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無常堂夜話

聖なる夜の物語【無常堂夜話5】

梅ちゃん准教授が企画したクリスマスパーティーは、『リア充爆発しろ』の思いに満ちたものだった。パーティーをホラーにすべく買い求めた呪物によって、梅ちゃんに悲劇が襲い掛かる。ソラの従妹、来栖安奈が登場。

起・パーティー準備


「あ~あ、もう12月になっちゃったねえ~」

「来年には2年生になるやなぁ~。早いもんやなぁ~」


 私、一条戻子いちじょう・れいこは、親友の貴家鏡子さすが・きょうこと、窓の外を見つめながらお昼ご飯を食べていた。


 私と鏡子は、S大学の人文学部に入学して早8か月になろうとしている。前期はあっという間に過ぎて目まぐるしい日々だったが、学園の生活に慣れてくるに連れて生活にも余裕ができ、後期はレポートや先輩方との交流で忙しい毎日を送っていた。自分以外の人との交流ができるのは、余裕が生まれた証拠だろう。


 中でも、今までで一番印象的な出来事は、ソラさん……化野空あだしの・くうという人物と出会ったことだろう。白髪だらけの天然パーマ、丸顔で人懐っこい微笑、年齢は不詳だけれど、恐らく20代の半ばくらいか?


 彼とは、鏡子と一緒に九州へ『雨竜島伝説』を調べに行った時に出会った。そこでは数々の不思議な体験をしたが、ソラさんのおかげで戻って来られたのだと、今でも信じている。


 そして、彼とは妙な縁がつながり、彼が経営する『無常堂』という骨董品店にも行けるようになった私だったが、今もってソラさんのことは何一つ解っていない。


「……戻子、何考えとるんや? 12月やから、クリスマスに一緒に過ごす男が欲しいな~なんて考えとるんか?」


 ソラさんのことを考えていた私に、鏡子がニヤニヤしながら訊いて来る。


「別に、クリスマスは彼氏と過ごさなきゃならないって法律なんてないでしょ? 私はいつもどおり鏡子とケーキ食べて、プレゼント交換するだけでもいいよ」


 これは半分本音だ。男の子なんて、付き合ってもどうせめんどくさいだけだし……まあ、相手によっては楽しいって思えることもあるかもしれないけれど。でも、


「うひゃあ、嬉しいこと言うてくれるやん! やっぱ、戻子はうちの心の友やで」


 満面の笑みで喜んでくれる鏡子を見ると、


(そうだね。私には彼氏なんてまだ早いし、鏡子と遊んでいる方が楽しいもんね)


 そう再認識するのだ。


「何だい何だい? 今、『クリスマス』って言葉が聞こえたようだけど?」


 そこに、黒髪のショートヘア、青い瞳をした本学随一の変わり者で、学会の異端児とも言われている梅ちゃん……平島梅子ひらしま・うめこ准教授がやって来て、私たちの席に座りながら言った。


「梅ちゃん。もうお昼休みは半分過ぎましたけど、今からお昼ご飯ですか?」


 私が訊くと、梅ちゃんは『いただきます』をして茶碗を取り上げながら、


「まあね。2限の講義がちょーっと長引いちゃってね?

私、午後からの講義は受け持っていないから、お昼食べたらのんびりしようと思ったけど」


 ご飯を盛大にかっ込みながら言う。こんな豪快でおおらかなところが、梅ちゃんの魅力でもあり、一部の学生や助教、講師陣から『残念美人』と言われる原因でもある。


「けど……何や?」


 おかずのアジフライにかぶりつく梅ちゃんに、鏡子が訊くと、梅ちゃんはほっぺについたご飯粒をつまみ食いしながら訊き返してきた。


「そうだ、一条さんと貴家さん、あなたたち、午後ヒマ? 暇だったらさ、ちょっと私に付き合ってくれない?」


 私と鏡子は顔を見合わせる。確かに私たちも午後の講義は休講になっているので、時間はある。


「……それは別に構いませんけど、何するんですか?」


 私が訊くと梅ちゃんはお味噌汁の残りをずずーっと飲み干して、ニコッと笑って言った。


「ついて来てくれれば分かるわ。ちなみに、ノブさんの車でちょっとお出かけよ」



 お昼ご飯を食べた私たちが、梅ちゃんに連れられて職員駐車場に行くと、ノブさん……織田信尚おだ・のぶなお助教が待っていた。


「梅ちゃん、遅いですよ。あれ、なんで君たちまで?」


 ノブさんが私たちを見て訊くと、梅ちゃんがすかさず答える。


「私が誘ったの。あなたも、私と二人きりじゃ気を遣うでしょう?」


「いや別に、そんなことはないですけれどね? ごめん一条さんと貴家さん、梅ちゃんが強引に誘ったんじゃないか?」


「いえ、どうせ暇でしたし」

「梅ちゃんが今度は何をやらかすのか、うちらも興味あって」


「やらかすって何よ!? 私が今まで何かやらかした!?」


「まあまあ梅ちゃん。『どんな楽しいことをしてくれるのかな』ってことですよ。それより、早く出発しましょう。みんなも乗って」


 怒る梅ちゃんをノブさんは軽くいなして、みんなでノブさんの自動車に乗り込む。


「ノブさん、ちゃんと調べて来たでしょうね?」


 助手席に乗り込んだ梅ちゃんが訊くと、ノブさんは自動車を出発させながら、


「大丈夫ですよ、しっかり調べました。しかしクリスマスパーティーにどうしてホラーアイテムが要るんですか? どっちかって言うとハロウィーンイベントの方では?」


 そう、いぶかし気に訊く。どうやらこの二人、クリスマスパーティーを考えているらしい。しかも、ホラー要素を詰め込んだ……でも、どうしてクリスマスなのにホラー?


 私がそう思っていると、同じ疑問を抱いたのか、鏡子が身を乗り出して梅ちゃんに訊く。


「梅ちゃん、クリスマスにホラーはどないな意図があってん? まさか、『リア充爆発しいや!』的なノリやあらへんやろな?」


「いやいや、ドイツではクリスマスの日に悪い子は袋に詰められて連れられて行っちゃうって話があるでしょ? そんな意味を込めたものじゃないかなぁ。

だって大学の准教授ともあろうお方が、そんな隅っこでカップルたちのイチャイチャを眺めて怨念を燃やしているような催し、するはずないよ」


「ぐさぐさぐさぐさっ!」


 あれ? 私がフォローするつもりで言った言葉が、なぜか梅ちゃんを傷つけている?


 梅ちゃんはダッシュボードに突っ伏して、肩を震わせている。うわぁ、言葉の矢でこれだけ落ち込んでいる人、初めて見たかも。


「う~めちゃ~ん。見透かされていますが?」


 呆れたように言うノブさんの言葉で、梅ちゃんはゆっくりと身を起こして、


「……そうよ、クリスマスで浮かれ切っている()()()()()たちに、ホラーをお見舞いして熱々の仲を冷え冷えにしてやるのよ。それが何か!?」


 そう言い切った! それも怨念を含んだ声色で!


