息子が彼氏を連れてきた! Short stories
『息子が彼氏を連れてむきた!』シリーズの後日譚とか裏話的なエピソードをいくつか作ってみました。
『Short stories』としておきながら、ちょっと長くなってしまったものもあります。過去作をお読み頂いた方には入りやすいと思いますが、本作だけでも何とかお読み頂けるようにしたつもりです。話によって時間が前後するので、時系列がわかりにくかったかもしれません。今回初めて暁人と実央に語らせて、BL味を強くしてみました。
1 綾乃の初恋
「それは大変だったわねえ」
実和子さんはお茶を入れながら、ちょっと笑いを含んでそう言った。私・広瀬綾乃は今明石さんのお宅の居間でくつろがせて頂いている。私は20代、実和子さんは40代とちょっと年齢差はあるものの、二人はまあ、親戚づきあいというか?同好の士というか?そんな絆で結ばれた仲なのだ。話をする時もタメ口でOKになっている。
親戚づきあいとは、私の上の弟暁人と実和子さんの一人息子の実央君がお付き合いをしているからだ。二人は大学の先輩後輩で、暁人の方は昨年社会人になったが、順調に交際を続けている。「順調に」とは言ったがそれはあくまで二人のことで、周りはそうでもない。
もっとも問題があるのはうちの母だけだ。私と実和子さんは初めから二人のことを熱心に応援している。実央君のお父さんは積極的に応援とはいかないものの、見守り中という感じ。現在アメリカ赴任中の父も「本人がいいならOK」というスタンス。下の弟の篤紀も現在実央君と同じ大学で学部も学科も同じ、年は実央君より一つ下だがまあまあ使える。ちょっととぼけた男子だが、兄の役に立とうと奮闘しているようだ。
「それで、職場の方は大丈夫なの?その後も気まずいまま?」
「うーん、気まずいと言えば気まずいんですけれど…新しい妄想対象が増えたから」
「アラアラ」
実は私が今実和子さんにしているのは、去年の夏ごろの話。去年の夏から秋にかけては色々あり過ぎて、話しをするのをすっかり忘れていた。色々というのは
①7月母が暁人と実央君を別れさせようとお見合いを仕組む。私がそれをぶっ壊す。
②実央君の周辺にアテ馬登場というおいしい…じゃなくて、ただならぬ展開。篤紀に気を配るようにお願いする。
③10月末実央君が大学で足を捻挫。暁人が病院に連れて行く。篤紀に実央君のサポートをお願いする。
④11月末実央君の所属する研究室で箱根に2泊3日の研修旅行があったが、実央君の足は完治していなかった。そのため暁人は有休を取り、実央君を車で送迎して同じホテルに宿泊。ついでに篤紀も付いて行く。私は事の真相がばれないように、母を監視。
⑤暁人がホテルから送ってくれた最中アイスが美味だったので、ネットで追加注文。
と、こんなところだ(綾乃が頑張ったのはほぼ①だけです。説明には正確でない表現があります)。
実和子さんが「大変だったわね」と言ったのは、私の職場での話である。ぶっちゃけると私と実和子さんは腐海の住人(沼ともいう)、つまり腐女子なのである。ご存じでしょうが腐女子とはBL大好き女子のこと。こんな事情?もあって暁人と実央君のことは当初から熱烈歓迎…じゃない、熱烈応援しているというワケだ。もちろんアレですよ、家族としての情愛が大前提になってますよ。そこは間違えていませんからね。
現在私は某IT関連の会社に勤めているが、日々のささやかな楽しみは職場での脳内BL妄想。ちょっといいなと思う男性社員を勝手にカップリングして妄想して楽しむのだ。学生時代にも同じようなことをしていたので、年季が入っている。去年は営業部のモテ男田中さんと経理の水無瀬さんで脳内BLを楽しんでいた。自分では上手にチラ見していたと思っていたのだが、一度後輩の千里ちゃんに気付かれてしまった。「田中さんが好きなんですか?」と言われて、もちろん否定して以後は気を付けていたハズ…なのだが…。
ある日の残業後、私は田中さんに食事に誘われてしまった。前述①の件がうまく片付いて気が緩んでいたのだろうか。田中さん自身に私のチラ見が気付かれて、「自分に気があるのでは」と勘違いさせてしまった。いや、だいぶ前から気付かれていたのかもしれない。さっきも言ったが田中さんは社内で女性社員にモテている。それなのに恋人を作らないから、私も妄想する余地があったのだ。それが回り回って自分のところに着地するとは思ってもいなかった。
食事は口実で私のことを意識しているとまで言われて、当然焦った。焦った私は「社外に交際している人がいる」なんていう大ホラを吹きその場をやり過ごしたが、この一件を見ていた奴がいるらしく、翌日にはほぼ社内中に噂が広まっていた。千里ちゃんからは彼氏の写真を見せろと言われるし、他の女子社員からは冷たい目で見られるし…私があまりにも頑なに写真を見せないものだから、よほどの不細工か不倫か実在しないのではとか(※当たり)散々言われてしまった。
でもね、告白騒動のすぐ後に楽しいこともあったのよ。関西から営業部に若い男性社員が異動してきて、「カワイイ」と女性社員の間でちょっとした話題になった。お互い気まずい思いをして顔を合わせたくなかった田中さんには申し訳なかったが、私はすぐに営業部に行って彼を確認、なるほど、確かに「年下ワンコ」の素質はありそうだ。
彼は名前を弘田君という。関西弁がとても愛らしい。営業部トップの田中さんが教育係として弘田君に色々教えている。当時は新卒2年目で基礎的なことはすでに学んでいたようだが、関西と東京では勝手が違うことも多いだろう。彼らのツーショットはなかなか楽しかった。
(水無瀬さん、気になるだろうなー)(※綾乃の妄想です)
「たまーにですけどこの3人が一緒になる時があるのよ、もう妄想が捗って捗って…」
「綾乃さん…妄想が楽しいのは私もよーくわかるけれど、それはそれとしてご自身の恋愛は考えないの?」
実和子さんはちょっと言いにくそうに聞いてきた。
「うーん、私自身のこと?別に避けてきたわけじゃないけど…」
実和子さんだって匠さんと結婚して実央君が生まれたのだ。腐女子生活も継続しながらね。
「ざっくり言うと学生時代は告白とかされても全部『ゴメン!』で済ませてきたな」
「そう…」
「社会人になってからは『すみません、ちょっと…』でごまかしてきたかな」
「ゴメン」が「すみません」に変わっただけだ。
「なんだかもったいないわねえ、贅沢に見えちゃうわ」
「田中さんの時はこちらが誤解を与えてしまったので、ちょっとややこしいことになっちゃったけど」
「無理に話さなくてもいいけれど、男性とお付き合いしたことは?」
「ないわ」
即答。だって中学以降腐女子生活が楽しくて、他に気持ちを向けるのなんて時間の無駄だった。
「デートしたことは?」
「デートねえ…」
私は遠い記憶を呼び覚ましてみた。
「そういえば高校の時一度だけ男女3人ずつでテーマパークに行ったことがあったわ」
私は思い出しながら実和子さんに話し始めた。
―若かりし綾乃の思い出―
高2の夏休みだったかな。仲の良かった圭ちゃん(女子)に誘われてテーマパークに行ったのだ。正直最初は気乗りがしなかった。
「男子たちがね、綾ちゃんに声かけてほしいっていうのよ」
「うーん…」
「男子は牧野君と落合君と本田君で女子は私と綾ちゃんと…あと舞ちゃんを誘ってみようと思ってて」
圭ちゃんは腐女子ではなかったが、当時仲のいい友達だった。愛美はクラスが別だしな…
(牧野君と本田君か…)
この二人はその頃私がよく脳内でBL変換していた二人だった。おいしい絵面が見られるかもしれないと思った私は、
「行ってもいいよ」
と圭ちゃんにOKした。
「ほんとに!?男子たち喜ぶよー」
そういうわけで私たちは夏休みで混雑するテーマパークに足を運んだ。みんなでわいわい喋っていると暑さも待ち時間も、さほど苦には感じなかった。それに時々男性の二人連れを見かけると
(テーマパークに男の二人連れって…もしかして…)
と、想像を逞しくしていた。そして二人ずつ乗り物で巡るホラー系のアトラクションに並び、そろそろ順番が近づいてきた時
「組み合わせどうしようか」
と本田君が聞いてきた。それまで絶叫系アトラクションとかには係員の指示で適当に乗っていたのだが、今回は暗い中で二人だけ…というシチュになるので確認してきたのだ。
「やっぱり男女で乗ろうよ、グーパーで決める?」
落合君が提案してくる。えー、男女で乗ってもなあ…面白くもなんともない。
「私圭ちゃんと乗りたーい」
舞ちゃんにはちょっと悪いなと思ったのだが、私は圭ちゃんの左腕に両腕を絡ませ一同を見た。
「えっ、でもそれだと数が…」
牧野君が困惑したように言う。
「綾ちゃん、みんな綾ちゃんと乗りたいんだよ」
圭ちゃんが私に小声で囁く。そんなの知るか。私は勝手に仕切り始めた。
「落合君と舞ちゃん、本田君と牧野君、私と圭ちゃんで乗ろう。ホラ、もう順番が回って来るから進んで進んで!」
揉めるのもいやだったのか、みんな不承不承前に進んでカートに乗り込んだ。ホラー系だったので周りが暗く、残念ながら男子二人の様子はよくわからなかった。その日は微妙な空気で解散したが、これには後日譚がある。唯一男女の組み合わせで乗った落合君と舞ちゃんは、それをきっかけに親密になり付き合い始めたのだ。しかもその後も順調に交際を続け、なんと大学卒業後数年でゴールインした。
え、私ってスゴクない?私の思い付きが二人の人生を決定させたんだよね?
「ありがとう、綾ちゃんのおかげだよ」
当然のことながら舞ちゃんにはいたく感謝され、結婚式にも招待され、「縁結びの女神」としてスピーチまで頼まれてしまったのだ。自分のカンの良さに自ら感心し、当時は真剣に結婚相談所に就職しようかと思ったほどだ。ちなみに本田君と牧野君がその後どうなったのかは、定かではない(※どうにもなってないと思います)
―若かりし綾乃の思い出 終わり―
「と、まあこんな事があったのよ」
「そ、そうなの…綾乃さんはキューピッドになったわけね…それで綾乃さん自身は」
「え、なんにもないけど」
「そんなにキレイなのに…ある意味ホントに『高嶺の花』ね…そうはいっても初恋くらいはさすがにあるでしょう?いつだったの?」
実和子さんはそんな話を振ってきた。
「初恋?」
初恋かあ…すぐには思い出せなかったので、
「ちなみに実央君はいつ頃」
と、聞いてみた。
「実央?実央はね、よくある話だけれど、幼稚園の時の先生で」
「男の先生!?」
私は前のめりで聞いてしまった。
「いや…さすがにそこは若い女性の先生だったけれど…」
実和子さんはちょっと呆れている。まあそうか、暁人も実央君もノンケ同士でくっついているから、そりゃそうだよね。
「そういえば」
実和子さんはいきなりクスクス笑い出した。
「幼稚園で思い出したんだけど」
「何?」
「入園式の時ね、面白いことがあったのよ。実央の近くにいた男の子がいきなり大泣きしちゃって」
「え、なんで?」
「園児も保護者も先生もみんなびっくりしてその子に理由を聞くと、『実央ちゃんとケッコンできない〰』って」
「アラ、それって」
「その子はね、実央が女の子だと思ったらしいのよ。『カワイイ』って思ってくれたのかしらね。それでお嫁さんにしたかったんですって。だけど各組に分かれて自己紹介する時に実央が男の子だってわかって、ショックだったみたい」
ナルホド、その子は小さいながらに男同士じゃ結婚できないってわかってたんだ。園服なんて長いからスカートか半ズボンかなんてよくわからなかったんだろう。初恋を自覚したら即失恋て…トラウマにならなきゃいいけどね。実央君てそんなに小さい時から「魔性の男」だったんだ(※綾乃の主観です)。前に見せてもらった実央君の幼少時の写真は、それはそれは愛らしかったからな。
BL漫画でも似たような展開はありがちだ。男同士じゃ結婚できないと知らなかった子供たちが「大きくなったらケッコンしようね」と約束したり、女の子だと思ってプロポーズして成長して再会したら男でしたって話とか。さすが実央君、と思ったその時明石家のインターホンが鳴った。実和子さんが応答する。
「明石さーん、回覧板持って来たわー」
インターホンから明るい声が聞こえてきた。実和子さんは「今行くわ」と答えたが、
「ご近所さんなの。回覧はポストに入れてくれればいいって言ってるのに、話好きだからいつもこう。なるべく早く切り上げてくるから、ちょっとごめんなさいね」
ため息をつきながら、私に謝った。
「気にしないで、どうぞ」
私は実和子さんを促して、自分の初恋について記憶の糸を手繰り始めることにした。
初恋、初恋かあ…小学校…幼稚園…ん?幼稚園の時に何かときめいた記憶があるような気がする…なんだっけ…私って案外昔のことは忘れちゃう方だからなあ…。でも何か印象的な場面があったような気がして、必死に思い出してみた。
―綾乃、幼稚園時の回想―
(あれは…お遊戯会…違うな、運動会の練習?)
