あがった。
「はいはい、こっちももう出来たわよー」
それから間も無く、司会・運営側の準備も整い、歓迎会の開始は目前となった。
「並大抵の団結力と、意志の疎通と、行動力では……ありませんね」
その光景を、目の前で見ていた天野の第一声は冷静な評価だった。その評価が、彼女の中の何を対照とした評価なのかは定かではないが、とりあえず断言しよう。
――彼女を侮ってはいけない。
それと言うのも……。
「止さぬか、ウズメ。もっと無邪気な風に装えぬのか?」
……邪魔が入ったが、こちらの説明を先にしよう。天野を諭したのは同じく転校生の日高だった。そんな彼女が今まで何をしていたのかと言うと、視線が合った男子生徒に笑顔を振り撒いていたのだが、その度に作業効率が落ちていたのは言うまでもない。
そして諭された天野の方だが、指摘を受ける以前は氷の様に鋭くした視線で辺りを見回し、寄り付く男子のハートを射抜きまくっていた。当然、こちらも作業効率低下に繋がった。
「すみませんでした。どうもその様な事に私は疎いようで……」
「よい、気にするな。お主に厳しい環境なのは承知している。ただ、見破られれば全て水の泡じゃからな? それだけはお主の誇りにかけて、如何にか致してみよ。よいな?」
「分かりました、瓊瓊杵様」
「何の相談~?」
そんな二人の前に現れたのは、今現在このクラスの中で誰よりも二人と親しい関係にあると自負しているクッシーと、連れの玉ちゃんこと豊玉 美七だった。
「あっ、そうだった。紹介するね、私の親友の玉ちゃんです! 仲良くしてね」
紹介された玉ちゃんはぺこりと頭を下げた。しかし、まだ人見知りしているのか一定の距離以上は近づかない様子だった。
「そうでしたか。くっしー様のご友人の玉ちゃん様ですか。どうぞお見知りおきを」
「は、はい。こ、こちらこそよろしくお願いします」
ぎこちない会話を交わし、これを自己紹介とした。そして、それから会話を交わす事は出来なかった。それは突然の来訪者が、二人を連れて行ったからだった。
「あっ、ちょっと!?」
「ぬ?」
「さあ、さあ。二人ともこっち、こっち! クッシー、主役を独り占めしないでね~ さあ、始めるよ!」
つまるところ、突然の来訪者は歓迎会の司会役だった。それから、クッシーと玉ちゃんは顔を見合わせそれぞれ、苦笑してから席へと向かった。
――歓迎会 開始から十分の経過
日高と天野とクッシーと玉ちゃんは廊下に居た。それは到底、誰かを歓迎している雰囲気ではなかった。それはクッシーの強張った表情が物語っていた。果たして、楽しい筈の歓迎会は何故こんな事になってしまったのだろうか……?
――遡る事、十分前
まずは二人の簡単な紹介が司会からされた。その内容はどう考えても、真実とは言い難い物ばかりだった。しかし、一項目読み上げる度に男子から歓声が上がった。結局、クッシーが出て抑える始末となった。
その後、クッシーと玉ちゃんを除いた、みんなの三十秒間の自己紹介。これもまた、順番の取り合いでケンカとなり、クッシー出動。程無くして、鎮静。仕切り直して、出席番号順に自己紹介を再開。何とか無事に終わったので、司会が次の項目へと移行した。
ここまでが開始から八分間の出来事。それでは、残りの二分間で何が遭ったのか見て行こう。
歓迎会・最後の項目、それは座談会という名のお喋り会だった。当然、そうとなれば転校生への質問攻めとなるのが予期されたが、予想はいとも容易く裏切られた。
皆はそれぞれ仲が良い友達の元へと行き、お喋りを始めた。それはまるで転校生など見えていないかのような自然さで、見えている者には不自然、極まりない光景だった。
余談だが見えている者とは、クッシーと玉ちゃんの事だ。
「あれ? 何、このリアクション……?」
「え、あの、どういう事ですか……? 皆さん、おかしくないですか……?」
状況を全く飲み込めない二人。困惑を露わにする一方、そんな彼女達にすら気づかない周りの人間達。まるで彼等の居る世界に、二人は存在していないかの様だった……。
しかし、クッシーはこの事態を信じなかった。それはつまるところ、非現実を頑として受け入れない、という意味で、だ。突然、みんなの視界から自分が消える、それはどう考えても非現実的である。それともう一つ、彼女には気になる事が在った。
「玉ちゃん、来て! こっち!」
「えっ? あ、はい」
事態の真相を知るべく、クッシーと(半ば強引に連れて来られた)玉ちゃんは転校生達を探した。その行為に明確な理由は在った。だが、そんな事よりも彼女の身体を動かしたのは、不謹慎ながらも好奇心と探求心だった。
さほど広くもない教室の中から、二人の異装転校生を見つけるのは、とても簡単な事だと思っていた。いや、正確にはその認識事態は間違っていないだろう。むしろ、間違っているのは前提条件だろう。果たして、彼女達が探している転校生達は、本当に見た目だけが異常な転校生なのだろうか?
(彼女達は一体……何者?)
