木花開耶物語1話
物語の内容としては、あらすじの通りです。
最初の方の話だけでは、どの辺がファンタジーなのかサッパリかもしれませんが、
(全体的に見た)後半の物語展開はかなりファンタジーになっています。
根気強く読んで頂けれると幸いです。
PROLOGUE
――二XX六年 五月某日
僕は夢を見た。
それは考えれば考える程、不思議な夢だった。
行った事も無い。
ましてや、見た事も無い。
そんな場所で。
一人の少女が、僕を眠りから覚ます。
しかも、その子は超可愛い。
でも、僕はその子の事も知らない。
名前も。
歳も。
どこの学校の生徒かも。
どうして僕を起こすのかも。
どうして夢の僕が起きる直前で現実の僕が覚めてしまうのかさえも。
だから僕は夢を見た。
高校二年の春を逃避するような。
今までの僕の人生を逃避するような。
でも僕は夢を見た。
何もかもが本当の世界。
と、何もかもが嘘の世界を。
けれど夢は続いた。
――二XX六年 六月六日 月曜日
この日も変わらぬ朝を確かに迎えていた。
この不思議満載の夢も、現実の生活も寸分変わり無く廻っていた。
大きな変化が全く無い、小さな街に住む、小さな自分。
中の下の高校に入学して一年と二カ月が経った。
新しい環境で、新しい出会いが在り、新しい友人が出来た。
でもそれは最初だけ。
今はもう、新しい環境が、新しい友人が、日常となってしまった。
そこには期待も、希望も、楽しみも、嬉しさも、悲しみも無い。
在るのは、ただの現実。
変わる事の無い、変える事の出来ない現実が、ただただ目の前に拡がっているだけ。
平平凡凡、それも悪くない。
だけど僕は夢を見た。
いつの日か自分が、誰かに認められる大きな存在になる事を。
いつの間にか自分が、大きな存在になっている事を。
そして、夢に出てくる少女に出会う事を。
――それから時は経ち、放課後の校舎
「よう、サク。まーた、夢の少女でも探してんのか?」
「うん、まあ、そんなところ」
「程々にしけよ、もう外部とか始まってるし」
「分かってるよ。帰宅部はさっさと帰りますよ〜」
あっそ、と手を振り消えていく友人その一。
「さて、っと。僕も帰りますか……」
鞄を肩にかけ、教室を去った。
学校を出ると、目の前は駅へと続く大通り。
いつも通りの賑わいを見せていた。
その道の端を無愛想に抜け、百数十メートル進んだ所に在る小道へと逸れる。
地元ならではの抜け道ならぬ裏道、もとい帰り道。
因みに、家から学校までは徒歩十分くらい。
その道中に娯楽施設なんて勿論の事、コンビニさえも無い。
強いて何か在るとすれば、それは住宅街跡くらい。
意外な事に、そこは隠れ幽霊スポットらしい。
しかし、だからと言って人がたくさん集まっている訳でも無い。
むしろ、誰も寄りつかない程。
そして残念(?)な事に、僕の通学路はそこを直進する。
と言うか、直進しないと十分で学校には決して着かない。
迂回すると、実に三十分はかかるらしい。
何せこの住宅街跡、広さでも有名なのだ。
「と、言う訳で住宅街跡……改めて見ると幽霊が出てもおかしく無さそう……だな」
何故、此処が住宅街から住宅街跡に成ったかの経緯は諸説が在るらしい。
殺人鬼が住人を殺して回ったとか、此処に住んだ人間は呪われるとか。
そんな幼稚なものから、専門家の有力な説とかも在るらしい。
何にせよ、僕が生まれる以前に起きた事は僕の預かり知らぬ事だから、どうしようもない。
そもそも、どうにかしようなんてさらさら思っちゃいない。
この住宅街跡のせいでこの街が嫌われてる訳でも無いし、壊す必要性が無い。
本気でそう思っていた。
彼女と出会うまでは……。
「うっ……!?」
何が起きたかを理解するまで、相当な時間を要した。
現在の自分の状態。
目の前の人物。
そして自分がその人物に何をされているのか。
「っぷはぁ……って、いきなり何を考えてるんですか!?」
「ご、ごめんなさい、佐久夜様。あっ、間違えました。すみませんでした、開耶様」
それが夢に現れる少女との出会いであり、僕のファーストキスを奪われた一部始終だった。
「有り触れた今までの日常」
――二XX六年六月六日 月曜日 朝
――佐久夜様? 佐久夜様!