「あ、開き直りましたね?」


「悪い? 私ももう29歳。友達もほとんどが結婚して、中にはもう中学生の子どもがいる奴もいるわ」


「いや、29で中学生の子どもって……それ、高校生で産んだってことじゃないですか。

それは例外にしていいと思いますよ?

それに30代で独身の女性だって珍しくないし、何も焦ることはないと思いますがね?」


 ノブさんの言葉に、梅ちゃんは堰を切ったように話し出した。


「そりゃあさ、私だってそう思うけど、うちの親は違うわけ! 考え方が古いって言うかさぁ?

確かに私が研究に明け暮れて、オシャレや彼氏づくりに積極的じゃなかったのも悪いわ。研究室に泊まり込みが多いし、私生活がずぼらなのも認める。

あと、あんまりアウトドアも得意じゃないし、料理だって下手だし、N(ピー)RやB(ピー)Sにハマってるし、推し活してることも認めるわ。


でもでもでも、マッチングアプリで30連敗もしているのはどうして!? 世の中の男の目って、そんなに節穴なの!?

妹たちの方が先に結婚しちゃうし、近頃は親からも憐れむような眼で見られるのよ? ほんと、リア充なんて爆発しちゃえばいいんだ!」


『……うわぁ、心からの叫びだぁ……』

『せやな……ちょっと可哀そう思えて来たわ』


 私と鏡子は、ひそひそ声でそう話し合ったのだった。



 梅ちゃんは、ノブさんが一生懸命なだめたことで、目的地に着くまでには何とか気持ちを持ち直した。相変わらず彼氏持ちへの怨嗟の言葉を呪詛のようにつぶやいていたが……。


 ノブさんは、とある町の商店街駐車場に自動車を止めると、


「着きましたよ梅ちゃん。早速買いに行きますか?」


「当然の助動詞よ。今こそ私の積年の恨みを晴らす時だわ。うふふふ……」


 いや、クリスマスパーティーの飾り物を買いに行くセリフじゃないんですけど。梅ちゃんちょっと、というかかなり怖いよぅ……。


 ノブさんが梅ちゃんを案内して行き、私たちはその後をおっかなびっくり付いて行く形になった。やがて私たちは、裏通りの薄暗い店の前に着いた。


 破れた布製の庇、扉はサッシだったが、壁はブロックがむき出しで、その上に苔が生えている。『無常堂』と同じ古い店のようだが、明らかに負のオーラをまとっており、陰気この上ないお店だった。よっぽど強い覚悟がないと、この店に入る勇気は出ないだろう。


「……わぁ、うさん臭い店やわぁ」


 鏡子がそう言って私を見る。考えていることは同じだ。


「……普通、クリスマスの飾りをここで買おうとは思わないよね」


「何言ってんの。あなたたちだって独り者でしょう? リア充の奴らのクリスマスを、『苦しみます』にしてやるのよ! さあ、行くわよ!」


 梅ちゃんは鼻息荒く、私たちを引きずって店に入った。ノブさんはやれやれといった表情で後からついて来てくれた。


 店の中は暗かった。目が慣れるのにしばらくかかったが、店の中が見えるようになった時、私は入店したことを後悔した。恐らく鏡子も同じ気持ちだったろう。


 店の中は、見たこともない置物や仮面、何に使うのか判らない道具でいっぱいだった。鏡子も、ノブさんも言葉を失っている。


「……戻子、あれ、本物の頭蓋骨やろか?」


 鏡子の視線の先には、子どもの頭くらいの頭蓋骨の上にロウソクが立てられた置物があった。本物の頭蓋骨を見たことはないけれど、質感的に金属やプラスティックとは明らかに違っている。


「……よく判んないけど、不気味なのは確かだね」


 私がそう答えた時、店の奥から黒髪セミロングの、華やかな印象を与える女性が出て来た。店長か店員さんだろうか? それにしては、このお店の雰囲気とはかなりかけ離れた印象を受けた。


「ようこそ、『Juon』へ。昨日お電話いただいていた方ですね? 私は店長の木庭茜こば・あかねと申します」


 茜さんは、輝くような笑顔でそう言うと、梅ちゃんを見て、


「用事があるのはあなただけのようですね? 今日はどのような物が御入用ですか?」


 そう訊く。柔らかくて、心の奥を蕩かしそうな声だった。


「実は……」


 梅ちゃんは、今まで心の中に秘めたものを全部、茜さんに話す。茜さんは静かに微笑みながら、時々、

「そうですね」とか、「まぁ」とか、「分かりますよ」などと相槌を打ちながら聞いていたが、話を聞き終わると、つかつかと燭台などが飾ってある方へ歩み寄り、


「これなんか、いかがでしょう? 中世東欧で『串刺し公』と呼ばれ、後にドラキュラ伯爵のモデルになったと言われる、ヴラド3世所縁の品です。

呪いなどは確認できていませんが、怪しい雰囲気はばっちりでしょう? 由来を話しながらロウソクに火を灯すと、串刺しになった人間たちの姿が浮かび上がるという話です」


 なんだ、呪いのアイテムじゃないのね。その点は安心だけど、やっぱり気味が悪いなぁ。


 梅ちゃんは燭台を食い入るように眺めていたが、


「いただくわ。その他には何かない?」


 そう言うと、茜さんの説明を聞き、外にテーブルクロス、銀の飾りがついた手鏡、ドリームキャッチャーなどを買い求めた。


「うふふ、見てなさい。絶対地獄に叩き込んでやるんだから」


 それらの品物を持ち帰ると、梅ちゃんは研究室にしまい込み、時折その段ボールを見てはくすくす笑っていた。


「じゃ、研究室のクリスマスパーティーは12月25日に行うわ。場所はこの部屋、時間は18時からよ。プレゼント交換はなしだけど、食事とお酒は私の方で準備するから。

一条さんと貴家さんは午前中に来てもらえないかしら? 飾りつけを手伝ってほしいのよ」


「分かりました」


 私たちは研究室に梅ちゃんを残し、三人で大学を出る。


「はぁ、すまないね君たち。梅ちゃんのわがままに付き合わせちゃって」


 ノブさんがため息とともに言う。


「……梅ちゃんって、毎年あんな感じなんですか?」


 私が訊くと、ノブさんはうなずいて答える。


「オレがまだ斎藤教授の研究室にいた頃から有名だったよ。たった1回だけ、ちょうどクリスマスに彼氏がいて、パーティーをしなかった時があったそうだけど。それ以外は毎年の恒例行事になっている」