幼稚園の庭でそら組とかはな組とか組ごとに分かれて何かの練習をしてたんだな。確か同じ組の男の子がちょっと離れたところでコケて、ベソかきだしたんだ。名前なんて忘れているが、可愛い顔した男の子だった気がする。ビジュアルの記憶が定かではないので、幼少時の実央君の顔に変換させてもらった。
(私は手にボールか何かを持ってたな。それでその子がコケたのに気が付いたんだけれど、離れたところからどんくさいなーって眺めてたんだっけ)
そこで手を貸さなかった自分も大概冷たいなと、5,6歳の時のことを反省した。幼稚園の時のことなので時効にしてもらおう。それでそれから…そうだ、同じ組の男の子(やはり名前は忘れた)がコケた子に気が付いて、駆け寄ったんだ…。そちらの顔は自動的に暁人の幼少時の顔に変換された。駆け寄った子は屈んでコケた子の園服の汚れを払ってやった。そしてポケットからハンカチを取り出すとその子の涙を拭いてやっていた。コケた子は涙を拭いてくれた子の肩に手を置いて、「ありがとう○○君…」ともう一方の手で涙を拭きながらお礼を言っていた。
思い出した。当時は「きゅん」なんて言葉も感覚もわからなかったけれど、あの時確かに私は「きゅん」としてた!そのうち助けてあげた方の子は、コケた子が膝を擦りむいているのに気が付いて、さすがにどうしていいのかわからずに周りをキョロキョロし始めた。そうだ、それでやっと私は近くにいた先生に声を掛けて、「せんせー、△△君が転んでケガしたー」と知らせたんだったわ。
「あらー、大丈夫?洗って手当てしようね」
先生がコケた子を連れて行く時も、○○君は一緒にいてあげていた。コケた子は後ろから○○君の背中に手を回し、その子の園服をギュッと握りしめていた。その後姿を、その握りしめた手を見ていた私は確かにときめいていた…あれが私の初めての「萌え」体験…
―綾乃、幼稚園時の回想 終わり―
「あれが私の初恋…」(※違うと思います)
「えっ、なになに、思い出したの?」
ご近所さんに解放された実和子さんが戻ってきていて、興味深げに聞いてきた。そしてまた、私は実和子さんに昔語りをするのだった。
おしまい
2 あの日の二人
その日、俺は少しだけ残業をして同僚の岩城と飲みに出かけた。金曜日に出遅れたこともあり、いつも行く飲み屋街の店はどこも混んでいた。諦めて帰っても良かったが、今日は飲みたい気分だった。最近実央が冷たい。いや、冷たいわけじゃないが会える日が少ない。明石実央は大学の二つ後輩で、学部は違うがサークルで一緒だった男子学生。そして俺・広瀬暁人の最愛の恋人だ。
俺と実央が出会ったのは俺が大学3年で、実央が同じK大に入学してきた時だ。その日は部活動やサークル活動、県人会なんかが新入生勧誘に繰り出す日だった。俺は友達に誘われて入った温泉研究会のチラシ配りを任された。
「広瀬君は顔がいいんだから、女の子にたくさん声を掛けてね」
女子メンバーにそんなことを言われて気が重かったが、歩いてくる新入生を見つけては「どうぞ」とチラシを配っていた。
(あ、可愛い子がいる)
桜の花が散る中で、一人の学生が目に入った。可愛い?確かに可愛かったが、その学生はどう見ても男子だった。別に「女と見紛う美少年」という感じではない。それでも俺はその子から目が離せなくてチラシを渡した。それが実央だった。
「あ、ありがとうございます」
「よかったらお試しでもいいから来てみてよ。時々温泉に入りに行く、ユルいサークルだから」
「はい」
他の人にはチラシを渡すだけだったのに、実央にはそんなふうに声を掛けてしまった。実央はサークルに入ってくれた。それまで俺は大してサークル活動には熱心ではなかったのに、実央が入ってからは毎日のように顔を出して、実央が来てくれた日は二人で話すことが多くなっていった。
…まあ俺と実央の馴れ初めはこんな感じだったが、紆余曲折あって晴れて恋人同士になった。
現在俺は社会人2年目、同期の岩城と大室精密本社営業部で頑張っている。ちなみに今は営業部に所属しているが、いずれは製造関係か、できれは研究・開発関係の部署に行きたいと思っている。岩城は冗談半分だろうが、「秘書課もいいな」なんて言い出している。
実央は今年4年生でもちろん去年から就活が始まっている。ただ俺は理工学部、実央は経済学部とジャンルが違うせいか、実央はあまり俺に就活相談とか進捗状況の報告とかしてこない。俺が聞いても毎回「なんとかやってます」というだけだ。具体的な企業名を知っても落ちた時にきまりが悪いだろうから、俺もしつこくは聞かなかったのだが…。
それにしたって少しくらい話してくれてもいいじゃないか。なんだか俺一人がやきもきしている。弟の篤紀が実央と同じ学科で同じ研究室に所属しているからそれとなく聞いてみるのだが、「わかんない」という答えしか返ってこない。俺は実央の卒業を待って一緒に暮らそうと思っているから、物件を選ぶ場所だってそろそろ絞りたいのにそれもできない。そんなこともあって最近ちょっとイラついていた。おそらくその気配を察したのだろう、岩城が「飲みに行こう」と誘ってくれたのだ。
岩城はいいやつだ。採用面接の時も同じグループで、その時から俺に同性の恋人がいるのを知っているが態度を変えなかった。正直同じ部署に配属された時は嬉しかったし、心強かった。俺の恋人の噂が社内に広まった時も、ずっと味方でいてくれた。俺のプライベートを漏らした面接官に、食って掛かって周りを驚かせた男だった。その時は岩城が解雇になったら俺も辞表を出そうと思ったくらいだが、幸いそこまで大事にはならなかった。
男同士の交際で悩んでいた俺をミックスバーに連れて行ってくれたのも、岩城だった。女遊びがハデそうなのは玉に疵だが、とにかくいい男なので俺は信頼している。今夜俺を飲みに連れ出してくれたのも、ありがたかった。
「おっ、あそこ空いたんじゃねえか、行こうぜ」
岩城は少し離れた店からグループ客が出てきたのを見つけて、俺をそちらに引っ張って行った。見れば大学生らしい連中が、2次会の相談をしているようだったが、その人影に近づいたとき思わず
「あっ」
と声が出た。実央だ。弟の篤紀もいる。
「兄貴!?」
「暁人さん!?」
「実央!?篤紀も…」
実央の声を聞いて思わずハグしそうになるのを抑えたが、次の瞬間とんでもないことに気が付いた。
「実央君、すげーイイ匂いー」
男子学生の一人が実央に後ろから抱きつき、頬を摺り寄せてそんなふざけたことを言いやがった。弟が慌てて引きはがそうとしたが、そいつは酔っぱらっているらしく
「えー、だって実央君いいニオイなんだもーん、ところでダレー、あー、篤紀のお兄ちゃんー?」
と、同じセリフを繰り返した。実央の匂いを嗅いでいいのは俺だけだぞ(※かなりアブナイ発言です)。
それに頬ずりするとは何事だ!俺だって最近あまり実央に触れられていないのに。
「広瀬…」
岩城が何か言いかけた。以前実央の写真を見せたことがあるので、状況を理解したんだろう。
「実央!!」
俺は実央の手首を掴むと勢いよく引っ張った。そして元来た方へと二人で引き返していった。俺の勢いに驚いているのか、実央は一言も発せず必死に歩調を合わせている。5月後半の風はまだ少し冷たかった。
(どこか二人きりになれるところ…)
周囲を見回したが繁華街を抜けた辺りにはラブホしか見当たらなかった。
お互い実家暮らしだから家で…というのはさすがに気が引けた(※何が?)。見栄を張るわけではないのだが、俺は実央と二人きりになってその…そういうことをする時は普通のホテルを使っていた。なんとなく実央をラブホに連れて行ってそういうことをするのは抵抗があったというか、俺自身がしたくなかったというか(※目的は同じです)。ホテル代は素泊まりでも今時バカにならない。去年俺の誕生日に姉が「遅れた分上乗せ」とか言ってプレゼントにプラスして現金をくれた。俺も働いているからいいと言ったのだが、「実央君とのデート代の足しにして」とかいって渡してきたので、ありがたく受け取った、まあ「食事代」とかのつもりでくれたのだろうが、ホテル代にも使わせてもらっている(※ホテル代として渡しています)。
さすがに実央も周囲の雰囲気に、恥ずかしそうな顔をしている。若い男が二人、手を繋いでラブホ街にいるのでチラチラこちらを見る人もいた。
「ラブホでもいいか、実央」
俺に聞かれて実央はちょっと驚いた顔をしたが、無言でコクリと頷いた。
(カワイイ、今ここでキスしたい)
という気持ちを抑えて、俺は比較的落ち着いた雰囲気のホテルを選んだ。
「あの…男同士でも入れるんですか?」
実央が小声で聞いてくる。
「ダメなところもあるらしいけど、ここは大丈夫そうだ」
俺たちは手を繋いだままホテルの一室を選んで入った。
先に実央がシャワーを浴びている間に、俺は実央のお母さんの実和子さんに連絡を入れた(一緒にシャワーを浴びたい気持ちもあったが後で一緒に風呂に入ろう←※かなり浮かれています)。
「もしもし。あ、お母さんですか?はい、暁人です。ご無沙汰しています」
こんな状況でも礼儀正しく、筋を通してしまうのが自分らしい。
「はい、すみません、実央と出先で偶然会いまして…その…今夜は泊まることになると思います。明日の朝にはちゃんと送り届けますので」
俺は直接話す時は実和子さんのことを「お母さん」と呼んでいる。実央のお母さんは俺にとってもお母さんだ。実和子さんと俺の姉はとても仲が良く、俺と実央のことを打ち明けた当初から全面的に俺たちのことを応援してくれた。てっきり反対されると思っていた俺は、拍子抜けしたくらいだ。お父さんの方はさすがに最初は「受け入れられない」という感じだったが、今では「見守る」というスタンスになってくれている。
反対しているのはうちの母だけだ。母だけはいまだに俺たちのことを認めようとしない。去年の夏には、俺たちの仲を裂こうと見合い工作をしたくらいだ。これについては姉の助力もあり事なきを得たが、また何か仕掛けてくるのではないかと内心気が気ではない。(※『弟の恋の話』参照)
「シャワー、お先でした」
バスローブ姿の実央が髪を拭きながら浴室から出てきた。
「暁人さんもどうぞ」
「〰〰〰〰〰」
か、可愛すぎる(※語彙力なさすぎです)。
「お母さんには連絡しておいた。待ってる間になんでも好きなものを飲んでていいぞ」
そう実央に言うと今すぐベッドになだれ込みたい気持ちを抑え、俺はシャワーを浴びに行った。手早く体を洗ってバスタオル1枚巻いて出てくると、実央がベッドに腰かけて部屋の中をきょろきょろ見回している。
「どうした?何か気になるのか?」
俺は実央に聞いた。やっぱりラブホは嫌なのかもしれない。それなら今夜はただ眠るだけにしておこうかとも思った(非常に残念ではあるが)。
「いえ、僕ラブホって初めてで」
実央はそう言った。そうか、よかった。2度目とか3度目とか言われたら、どうしようかと思った。
「ちょっと興味があったんですよね、一度来てみたいなって」
「そうなのか?」
意外な答えに少し驚いていると
「今日は思いがけず来られてうれしいです。だって僕がラブホに来るとしたら、暁人さんと一緒でなきゃ来られないじゃないですか」
「!」
その瞬間俺の頭…いや、体中から「理性」が吹き飛んだ。
「実央!」
俺はたまらなくなって実央をベッドの上に押し倒す。
「えっ?あ…暁…」
―――ブラックアウト―――…いや…―――ホワイトアウト?―――
翌朝、俺はタクシーを使って実央を自宅まで送り届けた。実央は大丈夫だと遠慮したが、正直夕べ…度が過ぎたというか、なんというか…。ミックスバーで教わったアレコレを実践する余裕もなかった。明石家に着くと俺はもう平謝りだった。いきなり外泊させてしまっただけでも顰蹙ものだ。実央のお父さんに何か言われたらどうしようかと心中冷や汗ものだったが、
「夫は昨夜から泊りのゴルフで」
と実和子さん…お母さんは笑った。実央のお父さんは俺と顔を合わせたくない時はよくゴルフを口実に不在になる。正直俺としては複雑な思いだったが、偶然とはいえ今日ばかりは「ゴルフに行っててくれてよかったー」と心底思った。
「いいのよ、暁人さん、もう二人とも大人なんだから」
この人は本当に心の広い人だ。うちの母もこの1/10…いや1/100でもいいから、見習ってくれないだろうか。
この日家まで送り届けておきながら、俺は実央と離れがたかった。
「二人とも朝ごはんは食べたの?」
お母さんが聞く。
「あ…そういえば、まだ…」
実央を早く送り届けることで頭がいっぱいだったので、忘れていた。
「簡単な物しか用意できないけれど、食べて行って」
お母さんがそう言ってくれて、俺はその日実央ともう少し一緒にいることができた。
週明け出社すると、まず岩城に謝った。あの後岩城は篤紀たちと飲んで全員分ごちそうしてくれたという。俺が払おうとしても受け取らなかった。本当に世話になりっぱなしだ。岩城はニヤニヤした顔で金曜日のことを聞いてきた
「それよりお前の方はどうだったんだよ、実央君、大丈夫だったのか?」
まあ何があったかは大体想像つくよな。俺も別にごまかすつもりはなかった。
「実央が可愛すぎてしぬ…」
俺はデスクに突っ伏してそれだけ言った。
「実央君、話せなかったけど、カワイイ子だなあ」
岩城がそういうのを聞いて、
「…お前にはやらない」
俺は釘を刺す。
「誰が取るか、お前にコロされたくねえよ」
岩城は笑っていた。こいつは女好きだから男に手を出すことはないとわかっていたが(過去に一度だけ男性経験があるそうだが)、他の人(男)が実央を「かわいい」というのは、なぜか心がざわつく。後日岩城に「執着系は嫌われるぞ」と言われたが、そんなことはないと思う。これくらいは普通だろう(※「普通」…とは?)。
週末思いがけず実央に出会えて二人の時間を過ごせた俺は、その日上機嫌で仕事ができた(ただ…あの夜俺は自宅への連絡を忘れてしまい、姉が母親にうまいこと言ってごまかしてくれたらしい)。
おしまい
3 秘書課の金沢さん