(誰かが僕を呼んで……いる?)
重い目蓋を開くと、視界に声の主が映る。
(女性、いや少女?)
白いドレスのような衣服を纏った、顔に幼さを感じる少女が傍らに居た。
――起きて下さい、佐久夜様。もう、佐久夜様は朝が弱いんですから……
頬を赤く、そして脹らまして彼女は言う。しかしその顔には笑みが浮かんでいた。
(あれ? 僕はもう起きてるんだけど……?)
――あっ! もうこんな時間。佐久夜様、もう起きないと本日は大事な……
そこで彼女の声は途切れてしまう。
――ジリジリジリジリジリーッ!
小さな部屋に鳴り響く、目覚まし時計の音。それが僕を夢から現実へと引き戻す鍵。
(いや、そんな大そうな物じゃないか)
目覚ましのスイッチを押し、窓から差す朝日を浴びながら伸びをする。
「さて、っと。今日もいつも通りの一日の始まりだ」
僕・木花 開耶の日常、それはとても普遍的で不変。
朝、起きたら学校に登校。昼間は勉強し、夕方には帰宅。夜間は自宅で食事と宿題と睡眠。休日は特に誘いがなければ、自宅待機。
そんなどこにでも在る日常。日々に大きな変化は無い。仮に日本規模の事件が起きたからと言って、僕の日常が一変する訳でも無い。そういう意味では、世界規模の大事件も僕にとっては何の関係も無い出来事、で片付いてしまうのかもしれない。
そんな詰まらない事を考える通学路。ここもまた不変で在り、普遍的な大通りだ。そしてそこを歩く僕や、他の人も同じくらい普遍で不変。
例えば……目も合わそうとしないサラリーマンとか、駅に向かって急ぎ足のOLとか、犬と散歩している老人夫婦とか、ジョギングしている小太りのオッサンとか、同じ学校のどこにでも居る真面目そうな生徒とか。そしてその誰もが、自分の事で精一杯で他人が見えていない事とか。
詰まる所、僕が言いたい事は、此処に挨拶なんてコミュニケーション方法は存在しない、という事。結局、こういう小さな事の積み重ねがこの詰まらない現状を意図せず勝手に創ってしまっているという状況。こうして、世界は新しさを求めなくなった。今まで通りで均衡がとれているから、これ以上に何かを変えたり、取り入れたりする必要がないから。
もう、詰まらないと思う事も詰まらないし、この生活に飽きる事にも飽きた。
(何か新しい事が起きないかなぁ……)
でも、希望は抱き続ける。それが日々を生き抜く糧になると信じているから。いや、正確には僕の妄想という希望だけど……。
大通りを百数十メートル進むと、左側に無駄に大きい建物が見えてくる。それが僕の通う高校・南海市立南海高等学校だ。確か今年が創立三十周年らしい、由緒ある進学校だ。尤も十数年前に起きた大不況のせいで、就職率も上々に成ってきてるらしいけど。
上の空気味に校門を潜ると、背後からよく知る人物の声が聞こえてきた。
「よう、サク」
「あっ、ハル。今、来たとこ?」
「まあ、そんな感じ」
彼は去年から同じクラスで、今は隣の席の友人・神屋 春樹。愛称はハル(因みにサクとは僕の愛称である)。スポーツ推薦でこの学校に入学したせいか、勉学に関しては常に学年最下位を争っている(?)。本人としては毎回のテストを真剣に受けてのその点数なのが、玉にと言うか常に傷。
(まあ、僕も他人の事を言えた義理ではないけどね……)
彼とは大体この辺りで会って、教室まで一緒に向かうのが日常。
「そういや、英語の宿題やったか?」
「いいや、クッシーに見せて貰おうかと思って……やって無いけど」
「だよな。やっぱ、頼れるのはクッシーだけだよな〜」
「じゃあ、さっさと教室に行って写しますか」
「だな」
今、話題に上がったクッシーとは同じクラスにして学年一の天才・櫛灘 夏澄の事だ。彼女とはハルの紹介で去年の五月頃に知り合った。当時の彼女は、入学当初からその頭角を現していたルーキーの一人で皆の注目と期待の的だった。現に今ではテニス部の副部長と、保健委員の副委員長と、クラス代表を教師から任され、噂では次期生徒会長の候補らしい。
それはさておき、教室が見えてきた。すると、ハルが唐突に問いかけてきた。
「なあ、サクは何か部活とかやんないのか?」
「え、急にどうしたんだよ?」