「つまり、男引っかけそこなった年にはパーティーが開かれると。分かりやすく拗らせとるなぁ」


「あの、ノブさんって結構梅ちゃんの扱いに慣れていますよね? お二人がお付き合いされるのってナシなんですか?」


 私が言うと、ノブさんは薄く笑って答える。


「ああ、ここだけの話だけど、実は梅ちゃんからアプローチを受けたこともあるんだ。

オレとしては、美人だし優しいところもあるから嫌いじゃないけど、あの人は不器用だから、せっかくの魅力をみんなに解ってもらえてないところもあるように思う。

だから、その魅力が解ってくれる、もっといい人が現れるはずだと思っている」


「アホやな。好きなんやったら、さっさと告って付き合えばええやん」


 鏡子の言葉に、ノブさんは苦笑いして言った。


「その勇気があれば、とっくに彼女と良い仲になっているよ」


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


承・異変勃発


 12月の半ば、商店街や商業施設では一日中クリスマスソングが流れる季節だ。構内にも少し浮かれた雰囲気が漂っているが、平島梅子研究室では『浮かれる』どころか、クリスマスの話題についてはNGの雰囲気が満ち満ちていた。


「梅ちゃんのご機嫌が最悪みたい。一体どうしちゃったのかしら? 戻子ちゃんたちは何か思い当たることを知らない?」


 私と鏡子は、2年生の先輩、油川春弓あぶらかわ・はるみさんと武田彩たけだ・あやさんに呼び止められ、一緒にお昼を食べていた。


「いえ、特に思い当たることはありませんね」

「うちも。けど春さん先輩、そんなに梅ちゃん機嫌悪いんか?」


 スパゲッティを食べながら鏡子が訊くと、彩先輩がため息とともに言う。


「わたくしは良いのよ、彼氏なんていませんから。でもほら、春には山本くんっていう彼氏がいらっしゃるじゃない? だから春への当たりがちょっとだけ強いんですのよね」


 そう言いながらサンドイッチを頬張る彩先輩に、春さんがため息をつきながら苦笑する。


「はぁ、まったく困ったものだわ。春行は彼氏じゃなくて下僕なのに。でもまあ、去年の経験から言うと、これもお正月までだわ」


「じゃ、二人とも梅ちゃんのクリスマスパーティーに誘われとるんか?」


 鏡子の問いに、二人ともうなずいた。


「そうですね。わたくしの場合は、梅ちゃんにとって『仲間』と見られているので、そうでもないですが、アウェーの春は大変でしょうね」


「……たしか、去年は彼氏持ちのケーキにワサビが仕込まれていましたし、飲み物は焼酎限定でした。他の人たちはカクテルとか飲んでいる中でですよ? 信じられますか!?」


「……春、その言い方じゃ、あなたが呑兵衛みたいに思われるわよ?」


「彩はカクテルをしこたま飲んでご機嫌だったみたいだけど、わたしはずーっとイモ焼酎だったのよ!」


「ああ、イモ焼酎は匂いが合わないって人もおるねんからな。うちはイモ焼酎好きやけど」


 鏡子が言うと、春さんが正論パンチを繰り出す。


「こら、未成年がお酒を飲んだらめっ! でしょ?」


「え~、でもうちら、新歓コンパで結構飲まされたけどなぁ。大学生の特権やないのん?」


「そんな特権はございませんよ(キリッ!」


 彩先輩がそう言った時、山本先輩や来島仙蔵くるしま・せんぞう先輩、そしてノブさんまでもが何やら慌ただしく走っていくのが見えた。


「あれっ? ノブさんたち、何をあんなに慌てているのかな?」


 私が言うと、先輩方も窓の外を見て、


「……春行もいるわね。聞いてみましょうか?」


 春先輩がスマホを取り出し、電話を架ける。ほどなくして、山本先輩が電話口に出た。


『何ですかお嬢、今取り込み中なんです。後でかけ直していいですか?』


「取り込み中なのは分かっているわ、走っていくのが見えたもの。ノブさんまでいるみたいだけど、何がどうしたって言うの?」


 春先輩が訊くと、


『よく分からんから急いでいるんです。梅ちゃんが変らしいんで。詳細は後で知らせますよ』


 焦った声でそう言い、山本先輩の方から電話を切った。


「……春行が自分の方から私の電話を切るなんて、よっぽどのことが起こっているに違いないわ。梅ちゃんに何かあったみたいだし、行ってみましょうか?」


 スピーカーで会話を聞いていた私たちにも、山本先輩たちの切迫感が伝わってきた。私と鏡子はためらいなくうなずいた。



「山本くん、そっちの肩を支えてくれないか?」

「分かりました、助教」


 私たちが梅ちゃんの研究室に到着した時、梅ちゃんはノブさんと山本先輩二人に支えられて身体を起こしたところだった。二人の間でぐったりしているので、気を失っているみたいだった。顔色がすごく悪いし、息もしていないみたいだ。


 ノブさんは私たちを見ると、


「武田くん、救急車を呼んでくれ。油川くんは担架を……いや、その前にAEDを!」


「はい!」

「分かりました!」


 二人はすぐに行動を起こす。ノブさんはAEDを受け取ると、


「山本くん、来島くん、悪いが少しの間、外に出ていてくれないか?」


 そう頼み、二人が出て行くと、意を決したように


「平島准教授、すみません!」


 そう言いながら梅ちゃんのセーターをまくり上げ、ブラウスのボタンを外す。そして下着も外すとAEDのパッドを所定の位置に張り付けた。


 バシッ!


 鈍い音と共に梅ちゃんの身体を電流が走り抜ける。AEDは細動除去に成功した旨をパネルに表示した。鉛色だった梅ちゃんの顔色が、だんだん元に戻って行く。


「良かった……」


 ノブさんは心からホッとした顔で、梅ちゃんの衣服を整える。そして私に、


「来島くんと山本くんを部屋に入れてあげてくれ」


 そう言い、入ってきた山本先輩や、春先輩、彩先輩と共に梅ちゃんを担架に載せ、出入口へと向かった。


 部屋に残った来島先輩は、鋭い目で部屋の中を見回している。


 来島先輩は人文学部4年生で、主に考古学を専攻している。構内にある古墳の発掘調査で、学会に発表するほどの発見と考察を行った有名人だが、実家がお寺であり、自身も了順という法名で祈祷や霊視も行う、『そっち方面』でも有名な先輩だった。


(来島先輩がいるってことは、オカルト的な事象が起こったってこと?)