私は今日大室精密に入社して以来、一番の感動に包まれていた。
(なんて素晴らしいの、ああ、この会社に入って本当によかった…)
私は自分の選択の正しさに酔いしれていた。「選択」って言っても、選択したのはもう20年以上前なんだけど…。話は数時間前に遡る。
今日は当社新入社員採用試験の最終面接の日だった。ほとんどが来年卒業予定の大学生である。私は秘書課の管理職として面接官の一人に選ばれていた。面接は人事部だけが担当するわけではない。広い視野で優秀な人材を採用するため、多くの部署から選出される。正直当社は学生に人気の大手企業なのでなかなかに狭き門だ。
「金沢さん」
人事部の堀越さんに呼び止められた。彼女とは今日一緒に面接を担当する予定である。私の主観ではあるが堀越さんは会社員としてかなり優秀で、筋が通っているというかキリッとしていて頼りになるタイプである。秘書課に欲しい人材であるが惜しむらくは愛想がない。滅多に笑わないので、堀越さんの笑顔はレアアイテムのように言われている。「堀越さんの笑顔を見るとラッキーなことが訪れる」なんて噂が、まことしやかに囁かれるくらいなのだ。秘書はニコニコしていればいいというものではもちろんないが、あまりの取り付く島もないような感じでも務まらないのだ。
「一緒に面接を担当する忠内さんが急病で欠勤だそうです」
堀越さんは私にそう伝えた。
「あら…そうなの?急病って大事なのかしら」
「症状が重いわけではないようですが、検査も兼ねて3日ほどお休みなさるそうです」
「それなら仕方ないわね、サブの中からどなたかを…」
こういう時のためにちゃんとサブメンバーが決められているのだ。
「それが…」
堀越さんが言いにくそうな顔で
「馬場さんがなさるそうです」
と言う。
「え、馬場さん?あの人はサブメンバーには入っていなかったわよね」
「はい…ご自分で立候補なさったそうで…」
「立候補って…」
「人事部長もお認めになりまして」
馬場さんというのは部長職には就いているが、ちょっと問題があるというか…困った人である。うちはあまり縁故入社の人はいないのだが、馬場さんは社長の元ご学友の親戚とかで当社に入った人である。とりたてて優秀というわけでもないようで、それだけならまだいいのだが、ちょっと性格に難ありの人物だった。パワハラとかセクハラには厳しいご時世だから何かあれば口頭注意をされているようだが、一向に改める気配がない。縁故入社だから周りもヘンに気を遣っている。最近専務になられた浅見さんが厳しい方で、馬場さんの処遇について苦言を呈されているらしいのだが…。
「そうなの…仕方ないわね、私たちも気を付けることにしましょう」
こうしてこの日、面接が始まった。
面接は途中までは滞りなく行われた。
(次はFグループね)
私は改めて履歴書と筆記試験結果等の資料に目を通す。面接は男女2名ずつのグループ形式だった。
(あら、この二人…)
事前に確認した時には写真までしっかり見ていなかったが、男子学生二人がかなりのイケメンだった。顔面至上主義ではないが、やはり容姿に目が行くのは許してほしい。
「どうぞお座り下さい」
堀越さんが学生たちに着席を促す。4人は一礼して席に着いた。
(やっぱりステキだわこの二人…秘書課に欲しいかも…)
順調に面接が続き、私が
「では次に家庭・結婚などについて思う事をお答え下さい。ご自分のご家庭のこと、将来の理想、世間一般のこと、何でも構いません。プライバシーには配慮して頂いて結構です。独身主義だからと言って不利になることはありませんよ」
と、学生たちに尋ねた。これは今年から加えられた質問である。産休・育休は昔に比べてだいぶハードルが下がったが、それでも企業間には格差もありこの会社でも様々な取り組みが行われている。まず2名が答え、3人目に「広瀬暁人」という学生が答えた。彼の番で「事件」が起きたのである。
彼は自分の家族のことを話したが、「母親とは最近意見が合わないことがある」と言ってしまった。面接官が言うべきではないが、「そんな事言わなくても」と内心思ってしまった。広瀬君の答えに馬場さんが食いついた。
「意見が合わないとは、例えば?」
ここでそこまで聞く必要はない。
「馬場さん、そこまでは…」
私は止めようとした。だが馬場さんは食い下がった。
「母は私の交際相手に不満があるようです」
広瀬君は冷静に答える。でもこれは明らかに踏み込みすぎだ、止めないと。
「ほう、不満とは?」
馬場さんがなおも突っ込む。「黙れ、このクソオヤジ」と心の中で私が罵ったその時、広瀬君は静かに言った。
「私の交際相手が同性なので、それが不満のようです」
「!?」
面接官も他の学生たちもみな広瀬君の顔を見つめ、息が止まったようになった。今あなたはなんとおっしゃいました!?
「個人的なことで恐縮ですが、話を続けさせて頂きます。自分には大学で知り合った恋人がいて、彼もまだ在学中ですが真剣に交際を続けています。母以外は自分の家族も相手の家族も温かく見守ってくれています。母にもいつかは理解してほしいと思っていますが、今のところ難しいようです」
淡々と続ける広瀬君の言葉に、私は一瞬ここが面接会場だということを忘れて聞いてしまった。
「あの…あなたはその…ゲイというか、同性愛者…?」
言った直後に「しまった!」と思った。馬場さんのことを責められない。これは完全にアウト。面接での質問を逸脱し過ぎていた。学生たちも皆困惑していた。堀越さんがこちらを厳しい目で見ている。それでも広瀬君は怒った様子も動揺した素振りも見せず、
「違います。私も相手も同性愛者ではありませんが、お互いを大切に思っています」
静かにそう答えた。すてき…なんてすてきなの…広瀬君はきっと「攻め」…理想の「攻め様」…。
すべての質問が終わり、Fグループの学生たちが退出した。
「馬場さん、金沢さん」
堀越さんが強い口調で言う。もう一人坂上さんという男性の面接官がいたが、こちらはダンマリを決め込んでいる。
「これは学生たちの将来を左右する大事な面接の場であるということを、お忘れにならないで下さい。答えに対する深掘りがいけないとは申しませんが、内容には十分配慮なさって下さい。学生の応答に気になる部分があったら専用のシートに記録しておいて下さい、いいですね」
有無を言わさぬ迫力だ。
「ごめんなさい…」
私は素直に謝った。
「…わかってるよ」
馬場さんは横柄な態度で返す。Fグループの学生たちのことが気になった。変な空気にしてしまったけれど、みんな受かってくれたらと願った。私に合否の裁量権はなかったが、そう思わずにはいられなかった。
この件については後で上司から注意された。
「金沢さんらしくないなあ、今時変なこと言うとすぐSNSでやり玉にあげられちゃうよ、『面接でヘンなことを聞かれました』って。会社のイメージダウンになるからね。気を付けてよ」
「申し訳ありませんでした…」
謝りながらも私は広瀬君のことを思い返していた(冒頭に戻る)。素晴らしいわ、広瀬君。あんなに堂々と同性の恋人がいると告白するなんて。しかもノンケ同士ですって!?おいしすぎる…この際だから白状するけど、金沢冴子は腐女子です。腐女子歴30…まあ、いいか。腐女子じゃなくて「腐人」だという意見は却下です。
我が大室精密は大企業として都内に本社ビルを構えている。高層ビルというわけではないが、結構な大きさで社員数も多い。BL妄想できる対象も多そうなものなのだが、なかなかそう簡単にはいかない。仲のいい男性社員なら誰でもいいということにはならない。営業部の山下さんと大野さんがちょっといいなーと思っていたが、大野さんに彼女がいることが発覚して妄想が萎えてしまった。
そこへあの面接Fグループの二人である。広瀬君ともう一人は…そう、岩城君、岩城諒君だったかしら。彼も広瀬君に勝るとも劣らないイケメンなの。この二人が入社したの、二人とも採用されたのよ!Congratulations!!このトシにしてこんな楽しい日々が始まるなんて。
「金沢さーん」
私が笑いをかみ殺しながら社内の廊下を歩いていると、経理部の湯浅真理ちゃんが呼びかけてきた。
「見ました見ました、あの二人!サイコーじゃないですか!しかも二人とも営業部ですって?」
「しーっ、真理ちゃん、声が大きいわよ」
そう、広瀬君と岩城君は二人とも本社営業部に配属されたのである。同じ面接グループの人が、同部署に配属されるのは珍しい。今年は何かの権力…違うな、引力…重力…力学…まあとにかく何らかの力が作用してあの二人が同じ部署に配属されたのだ。「営業部だけズルイ、イケメンは分散して」なんて声もあった。
「妄想なんてもんじゃありませんよ、もうまんまバッチリじゃないですか」
お気付きだろうが真理ちゃんも腐女子である。ある人気BL漫画のコラボカフェでバッタリ会って、お互い同じ沼の住人だと知った。彼女は20代で年齢差はあるが趣味の話はバッチリ合うのだ。たださすがに広瀬君に男性の恋人がいる事は話していない。当然だが面接の内容には守秘義務がある。
(ゴメンね真理ちゃん、話したくてもこれは話せないのよ)
私は心の中で謝った。でも確かにいいよね、あの子たちのツーショットは。
ところが、である。7月の終わり頃とんでもないことが起こった。広瀬君のことが噂になって広まってしまったのである。
(どういうこと!?)
私はすぐに人事部に行って、堀越さんに確認を取った。広瀬君と同じ面接グループの学生たちはみんな採用されている。女子はそれぞれ葛西営業所と関西支社だったはずだ(ちゃんとチェックしていたし)。岩城君が話すとは思えないし、では女子の誰かが?それともまさか…
「馬場さんです」
堀越さんはあっさり教えてくれた。
(やっぱりあのオヤジかー、ほんとにロクなことしないわねあの人は!)
「先日の広報部のお疲れ会か打ち上げか何かで泥酔した挙句、口を滑らせたようです」
堀越さんは無表情でそう言ったが、私は彼女の言葉の端に怒りが含まれているのを感じた。
「それで…処分は?」
「また口頭注意かと」
「また?何回目の口頭注意!?もっときっちりお灸を据えてやらなきゃダメでしょう!?」(※「お灸を据える」という言い方に昭和を感じます)
「それに関しては私も同感です」
堀越さんは私を別室…ガラス張りになっていて外から見えるが、ミーティングなどに使われる部屋に案内した。
「実は浅見専務が動かれるようです」
堀越さんは多分まだ公にされていない話を私にしてくれた。
浅見専務は最近専務のポジションに就いた方である。ちょっとコワイ感じの方だが、50くらいのイケオジで実は私の妄想対象の一人である(既婚者だけど)。まだ専任の秘書は決まっておらず、人選は私に任されている。専務が「慣れるまで様子を見たい」とおっしゃるからペンディングになっているが、私は密かに男性秘書を推薦しようかと思っている。あ、別に私の趣味で決めているわけではないですよ(※……)。浅見専務は厳しい方だから、男性の方が動きやすいだろうなーと…決して「重役×秘書」とか「秘書×重役」で考えてはいません…けど、後者はないか?んー、でも最近は「オジ受け」作品も増えてきてるわよね…
「金沢さん?」
堀越さんに呼ばれてはっとした。
「ごめんなさい、専務が動かれるってどういう事なのかなと考えていて…」
「…私たちが案じても始まりませんが、一応面接当事者になりますのでお知らせしておきました。もし何か気付いたことがあれば知らせて下さい」
「わかったわ」
しばらくして社食の近くで広瀬君と岩城君にたまたま会う機会がった。
「ごめんなさい広瀬君」
私は謝らずにいられなかった。どうしても事情を説明したかった。岩城君にも話していいか迷ったが、
「岩城なら大丈夫ですよ、信頼できるので」
広瀬君がそう言ったので、私は簡単に噂の出た経緯を二人に話した。広瀬君は冷静で、むしろ岩城君の方が
「コンプラ違反だ」と怒りを露わにしている。広瀬君は岩城君を宥めた。
「いいのよ、怒って当然だわ。岩城君は友達思いなのね」
私が感心すると
「本当にいい男です」
と、広瀬君は答える。この二人の関係は本当にいいなあ。「ブロマンス」っていうのかしら。12時過ぎたので社食に来る人が増えてきた。
「ごめんなさい、また詳しく話すわ。広瀬君に先に謝っておきたかったの」
わたしも全てを把握しているわけではなかったので、ひとまずそれだけ言ってその日は二人と別れたのだった。
8月半ば頃事件が起こった。社内で馬場さんとその取り巻きグループ一行に岩城君が遭遇した時、馬場さんの方から広瀬君の噂のことで絡んだらしい。怒った岩城君が馬場さんとやり合ったというのだ。
(なんてこと…私が馬場さんのことを話してしまったから?二人の去就に関わることになってしまったら…)(※「二人」というのは岩城&広瀬の事で馬場のことではありません)
自分の軽率さを私は悔やんだ。その日の定時間際堀越さんが秘書課にやって来たので、私たちは別室で話をすることにした。
「馬場さんのこと、広瀬さんたちに話したんですね」
開口一番堀越さんはそう言った。
「ごめんなさい…どうしても広瀬君に謝りたくて」
「まあ私も金沢さんに口止めしたわけではありませんしね。それよりこれをご覧下さい」
堀越さんはPCの動画を見せてきたが、それは馬場さん・岩城君の言い争いの様子がおそらくはほぼ全部撮られたものだった。
「これは…(岩城君、なんて素敵なの…)」
「こちらは近くにいた社員から人事に提出されたものです。隠し撮りはどうかと思いますが場合が場合ですので。実はその時私も近くで一部始終を見ておりました」
「堀越さんも?」
「はい。馬場さんに明日専務室に来るようにという浅見専務からの指示を伝える直前に、この騒ぎが起こりまして」
「そうだったのね」
「動画を提出した社員は以前馬場さんに辛い目に合わされたらしく、何かあったら証拠として動画を撮ろうと決めていたようです。もちろんすでに専務にもご報告済みです」
そこで堀越さんは少しだけ…笑った?