「いや、お前って運動神経、結構良いのに何で部活入ってねーのかなって思っただけ」
「そ、そんな事ないよ」
「そうか? まあ、バスケ部ならいつでも歓迎するからな」
「はは、ありがとう」
ハルは勉強が出来ない代わりに勘が妙に鋭い。人の考えている事を見抜く、まではいかないけど他人の行動しっかりと見ているとは思う。実際問題、ハルの言ってる事が全く間違ってる訳じゃないのが事実だからだ。尤も、まだ他の人には気づかれて無いみたいだから充分に隠し通せるとは思っている。
「おっはよう、皆の衆。宿題は捗ってるか?」
ドアを開くと共にハルが教室中の生徒に呼び掛ける。僕はその後ろに付いて中に入る。
「よう、ハル&サク。ニシー達がもう写し終わったらしいからそっち行けよ」
クッシーの席に群がる生徒その一が、教室の中央付近に座るニシーの席を指さしながら言う。
「バカ、野郎の字なんて下手過ぎて解読不可だってーの」
「もう、それは失礼過ぎでしょ、ハル」
そう言って、クッシー本人が僕達の前に現れる。
「おはよ、クッシー。悪いんだけど、僕もプリント写させてもらうよ」
「うん、別にいいよ」
「俺も!」
「アンタはいつもでしょ?」
教室内に爆笑が生まれる。それに男女差は無く、みんなが笑顔を見せている。これが僕達のクラスの、お決まりのスタートみたいに定着するのには新学期からそう時間はかからなかった。正直、クラス替えの時は少し心配な気持ちも在ったが、それももう何処かに行ってしまった。だって僕達は今、クラスの中心なんだから。
「問いの変数が三であると仮定し、解を求める。ここでは先週やった公式を利用する」
月曜の四時限目の数学。居眠り常習犯は始まって五分と経たずに落ちた。何せこの授業、教師が永遠と教科書の問題を前で時間の限り解き続けるだけだからだ。そりゃ、居眠り常習犯で無くても眠くなる、とはこのクラスの生徒の中では暗黙の了解。寝てしまった仲間は、教師に見つからないようにみんなでフォローし合う団結力までこの二カ月で身に付けた。
(あと……五分。いや、三分か)
時計を確認した僕が三本の指を立て、後ろに合図を送る。それを見て後ろの席の奴等は最後の底力を発揮する。
しかし、僕はもうそんな有り触れたスリルは正直なところ飽き始めていた。もっと新しい何かが起きないか、と最近では窓の外を見る事が多くなった。
――キーンコーンカーンコーン
「おっ、もうこんな時間か。よし、この問題は次回の授業に答え合わせするから各自、解いてくるように。では解散」
そう言い残し、数学教師が教室を出る。そして真横の廊下を歩いて行き、姿が見えなくなると同時に教室中から大きな溜め息が漏れる。
「はぁ、この授業が一番ドキドキするんだよね〜」
「うん、分かる。いつ気づかれるかって思うと目が合うだけでビクビクしちゃうもん」
「それにしても……いつまで寝てるんだろ、神屋くん」
僕がこのスリルに飽き始めた最大の理由は、居眠り常習犯が常に隣に居るからだ。こういうのは偶に発生するから楽しい訳で、いつも発生してたらそりゃ免疫が出来ますって。
「いいよ、ハルは勝手に起きて気づいたら弁当、食べてるから」
「あっ、クッシー。今日はどうする?」
「ハルがこんな状態だから……サク、こっちで食べる?」
「うん、そうさせてもらうよ」
今は四時限目が終わって昼休み。僕は弁当持参組だから教室で昼食を済ます。でも食べる場所は様々で、いつもは僕とハルの席で食べるのだけれど、偶に昼休みになってもハルが寝ている時が在るので、そういう時はクッシーと玉ちゃんの席に行くのだ。
「遅くなってごめんね、玉ちゃん」
「い、いえ。私も今、支度が済んだところなので気にしないでください、木花君」
この玉ちゃんこと豊玉 美七は僕の幼馴染だ。幼稚園、小学校、中学校、高校と全て僕と同じクラスという、ある意味で特別な幼馴染だ。しかしながら彼女について僕が知る事は結構、少なかったりする。弓道部に所属していて、その腕前は副部長になる程、と言う事くらいしか最近では知らない。あと強いて言えば、前髪を目が隠れるほど伸ばしているのは昔からと言う事かな……?