 そう考えた時、私はすぐに梅ちゃんが買った『クリスマスの飾り物』を思い浮かべた。呪いはないにしても、いわくありげな物ばかりだったからだ。


「先輩、何か感じるんか?」


 鏡子が訊くと、目を閉じて精神を集中していた先輩は、首を振って目を開け、


「……ノブさんから聞いた話から、怨霊の存在の可能性を感じただけだ。この部屋には確かに妙な気が満ちている。俺が想像していたものとは違うけれどね」


 そう言うと、私たちに訊いた。


「何か呪物のようなものがこの部屋にないかな? あることは確かだが、どこにあるのかを何者かがひた隠しにしているみたいだ」


「あの、梅ちゃんが買ったものかもしれません。そこの段ボールに入っているはずですが」


 私が言うと、先輩はすぐ前にある段ボールに初めて気付いたように愕然とし、恐ろしいものを見るような眼で段ボールを見た。そして30秒ほどそれを凝視していたが、


「視えないか、くそっ! どうしても中を検めさせて、誰かに取り憑きたいようだな。梅ちゃんが何を買ったか知っているか?」


 悔しそうに私たちに聞く。


「えっと、東欧ヴラド3世に関係がある燭台と、テーブルクロス、銀の飾りがついた手鏡、ドリームキャッチャーだったと思います」


 来島先輩はうなずくと、


「ありがとう。今のところ俺の出番はないようだ。この箱は動かしたらどんなことが起こるか判らないから、とりあえずこのままにしておくが、誰にも触らせないようにしてくれ。俺はちょっと、親父に聞いて来る」


 そう言って、急いで研究室を後にした。



 S大学の南西には、月詠神社が鎮座している。


 その境内の裏側にある細道を通れば、レトロ感漂う広場に出ることができるかもしれない。その広場は、『猫の恩返し』に出てくる『猫の事務所』がある広場を和風にしたような感じがするという人もいる。


 その広場の一角に、郷愁を誘う建物がある。コンクリートでできたような瓦、すっかり色が褪せた帆布製の庇、板壁には子どもの落書きが残り、歪んだガラスがはまった木製の引き戸……そして入口には『無常堂』と陽刻された木の看板が立てかけられている。


 店の中に入れば、右手には壁いっぱいに古書の類が並び、左手にはアンティークの家具や調度品、何に使うのか判らないような物品が所狭しと陳列されている。


 その『無常堂』に、一人の女性が入ってきた。綺麗な白髪セミロング、紫紺のブレザー。白いワイシャツにチェックのネクタイをはめ、ネクタイと同じ配色のロングフレアスカートに紫紺のタイツ、エナメルの黒い靴を履いていた。大きなバックパックを抱えている。


「……ごめんください、くうさんはいらっしゃいますか?」


 春風のような声で女性はそう言う。


「どちら様でしょうか?」


 女性の声に応じて、店の奥から留袖にエプロンを付けた黒髪で黒い瞳の女性が出て来た。


「!?……あの、ここは化野空あだしの・くうさんのお店だと聞いてやって来ました。

うちは来栖安奈くるす・あんなと言いまして、空さんの従妹になります」


 安奈と名乗った女性は、和服の女性をじろじろ見ながら言う。留袖の女性は薄く微笑むと、鈴の音のような声で答えた。


「月宮の坊は、神社の方で御祈祷中です。1時間ほど前に出かけられましたので、もうすぐ戻られると思います。お茶をお持ちしますので、どうぞお掛けになってください」


 そう言って、アンティークの机と椅子を勧めると、奥の台所へ引っ込む。安奈はバックパックを下ろし椅子に腰掛けたが、どことなく落ち着かなかった。


「お茶と羊羹です。どうぞ」


 やがて和服の女性が戻って来てお茶を出した。そこで安奈は思い切って質問する。


「あの、お名前をお聞きしてもいいですか?」


 和服の女性は、驚いたような顔がすぐに苦笑に変わり、


「失礼いたしました。私は瀬緒里せおりと申します」


 そう名乗るが、安奈は目を細めて瀬緒里に質問を続けた。


「……あなた、人間ではありませんね? 三界さんがい叔父さまから、空さんは瀬織川津媛せおりかわつひめと申される女神の神婿となられたとお聞きしています。あなたがその瀬織川津媛様でしょう?」


 安奈の言葉を聞いて、瀬緒里は右手を口に添えて薄く笑い、


「ご存じだったんですね? 仰るとおり私は瀬織川津媛命です。それで、今日はどんなご用事ですか? 私でよければ代わりにお話をお伺いできますが?」


 そう言うと、安奈は少し顔を赤くして目を逸らし、


「え? いえ、直接空さんに話したいことですので。そう言っていただき、ありがとうございます」


 そう答えると、お茶を口に運んだ。


 その時、裏口のドアが開き、


「瀬緒里さん、今戻りました」


 そう言いながらソラが戻って来た。瀬緒里は安奈に笑いかけ、


「では、我が背をご案内いたしますので、少々お待ちください」


 そう言って、奥の座敷に引っ込んだ。


「お疲れさまでした。帰るなりすみませんが、来栖安奈さまがお見えですよ」


 瀬緒里はソラの顔を見るとそう来客を告げる。ソラは驚いてつぶやいた。


「え? 安奈ちゃんが? 何の用事だろう?」


「お待ちになっていますので、狩衣は私にお任せください」


「ありがとうございます。お願いします」


 ソラから狩衣を受け取った瀬緒里は、衣桁に掛けるとそれに顔を埋める。


「すぅ~っ、はあああっ……ああ、いつ嗅いでも我が背の匂いは堪りません。

一日たりともこの匂いを肺の中に入れないと、我が背の成分が欠乏いたしますし、私の脳を狂わせるフェロモンでも出ているんですかぁ~って感じで、何かヤバいクスリをやっちゃってるような気分になっちゃいます。

ああ、安奈さんが何のお話をしに来られたのか気になりますが、もう少し、もう少しこのまま我が背の匂いに包まれていたい今日この頃です♡」



「やあ、安奈。久しぶりだね。今日はどうしたんだい?」


 ソラはすぐに店に顔を出すと、椅子にちょこんと座って待っていた安奈に声をかける。安奈はソラを見て、一瞬ぼうっとした顔をしたが、


「どうしたんだい。ぼくの顔に何かついてる?」


 ソラの問いかけに、ハッと我に返ったように表情を改めて言う。


「う、うん。久しぶりだね、さ、3年ぶりくらい?」


「そうだね。君が神学校に入った年に会って以来だね。そう言えば君、司祭に任命されたんだって? 女性で、しかもその若さですごいね、おめでとう」


 すると安奈は、頬を染めて言う。


「ま、まあ、最初はお父さんから決められたレールを歩くのって嫌だったんだけれどね?