「まだ発表前ですが、馬場さんは沖縄支社に異動が決まりました」
「えっ(それは左遷というやつでは…)」
別に沖縄支社が閑職に追われた人の行き場所というわけでは決してない。ちゃんとした当社の支社である。ただ規模は小さいし気候風土・食生活・習慣は独特だから、暮らすとなれば合う合わないはあるかもしれない。ちなみに私は沖縄大好きで、毎年1回は旅行に出かけている。沖縄のイケメンたちはBL的にも目の保養である(※沖縄のイケメンの皆さん、ごめんなさい)。
「それで明日金沢さんと私で広瀬さんと岩城さんに改めて今回のことを説明しようと思いますが、よろしいでしょうか?」
「もちろん、かまわないわ…もう一人の面接官だった坂上さんは?」
「一応経緯は報告しています。でも…あの方は事なかれ主義なので」
相変わらずバッサリね、堀越さんは。
「それより…二人に厳しい処分が下ったりしないかしら。広瀬君の方はむしろ被害者だから心配なさそうだけど、岩城君の方は…」
「それは…私たちの職務外のことですが…」
「もし理不尽な処分が決まったら、二人とも秘書課に頂戴!人事なんだからそれくらいの裁量許されてるでしょう!?あの二人なら絶対素晴らしい秘書になれるわ、私がしてみせる!」
「頂戴って…ふふっ」
笑ってる…あの堀越さんが声を出して笑っている…これって…レア中のレアじゃないの!? ものすごいラッキーアイテムゲットしちゃった!?
「ふふ…わかりました。万一そのようなことになったら尽力します。心配ないとは思いますが」
堀越さんはなおもおかしそうにそう言った。
結局私が危惧したようなことにはならなかった。岩城君は直属の部長佳山さんからの口頭注意だけで済み、その後私と堀越さんが広瀬君と岩城君に詳しい経緯を説明して事なきを得た。(※『同僚の恋の話』参照)
(本当によかった、これもラッキーアイテムのおかげかしら)
ところで広瀬君の噂が広まってしまった時、当然のことながら真理ちゃんから私にラ〇ンが来た。「驚きですよー、金沢さん知ってたんですか?」という内容だったが詳しいことは教えられなかったし、二人で話す時間もとれなかった。事態が収束してやっと真理ちゃんと話せる機会が作れた時、彼女は興奮して一気にまくし立てた。
「こんな事あるんですね、もう、みんなで盛り上がっちゃって。私たちの間で広瀬さんの人気爆上がりですよ。恋人はどんな人だろうって話題で持ちきりです。もちろん岩城さん人気も急上昇です。もし二人が会社に居づらくなったらみんなで抗議しようって話し合ってたんです。でも、ほら私たち広瀬さんと岩城さんでカップル認定してたじゃないですか。どちらが右か左かで解釈違いはあったけれど…そこに広瀬さんの本物の恋人が登場しちゃって、そりゃあ大騒ぎですよ」
「真理ちゃん、少し落ち着いて…」
場所は定時後、会社近くのレストランである。社員も利用しているかもしれない。私は辺りを見回した。ちなみに真理ちゃんが言っている「私たち」「みんな」は社内にいる腐女子仲間のことである。そんなにたくさんいるわけではないのだが…。
「落ち着いていられませんよ、リアルBLなんですよ、金沢さん!広瀬さんは恋人と岩城さんのどちらを選ぶかで大論争です」
「大論争って…広瀬君と岩城君はあくまで同僚で、私たちが勝手にBLカップルに変換していただけで…」
「いーえ、私岩城さんは広瀬さんにホレていると見ました!自信あります!」
自信ありますって…困ったな。
「あくまで内々の話にしておいてよ、またヘンな噂が勝手に一人歩きしたら困るから」
私は真理ちゃんによくよく注意した。
こんな私だが、あまり真理ちゃんのことを言える立場でもない。あの後私は堀越さんに無茶な頼みごとをした。
「お願いッ、絶対外部に漏らさないから。誰にも見せないし、話もしないからお願いッ」
「そう言われましても…承知いたしかねます」
堀越さんは困惑した表情を見せる。
「そもそも金沢さんはなんでこんなものが欲しいんですか?」
「それは…その…今後の戒めのためというか…ほら、私も色々ヘンなこと言っちゃったでしょう?」
「それは、確かに…」
「でしょう?それに正直馬場さんがやり込められてる姿を見るのは気持ちいいというか、ストレス解消になるというか…」
「でもさすがにこれはコンプライアンス…」
「人事部だって隠し撮りを大目に見たじゃない、ね、私がいる限り秘書課は人事部に全面協力するから!」
堀越さんは深くため息を吐いた。
「わかりました…ただ絶対に流出させないで下さいよ。私の責任問題になりますから」
「心得てるわ、万一そんなことになったら私が脅したことにして、私をクビにしていいわ」
「どうしてそこまでしてこれが…」
堀越さんは不可解な面持ちだったが、私に例の動画、岩城君が馬場さんを退治した?動画のコピーを不承不承くれた。
(萌える…何度見ても萌えるわ、ここに広瀬君がいたら最高だったんだけれど)
私はしばらくの間、その動画を眺めながら自宅で一人酒を楽しむのが日課になった。
おしまい
4 篤紀の憂鬱
「篤紀、お前知っていて俺に黙っていたな」
今俺の目の前には鬼の形相の兄貴がいる。日頃温厚で優しくて虫も殺さないような兄貴がこんなに怒った顔を見せるのは、俺にとっては初めてのことだった。日曜の午後冷房の効いた自宅のリビングで、俺は絶体絶命のピンチに陥っていた。
(バレた…ついにバレた…)
現在俺・広瀬篤紀はK大経済学部3年生、同じ学科で同じ白川研究室に所属する兄貴の彼氏明石実央君は4年生だ。夏休みも9月に入ったところである。俺もすでに就活が始まっているが(あまり積極的に動いてないけど)、4年生の実央君はもっと大変である。
実央君はなぜだか兄貴には就活の状況を詳しく報告していなかった。色々な悩んで決めかねていたのも確からしい。俺は何度も何度も兄貴に実央君のことを聞かれた。正直学科だけでなく研究室まで同じ俺が、学年が違うからって何も知らないというのは無理があった。それに俺は実央君の弟だ(?)。兄貴に聞かれるたびに「知らない」「わからない」「聞いてない」と答えるのは、しんどかった。
「実央君に…口止めされてたんだよ。自分から話したいから兄貴には何も言わないでくれって」
「それは実央から聞いた。篤紀を責めないでくれって」
「だったらそんなに怒らなくても」
「それでも何か…言い様があるだろう。ヒントになりそうなこととか。おかしいと思ったんだ。6月に入ってから2週間くらいほとんど連絡が取れなくなって…いや、連絡はくれたんだけどラ〇ンもメールも簡単な返事ばかりで」
ああ、その期間は教育実…
「やめなさい、暁人」
そこへ姉貴の綾乃が割って入ってくれた。珍しい、俺の味方してくれるの?
「篤紀を責めたってしょうがないでしょう。この子にヒントになりそうな微妙な言い回しなんてできるわけないじゃない」
…なんかあまり味方されてる気がしない。
「だけど、あんまりじゃないか」
「何があんまりなのよ、ちゃんとした就職先じゃない」
「ちゃんとした就職先って…」
兄貴はまた怒りがぶり返したらしく、ほとんど叫ぶように言った。
「私立の高校だぞ!それも男子校だ!」
そう実央君が就職先に選んだのは、都内某区にある私立三輪春学園だった。名門の進学校そして男子校である。兄貴は実央君が教職課程を取っていることは知っていた。だがそれは保険のようなもので、本当に教師になるなんて思ってもいなかったのだ。いや、実央君が男子校の先生って…「似合わねー」とは思うよ、でも面白過ぎるよな、兄貴には悪いけど。
「何を心配しているのかわからないけど(※わかってます)、名門私立の先生なんてすごいじゃないの。恋人のあんたが、何わーわー騒いでんのよ」
「恋人だからだよ!」
いつも沈着冷静な兄貴がここまで動揺するのは珍しい。今勤めている会社内で「同性の恋人がいる」という噂が広まった時も、動じなかった兄貴なのに(兄貴の同僚・岩城さん談)。
「あのねえ、男の園だって言ったって全寮制でもないし、みんな外から通ってんのよ。閉鎖されてるわけでもないし男女交際にも寛容だって聞いたわ(※さっき調べた)。別に飢えた狼がごろごろしてるわけじゃないんだから、ちゃんと喜んであげなさいよ。暁人が祝ってあげなかったら、実央君だって辛いじゃないの」
さすが姉貴、なんかもっともらしいことを言い出した。
「それに…いくつかの会社や学校から内定をもらった実央君が、なんで三輪春学園を選んだかわからないの?」
「なんで…って…」
「あんたが通ってる大室精密と近いからじゃない。あんたたち実央君が卒業したら同せ…同居するんでしょ?二人の愛の巣(※言い方が古い…)を選びやすいように実央君だって考えたんじゃない。いわば暁人のためでしょうが、それなのに何をそんなにカリカリしてんのよ」
兄貴は「あっ」というような顔をした。正直俺は実央君の他の内定先がどの辺にあるかなんて、全く知らない。多分姉貴も知らない。実は実央君が「『三輪』ってお母さんの『実和子』とちょっと似てるでしょ、親近感がわいちゃって」と言っていたのを俺は知っている。もちろんそれだけで選んだわけではないだろうが。兄貴ってデキる男だと思うんだけど、実央君のことになるとチョロイんだよな。
「実央君の勤務先が決まったんだから、篤紀に文句言ってないで早いとこエリアや物件を絞りなさいよ。引っ越しシーズンが近づくといい所はあっという間に埋まっちゃうわよ」
姉貴の言っていることは一応正論なので、兄貴は黙った。
「あんた就職先のことで実央君に文句言ったんじゃないでしょうね」
「文句は…言ってないけど…『なんで男子校なんだ』とは言った…」
「バカねえ、実央君はわざわざ男子校を選んだわけじゃないでしょう?場所とか給料とか福利厚生とか休日とか、条件の良かったところがたまたま男子校だったんじゃないの?」
うーん、さすが姉貴だ。ぐうの音もでないというやつだな。
「あら、みんなで何を話しているの」
そこへオフクロが帰ってきた。一瞬俺たち姉兄弟の間にちょっと緊張が走った。広瀬・明石両家の中でいまだにオフクロだけが兄貴と実央君のことを認めていないからだ。
「年内にお父さんが帰って来るでしょう?それで”お帰りなさいパーティー”をしようと相談してたのよ」
姉貴がまた口から出まかせを言う。俺たちの親父は現在アメリカ赴任中。それが年内には日本に帰ってくることになった。もちろん親父も兄貴達のことは認めている。
「そうなの?ずいぶん気が早いわね。パーティもいいけれど参加者は『家族だけ』にしてちょうだいね」
兄貴の方を見てそう言うと、オフクロは台所に入って行った。兄貴の顔はまた鬼のようになる。
「相手にしないの、お母さんのイヤミなんて今更でしょ」
姉貴は兄貴の肩をポンポンと軽く叩いた。
俺たちはそのまま2階に上がって自分の部屋に入ろうとした。兄貴が先に部屋に入ったのを見計らって
「篤紀」
姉貴がアゴで「こっちへ来い」と合図する。ああ、また何か命令されるのだろうか…。仕方なく俺は姉貴の部屋に入った。片付いてるけど相変わらず色気のない部屋だ。
「あんた彼女のゆかちゃんだかゆいちゃんだかとは、うまくやってるの?」
「え、俺の話?彼女は唯ちゃんだけど…まあうまくやってるよ」
「結婚しそう?」
「ケッコン!?そんなことこの歳で考えられるかよ、就活だって目途立ってないのに」
ホント自分のことは棚に上げてよく聞けるよな。
「あんた就職したらなるべく早く結婚して子供作りなさいよ」
え、これ姉弟間でもセクハラにならない?
「ゆかちゃんでもゆいちゃんでもいいわ、どうせ結婚するんなら早くしなさいよ」
「唯ちゃんだって。なんだよいきなり乱暴だな、唯ちゃんは地元が宮崎で卒業後はそっちで働く予定なんだよ。正直遠距離で交際が続けられるかなんて俺にもわかんないよ」
さすがに俺も姉貴の物言いには腹が立った。弟の人生、なんだと思ってるんだ。
「大学で知り合って卒業後に結婚する人なんて、いくらでもいるわよ。まあでも、遠距離恋愛なんて大雑把な篤紀にはムリそうね」
「だから俺の結婚の話がなんでいきなり出てくるんだよ」
「暁人と実央君のためよ」
………はい?
「さっきのお母さんの態度、見たでしょ?あんたがさっさと結婚して子供を作れば、お母さんは孫が可愛くて暁人たちのことなんかきっと気にならなくなるわ」
え、なに?俺は人身御供?人柱?人質…なんか違うな。スケープゴート的なやつ?