「じゃ、三人揃ったし昼食にしますか〜」
――いただきます
そう交わして、各々の弁当箱を開ける。
「あーっ、玉ちゃんのタコさんウィンナー、可愛い!!」
「あ、ありがとうございます。……お一つどうですか?」
「いいの? わーい、やったー……んー、美味しい〜」
と、クッシーが絶賛の声を上げる。それを聞いたハルがビックリして起きる。それが可笑しくて僕達は笑う。最終的には当人達も笑い出す。
とても微笑ましく有り触れた風景だった。こんな風にいつまでも、どこまでも笑い合える日々が続くと信じて疑わなかった。いや、むしろこの変わらない日々が当たり前に成り過ぎて、他の未来なんて想像すらできなかった。
明日から急に誰かが居なくなる。
日本が戦争を始める。
地球の公転と自転が止まる。
そんなのは非現実的という一言で片付けられてしまう程、僕達の世界は平和で平凡で不変で普遍的だった。しかしこの世界の誰もが心の奥深くで刺激を求めているに違いなかった。ただ表に出さないだけで、声に出さないだけで、誰にも打ち明けないだけ。なぜなら此処が日本だからだ。
――出る杭は打たれる
正に日本という国を説明するのにピッタリな言葉だ。この国の国民はきっと無意識下で、誰かに合わせている。と言うのも、そうする方が楽に生きていけると知っているからだ。人間、誰しも苦労なんてしなくていいのなら、したくないと思っている。若い頃の苦労は買ってでも……、という言葉も在るが、それは若かりし頃を振り返って思う事で、僕達にはまだ早過ぎる。だって僕等はまだ後悔を知らないのだから。
「サク、サク? お〜い、大丈夫か?」
「……えっ、ハル? どうしたの?」
「どうしたの、じゃねえーよ。何か今日は妙にボケっとしてるぞ」
「……そ、そうかな」
「何か悩んでるなら、俺にバシバシ相談しろよ。俺は恋愛の神様だからな」
「ははは……」
(僕の悩みは恋限定なのか……)
苦笑いを浮かべ、弁当に視線を落とす。そして黙々と箸を進めた。そんな僕の周りにはやっと起きたハルも揃い、いつものメンバー(主にハルとクッシー)が他愛も無い話を絶え間なく続けた。その話を聞いて、笑って、怒って、止めて、また笑う、そうして昼休みは過ぎていった。
――キーン、コーン、カーン、コーン
「じゃあ、今日はここまで。後は各自、解散で」
教師はそう言い残し、足早に教室を去っていく。まあ、特に目新しい事でも無い。
「はぁ〜、やっと終わった〜」
「そうね。後は部活、出てー、家に帰ってー、テレビ見ながら宿題やってー……」
「ねぇ、今日の放課後、街に行かない?」
「モチ! 私も誘おうと思ってたんだぁ。新しく出来た……」
「明日って何か在る〜?」
「あー、そういや日本史が小テストとか言ってなかったか? アイツ、テストばっかりで……」
そして、こんな声が飛び交う教室も至って普通。むしろ、みんないつも同じ事の繰り返しで飽きないのか不思議な程だ。
「お〜い、サク。掃除、行くぞー」
ふと横を見ると、隣に居たはずのハルが廊下から僕を呼んでいた。まあこれも特に珍しい事ではなかった。
ハルは知っての通り勉強は全くダメだ。その代わり、と言っては何だがスポーツ、特にバスケットに関しては右に出る者が居ない程の実力を持っている。そんな彼の学校生活での楽しみは放課後の部活だ。そしてその大好きな部活に行く為には、沢山の(ハルにとっての)障害が在る。まずは午前の授業。次に午後の授業。最後に掃除だ。
この南海高校は他の高校と比べて綺麗な部類だが、その裏には生徒や教師の弛まぬ努力が在るのだ。まずは毎日の清掃。次に厳しいゴミの分別方法。それと廊下の至る所に設置されたゴミ箱の数。そして最後に定期的な大掃除。これはもう伝統であり、この高校では当たり前に成っている。だからこの高校では掃除は如何なる理由でもサボる事は出来ない。そして何よりも掃除は優先されるのだ。