()()()()()が三界叔父さまの後を追いかけるように神官になったって聞いて、ちょっとそれもカッコいいかなって思い直したんだ」


「なんか、『くうちゃん』って呼ばれるのも久しぶりで照れるな。ところでこの話とは全然関係はないんだが、カトリックって妻帯禁止だったよな? 神惠カリタス伯父さんってどうして結婚できたんだ?」


「そ、それは、お母さんと結婚した後受洗したんじゃない? 知らんけど」


「それで、今日は何の用事だい? 君からも神惠伯父さんのような波動を感じるが、エクソシストとしてやって来たのかい?」


 ソラがそう訊くと、安奈は翠の瞳を持つ目をすうっと細めて、


「あ、やっぱり判っちゃう? 実はね、お父さんからの命令でこの町に来たの。悪魔や悪霊の気配を強く感じるって。でね、くうちゃんにこの町を案内してほしいなーって思っちゃったりもする♡」


 愛くるしい笑顔を向けて言う。ソラはため息とともに、


「分かった。その悪霊や悪魔とやらにも興味があるし、町を案内しよう。今からでもいいか?」


 そう言うと、安奈はニコニコしてうなずいた。


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


転・退魔と悪縁消除


「じゃ、梅ちゃんが買ったクリスマス用の飾りの中に、妙なものが混じっていたって言うのか?」


 織田信尚助教は、平島研究室を訪れた来島仙蔵から、彼の霊視結果を聞いてそう訊き返した。来島はうなずき、


「ええ。一応親父にも確認しましたが、結果は同じ。この段ボールの中には、確実に呪物が入っています。それも、親父が言うにはこの国由来のものじゃないそうで、どうやったら祓えるか、あるいは鎮められるか、親父も俺も研究中ですよ」


 そう、肩をすくめて言う。


「……つまりだな、この箱はそれまでどうすればいいんだ?」


 織田助教が訊くと、来島も腕を組んで、難しい顔で答えた。


「さぁてね? 俺は寺に引き取ってもいいと思うんですが、親父がご本尊さんにお伺いを立てたところ、『異国のものは異国の者に任せろ』って御返事が来たそうで。


だが、俺は異教のことは全くと言っていいほど判らないし、異教の術者に知り合いもいません。だからどうしたものかと、正直困っていますよ」


「……だからと言って、このままここに放置って訳にもいかないだろ? ゼミ生にも注意喚起はしているが、好奇心旺盛な奴だっているし、いつ誰がその悪霊とやらに取り憑かれるか判らないんだぞ?」


 織田助教の言葉に、来島は苦笑しながら、


「そうですね、貴家さんや一条さんなんか、特に危ないですからね……そうだ、助教、助教の知り合いの()()()に頼んでみては?」


 そう、思いついたように言う。


「え?……ああ、()()()のことか?……うーん、確かに奴は神道以外にも陰陽道や密教も学んでいるみたいだし、外国の宗教にも詳しいな。ひょっとしたらエクソシストの一人や二人知っているかもしれない。早速聞いてみよう」


 そう言ってスマホを取り出し、ソラに電話を入れる。数回のコールでソラが出た。


『何だ信尚。珍しい時間に電話をくれるじゃないか。講義はどうした?』


 どうやらソラは外出中らしい。電話の向こうから雑踏のさざめきが聞こえる。


「ああ、オレはこの時間は暇だ。ところでバケ野、外出中か? 今どこにいる?」


『え? 今は雄略寺の境内だ。知り合いを案内していてな、了慶法印様にお引き合わせしておこうかと……』


「それは都合いい、ちょっとお願いがあるんだ」


 かぶせ気味にそう言って、話を遮った織田助教に、ソラは当惑した声で慌てて言い返す。


『お願い? お前も知っちゃいるだろうが、ぼくは神社以外ではお祓いなんかしないが?』


「受けるか受けないかはお前に任せるが、話だけは聞いてくれないか? 梅ちゃんのピンチなんだ。了慶法印様にも相談しているが、まずは法印様から話を聞いてくれ。

それで、受けてくれるなら研究室に来てくれ。詳細を話すから」


 織田助教の必死さが伝わったのか、ソラは傍らの誰かと少し話をしているようだったが、やがて静かに言った。


『……分かった、とりあえず和尚様から話を伺ってみよう。その前に、梅ちゃんはどうしたんだ? 無事なのか?』


「昨日、急に研究室で倒れた。心肺停止だったが、今は何とか持ち直している。まだ話はできないが、医者によると回復しつつはあるそうだ」


『……そうか。解った、とにかく話を聞いてからまた連絡する』


 ソラがそう言って電話を切ると、織田助教はホッとした顔で来島に言った。


「バケ野は今、君の寺にいるそうだ。了慶法印様から話を聞いて、この件を受けるかどうかを決めるそうだ」


 それを聞いた来島もまた、緊張を緩めて吐息と共に言った。


「それは間が良かったですね? 後はあの人が受けてくれるかどうかですが……」


「……バケ野はきっと力になってくれるさ。あいつはいつもそうだったからな……」


 織田助教は、足元の段ボール箱を見つめてそう言った。



「……そうか、解った。とにかく話を聞いてからまた連絡する」


 ソラがそう言って電話を切ると、隣にいる安奈は翠の瞳をソラに向けて訊く。


「くうちゃん、さっきの話?」


「うん。ぼくがお世話になっている准教授が被害者らしい。詳しくは、これからお会いする了慶和尚から聞こうか」


「了慶和尚さんって、来島善蔵さんのことだよね? 一度、うちのお父さんと一緒にテレビに出たことがある。だったらうちも知っているよ?」


「それは都合がいいな。じゃ、まずは事務所に行って面会を申し込まなきゃ……」


 二人がそう言って歩き始めようとした時、


「その必要はないぞ、空くん。君の気配を感じたのでちょっと境内を見回っていた。早速だが、そちらのお嬢さんを紹介していただいてもいいかな?」


 そう声をかけて来たのは、上背がありがっちりとした体格の僧だった。眼光は鋭く、緋色の衣と金色の輪袈裟を掛けている。


 ソラは彼を見て、


「これは了慶和尚様、わざわざお出迎えとは痛み入ります。こちらは来栖安奈と言いまして、ぼくの従妹になります」


 そう挨拶をする。安奈も続いてお辞儀をしながら、


「うち……私は来栖安奈と申します。司祭退魔師を仰せつかっています」


 と自己紹介した。了慶和尚は安奈を見て、ぽんと手を叩き、


「うむ、そなたは来栖神惠殿のご息女だな? その若さで退魔師とは、お父上も鼻が高かろう。これからよろしく頼みますぞ」


 そう言った後、表情を引き締めて二人に言った。


「会って早々済まないが、ちょっと相談に乗ってほしいことがある」


「梅ちゃん准教授の件ですね? 信尚からさっき電話がありました。まず和尚様から話を聞いてくれと。どういったことでしょう?」


 ソラが改まって訊くと、了慶和尚は首を振って答えた。


「拙僧もことの経緯は詳しくは知らん。ただ、平島准教授が突然倒れて意識不明になったこと、研究室に呪物らしき物が入った箱があること、その呪物はこの国由来のものではないこと、この3点ははっきりしている。