「兄貴達の幸せのために俺がギセイになるの?」
「犠牲って何よ。いずれは結婚するんでしょ、ゆかちゃんかゆいちゃんと」
「いやいずれはしたいけれど、誰かとなんてまだわからないし俺だって就職して少しは独身生活を楽しみたいよ」
「なーにが独身生活よ」
あ、今鼻で笑ったな。いくら姉貴でも言っていいことと悪いことがあるぞ。
「でもまあ篤紀だったら、同い年とか年下よりちょっと年上のしっかりした人の方がいいかもね。安心しなさい。あんたが結婚相手を連れてきたら、私が万全のバックアップ態勢を取ってあげるから」
いや、頼んでないんだけれど…。姉貴の前では俺の人権なんて塵に等しいことがよくわかったよ…
自分の部屋に戻った俺は、ベッドの上にごろんと仰向けになった。
(ケッコンかあ…前に三松さんにも聞かれたことがあったな)
三松さんというのは今年の春卒業した同じ学科の先輩だ。同じことを聞かれてもなんでこんなに印象が違うんだ?孫なら自分が産めばいいじゃないか(※これもセクハラ発言かと…)。どうして自分には関係ないみたいな言い方なんだ、姉貴は。何が「万全のバックアップ態勢」だよ。
(それにしても実央君も思い切ったな。男子校かあ…BLにもよく出てくるな、生徒同士・教師同士・先生と生徒・生徒と先生…色々なパターンが…)
実は俺は「腐男子」というやつだ。兄貴と実央君とのことがあってネットで色々調べて行くうちに、BLにハマってしまった(念のため言っておくと、俺自身はノンケである)。唯ちゃんが昔友達にもらったというBL漫画をくれたことも、きっかけになった。唯ちゃん自身はBLには興味はなくて、実央君のことを心配して参考資料として?くれたんだと思う。心配というのは、三松さんと同学年の加賀さんというゲイの男子学生が実央君のことを狙っていたことを指す。俺が孤軍奮闘して、それはもう大変だったのだ(※『兄貴の彼氏と俺の話』参照)。
なぜ大変だったのかというと、実央君を守るため、あれこれ姉貴に命じられたからである。姉貴は実央君のお母さん実和子さんと非常に仲が良く、兄貴達のことを知った当初から異様な熱意で応援していた。俺がBLを勉強?した話をした時も、「遅すぎる」と言われたくらいだ。
兄貴は女子じゃなくて男が実央君に絡むのを嫌がる。俺ですら実央君にじゃれつくと怖い顔をされる。そりゃ男子校なんて気が気じゃないだろう。実央君なら「総受け」確定だしな。でも…俺はずっと共学だったけれど、もし男子校へ行ったとしても男しかいないから男と…とはならないよなあ。確かに学校生活は味気なさそうだけど、外で彼女を作ればいいだけの話だし。まあ今回ばかりは俺が三輪春学園に潜り込むわけにもいかないから、姉貴に無理難題を押し付けられることはないだろう。
その晩の夕食はお通夜のようだった。
「なんなの暁人、母親の作った料理がそんなに気に入らないのかしら」
終始仏頂面の兄貴に向かってオフクロが言った。
「料理じゃなくて母さんの物言いが気に入らないだけだ」
わー、真っ向から刃向かっちゃったよ。
「母親に向かって何を言うの、私の何が…」
「何もかもだ。実央や明石さんたちに対する態度の何もかもが気に入らない。俺の私生活に口を挟むのも気に入らない。まあもう諦めているけどね。来春になったら家を出て実央と暮らすから、母さんの嫌味も聞かなくて済むようになる。ちょうど父さんも帰って来るし、母さんも寂しくはないだろう」
“良い子”の兄貴にしては挑発的な言葉だった。オフクロはサーっと顔色を変えた。
「許しませんよ、家を出るなんて!」
「許しをもらうつもりは、はじめからない」
兄貴は吐き捨てるように言うと、食べかけなのに食器を台所に下げて自分の部屋に行ってしまった。
「お父さんが帰ってきたら、お母さんはますます孤立無援だよ」
姉貴もそう言って食器を下げ、リビングから出て行った。
凄い形相のオフクロと食事をする俺は、もう何を食べても味がわからなかった。
11月に入って間もなく、オヤジが帰国した。今までは一時帰国だったが、これからはずっと日本だ。少しはオフクロの機嫌が良くなってくれればいいなと俺は思っていた。俺自身も親父がいてくれて心強かった。帰国当日は兄貴と俺が車を出して空港まで迎えに行った。
「お帰りなさいお父さん、長いことお疲れ様でした」
珍しく姉貴がしおらしいことを言った。
「時差ボケでしょ、ゆっくり休みなよ」
話したいことは色々あったが、俺もそう言った。
「なんだいみんな、やけに優しいな、お土産は後で送られてくるからな」
「子供たちがあなたの帰国祝いのパーティをしたいんですって、家族だけで」
またオフクロは意地悪な言い方をした。兄貴は顔を背ける。5年ぶりに親父が帰国したんだから、そんな言い方しなくてもいいのに。
「そりゃ嬉しいな、そうだ、明石さんご一家も呼んだらどうだ。久しぶりに皆さんに会いたいな。実央君も就職先決まったんだろう?一緒にお祝いしよう」
親父がそんなことを言い出した。兄貴は嬉しそうな顔をしたが、オフクロは逆だ。藪蛇になって悔しいんだろう。
「私は何もしませんよ」
「やれやれ静子さんはまだ意地を張っているのかい」
俺がじっと姉貴を見る。
「何よ、私だって作らないわよ、作らないけれどお取り寄せは用意するわよ」
「作らない」じゃなくて「作れない」だろう。俺は生まれてこの方姉貴の手料理というものを食ったことがない。またお取り寄せかよ。
「しばらくは私も会社から休暇をもらえるから、暁人、明石さんのご都合を確かめてくれないか。できればみんなが揃える日がいい」
「わかった、ありがとう父さん」
「それじゃあちょっと休ませてもらおうか、積もる話はゆっくりと。篤紀、お前の大学での話も聞きたいよ。実央君と同じ研究室なんだって?」
そう、オフクロはそれも気に入らないらしい。
「うん、またゆっくり話すから聞いてよ」
親父は寝室へと向かって行った。残された俺たちは何とも気まずい空気に包まれていた。
11月某日明石一家は久しぶりに広瀬家にやって来た。
「明さんご帰国おめでとうございます、お疲れ様でした」
実央君のお父さんの匠さんがそう言って手土産をくれた。明というのは親父の名前だ。
「ありがとうございます。これからは匠さんといつでも飲みに行けるから嬉しいよ」
親父は上機嫌だ。親父と匠さんは馬が合うようで、知り合って以降親父が休暇で帰国した時は必ず二人で飲みに行っていた。匠さんも最近では兄貴に対する態度がだいぶ軟化しているらしい。
「静子さんこんにちは、お久しぶりです。これ少しだけ作って来たんですけれど」
実和子さんが手作りのお惣菜を差し出す。でもオフクロは挨拶すらしない。兄貴とやり合ってから完全にヘソを曲げている。
「ありがとう実和子さん、うれしいわ。さあ上がって」
代わりに姉貴が受け取ってみんなを招き入れた。兄貴と実央君は二人で別世界を作っていた。
「今日はお招き頂いてありがとうございます」
改めて匠さんが言う。
「まあまあ堅苦しい挨拶は抜きにして。家族みたいなものじゃないですか。今日は子供たちが帰国祝いをしてくれると言うのでね、それなら実央君の就職内定祝いも一緒にしようじゃないかと」
親父がそう言うと
「ありがとうございます」
と実央君が笑顔で答える。
「家族ですって?」
オフクロが小声でボソッと言った。
「静子さん」
親父が窘める。
兄貴と実央君は当然のように二人並んでいた。食事をするのは和室だが、今はその前の再会を喜ぶおしゃべりタイムだ。
「実央君は高校の先生になるんだって?すごいね、私立の…三輪春学園だったったかな」
親父が実央君に話しかけた。
「はい」
「あそこは歴史も古いし名門の男子校だ。進学率も高いと聞くよ」
親父がそこまで言った時いきなりオフクロが口を挟んできた。
「男子校ですって」
みんなが驚いてオフクロの方を見る。
「あなたって本当に男の人が好きなのねえ」
オフクロにしてみれば最大級の皮肉のつもりだったのだろう。一瞬みんな動きが止まったようになった。なったのだが…その時の兄貴の顔はきっと一生忘れられない。俺に詰め寄った時の比じゃない。こんな顔ができるのかと思うほどの怒りの表情だった。無言でオフクロの前に行くと、兄貴はいきなり右腕を高く上げた。
(兄貴がオフクロを殴る…!兄貴それはダメだ!!)
止めようとしたが、声も出ないし体も動かなかった。親父も姉貴も多分俺と同じだったと思う。
(間に合わない!)
そう思って顔を背けようとした時、兄貴の動きが止まってしまった。何が起こったのかわからず顔を戻すと、実央君が兄貴の振り上げた右腕に必死に縋り付いていた。
「ダメです、暁人さん!!」
実央君は声を絞り出す。
「お母さんを殴っちゃダメです、暁人さん!!」
実央君の悲痛な叫びだった。
一同は停止ボタンでも押されたように依然動きが止まっている。息子に殴られそうになったオフクロは恐怖とショックで顔を引きつらせていた。実央君に止められて我に返ったのか、兄貴は兄貴で母親を殴ろうとした自分に驚いているように見えた。実央君はまだ懸命に兄貴にしがみついている。兄貴の方が背が高いから、背伸びして兄貴の右腕を抑えている。
オフクロはどうにか体を動かすと、逃げるように応接間から出て行った。
「実央…」
兄貴は自分がしようとしたことが信じられないのか、少し震えていた。
「実央…実央…!!」
うわ言のように実央君の名前を呼んで力強く実央君を抱きしめる。抱きしめるというより実央君に支えられているように見えた。兄貴の目からはぽろぽろと大粒の涙が零れている。泣いている兄貴を見るのはいつ以来だろう。
「実央…」
兄貴は何度も何度も実央君の名を呼んだ。実央君はしっかり兄貴を抱きとめている。
「大丈夫ですよ、暁人さん」
実央君が優しい声で言う。
「ごめん、実央…俺…」
気が付くと俺もぽろぽろと泣いていた。何の涙なのかわからない。色々な感情がごちゃ混ぜになった涙だ。実和子さんも泣いている。隣を見ると姉貴も泣いていた。姉貴の泣き顔も超レアだ、「鬼の目にも涙」ってやつか…と思って見たら、泣きながらスマホで撮影してる!?何してんだよ、涙でぐちゃぐちゃになりながら撮影してるって、どういう神経だ!?
兄貴は実央君を抱きしめたまま動かない。
(すげえな…ここまで誰かを好きになれるって…俺誰かをこんなに好きになったことないわ…)
俺はまだ泣き続けていた。だからスマホで撮影はよせよ、姉貴!
「明石さん…お許し下さい、妻が失礼なことを…」
さすがの親父もこの成り行きに、冷静さを取り戻すには時間がかかったらしい。
「暁人君」
その時匠さんが兄貴の名を呼んだ。泣いている兄貴は声が出せずに、匠さんの方を見る。匠さんは兄貴に向かって深く頭を下げた。
「来春から実央のこと、どうかよろしくお願いします」
「お父さん…」
兄貴はやっとのことで声を出した。実央君から体を離し
「ありがとうございます。実央君のこと絶対大切にします」
兄貴も深々と頭を下げる。実和子さんは顔をハンカチに埋めて泣いていた。だーかーらー、撮影はヤメロ姉貴!その泣き崩れた顔、俺が撮影してやんぞ!
その日の夜、兄貴は親父と姉貴と俺に昼間のことを謝った。オフクロに謝ったかどうかはわからない。親父は兄貴がオフクロを殴ろうとしたことを叱らなかった。ただ、
「この先実央君を傷付ける者が出た時に、守ってやれるのはお前だけだ。どんなに腹立たしくても冷静に対処できる男になれ」
とだけ兄貴に言っていた。兄貴は黙って頷いていた。
翌年の春、兄貴と実央君は晴れて同居を始めた。家を出る時兄貴は親父とオフクロに頭を下げて
「長い間お世話になりました」
そう挨拶した。
「うん、実央君と頑張れよ。辛いこともあるだろうが、困ったときはいつでも親を頼れ」
親父はそう言って兄貴の肩に手を置き、見送った。オフクロは終始無言だった。
「ありがとう、みんな遊びに来てよ」
すでに荷物は引っ越し業者に運んでもらっていたので、小さな鞄一つ持って兄貴は家を出て行った。その日のお天気みたいに、すごく晴れやかな顔だった。
オフクロはさっさと家の中に入ってしまった。
(見送りに出てきただけ、マシか…)
俺は内心そう思った。
「寂しくなるわねえ」
姉貴はまた珍しくしおらしいことを呟いていた。
部屋に戻った俺は、いつものようにベッドの上に寝転がった。一人いなくなっただけで家の中がずい分ガランとした感じになる。年齢が上がるにつれて家族が一緒に過ごす時間は減っていた。姉貴と兄貴が社会人になってからはなおさらだ。それでも家にいれば家族としての安心感があった。
(俺も結婚したら家を出るのかな…)
そうだ、兄貴と実央君は今日結婚したようなもんだ。これからずっと二人だけの時間が続くんだ。俺はあの日の兄貴の泣き顔を思い出していた。俺にも誰かをあんな風に好きになる日が来るのだろうか。ガラにもなく感傷的になっていると、ふいに姉貴の言葉を思い出した。「篤紀だったら、同い年とか年下よりちょっと年上のしっかりした人の方がいいかもね」…
その時何故か三松さんの顔が浮かんだ。
(なんで三松さん?)