「はいはい、今、行くよ」
そして僕はその伝統に渋々従う。いや、従わざるを得ないのだった。郷に入っては……ってよく言うけれど、正にその通りだと入学当初から(口には出さないけど)僕は常々、思っている。
しかしながら、愚痴を零したところで、言葉に出さない限り誰にも伝わらないし、現状が一変する訳でも無い。それに僕達の掃除場所は他と比べればわりと良い方だ。何って言ったって僕達の掃除場所は、ほぼ全ての学校が進入禁止エリアとする屋上なのだから。
「……それにしても、俺達よくまた同じクラスになれたよな?」
屋上へ向かう道中、唐突にハルがそんな言葉を漏らした。
「何、今さら言ってんの? それは普通クラスが発表された時に言うでしょ?」
と、速攻でツッコミを入れるクッシー。その隣を静かに付いて行く玉ちゃんを横目に、僕はハルと並ぶ。
「ホントに急にどうしたんだよ?」
「いやさ、こうやって四人で楽しく過ごせるのっていつまでも続かねえーのかなあ……ってさ」
ハルの予想外な発言に一同は言葉を失った。それ以前の問題で、当の本人がいつもと寸分違わぬ調子で、発言していた事に僕達は驚きを隠せなかった。
僕の中でハルと言う人物は、常日頃から寝ているか、遊んでるか、バスケットしているか、バスケットの事を考えてる人間だった。それが今、突拍子も無く覆ろうとしている。それと同時に僕の中でこの現状を受け入れようとしない自分が居た。
「えーっと、ハル……酔ってる?」
ハルの予想外な発言に対する僕達の第一声はクッシーによって代弁された。
「酔ってねえーよ! マジだよ、大マジだよ!」
その反論をクッシーが「はいはい」と軽く受け流し、この話は終わった。
しかし本当にこんな単純に終わって良いのだろうか、という気が少しした。だけど、言葉で表せない感情を伝える手段も勇気も僕には無かった。だから僕は沈黙を貫き、いつもと変わらない日々を送った。それが僕に出来る唯一最善の行動だと、何故か自信が持てたから。と言うのは建前で、実際は単純に面倒臭かったからだ。やっぱり僕も後悔を知らず、楽をして生きていきたい人間の一人だった。
屋上、南館の階段を上り切った先に在る、薄い扉と厳重な鍵で隔たれた空間。そこがどんな所か知っているのは校内でも数少ない。しかし、そんなのは知っていても何の得にもならないのが事実で在り、現実だ。だから僕達はこの掃除場所が決定した時、面倒な場所を押し付けられた、と即座に思った。
僕達のクラスが在るのは北館三階。屋上が在るのは南館四階の先。言葉にすれば近く感じるかもしれないけれど、実際はすごく遠い。
まず、屋上の鍵を南館一階の職員室に取りに行かないといけない事。
次に、一階と三階に渡り廊下が無い事。
最後に、北館から南館に行く為には、東館か西館を通らなければいけない事。
以上の事から、屋上までの道のりがすごく遠い事はよく分かっただろう。因みに徒歩約十五分で着く。
「はあ、やっと着いたぜ」
溜め息交じりでハルが漏らす。流石のスポーツマン(僕以外は全員運動部)でもこの距離は応えるらしい。みんなのテンションが歩き始めと比べて、落ちているのは言うまでも無く明らかだった。
「ふぅ、じゃあ、さっさと終わらせますか」
僕はみんなを元気づける意味も含めて、前向きな発言をした。
「それも、そうだな。……んじゃ、クッシー、鍵」
それに疲れの混じった声でハルが応じる。
「うん……っと、開いたよ」
その言葉を合図に、ハルがドアノブを回し押し開ける。すると外の光が差し込み、僕達を赤く照らした。そう、もう空は夕焼け空だった。
「わー、キレイな夕焼け」
屋上へと一番に出たクッシーが感嘆の声を上げる。その後に続いて僕達も屋上へと出る。そんな僕等の目の前には、夕焼けに照らされた街の景色が静かに広がっていた。