その祓い方は研究中だが、肝心の呪物がどんなものか分からんのでは手出しのしようがないし、その保管についても判らないことが多い。


だが、来栖司教の娘さんなら、何か分かるかもしれないな。できれば、力の及ぶ範囲でいいから、了順に手を貸してやってほしい」


 安奈は、翠の瞳を光らせて何かを考えていたが、ソラに笑いかけると、


「ふふ、そう言えばくうちゃんも、少しばかり退魔の方法を知ってたわね? 一緒に連れて行ってくれたら嬉しいなー♡」


 そう言ってソラの腕にしがみつく。


「お、おいおい、和尚様の前だぞ? で、自信はあるのか?」


 ソラが訊くと、安奈はウインクして答えた。


「それは、行って視てみないと何とも言えないなぁ。でも、くうちゃんが居れば何とかなりそうな気はするよ♡」



 ソラたち二人は了慶和尚のもとを去ると、真っ直ぐS大学の人文学部校舎に向かった。先に電話で伝えておいたので、織田助教と来島は研究室から人払いをして待っていた。


「うちは司祭退魔師の来栖安奈と言います。よろしくお願いいたします」


 安奈は研究室に近付くと無口になり、二人に挨拶する頃には感情がない能面のような顔になっていた。口調もそれまでとは違い、凛とした冷たさを放つものになっている。


「……これですね?」


 入り口から数歩しか入っていないのに、安奈の視線は段ボールにくぎ付けになっている。織田助教はうなずいて訊いた。


「そうです。やはり何か感じますか?」


 安奈は、隣にいるソラに、眉をひそめて言う。


「……マズった。聖水を持ってくればよかった。聖書だけで抑えられるかしら?」

「何がいるんだ?」


 ソラが訊くと、アンナは段ボールを睨みつけながらよどみなく答える。


「……中世頃かしら? ひどく苦しんで亡くなった人たちの思念が凝り固まって悪霊化したものよ。それ以外には、悪魔の刻印があるわ。下手に手を出せば、悪魔とその軍勢を呼び込んでしまうかも……いずれにしても、ここでは退魔できないなぁ。反響が大きすぎる可能性があるもの……」


「分かった、ぼくの神社に運ぼう。動かすにはどうしたらいい?」


「……聖水で一時的に力を弱め、封じてしまえば人間でも運べるけど。

それか、崇高で清浄な霊的存在に手を貸してもらうしかないわ。

くうさん、何とかできる? うちまだ、精霊を自由自在に操ることができないの」


 安奈が悔しそうに答えるのを聞き、ソラはうなずいて、


「分かった、何とかしてみよう」


 そう言って祝詞を唱えだす。すると、巫女装束をした20代後半の女性が、黄色い光と共に姿を現した。


 突然の顕現に、織田助教も来島も驚きのあまり動けない中、女性は草原を渡る風のような声でソラに問いかけた。


『……空様、ご用事ですか?』


「そこの呪物をぼくの神社まで運びたい。佐代里さよりさん、手伝ってくれませんか?」


『承知いたしました。でも、この呪物は空様の手には負えない可能性がございますが?

川津媛様に注進申し上げておきましょうか?』


「そこまでしてもらえると助かる」


『承りました。では、早速その呪物を月詠神社まで運びます』


 佐代里はそう言うと、懐から取り出した三匝半さんぞうはん羂索けんさくで段ボールをぐるぐる巻きにしたと思うと、不意に姿を消した。


「……無くなった。バケ野、段ボールは本当にお前の神社に行ったのか? それと、さっきの女性は何者だ?」


 織田助教が困惑した表情でそう訊くが、来島の方は比較的落ち着いていた。


「神様の眷属……と言ったところでしょうね? それで、呪物についてはお二人にお任せしていいでしょうか?」


 ソラは、織田助教をあえて無視して、来島の問いに答えた。


「後は引き受けました。梅ちゃんの方を心配してあげてください」



 ソラたちが月詠神社に戻ると、境内には段ボールの箱を中心に佐代里と瀬緒里が立っていた。瀬緒里はいつもの留袖ではなく、真っ白な振袖に青い帯を締め、龍田川と紅葉の刺繍が施された打掛を羽織り、頭には銀の宝冠を戴いている。瀬織川津媛の姿であった。


「戻られましたね?」


 川津媛は、到着したソラと安奈を見てそう言うと、微笑を消さずに安奈に話しかける。


「安奈どの、これは異国の妖。そなたは斯様な物の怪を調伏する術を学ばれたのでしょう? その実力を見せてくれませんか?」


 安奈は、その場に自分のバックパックが運ばれているのを見て、うなずいた。


「分かりました。やってみます」


 そう言いながらバックパックから聖水と十字架を取り出す安奈に、川津媛は挑発するように言葉を投げつけた。


「この程度の妖を消除できぬのなら、今後、我が背に馴れ馴れしく()()()()()のを控えていただきましょうか?」


「!!」


「川津媛、一体何を?」


 ソラの叫びと共に、安奈の手がピタリと止まる。そして恐る恐る川津媛を見上げた安奈に、媛は冷たく刺すような視線を送って、


「どうしました? そなたは我が背に懸想しておるのでしょう? 我が背は三貴人みつはしらのうづのみこの一柱たる月詠命様の弟子。そして私はその妻。


私の目の届かぬ所で我が背に甘えることは許しませぬ。が、そなたが我が背に相応しい実力を示したなら、私はそなたの処遇について我が背の気持ちに従いましょう」


 そう言う川津媛に、ソラは当惑した顔で、


「川津媛、あなたは何を勘違いしているのでしょうか? 安奈はぼくの従妹で、別にぼくに対して特別な感情は……」


 そう言いかけるのを被せるように、


「特別な感情、持っています。くうちゃん……」


 安奈がそう、ソラを見てはっきりと言った。


「え? 安奈?」


「うち、くうちゃんのことが好き。中学生の時、久しぶりに会ったくうちゃんに恋をしたの。それ以来、うちはくうちゃんのこと、ずーっと好き。


瀬織川津媛様の神婿になっていたって聞いた時、すごくショックだった。でも、神様と結ばれた人が、恋人を作っちゃいけないって法はないよね? だからうち、くうちゃんのこと諦められなかった!」


「安奈……」


 ソラは突然の告白に、何も言えなかった。従妹としてしか見ていなかった安奈から、こんな場面での告白は、確かに頭の整理が追い付かないだろう。


 それを見越したのか、川津媛は薄笑いを浮かべながら言った。


「では、安奈どの、見事、この妖を処理して見せてください。

我が背は少し混乱しているようですので、社務所でゆっくりと気持ちの整理をつけていただきましょうか」


   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


結・ソラにとっての「クルシミマス」


「……分かりました。川津媛様のお申し出、謹んで受けさせていただきます! 見事この悪霊を払ってご覧に入れます!」


 ソラが佐代里に付き添われて社務所に下がった後、安奈は川津媛に向かって正面切ってそう宣言した。


 川津媛は、優し気な微笑を以てそれに応え、


「それは頼もしいですね。では、そなたの実力、とっくりと拝見いたします」


 そう言って数歩後ろに下がる。


 安奈はそれにつられるように数歩前に出て、段ボールの前まで行くと、十字架を両手で捧げて神に祈り始める。


 やがて、言葉は流暢なラテン語に変わると、安奈は手に持った聖水を段ボールに振りかけ始めた。


 ゴトゴトゴトッ!