三松さんは2コ上だから研究室では入れ違いになってしまった。でも三松さんは兄貴達のことも知ってるし、色々と話も聞いてもらったし、姉貴以上にお姉さんみたいな人だった(※『研究室の三松さん』参照)。
(出版社で頑張ってるのかな、久しぶりにラ〇ンかメールしてみようか…)
その時
「入るわよ」
ノックと同時に姉貴が部屋に入ってきた。いや、ノックしてから入れよ。
「なんだよ」
「来週暁人のところに行くわよ」
………はい?
「いや、引っ越したばかりは忙しいだろうから、もう少し落ち着いてからにした方が…」
「暁人も『遊びに来て』って言ってたじゃない」
「いや言ってたけど、来週は早すぎねえか?」
姉貴はそれには答えず、
「あと篤紀、あんたちょくちょく二人のところに顔出しなさいよ」
………はい?
「ちょくちょく…とは?」
「二人の様子報告してよ。私ももちろん行くけど、あんたの方が自由が利くでしょ。手土産代くらいは出してあげるから」
「俺も就活があんだよ」
「何も決まってないくせに」
「う…だ、だから大変なんだよ」
「あと小遣いかバイト代で、暁人たちにちゃんと引っ越し祝いあげなさいよ」
姉貴の前では俺の人権も立場も都合も無に等しい。言いたいことだけ言って姉貴は部屋を出て行った。
(でも…確かにに気になるな)
実央君の男子校生活。不謹慎ながら腐男子としての好奇心がムクムク沸き起こってくる。
(謎の空き教室…体育館倉庫…養護教諭が不在がちの保健室…)
そこに「男だけ」という要素が加われば無敵?だ。
(しょうがない、姉貴に土産代をもらって行ってやるか。姉貴に逆らうと、命令に余計なオプションが付きそうだし)
俺はスマホのカレンダーで自分の予定を確認し始めた。
おしまい
5 実央の告白
暁人さんが怒っているような気がする。確かにこのところ就活や卒研のことで悩んでいて、思うように二人で会えなかった。僕も暁人さんに会いたくて仕方なかった。だからそんな気持ちが通じたのだろうか。
K大学経済学部国際経済学科白川研究室の研修相談会も兼ねた飲み会の一次会が終わってお店の外に出た時に、暁人さんとばったり会えた時はびっくりした。
暁人さん…広瀬暁人さんは大学でサークルが一緒だった、2つ年上の先輩で…その…僕の恋人だ。
「実央!」
「暁人さん!」
偶然に会えた嬉しさに思わず駆け寄りそうになったが、何か重石のようなものが僕の体を押さえている。酔っぱらった3年生の渡瀬海里君が後ろから僕にもたれかかっていたのだ。
「実央君、イイ匂い~」
酔い過ぎでそんなことまで言っている。暁人さんは今年社会人2年目で、同僚らしき人と一緒だった。僕の方も暁人さんの弟篤紀君と一緒だった。篤紀君は一つ年下で同じ研究室に所属している。
「実央!!」
再び名前を呼ばれたと同時に、僕は暁人さんに手首を掴まれ勢いよく引っ張られた。そのまま暁人さんは元来た方へと引き返していく。
(ど、どうしたんだろう、急に…)
僕は暁人さんの歩幅に合わせるのが精一杯だった。暁人さん…怒ってるのかな…。
暁人さんは僕の手首を掴んだままいきなり立ち止まった。息を整えて周りを見回すと…そこはラブホ街だった。
(えーと…)
ちょっと恥ずかしくなってきた。僕はラブホに入ったことはないし、暁人さんと会う時も…その…そういう時も普通のホテルだった。近くを通る人がこちらをチラチラ見ている気がする。
「ラブホでもいいか、実央」
暁人さんにそう聞かれてビクッとしたが、無意識で頷いていた。
「あの…男同士でも入れるんですか?」
声を潜めて聞いてみると
「ダメなところもあるらしいけど、ここは大丈夫そうだ」
暁人さんはそう言って、比較的落ち着いた感じのラブホに僕の手を引いて入って行った。
僕がシャワーを使っている間に、暁人さんは僕の自宅に連絡してくれたらしい。僕と交替して暁人さんがシャワーを浴びに行った。浴室には大きなバスタブがあったので、恥ずかしいけど後で一緒に入りたいなと思ってしまった。
暁人さんを待っている間、僕は部屋の中を見回して観察してしまった。
(こんなふうになってるんだ…もっとハデなのかと思ってた)
ここに入るときに空いている部屋から好きなものを選べるようになっていて、暁人さんは一番普通っぽい部屋を選んでいたと思う。僕のことを考えてくれたんだろう。暁人さんはいつも僕に優しい。
暁人さんと出会ったのは大学に入ってすぐの、部活やサークルの新入生歓迎の時だった。桜が舞っていてまるでドラマや漫画みたいだなと思っていた時、暁人さんに声を掛けられた。暁人さんは僕にチラシを渡すと、
「よかったらお試しでもいいから来てみてよ。時々温泉に入りに行く、ユルいサークルだから」
「はい(温泉研究会…)」
かっこいい人だなと思った。背も高くていわゆるイケメンだ。大学ってこんな先輩がたくさんいるのかなと思った(※たくさんはいません)。
(ゆるいサークル…)
僕は入学式の前、従兄の翔君に注意されたことを思い出した。入学祝いを持って広子伯母さんと翔君がうちに来てくれた時のことだ。
「大学のサークルには気をつけろよ、実央。ヘンな所に入ると危ないからな」
翔君は言った。
「危ない?」
「飲みサーとかヤリサーとかさ」
飲みサーとかヤリサー…飲みサーはなんとなくわかるけど、ヤリサーとは?
「だから男女でエッ〇なことをするのが目的のサークルだよ。表向きはスポーツだったり趣味だったりもっともらしい名前が付いててわかりにくいんだけどさ、サークルなんて無理に入らなくていいし、興味があってもよく調べてから入れよ。実央はかわいいからあっという間に餌食になるぞ」
翔君は物騒なことを言っていた。K大のサークルにもそんなアブナイものがあるのだろうか。
その記憶があったものだから、「ゆるいサークル」と言われて、ちょっと警戒してしまったのだ。でもなぜだか僕はチラシをくれた先輩が気になった。僕は別に男性が好きとかではないが、もう一度会ってみたいと思ったんだ(温泉も好きだったし)。
(お試しでもいいって言ってたし…)
危なそうだったらやめればいい。僕は思い切って温泉研究会の部屋に行ってみた。ノックをして恐る恐るドアを開けてみると
「あらー、新入生?」
女性の先輩の明るい声に出迎えられた。
「こ、こんにちは…あの…」
部屋には何人かの先輩たちがいたが、ハデな感じはしなかった。どちらかというと…地味?な人が多かったように思う。その中に一人目立って、チラシをくれたあの先輩・暁人さんがいた。
「あー、やっぱり広瀬の方見ちゃう?こいつはメンバーを増やすためにオレが誘ったんだよ」
聞いたわけでもないのに別の先輩が説明してくれた。
「違うよ、俺がチラシを渡した子だよ」
暁人さんは俺に近寄ってきて
「来てくれてありがとう、最初はお試しでいいよ。無理に入らなくていいからね」
優しく言ってくれた。
「温研に癒し系来たー、もう無敵じゃん」
また別の先輩が言う。こうして僕は温泉研究会に入った。そんなに頻繁に温泉に行くわけではないが、サークルに顔を出して暁人さんと話をするだけで十分楽しかった。
それから…まあ色々あって暁人さんと僕は付き合うことになった。少しずつ暁人さんのことを意識し始めた時「まさか?」と思った。でも別に他の男性が気になるとかではない。街を歩いていても目が行くのはかわいい女の子たちだ。暁人さんだけが特別だった。
告白は暁人さんの方からしてくれた。
「実央、大好きだ、おじいちゃんになっても実央と一緒にいたい。俺と付き合ってほしい」
そう言われて僕もはっきり自分の気持ちを自覚した。僕は暁人さんのことが好きなんだと。
「僕も先輩が大好きです。ずっと一緒にいさせて下さい」
気が付くと僕はそう答えていた。
でも暁人さんも僕も同性と付き合うのは初めてだった。僕は高校の時同じクラスの女の子に告白されて一度だけ付き合ったことがあるけれど、「遅い」と言われてあっさり振られた。「遅い」の意味がよくわからなかった。デートに遅刻したことなんかなかったのに。暁人さんの方は当然モテただろう。いや、進行形でモテている。温研に入らなくても外部から度々女子学生が会いに来るので、怒った先輩が「メンバー以外立ち入り禁止」という張り紙を出したくらいだ。
とにかく初めてのことだらけで、二人で試行錯誤?しながら関係を進めたし、これからのことも話し合った。「お互い同性はやはり無理」と感じた時は正直に言おうと。そして相手を解放しようと。でも僕はどんどん暁人さんのことが好きになっていった。見た目だけじゃなくて、誠実で優しい暁人さんに惹かれていって、
(今暁人さんに振られたらどうしよう…立ち直れないかも)
と思うようになっていた。
暁人さんは早い時点で僕の両親に挨拶に来てくれた。当然反対されると思っていたが、お母さんはあっさりOKしてくれて驚いた。お父さんの方はわかってもらえるまでちょっと時間がかかったけど。暁人さんの方もお姉さんの綾乃さんがすごく意欲的?で僕のお母さんとすぐ仲良しになった。暁人さんのお父さん(アメリカ赴任中)も弟の篤紀君も僕たちを温かく見守ってくれた。暁人さん姉兄弟は本当に仲が良くて、一人っ子の僕は羨ましかった。ただ…暁人さんのお母さんだけには猛反対されてしまった。そしてそれは今も続いている…。
ベッドの上でぼんやりと部屋の中を見回しながら考え事をしているうちに、暁人さんが浴室から出てきた。バスタオル1枚腰に巻いた姿で、僕はドキッとしてしまった。別に暁人さんの裸を見たのは初めてじゃないのに…。暁人さん以外の男性の裸には何も感じない。去年の秋捻挫をしてしまった時は篤紀君や研究室の先輩加賀さんにずい分支えてもらったけれど、触られても何とも思わなかった(※加賀さん、不憫…)。でも暁人さんに「お姫様抱っこ」された時は心臓が飛び出しそうだった。恥ずかしかったけれど、すごく安心できた。
「どうした?何か気になるのか?」
暁人さんが聞いてきたので、
「いえ、僕ラブホって初めてで」
そう答えて
「ちょっと興味があったんですよね、一度来てみたいなって」
と、本音を漏らしてしまった。僕も男だから好奇心がないと言えばウソになる。
「そうなのか?」
暁人さんはちょっと意外そうだった。だから僕は恥ずかしかったけれど、正直に言った。
「今日は思いがけず来られてうれしいです。だって僕がラブホに来るとしたら、暁人さんと一緒でなきゃ来られないじゃないですか」
あ、あれ?暁人さんの動きが止まった?何かヘンなこと言って、引かれちゃったかなと思ったら
「実央!」
いきなり暁人さんの体が覆い被さってきた。
「えっ?あ…暁…」
―――ブラックアウト―――…いや…―――ホワイトアウト?―――
次の日の朝、暁人さんはタクシーを使って僕を自宅まで送ってくれた。お金がかかるからいいと断ったのだが…その…僕の体を案じてくれてのことだった。タクシーの中で暁人さんは目を瞑っている。寝てるのかな。
(昨夜はなんかすごかった…)
あんな暁人さんは初めてのような気がした。なんというかちょっと乱暴?みたいな(赤面)…でも不思議と嫌だとは思わなかった。嬉しいとさえ思ってしまった。
(僕ってなんかおかしいのかな…もしかしてヘンタ…)
その時暁人さんの手が僕の手の上に置かれた。大きくて温かい手だった。
家に着くと暁人さんはお母さんに謝ってくれた。ちゃんと連絡してくれたし、そこまで謝ることないのに…。お父さんは泊りのゴルフだったので、ちょっとホッとしたようだった。暁人さんはうちで朝食を食べ、僕の部屋で少し休んでから帰って行った。暁人さんが帰った後
「実央、どうしたの?」
お母さんに聞かれた。
「どうって…」
「なんかヘンな顔してるわよ、暁人さんとケンカしたわけじゃないんでしょ」
「してないよ、ただ…」
「何?」
「居酒屋を出て偶然暁人さんと会ったとき、すごくうれしかったんだけれど、暁人さん何か怒ってるみたいに見えたから…」
お母さんに話すことではないかもしれないけれど、言ってみた。
「居酒屋出て何してたの?篤紀君もいたんでしょ?」
「うん…何もしてないけど…みんなで2次会どうしようかって話してて…あ、そういえば海里君が」
「海里君?」
「うん、渡瀬海里君、篤紀君の友達で同じ研究室の3年生。その子が酔っぱらっちゃってふざけて僕の後ろから抱きついてきて『イイ匂い』とか言うから、恥ずかしかったよ。僕ってなんか匂うかな?」
「……」
お母さんは少し黙ってから
「実央、もし目の前で酔っぱらった女性が暁人さんにベタベタ纏わりついて、『広瀬さんイイ匂い』とか言ったら実央はどう思う?」
「どうって…それは…イヤかも」
「でしょう?」
え?じゃあ暁人さんはやきもち焼いてくれたってこと?でも海里君は男子なのに…。
「そういうことよ」
お母さんは笑ってそう言うと、台所へ入って行った。
(暁人さんがやきもち焼いてくれた?)