彼女達の正体について、クッシーが疑問を抱き始めたその時、背後から聞き覚えのある声がする。
「まぁ、余興はこの辺りでよいわ」
クッシーが振り返ると、転校生達はニメートル後方に平然と居た。その姿は最後に見た時と寸分違わなかったが、雰囲気、纏っている気質という類のものが確実に違った。それはクッシーも、玉ちゃんにも分かる変化だった。
「日高ちゃん……? 天野さん……?」
「玉ちゃん、下がってて」
転校生達の纏う異様な雰囲気に、クッシーが玉ちゃんを制し、前へと出た。
「二人とも、今まで何処へ?」
「ふ、お主に答える道理はないのぉ。……じゃが、こうして現れたのには、くらすいいんちょーとやら、お主に訊きたい事があるからじゃ」
「私に、ですか……?」
両者の間に緊張が流れた。と、その時、教室に舞い込んだ風が女子のスカートを靡かせた。
「きゃっ!?」
「なにっ!?」
「ひゃあっ!?」
皆、一様に奇声を発する中、スカートが舞い上がろうが、どうなろうが特に気にも留めない女子が若干二名ほど存在した。
「む? 何をそんなに恥じる? のう、ウズメ?」
「はい、そうで……」
と、言いかけた天野にも風の悪戯が及んだ。しかし天野は、舞い上がったスカートを押さえる素振りすら見せずに、ただ日高の隣に立っているだけだった。
次の瞬間、クッシーと玉ちゃんの視界に衝撃的なものが映った。それから数秒の間があり、二人は同時に顔を見合わせ、頬を赤らめた。
「……玉ちゃん、見えたよね?」
「……は、はい。で、でも、どうしよう?」
「うっ、そうだね。このままって訳には……」
と、二人の視線が自然と天野へと向く。その先には、なぜ自分を見ているのか分からないという風な天野と、我関せずといった感じの日高が居た。そして試行錯誤した結果、クッシーは無言で天野へと歩み寄った。
「……あの、くっしー様?」
「天野さん。ちょっと、来て」
用件を短く告げ、答えも聞かずにクッシーは天野の手を取り、出口へと向かった。
「あの、これはどういう事でしょうか? くっしー様?」
天野の問いかけを完全に無視して、クッシーはどんどん出口へと向かった。天野は咄嗟に日高の方を一瞥すると、日高は面倒臭そうに頷いた。それを視認した天野は、クッシーの行為を了承したのか、それから何も問いかけなかった。
「ひ、日高さんも……い、行きますか?」
一人とり残された日高を気遣って、意外にも玉ちゃんが声をかけた。内気な彼女の行動としては少々腑に落ちないが、よくよく考えてみれば、その答えは容易に想像がついた。
補足させてもらうと、今現在、彼女達四人の存在は四人意外には認識されていない。それがどういう原理なのか、どうしてそんな事になってしまったのか、などの諸事情は全て後回しにして、玉ちゃんの不可解な行動の根底に何が在ったのか解説したいと思う。
つまるところ、彼女は単に寂しくて心細かったが故に、日高という身近に自分の存在を認識できる相手へと依存しただけなのだ。クッシーが傍に居た時は、クッシーに。彼女が居なくなれば他の誰かに、というように、自分の存在を誰かに認めもらう事で、彼女は精神が安定するタイプの人間なのだ。そして今、より安定性を高める為にクッシーの後を追おうとしている訳だ。だが、やはり一人では決断できず、日高に付いて来てもらおうという魂胆らしい。
けれども、何よりも厄介なのはその習性ではなく、それを無意識下で行っているという彼女自身の自己防衛能力にあった。
「……よかろう、私を二人の所へ連れて行くがよい」
日高はその事を知ってか知らずか、少しの間を置いてから承諾した。当の本人は安堵の溜め息を吐き、出口へと先行した。
斯くして、物語の舞台は廊下へと移り変わるのだった。
――そして現在……。
このような過程を経て、現在に至る訳だが……。果たして、クッシーと玉ちゃんが目撃したものと、天野の関係性は何なのだろうか。それがこれから解き明かされようとしていた。
「天野さん、女子同士だから単刀直入に言わせてもらうけど……し、下着はどうしたの?」
「??? 何なのですか、それは?」
静寂が訪れた。原因は言うまでもない。クッシーは顔を伏せ、玉ちゃんは茫然と天野を見ていた。しかし、日高は特に驚いた風もフォローする様子もなかった。
だが、この沈黙を破ったのは日高による天野の素性についての暴露だった。
「くくくっ、これは仕方ない。この衣装もウズメの着付けじゃし、そもそもウズメは洋服という物を知らぬからのぉ」
「ええっ!? 天野さんって洋服、知らないの!?」
「……、……。……?」
クッシーは事の真相に驚きを露わにし、玉ちゃんは日高の言った言葉の意味がまるで理解出来なかったようだった。そして暴露された本人は……。
「よー、ふく? 何なのですか、それは?」
下着について指摘された時と全く同じ反応だった。こればかりは、もうクッシーさえも言葉を失った。無論、日高が天野に洋服とは何かなど教える筈もなく、天野は首を傾げたまま、視線を彷徨わせている。どうやら、天野は答えを求めているらしい。
その数秒後、今まで様々な考えを巡らせ、黙っていたクッシーが声を上げた。
「あ~、もうっ! 何でもいいから、とりあえず下着! それだけは何とかしないと校則的にも、道徳的にもダメなんだからね! 天野さん、分かった!?」
「は、はい、くっしー様……」
「くくくっ。小娘に怒られおって、ウズメもまだまだじゃのぉ」
これが楽しい筈の歓迎会が一転して、廊下での説教会になってしまった事の顛末だった。
そして二人のドキドキ学校潜入編はまだ続くのだった……。
えー、長いお話を最後まで読んで頂きありがとうございます。
これからも長くなっていくと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
あー、それから、活動報告の方で少々触れましたが、瓊瓊杵の口調を一新しました。語尾を「~じゃ」や「~のう」など古風にしてみました。でも、これは飽くまで口調ですので、しっかりとした場では、しっかりとした現代語の敬語を使います。
それではここまで読んで頂きありがとうございました。毎度のことながら、ご意見・ご感想、超募集中です。次回も出来れば読んで頂きたいです。 by crow