 聖水を浴びた箱は、大きな音を立てて振動する。それは中にいるものが苦しんでいるようでもあり、怒っているようでもあった。


 川津媛には見えていた。段ボール箱から、真っ黒い煙のようなものが立ち上がり、それが徐々に人の形を取りつつあるのを。


(……異国の魂といえど、魂のありように変わりはないようですね……)


 川津媛はそう思いながら、万一に備えて神力を開放する。清々しい風と共に、水色の光が川津媛の身体を包み込む。


 異形の影は、安奈にも見えているようだ。彼女は一段と声を張り上げて聖書の一節をラテン語で読み聞かせている。今のところ、悪業に堕ちた魂を救うことを考えているようだ。


 ガタガタガタッ!


 ひときわ大きく箱が揺れた時、箱の表面に何かの文様が浮かび上がる。それを見た安奈は、一瞬恐怖の色を浮かべた。


(……悪魔ベリアルの紋章……うちで対抗できるかしら……。いや、くうちゃんとの未来がかかっているんだ、そんなこと言っていられない! 話を聞かないなら、叩くまででしょう!)


 そう思った次の瞬間、安奈は聖水を振りかけて、読み上げる聖書の言葉を変えた。もはや説得ではなく、退けるしか手は無くなったと腹をくくったのだった。


(……え? うち、何語を話しているの? こんな言葉、聞いたことも勉強したこともないのに……)


 ボウンッ!


 ついに箱は大きな音を立てて破裂し、炎を上げて燃え上がる。たかが段ボールが燃えているとは思えないほど高く炎が立ち上がった。


「ひっ!?」


 安奈が恐怖の声を上げたのは、黒い影がはっきりと悪魔の形を取って、ニヤリと笑ったからだった。


 段ボールは燃え尽きてしまったのに、炎は大きく燃え盛っている。地面には悪魔の紋章が業火の中で輝いていた。


「……あの紋章を消せれば……」


 安奈はそう気づき、聖書と十字架を盾と剣のように構え、じりじりと燃え盛る炎に近付いていく。しかし、それは悪魔が仕掛けた罠だと気づくのに、そう時間はかからなかった。


「もう少し……もう少しで聖水が紋章に届く……」


 安奈が勇気を振り絞ってさらに一歩を踏み出そうとした時、影はニヤリと笑って炎を安奈に吹き付けて来た。


 ゴウウウッ!

「きゃぁっ!」


 聖書と十字架のおかげで直撃は免れたが、安奈の髪の毛とブレザーが少し焦げ、スカートがくすぶり始めた。


 それを見て、影はさらに炎を燃え上がらせ、安奈を包み込もうとしてきた。


(神様、助けて!)


 安奈は目をつぶって、十字架を前に差し出し、聖水を影にぶっかける。少し影が怯んだところで、安奈は十字架を悪魔の紋章にぶっ刺した。



 キュエアアエハユリリュリュジュリュ……!


 影は狂ったように飛び跳ね、炎が弱まっていく。


(やはりこの紋章があいつの力の源だったのね……よし、十字架を全部差し込めば、こいつを退治できる!)


 安奈はそう自分に言い聞かせる。しかし、彼女の頑張りもそこまでだった。


(ダメ……身体中が熱くて動けない……火傷しちゃったのかな、あちこちが突っ張る)


 安奈は満身に汗をかき、髪の毛は額や首筋にべったりと張り付いている。炎のせいで息が苦しいせいでもあるが、ここまで大声で聖句を朗読していたため、その声は掠れていた。


(……もう、ダメみたい。くうちゃんと正式にお付き合いしたかったなぁ……)


 安奈はがっくりと膝をついた。聖句の朗読も声が出せなくなったことでできなくなり、その隙を突いて力を取り戻した影は、容赦なく安奈を炎の中で喰らいつくそうと襲い掛かってきた。


 その時、


「ここは我が豊蘆原の瑞穂の国。そして我が背の主宰する神社の境内。そこで私の許しも得ずに狼藉と殺生は許しません。

汝異国の妖よ、郷に入りては郷に従え、我が神力の前にひれ伏しなさい!」


 荒魂となった川津媛は、帯から扇を引き抜き、発止と影を打ち据える。影は川津媛の神力でその場に縛り付けられたように動けなくなった。


「我が背の神社、三貴人の一柱たる月詠命様の御前を、よくも穢してくれたるものだの。これがお前の力の源ならば、このようなもの、こうして遣わすわ!」


 ダンッ!


 川津媛が紋章を荒々しく踏みつけると、紋章はガラス細工のように粉々になって飛び散り、影は喉をかきむしりながら風に吹かれる灰のように消え去った。


「……ふん、他愛もない。異国の妖も地祇には敵わんと見える。しかし……」


 川津媛はあちこちに酷い火傷を負って気を失っている安奈を見る。両手両足は酷く水膨れを起こし、顔にも火傷を負った様子を見て、荒魂の川津媛にも優しい心が生じたか、


「駆け出しの人間にしてはよくやりましたね。顔は女子おなごの命ともいいますし、その態では生き延びたとしてもこの先苦労が絶えないでしょう。

我が背の親族でもありますゆえ、特別に神徳を垂れて遣わしましょうぞ」


 そう言いながら、安奈の身体に青白い光を当てた。


「……佐代里どの」

「はい、御前おんまえに」


 川津媛は、だんだんと傷が治っていく安奈を見ながら、静かに命じた。


「この女子を、式女たちと共に社務所で介抱いたせ。そして我が背に、『無常堂』にお戻りになられるよう伝えてください」



「でぇはぁ、今年も来年も私とここにいるぼっち仲間の健康と幸せと開運と、リア充たちの不幸を祈って、かんぱぁーい!」


 12月25日、平島准教授の研究室では、もはや人文学部の恒例となった『クリスマスパーティー』が開催されていた。


「あ、戻子ちゃんと鏡子ちゃんはお酒NGだからね? ちゃんとジュースを飲みなさいよ」


 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのは彩先輩だ。


「春、あなたはイモ焼酎オンリーだそうよ」


「ええ~っ、今年もなのぉ~!?」


 彩先輩の言葉に、げんなりした声を上げる春先輩に、梅ちゃんは容赦なくのたまう。


「なぁ~に? 梅ちゃんの命令が聞けないってか? だいたい油川さんは昨夜、山本くんといろいろ()()()()したんでしょ? だったら今夜は独り身の私に気を遣って、命令くらい聞いておきなさい」