不謹慎だけどぼくはまた「うれしい」と思ってしまった。実はもうすぐ母校で教育実習が始まる。当分会えないと思っていたので、今日の出来事は本当にラッキーだった。
就職先については3年生の時からものすごく悩んでしまった。暁人さんと僕は、僕の卒業後一緒に暮らそうと決めている。場所選びも重要だ。暁人さんは大企業の大室精密本社に勤務している。暁人さんは学生時代から優秀で、早くから自分の目標が定まっていた。篤紀君の話だと国公立の大学も目指せたのだが、K大で学びたい教授がいるからという理由で、うちで一番偏差値の高い理工学部に入学した。大室精密も早くから本命に決めていて、見事採用されたのだ。
(それに比べて僕は…)
「絶対にこれ」というものがない。経済学部を選んだのだって高校の時政経の先生と仲が良くて、授業が楽しかったからとか、その程度の理由だ。役人になりたいとか証券会社に勤めたいとかそんな希望もなかった。
(暁人さんはすごい…)
暁人さんと比較すると誇れるものが僕には何もない。張り合ったってしょうがないのだが、さすがに男として情けない気持ちになった。
(同居するときに暁人さんにばかり負担を掛けたくない)
(三松さんは出版社だったっけ。自分が白川教授の本で経済に興味を持ったからそんな本を作りたいって言ってたな)
三松さんは研究室の先輩で、お姉さんみたいな人。自分の考えをしっかり持っている人だ。じゃあ、僕は?
僕は白川教授に相談に行った。大学3年の9月のことだった。
「明石君が経済学部に来たきっかけは?」
教授にそう聞かれて、恥ずかしかったけれど高校の先生のことをありのままに話した。
「ちゃんとした理由があるじゃないか。それなら教師というのも選択肢の一つにしてみたら?明石君教職課程取ってたよね」
「教師ですか?」
考えてもいなかった。先生に憧れても、自分がその立場になるという発想はなかった。
「僕に…なれるでしょうか」
「気持ち一つだよ、教育実習の申し込みはしてあるのかい?」
「はい、一応出身高校に」
正直保険みたいな感覚で教職課程を取って、その流れで教育実習も申し込んだわけだけど、真面目に教師を目指している人には失礼な話だ。実習先の生徒にも学校にも失礼だった。でも白川教授に勧められて急に実感がわいた。
「目的は後から付いてくることもある。他の進路が見えた時はそちらを選べばいい。堅苦しくならないで柔軟に考えなさい」
教授にそう言われて少し気が軽くなった。でも暁人さんには黙っていた。見栄を張るわけではないが、ちゃんと決まってから報告したかった。篤紀君にもお願いして黙っていてもらった。
もちろん教職1本では心配だから、企業へのエントリーシートも書いたし筆記試験も受けた。早い所では面接も受けたし好感触のところもあった。でも…なにかピンとこない。
(サラリーマンに向いてないのかな…?)
なってもいないのに向き不向きなんてわからないのだが、なんとなくそんな気がした。
大学4年の6月、僕は母校で教育実習に通うことになった。政経でお世話になった山代先生はまだご在籍で、久しぶりの再会を喜んでくれた。
「明石君が来てくれてうれしいよ。勤務もここを希望するのかい?」
山代先生に聞かれたが
「いえ…」
申し訳ないとは思ったが、僕はそう答えた。僕の母校と暁人さんが勤める大室精密本社とはエリアが全然違う。同居を大前提に考えると難しかった。山代先生はちょっと残念そうだった。
生徒とは仲良くできたと思う。最初は緊張しまくりだったが親しみやすい生徒が多くて楽しかった。ただなぜかあまり「明石先生」とは呼ばれずに「実央先生」とか「実央君」と呼ばれていた。高校生ともなると男子は大きい子が多くて、囲まれると僕は埋もれてしまいそうだった。
教員の応募は一般企業みたいに多くはないので、条件の合うところをいくつか受けた。もちろん不採用のところもあったが、最終的に2つに絞った。
(私立三輪春学園と私立花崎女子高等学校…)
立地はどちらも悪くない。三輪は男子校だけどわりと自由な校風でブラック校則とかもなさそう。花崎は女子高だけあって校舎が明るくておしゃれだ。でもちょっと厳しいみたいだな。僕はあのラブホの日、暁人さんがやきもちを焼いたことを思い出した。
(暁人さんて、やきもち焼きなのかな)
それなら女子より男子校の方がいいか。女子に囲まれるより、男子の方が気にならないかも(※違う)。それに「三輪」はお母さんの「実和子」を思わせるし…縁があるかも。
9月になってやっと暁人さんに就職先を報告することができた。
「男子校…?」
暁人さんはひどく驚いた様子だった。僕は教師になるなんて一言も言っていなかったから、きっとびっくりしたんだろう。研究室でお世話になった先輩・三松さんや加賀さんにもラ〇ンで知らせておいた。三松さんからは「オメデトウ!がんばって!」と返事が来たが、加賀さんからは既読がついてもなかなか返事が来なかった。いつもすぐ返してくれるのに、忙しかったのかな
これで同居に一歩近づいた。11月には暁人さんのお父さんが日本に戻ることが決まったそうだ。暁人さんが家を出てもそんなに寂しくならないかな。うちの方はお父さんとお母さん二人だけになっちゃうから、少し申し訳ないけど…。
「実央が…男子校の先生…!?」
暁人さんはずい分喜んでくれているみたいだ。来年の春からは二人の新生活がいよいよスタートする。僕は今からワクワクする気持ちが抑えられなかった。
おしまい
6 母の愛
一人息子の実央がいきなり朝帰りをした。事前に連絡はあったが、電話をくれたのは実央の彼氏暁人さんだった。実央は大学の先輩だった広瀬暁人さんと交際を続けていて、そろそろ丸3年になろうとしている。暁人さんは社会人2年目だ。昨夜は所属する研究室の飲み会だったはずだけど、そこで暁人さんとばったり会ったらしい。
(最近なかなか会えてなかったものね。就活も踏ん張りどころだから仕方ないけれど)
翌朝暁人さんはわざわざタクシーを使って実央を送ってきてくれた。
(さすが執着系の攻め様…)
暁人さんは急に実央を外泊させてしまったと平謝りだったが、連絡はちゃんとくれたし二人とももう大人。何があったかくらいは母もちゃんと理解していますから、心配しなくていいのよ。夫は息子たちの関係には複雑な思いを抱いているようだったが、幸いその日は泊りのゴルフで留守だった。それに「複雑な思い」とはいっても最近だいぶ軟化してきている。息子が可愛くてしょうがない人だから、結局は実央の望むようにさせるだろう。
朝ごはんがまだだと言ったので、私は簡単な朝食を作って二人に食べさせた。その後暁人さんは実央の部屋で少し休んでから自宅に帰って行った(休んでたのかしらね)。名残惜し気に実央が暁人さんを見送った後、表情が曇っていたから
「実央、どうしたの?」
と聞いてみた。昨夜うまくいかなかったのかしら…(※お母さん…)
「どうって…」
「なんかヘンな顔してるわよ、暁人さんとケンカしたわけじゃないんでしょ」
「してないよ、ただ…」
「何?」
「居酒屋を出て偶然暁人さんと会ったとき、すごくうれしかったんだけれど、暁人さん何か怒ってるみたいに見えたから…」
怒ってる?研究室の集まりだったんだから複数人いたはずでしょう?
「居酒屋出て何してたの?篤紀君もいたんでしょ?」
「うん」
篤紀君は暁人さんの弟で実央より一つ下、同じ研究室に所属している。
「何もしてないけど…みんなで2次会どうしようかって話してて…あ、そういえば海里君が」
「海里君?」
「うん、渡瀬海里君、篤紀君の友達で同じ研究室の3年生。その子が酔っぱらっちゃってふざけて僕の後ろから抱きついてきて『イイ匂い』とか言うから、恥ずかしかったよ。僕ってなんか匂うかな?」
「……実央、もし目の前で酔っぱらった女性が暁人さんにベタベタ纏わりついて、『広瀬さんイイ匂い』とか言ったら実央はどう思う?」
「どうって…それは…イヤかも」
「でしょう?」
実央は何か思い当たったようだ。ちょっと天然でほわんとして鈍い所があるから、気が付かなかったんだろう。この子は暁人さんが「溺愛執着系彼氏」だとわかっていない。
「そういうことよ」
それだけ言って私は台所に引っ込んだ。まずいわ…ニヤニヤが止まらない。
実はわたくし明石実和子は年季の入った腐女子である。「女子」表現に異論は認めません。別に腐女子だから一人息子と彼氏を応援しているわけではなくて、モチロン母親としての愛情の発露である。母の愛ですよ、母の愛。ちなみに暁人さんのお姉様綾乃さんも同じ腐海の住人で、顔を合わせた当初からそりゃあもう意気投合。息子たちの知らないところで度々会って、色々楽しいことをしている。綾乃さんのお友達にはBL漫画家さんもいて、たまにお手伝いもさせてもらっている(創作の方ではなく家事の方ね)。お金では得られない無償特典を様々頂いているのだ。
ただね、順風満帆というわけでもない。綾乃さんはもちろん、現在アメリカでお仕事をしている暁人さんのお父様も弟の篤紀君も二人を見守ってくれているのだけど、暁人さんのお母様静子さんだけはいまだに猛反対なさっている。去年の夏には暁人さんに女性を宛がおうと(※言い方…)、お見合いまで画策したのだ(これは綾乃さんのおかげで撃破)。
同じ母親として静子さんの気持ちもわからないではない。暁人さんは見た目がモデルさんのような容姿で(※実和子の主観)、成績優秀、性格も良し、大手の優良企業に勤務と出来過ぎ男子で、私だってこんな息子がいたら方々に自慢するわ。とにかくそんな暁人さんが同性の恋人を作っちゃったものだから、七転八倒大騒ぎ。暁人さんもほとんど諦めているらしい。時間がかかってもいつか認めてくれたら、うれしいんだけどな…。
「あー、あの日の外泊ね」
綾乃さんはすぐ思い当たったらしい。あれから数日後、綾乃さんが我が家におしゃべりに来ていた。
「暁人ってば実和子さんには連絡したのに、自分のうちにはしなくって」
「そうだったの?暁人さんらしくないわね」
「実央君に会えてよーっぽどテンパッてたのかしらね。母が暁人が帰ってこない、連絡もないって騒ぐもんだから、私も事情は知らなかったけれど『私が連絡を受けてたのに伝え忘れてました』ってことにしたのよ。母が直接暁人に連絡するとややこしいことになりそうだったから。ひょっとして実央君絡みかと思って篤紀に確認してみたら、ビンゴ。『出先でばったり二人が会って、どっかに行っちゃったよ』ですって」
「わたしも大体のことは実央に聞いていたんだけれど…はじめちょっと暁人さんのご機嫌が悪かったとか…」
「あー、最近思うように実央君に会えてなかったからねー。でも就活もピークなんだから仕方ないじゃないねえ」
「それもあるんでしょうけれど…実は…」
私は海里君のことを綾乃さんに話した。
「なにそれ、面白すぎ♡」
暁人さんには悪いけれど、腐女子には楽しい展開よね、やっぱり。
「実央君の就活のことも心配してるんだけれど、なかなか教えてもらえないって、それも不満みたいよ」
実央の就職のことは母親だからもちろん大体把握している。けれど実央ははっきりしてから自分の口で暁人さんに伝えたいようなので、綾乃さんにも話せなかった。
「そのうち実央からちゃんと伝えると思うわ。暁人さんとの同居を前提に考えているのは間違いないわよ」
申し訳なかったが、綾乃さんにはそう言うしかなかった。綾乃さんも無理には聞いてこなかった。
「そうよね、私も楽しみにしているわ」
綾乃さん…「楽しみ」?心配とか応援じゃなくて「楽しみ」なの?
9月になって実央の就職先がはっきり決まった。私立三輪春学園という都内の男子校に社会科の教師として勤務することになった。教師も選択肢に入れると聞いたとき、我が息子ながら向かないんじゃないかと思ったのだが大学の教授に勧められたという。いくつか企業の採用試験も受けていたが、会社員はどうもしっくりこなかったらしい。
(確かに会社員も似合わないかも…だったら何が…)
エプロン付けた花屋さんとかカフェ店員とか、先生だったら幼稚園、そんな姿しか浮かんでこなかった。それにしても男子校って…楽し…じゃなくて、大丈夫かしら?
