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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

それは海よりも透明で潮風よりも肌に残る

作者: 愛の証明

誰のものでもない方でございました。

聞いてくださいまし、そこの方。恋の話でございます。

いいえ、もしかしたら恋ではなくて、執着かも知れなくって、この世の醜いものだけを煮詰めたような酷い有様なのかもしれないのだけれど、それはわたくしだけのことで、あの方は誰よりも綺麗で、透明な方でありましたので、このお話も、きっと綺麗なものに聞こえるでしょうよ。

聞いてくださいますのね、ありがとう。

わたくしは、数年前、今よりももっと幼くって、自分のことを特別だと信じていた年にあの方に会いました。

私は道に迷っていて、それで、ふらふらと学園の、行ってはいけないと言われていた高等部の、白い建物に囲まれた中庭に迷い込みました。白い百合を指先で撫でて、ぼんやりと花弁を眺めていた方が、わたくしの足音に気づいてパッと顔を上げました。

その子猫のような敏感さ、人を寄せ付けぬ、手元にある手折られた白百合のごとき気高さに、わたくしはハッと息を呑んでその場に立ちすくむほかなくって、そのままぽかんと立ったままでおりました。

はたして、その方は、私をさっと手招いてそばに寄せました。

「どこのこだろうね、おまえ、かわいいのね」

姿を見て、想像した通りの声でございました。

気高くって、甘くって、氷が鳴るような冷たさを持っていて。

わたくしはもううっとりしてしまって、名前を聞かれたのだと気づくのにたっぷり一分はかかってしまって、可愛いと言われたことを頭の中で何度も響かせていました。

中等部に入ったばかりだとようやく答えた頃には、その方は、わたくしをすっかり気に入った様子で膝に乗せ、悪戯に手の甲を撫でておりました。

「うん、うん。気に入ったわぁ。おまえ、これをあげるわね。おまえのこれをもらうからね。これから、毎日ここにくるのね、わかったのね」

ふっと首が軽くなって、またきゅっと締め付けられて、わたくしは、自分のスカーフの色が変わったのだとその時に気づいたのでございます。それは、彼の方がわたくしの姉となった証でございました。

もちろん、たった一人のことでございますので、もっと慎重になるべきだとわかっておりましたが、わたくしは、あの美しい方を、お姉様だと呼べるという事実だけで、何もかもを投げ捨ててもいいような気がしていたのです。

わたくしは、毎日、高等部までかけていってお姉さまの待つ中庭へ忍び込みました。

お姉さまの膝の上に乗って、とてもとても、殿方にはお見せもできないようなことをすることもございました。陽の光の下に白い肌を晒して、うっすらと頬を赤くして、黒い髪が汗でしっとりとして私の胸の先をくすぐるのです。あの時のお姉様ほど艶やかで、いっとう美しいものをこれから先知ることはないのでしょう。

あれは、わたくしだけのお姉様でございました。

わたくしだけの、はずだったのです。

わたくしは、数年前、今よりも幼かったと申しました。

あれは嘘でございます。

わたくしが、子供ではなくなって、自分が特別ではないと知ったのは、ほんの数日前のことなのでございます。

それまで、わたくしは、自分が特別だと信じてやまない子供でございました。

あの船が、まさに今、あの海へ進み出したあの船が見えますでしょうか。

あそこにお姉様が乗っています。

港にいるかもめよりも真っ白で、底の見える海よりも透明な、お姉さまがあそこにいます。

もう戻らぬ船でしょう。どこか遠い海の向こうへお姉様を乗せて行って、お姉様のいないままにどこかの港へ戻るのでしょう。

わたくしは、お姉様がすべてでございました。うぬぼれでなく、お姉さまも、わたくしがすべてであったことでしょう。

違うところがあるとすれば、わたくしは、これからもお姉様が全てで、お姉様は、わたくしを世界のほんの一部にしてしまえたのです。

「しあわせにおなり」

お姉様は、いつもの傲慢でわたくしの首を撫でて、それで、ついと旅立ってしまった。

わたくしのしあわせが、お姉様が必要だと、お姉様は思いもしていないのでしょう。お姉さまのしあわせに、わたくしが必要のないからでございます。

背の高い方に寄り添って、指に光る宝石を撫でて、ほんのりと頬を染めるお姉様は、わたくしのスカーフを、ついついと撫ぜて、すいと眉を下げました。

わたくしは、その時ふいに、この、わたくしの、私が宝物に、一生をつけようと誓ったスカーフが、真実お姉さまのものではないことに気がついたのです。

だって、お姉様と、わたくしは、年が三つ離れていましたので、本当なら、わたくしとお姉様のスカーフの色は同じでなければならないのです。なのに、わたくしは、無邪気にも、お姉様の色に染まったのだと信じ込んで、嬉しくも、お姉様に見せびらかしておりました。

このスカーフは、お姉様が、そのまたお姉様からいただいたものなのでしょう。

きっと、お姉さまも、今の私と同じ、胸の痛みに涙をこぼして、船を見送ったことがあるのでしょう。

ああ、ああ、なんて酷い方。

それなのに、あんなに綺麗なままだなんて。どうして、わたくしを、こんなに傷付けながら、どうしてあんなに綺麗なままなのか。

いま思い返しても、お姉様は誰よりも綺麗で、愛らしくって、誰のものにもならないと全身で語っているようで。

ああ、つまり、わたくしのお姉様は、わたくしのものであった瞬間など、これっぽっちもなかったのでしょう。

お姉様が、船に乗っていて良かったと思います。

わたくしのこぼす涙が、海に一滴、二滴とおちても、お姉様はどれがわたくしの涙かなんてわかりゃしないのですもの。

お姉様が、わたくしの声を聞いたのは、幸せになってほしいと祈る声。

ええ、わたくしは、お姉さまに、幸せになってときちんといえたのでございます。

わたくしの、一世一代の嘘でございます。

わたくしのいない場所で、幸せで、もう二度と会わないでくださいと、お姉様に笑って言ったのでございます。

どうでしょうか、すこしはお姉さまに似て、綺麗になれているでしょうか。それとも、まだ醜いままでしょうか。

わたくしは、この、お姉様にいただいた、お姉さまのものではない、わたくしのスカーフを、誰かにあげるつもりでいます。

あのときのわたくしと同じで、幼くって、健気で、自分が特別だと信じている、可愛い子がいいと思っています。

お姉さまの好きだった、白百合の花が、中庭に、そろそろ咲いている頃ですから。

それでは、旅の方、船の見えなくなるまで、海を見つめ続けているあなた。あなたにも、しあわせな、あの船に乗っていったしあわせな方がいるのなら、今のうちに、一滴、二滴と涙を落としていってもバチは当たりませんわよ。

それでは、聞いてくれてありがとう。

ごきげんよう、見知らぬ方。

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