「いえ、別に()()()()なんてそんな……ごにょごにょ……」


 なぜか赤くなっている春先輩を横目に、鏡子が梅ちゃんに訊く。


「梅ちゃんすっかり元気になったようで良かったわ。

でも、なんでノブさんおらへんの? 買出しに行っとんの?」


 すると梅ちゃんは、ジト目で鏡子を見て、


「あいつ、逃げたのよ!」


「逃げた?……ってどういうことですか?」


 私が訊くと、梅ちゃんは怒りの炎を背中にしょって、


「あいつ、昨日から年明けまで、アイルランドに行ってやがるのよ! せっかく私がパーティーに招待したのに、私よりルーン文字の方が好きだなんて信じられない!」


 そう叫ぶと、さらにつらつらと恨み節を述べだした。


「来島くんもお寺の用事とかで来ないし。だいたいクリスマスに密教寺院が何の用事があるってのよ!? しかもくうさんも来てくださらないし。

私って、私ってそんなに魅力がないって言うのぉ~!?」


「あ~、心からの叫びだぁ~……」

「……せやなぁ~……」


 叫ぶ梅ちゃんを、私と鏡子は生暖かく見守るのだった。



 その頃、『無常堂』では、ソラと瀬緒里と安奈、三人がコタツで聖夜を楽しんでいた。


 安奈は佐代里たちに介抱された後、いったん父の許へ戻っていた。


(……あの程度の悪霊に負けるなんて、お父様の名に泥を塗ってしまったわ……)


 敗北感に打ちのめされた安奈だったが、自宅では父から温かく迎えられて意外に思った安奈だった。


『あの、お父様。うちは結局悪霊を退治できなかったんです。あれは瀬織川津媛様のお慈悲で……』


 しゅんとなって報告する娘に、父・来栖神惠くるす・かりたすは笑って答えた。


『報告は同行した助祭たちから聞いている。悪霊を討ち漏らし、自身も重傷を負ったそうだな。今回の退魔が成功したのは、お前が言うとおり瀬織川津媛という神のおかげだ。

また、お前の怪我を治療してくださったのも、ひとえに神が自身の婿たるくう殿の顔を立てたに過ぎない。お前は運が良かったのだ』


 安奈は恥じて顔を伏せた。父の言うとおりだったからだ。反論の余地もない。


 だが、父はそんな娘に、優しく諭した。


『今回お前にとっての収穫は、自身の能力を正しく知ったことだ。何が不足していたかは、お前自身が一番よく解っているはずだから、私から言うことはない。

そのうえで、空殿のもとで修練を積んで来い』


 安奈は、びっくりして顔を上げる。戸惑いと嬉しさが同居している表情だった。


『で、でも。うちは川津媛様との勝負に負けたので、もう空さんとは会えないんですが?

のこのこ戻ったら、川津媛からお仕置きを受けてしまいます』


『そのことだが……』


 神惠は真剣な表情で言った。それは安奈にとって意外な言葉だった。


『お前は悪魔ベリアルを相手に、かなりいい線まで行っていたそうだな。それを見た川津媛が、異国の悪霊退治にお前を使いたいとの意向を空殿に漏らされたそうだ。


空殿なら、たいていの魔には対抗できるし、お前も従兄の許なら安心して修練に励めるだろう? だから私の一存でその話を受けておいた。異存がないなら、クリスマスイブの行事が終わった後、空殿の許に出発するといい』


 ……そういった経緯で、安奈が『無常堂』にいるわけである。


 だが、安奈を手元に引き取った理由はもう一つあった。


 あの退魔の後、平島梅子准教授が手に入れた物品は、すべてソラが浄化して研究室に戻したが、ダンボール箱の中に入っていたもののうち、たった一つだけ、ソラが返さなかったものがある。


「我が背よ、あの呪物は最初から呪物だったものはたった一つ、あの燭台だけ。残りは悪魔を宿す術式か何かで魔を封じていたものでしたね?」


 瀬緒里が言うと、安奈も


「悪魔の紋章をテーブルクロスに封じておくことで、いつでも悪魔を召喚できるようにしておいて、手鏡で悪魔の通路をつくる。ドリームキャッチャーがすべての引き金……私はそう思います」


 そう、自分の考えを述べる。


 二人の話を聞いて、ソラは沈鬱な表情で


「……それが本当なら、悪魔に仕え、悪魔への信仰を広めようとしている人物がいるということだな……」


 そう言いながら、一枚の名刺を眺める。その顔には『信じたくない』という気持ちがはっきりと表れていた。


 名刺には、店の名前、住所や連絡先のほかに


『Juon店主 ()() ()


 そう大きく印刷されていた。


「……茜は、絵師として成功している。その彼女に、こんな裏の顔があるなんてな……」


 ぽつりとつぶやくソラを見て、安奈が瀬緒里に訊く。


「瀬緒里さま、木庭茜という人物は?」


 瀬緒里はしばらく黙っていたが、ソラの部屋に目を向けながら答えた。


「我が背が小学生の頃、同級生だった女性です。茜どのも、我が背のことを憎からず思っていたようですが……何があったんでしょうか?」


 ソラは二人の会話を聞きながら、


(小学校の同窓生、幼馴染3人のうちあきらはもういない。彼は、ぼくと茜と三人で酒でも飲みたいと言っていた。それは叶わぬ夢だったが、仮に昌が生きていたとしても、茜が悪魔に魂を売っているのだとしたら、三人で酒を酌み交わすことなんてできなかっただろうな……)


 そう思うと同時に、


(なぜ茜がこんなことをしたのか。この茜は本当にあの茜なのか。調べる必要があるな)


 そう決心していた。


   (無常堂夜話5:聖なる夜の物語 終わり)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今回の話は、「そういえばクリスマスの話を書いてないな」と思い立ち、急遽書き上げたものです。

ちょっと趣向を変えて、梅ちゃんにはっちゃけてもらいましたが、いかがだったでしょうか?

まぁ、ギャグがあるかと思えば、『勿忘草の物語』で出て来た茜ちゃんや昌くんの割とシリアスな話があったりと、自分的には結構気に入っている回です。

なお、ネタばらししますと、この回は第12話と同時並行で書いたものですので、この後第13話まで安奈ちゃんは登場しません。彼女が修練を終えて強くなって出てくる日を楽しみにしています。

では、またいつか次回のエピソードでお会いしましょう。

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