「私立花崎女子高等学校と迷ったんだけれどね、暁人さんてちょっとやきもち焼きなのかなって…へへ…だから男子校の方がいいかもなって。三輪春学園の「三輪」ってお母さんの「実和」と音が同じでしょう?親近感があって安心するんだ」
実央はそう言った。嬉しいこと言ってくれるなー。でも…ちょっといや、だいぶ間違えてるよ実央。暁人さんのためには女子高の方が良かったのかもしれない。今年卒業した男の先輩が、実央のことを狙っていたということは綾乃さん経由で聞いている。その時は私も協力して、できるだけ実央の予定を事前に綾乃さんに伝えていた。その度に篤紀君が実央をガードしてくれていたという。つまり女子ではなく男子の方がアブナイのだ。
「三輪春の方が暁人さんのいる大室精密に近いものね」
私が言うと、実央は大きく頷いた。
来春この子は家を出て暁人さんとの新生活をスタートさせる。一人っ子の実央を送り出すのは親としてものすごく寂しいけれど、息子が望んだことだ(この話が出ると夫は今から泣き出す始末)。母としてはできるだけのことをしてあげたい。広瀬さんの方もお父さんの明さんが日本に帰国するそうだから、それほど寂しくないかもしれない。同性カップルにはまだまだ辛いことも多いだろうけれど、二人ならきっと大丈夫。私は笑って実央を見送るつもりでいる。
(それにしても…男子校か…)
この先もずっと、綾乃さんと楽しいBL談義ができそうだ。
おしまい
* おまけ ある日の新婚家庭
G.Wの休日、広瀬綾乃・篤紀姉弟は都内のとあるマンションを訪れていた。
「いらっしゃい、綾乃さん、篤紀君」
中からちょっと幼な顔の可愛い男子が出てきて二人を出迎えた。「可愛い男子」と言っても22歳の社会人である。
「お邪魔しまーす、実央君」
綾乃が明るい声で言い、勝手知ったるという感じでずかずかと中に入って行った。
「また来たのか、姉さん」
リビングで彼らを迎えたのは長身のイケメンである。彼の名前は広瀬暁人、綾乃の弟で篤紀の兄だ。
ここは暁人と先程二人を出迎えた明石実央の「愛の巣」である。実央の就職を機に恋人同士の二人は同居を始めたのである。いわば「新婚家庭」みたいなものだ。暁人と実央は大学時代の先輩・後輩で付き合い始めてそろそろ4年になる。
「『また』とはなによ、失礼ね。二人の新生活を心配してあげてんじゃないの。姉の愛がわからないの」
綾乃は不満げに言う。綾乃に逆らっても無駄なことはわかっていたので、暁人はそれ以上何も言わなかった。
「実央君、これお土産」
篤紀が手提げを渡す。
「買ったのは私だけどね。お昼に一緒に食べましょう」
綾乃が口を挟む。
「ありがとうございます」
実央はお礼を言ったが、
「昼飯も食ってくのか?」
暁人が再び文句めいたことを言った。
「この時間に来たら当然でしょ。すぐ追い返すつもりだったの?寿司でもピザでも頼みなさいよ、私が奢るわよ」
暁人はやれやれという表情をしている。諦めたようだ。
「あっ、俺寿司がいい、お寿司頼んでいい?」
篤紀が手を上げた。
「なんであんたが決めてんのよ」
と、綾乃が言うと、篤紀は実央の方を向いて同意を求めた。実央は笑顔で頷く。
「やったー、じゃあ寿司ね、俺が注文するわ、実央君ワサビ苦手だったからサビ抜きだね」
篤紀は早速スマホを取り出したが、
「クレカ払いにするから私が頼むわよ、あんたに任せるとサイドメニュー頼み過ぎるんだから」
綾乃は自分のスマホを取り出した。
「じゃあ僕お吸い物作るね」
「実央君作れるの?」
「簡単なのだよ、お母さんに教わったんだ」
「すげーよ、姉貴なんか簡単なのも作らないよ」
「…篤紀、あんただけ寿司なしにしてもいいのよ?」
「スミマセンデシタ…」
広瀬姉兄弟の会話はいつもこんな感じである。
実央がキッチンに行くと暁人も付いて行った。エプロン姿の実央が何かしている横でそっと実央の腰に手を回し、髪に軽くキスをしている。実央は照れくさいのだろう、ちょっと肩をすくめて首を傾けた。
(…うわー…)
綾乃と篤紀は口を開けて二人を見つめている。
(こいつらいつもこんな事してんの?<暁人・兄貴>浮かれすぎじゃね?生けるBLじゃん)
姉弟は同時に同じことを考えた。
「それにしても都内のこの場所で2LDKって、けっこう家賃高いんじゃねーの?」
篤紀が声を掛けたので、暁人はこちらに戻ってきた。
「まあね、安いとは言えないけど…実は家を出る時さ、父さんが餞別と引っ越し祝いだって品物の代わりに結構まとまったお金をくれたんだよ」
「へえー、さすがお父さん太っ腹ね」
「俺は広瀬家の不動産を相続するつもりはないからな、あとは姉さんと篤紀に任せるよ」
「えー、なんだよそれ」
「篤紀が継ぎなさいよ、結婚するんでしょ」
そんな会話がひとしきり続いた後、キッチンから戻ってきた実央に綾乃が聞いた。
「学校の方はどう、実央君?」
暁人の眉がぴくりと動く。
「楽しいです。まだ緊張していっぱいいっぱいだけれど」
「2年生の副担してるんだって?すげーじゃん」
篤紀も聞いてくる。
「いや、副担て言っても担任の先生がみんなやってくれるから」
「担任てどんな先生?いくつくらい?男?」
綾乃が矢継ぎ早に聞いてくる。
「男の体育の先生です。歳は…30手前くらいだったかな、面倒見が良くて生徒にも人気があって。2年生は受験にはちょっと早いし、でも学校には慣れているから受け持ちやすいだろうって副担にしてもらいました」
「へえ~」
ニヤニヤしながら綾乃は暁人の顔を確かめる。明らかに不機嫌な表情だ。
(これは面白いことになってるわね)
綾乃は内心ほくそ笑んだ。彼女は腐女子である。ついでに言うと篤紀は腐男子である。だがお互いがBL好きだとは知らない。暁人と実央のために少し齧った程度だと思っている。
(綾)「女の先生っているの?」
「いますよ、少ないけれど。若い先生はいないかな。僕の前任者がわりと若い先生だったんだけれど、二人目のお子さんを出産されるから産休じゃなくて一度離職するってことで。上のお子さんもまだ小さいらしくて。引継ぎの時にお会いしましたけれど、子育てが一段落したらまた復職したいっておっしゃってました」
(綾)「(女の話はいい)養護教諭は?」
「男の先生です。40くらいの」
(篤)「空き教室とかある?」
「空き教室?使っていない教室のこと?あることはあるけれど…学園祭とか生徒同士のディスカッションとかに使うみたいで…」
「さっきから何なんだよ、姉さんも篤紀も」
暁人が堪らず割って入った。
綾乃は動じない。
「何って、知りたいじゃない実央君の職場のこと」
「そうそう、新鮮じゃんか、学校の先生って」
二人が立て続けに言う。
(綾)「高校生だともう生徒も大きい子いるよね」
「うん、僕より背の高い子いっぱいいますよ」
(篤)「明石先生、可愛がられたりしない?」
「あー、それはないと思うけど、みんな『明石先生』ってあまり呼んでくれなくて。『実央先生』とか、中には篤紀君みたいに『実央君』て呼ぶ子もいるんだよ。その度に金谷先生が…あ、さっき話した担任の先生だけど、『ちゃんと明石先生と呼べ』って言ってくれて」
(綾・篤)(ヤバい、面白すぎる…<暁人・兄貴>の顔が…)
「暁人―、心の狭い男は嫌われるわよー…あれ、これ素敵な置時計ね。この前来た時はなかったわよね」
綾乃がサイドボードの上にある時計に気が付いた。
「あ、それ…」
実央が時計に手を置いて、
「ステキでしょう?少し前に暁人さんの同僚の岩城さんが来てくれて、引っ越し(≒結婚)祝いにくれたんです」
「岩城さん…あー、あの人!かっけーよな、あの人も。俺世話になっちゃって」
「何よ、あんた会ったことあるの?」
「うん、1年くらい前だけど。ホラ、あの、「いきなりホテル事件」の…」
「ああ、あの時」
「そう、兄貴と実央君がいきなり消えちゃったからさ、岩城さんが飲み屋で俺と海里と優也と智に奢ってくれたんだよ」
厳密に言うと綾乃と篤紀は、あの日暁人と実央がホテル(ラブホ)に行ったことをしっかり確認したわけではない。状況証拠でそう確信しているだけだ(※「いきなりホテル事件」についてはエピソード2・5をご参照下さい)。その通りなので、問題はないが。
「岩城さんて…ああ、もしかして営業部の同期だって言ってた人?」
綾乃が聞くと、暁人は笑顔に戻って答えた。
「そう、本当にいいやつでさ。俺なんか世話になりっぱなしだよ」
「へえ…」
「俺の…実央との噂が社内に広まった時も、噂を広めた上の人に噛みついてくれてさ」
「ほう…」
「他にも嫌味を言ってくる人がいると、あいつの方が言い返してくれて」
「なるほど…それでその岩城さんに何か言われたりしなかった?」
「何か?何かってなんだよ」
「例えば、例えばの話よ、『お前が好きだ』的な…」
暁人は大笑いした。
「姉さん何言ってんだよ、いくらあいつが俺のために頑張ってくれるからってそんな訳ないだろう、大体あいつは女好きだし」(※岩城君、不憫…)
「チッ」
「え、なに?今舌打ちした?」
「してません、それより今の話もっと詳しく」
「話さないよ、社内のことだし」
「チッ」
綾乃はまた舌打ちした。実央は今一つ話の趣旨がわからず、きょとんとしている。
「でも…近いうちに異動でやつとも別れるんだよ」
「あら、残念」
「うちの会社は希望部署に行く前に5年くらいは他部署を経験させられるんだけどさ、営業部で2年以上になるからまた次の部署への内示が出たんだ。さすがに今度は別になった」
一応付け加えておくと、適性がないと判断されれば希望部署へ行けるとは限りません。
「それで、どこになったの?」
「俺は広報部、岩城は秘書課」
「秘書課!岩城さん似合いそうだな!」
篤紀が身を乗り出した時、お寿司が届いた。
「綾乃さんが買って来てくれたお惣菜も出すね…あれ、これって…買ったものじゃないよね?」
実央は手提げから一つ一つパックを出したが、その中に明らかに売り物ではない布巾で包まれた保存容器があった。
「ああ、それ…」
綾乃が実央から受け取って布巾を開くと、明らかに手作りのおかずが現れた。
「お母さんが作った筑前煮よ。たくさん作り過ぎちゃって捨てるのももったいないから、よかったら持って行きなさいって。ホント素直じゃないわよねえ」
言いながら蓋を開けた。
「おいしそう…」
「母さんの煮物か…久しぶりだな」
暁人が嬉しそうな顔で筑前煮を見つめる。
「良かったですね、暁人さん」
実央も嬉しそうに暁人を見て微笑んだ。
「実央君てさー」
そんなほのぼのした雰囲気を壊すように、篤紀が突然話題を変えた。
「ずーっと兄貴にそういう話し方してるよな、敬語?先輩だったからっていうのはわかるんだけどさ、でも恋人同士でなんならもう夫婦みたいなものなのに、ちょっと距離遠くない?」
「篤紀、お前たまにはいいこと言うな」
暁人は褒めたつもりだったが、
「たまに…」
篤紀は不満そうだ。
「俺も言ってるんだよ、前々から。タメ口にしてほしい、名前も呼び捨てにしてほしいって」
「よ、呼び捨てなんて…」
実央は惣菜や食器を並べながら、困ったような顔をした。
「言ってみてよ『暁人』って」
「…今は…恥ずかしいです…」
「じゃあ後でな」
実央はコクリと頷く。
綾乃と篤紀は「自分たちは何を見せられているんだろう」という顔をしている。
食事が始まってみんな思い思いに箸を延ばす。
「おいしい、おいしいです、お母さんの煮物」
実央が嬉しそうに言う。
「うん、うまいな」
暁人も口に運ぶ。
「俺も」
と篤紀が箸を出すと
「あんたは食べなくてよろしい。うちで好きなだけ食べられるんだから」
綾乃がストップをかけた。篤紀は「チェッ」と下唇を突き出したが、
「実央君のお吸い物、すごくおいしいよ。まさか姉貴の手作りより先に実央君の手作りを味わうとはね」
仕返しのようにそう言った。綾乃は黙って篤紀を睨む。
「うん、おいしいよ実央」
暁人が褒めると実央はまたコクリと頷いた。
「あー、もうお腹いっぱい!」
綾乃が言ったので、
「え、もうですか?」
実央が驚いて聞いた。
「ちがーう、暁人と実央君のラブラブがお腹いっぱいなの」
暁人と実央は顔を見合わせてまた笑った。
「それにしても母さんがよく煮物を持たせたな」
暁人が改めて言うと
「あー、それは…」
「黙んなさい、篤紀」
「いいじゃん、別に。姉貴がさ、オフクロに見せたんだよ、あの動画」
「動画?」
「兄貴知らなかった?親父の帰国祝いパーティの時のアレ、姉貴が動画撮ってたの」
「…いつから…」
「それがさあ、最初から撮ってたんだよ、オフクロの嫌味の前から。俺のぐちゃぐちゃの泣き顔まで撮ってんだぜ?俺も姉貴の涙と鼻水の顔撮ってやればよかったわ。脅しのネタに…ってえなっ!!」
言い終わる前に篤紀は拳固で綾乃に頭を叩かれていた。
「ホラー、いつかのお正月の時みたいにさー、面白いコトがあるかもって。ホホ…あの時の暁人の迫力は凄かったわねー」
綾乃は笑ってごまかそうとしたが、
「まあ、お母さんも感じるところはあったんじゃない?」
ちょっと真顔になってそう言った。
「よく母さんが観たな」
「篤紀が『見せた』って言ったでしょ」
その時の綾乃には何とも言えない迫力が漂っていた。
「俺にとっては黒歴史だけどな、でも許せなかったんだよ、実央のことをあんな風に言うなんて…たとえ母親でも…」
暁人は少し顔を背けて、あの日のことを思い出すように言った。
すると実央が暁人の手に自分の手を重ねて言った。
「大丈夫です、暁人さん。僕たちは男の人が好きだから一緒になったんじゃなくて、お互いが大好きで今こうして一緒にいるんだって、自分たちがわかっていれば大丈夫です」
「実央…」
二人は見つめ合って自分たちだけの世界に入り込んでいる。
(綾・篤)(あーコレまた抱きしめてキスしたいのを耐えてるパターン…)
そう想像しながらも
(なんだかんだ言っても、実央君の敬語って可愛くていいよね)
そう思う綾乃と篤紀なのであった。
おしまい
終わり
お楽しみ頂けたでしょうか。表現が古くて読みづらい部分はご容赦下さい。もう少しこのシリーズでお話が作れたらなと思っています。お読み頂き、ありがとうございました。