「うわあ……すげぇ……キレイだ」
「はい、とても綺麗……です」
「うん。凄く綺麗だ」
――綺麗
その言葉以外でこの美しさをどう表現すれば良いか、僕には分からなかった。いや、きっとこの場の誰もがこの言葉以上の言葉は知らなかっただろう。僕等は掃除の間、気づけば景色に見惚れていた。そのせいか、いつもより掃除の終わるのが遅れてしまった。
「あーっ! もうこんな時間!」
携帯を見たクッシーが驚きの声を発したのは、掃除が終わって間も無くの事だった。
「どうしたんだよ、クッシー?」
ハルが不思議そうに尋ねる。そこで僕と玉ちゃんはクッシーの言った言葉の意味を理解した。
「どうしたって、ハル……だ〜い好きな部活の始まる時間は何時何分?」
意味深な口調でクッシーがハルに問い返す。
「は? バスケ部は毎日、四時半から練習開始だぜ……」
ここまでヒントを出しても気づかないハルもハルだが、素直に教えてあげないクッシーもクッシーなのかもしれない。要するにどっちも悪いでしょ、って訳。
しかしながら、その現状を分かりつつも教えない僕も僕だし、その隣でおろおろしている玉ちゃんも……まあ、玉ちゃんかな。要するにみんな悪いでしょ、って訳。
「で、結局のところ何が言いたいんだよ?」
ハルが改まった口調でクッシーに問い返す。
「はい」
そう言って彼女は右手に持っていた携帯を彼に見せる。
――十六時四十五分
正確にはアルファベットのPとMの後に続いて四桁の数字が並んでいたのだが、細かい事は気にしない。
「えっ、えええええええっ!」
漸く事の重大性を理解したハルが驚愕の声を上げる。その声は夏の訪れを予期させる、自棄に眩しい夕焼け空の下を不様に木霊した。
「……はあ」
ふと、僕はやれやれと言う風に溜め息を吐いた。と言うのも、さっきからクッシーは何故か誇らし気に胸を張ってどこか遠くを眺めてるし、玉ちゃんはさっきよりもおろおろして慌てふためいてるし、ハルは暴走して屋上内をさっきからずっと走り回ってるからだ。
この収拾のつきそうも無い状況に、軽く目眩がしてきた。
(それにしても、ホントにどうしたものか……)
このメンバーとの付き合いも今年で一年とちょっとに成るけど、こんな事態に陥ったのは初めてだった。まず問題視する点として、ツッコミ兼まとめ役のクッシーが行動不能(?)に成っている事だ。いつもなら暴走したハルを止めるのは僕では無く、付き合いの長いクッシーの役割なのだ。しかし現在もハルの暴走は継続していて、クッシーはそれを知って居ながらも、どこかを眺めるように空を見ているばかりだ。玉ちゃんはこういう時は大抵おろおろしているから、まあいつも通りと言えば、いつも通りだ。けれど、こういう不祥事には責めて冷静に判断する側について貰えると有り難いのだが……まあ、無理だろう。
(さて、優先順位を明確にしよう。まずはクッシーの復活、次にハルの停止、最後に玉ちゃんの鎮静、と言ったところか……?)
考えは何となくまとまったが、具体的に何をすればいいのかはさっぱり分からない。とりあえず、話し合いで解決できればそれが一番だろう。と言う訳で、クッシーの元へと行く。
「クッシー、おーい、クッシー?」
「ん? どうしたの、サク?」
言い方が悪いがクッシーは正気のようだ。
「えーっと、その、ハルがさ……暴走してるんだけど」
「ああ、アレね。まあ、いつもの事だし放って置いても良いかなあ、ってダメ?」
訂正しよう、春の陽気がみんなを(クッシーも含めて)狂わしているようだ。
「こんなの、クッシーらしくないよ。いつもみたいにビシッと決めようよ」
「そう? わたしはこういうのもアリかなあ、って思うけど」
(クッシーの様子が明らかにおかしい!)
その様子は宛ら五月病にかかった人のようだ。いやいや、もう六月だし。ってか、それどころじゃないし。ああ、もう一体どうすんだよ!
頭を抱える事、数十秒。意外にもあっさり結論に辿り着いた。
「じゃ、僕もう帰るから」
右手を軽く挙げた後、みんなに背を向け全力疾走。
逃走、もとい現実逃避。一番の解決策にして最も楽な方法だ。って言うか、もう僕の手には負えません。だからこれで良かったんだ。きっと良かったさ。と、自分に言い聞かせ廊下を疾駆する。
それはさて置き一先ず、明日会ったら謝ろう、と固く心に誓った。
屋上を飛び出した僕は、みんなを置き去りにした罪悪感と自分のとった行動を無意識に正当化しようとする心の板挟みに遭っていた。
(仮にあのまま、僕が残っていたとしても何も変えられないし、クッシーもハルが暴走を続ければ嫌でも止めに入らないといけないって分かるだろうし、でも帰ったのは不味かったかな……)
そんな事を一人、誰も居なくなった教室で悩んでいた。
「よう、サク。まーた、夢の少女でも探してんのか?」
「うん、まあ、そんなところ」
「程々にしけよ、もう外部とか始まってるし」
「分かってるよ。帰宅部はさっさと帰りますよ〜」
あっそ、と手を振り消えていく友人その一。
「さて、っと。僕も帰りますか……」
そこから先は……まあ、ご察しの通りです。
――夢の少女との衝撃的な再会(と言うか出会い)
「えーっと、失礼だけど君、名前は?」
僕が夢の少女に訊きたかった事の一つを尋ねる。彼女は軽く息を吸ってから一息で答えた。
「瓊瓊杵、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命です。長いので瓊瓊杵とお呼び下さい」
ヤバい、それが率直な感想だった。まさか、夢に現れる(超美系でお姫様のような服を着た)少女が電波さんだったなんて、(冗談じゃ無くて)夢にも思わなかった。
(さて、どうするべきだ。壱、聞かなかった事にして次の話を始める。まあ、無難なところだな。弐、ツッコミを入れる。もしかしたらツッコミ待ちかもしれないしな。参、帰る。これもアリ……かな?)
言い淀んでいる僕を見兼ねてか、彼女の方が先に口を開いた。
「あの、佐久夜様で間違いありませんか?」
「は、はい。僕は木花 開耶で間違いないけど……」
「ああ、そうでした。こちらでは開耶様でした」
何と言うか分かりづらいだろうけど、彼女の言う「サクヤ」と「さくや」の違いは全く分からない。発音が違う訳でも無ければ、漫画みたいに吹き出しが出てる訳でも無いし。そうして行き着くところは結局、彼女が電波さんだと言う疑惑だ。
僕がそんな事を考えているとは露も知らず、彼女は語り出した。
「これから始まる事はもしかしたら受け入れ難い事かも知れませんが、どうか無理に受け入れずに順を追って理解していってください。そして、時が来るまで開耶様は普段通りの生活をしていてください。それが私の望みであります」
ヤバい、ヤバい。何だこのもう巻き込まれてる感、満載な会話は! 順を追ってどころか、まずスタートの位置にも着いていないんじゃないか? と、思える程、身に覚えが無い。けどまあ、こういう類の人は否定される事を酷く嫌うから、適当に合わせて置くのが無難な解答。と言う訳で、言葉の意味も理解しないまま僕は頷いた。
「良かった。開耶様は昔から強情なところが在ったので、了解して頂けるか不安でしたが、快く承諾して頂き、感激です」
勝手に感極まっている少女を横目に、僕はどうしたら逃れられるかひたすら思案していた。
――それから間もなく……
嵐のように現れた少女は、嵐のように去って行った。ホントにあっさりと。
「ん、この気配は。……では開耶様、私はこれで失礼致します」
何を思い立ったのか、どこか遠くを見つめ、駆けて行った。当然、僕は止めなかった。お好きなように、と言わんばかりに手を振って、送り出してやったさ。そしてもう二度と会わない事を願った。
読んで頂き、ありがとうございました。
ご意見、感想などあればよろしくお願いします。