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第三話 わたしを呼ぶときは


 右手の山稜から太陽が顔を出した。

 約束の時刻だ。

 レヴィンは馬を進ませながら周囲のすべてに意識を集中する。


 と、遠くにひとつの影が見えた。

 草原のずっと奥、丘の上。

 橙色の光に埋められたそこに、なにかが動いている。


 馬を進ませながら目を細めていると、やがて形をはっきりと捉えられるようになった。人の形をした、なにか。

 丘の向こう側から上ってきて、頂に立った。影はひとつだった。


 「……実体化、か。ひとりということはないだろうな」


 レヴィンは冷笑するように独り言ちた。

 が、いつまで待っても、影はひとつのままだった。


 「……複数の妖魔がひとつの身体を形成している、ということか。狙いはなんだ。力を集中するためか……まあ、いい。戦闘になれば残らず殲滅するだけだ」


 彼は生贄としてやってきた。抗うつもりはない。それに、聖騎士団を壊滅させた妖魔たちをひとりで殲滅できるわけがない。もちろんそれらを分かったうえでの、彼の矜持である。


 馬が歩む。影が徐々に大きくなる。

 と、影が上に伸びた。手を差し上げたように見える。

 レヴィンは瞬時、手綱を引き絞った。右手を浮かせ、腰の剣に軽く被せる。遠距離攻撃をされると考えたのだ。

 しかし、攻撃が降ってくることはなかった。


 影はまた小さくなり、なにやら動いている。

 と、その動きが止まり、さらに縦方向に小さくなった。今度はレヴィンは様子を見ている。影はしばらくそうしていたが、すぐに元の大きさに戻った。

 それは彼から見ると、まるでこちらに頭を下げているように見えた。


 「ふん。得体の知れぬ奴らめ。なにを企んでいる」



 ◇◇◇



 白い影は、一頭の白い馬だった。

 その上の男性も、やはり白い装束を身に着けている。

 マイアは本物の騎士を見たことはないが、劇団のしものの多くに魔法使いやお姫さまと一緒に登場していたから、それが白い甲冑を身に着けた騎士であることはすぐにわかった。


 馬はゆっくりと近づいてきて、丘のふもとで足を止めた。

 騎士はしばらくこちらを見上げた後でふわりと馬を降り、斜面を登ってくる。

 その距離まで来ると顔かたちがはっきりと見えるようになる。


 荒々しく伸ばされた白金の髪。

 意志の強そうな頬骨、顎。

 装束の上からでもそれとわかる、鍛え上げられた細身の身体。

 そしてなにより、彼女を射抜くように向けられる、紺碧の瞳。


 マイアは、息を呑んだ。よろめいた。数歩下がり、手を口に当てる。涙が滲んでいる。


 まずい。

 タイプすぎる。

 これは、だめなやつだ。


 「……あのっ!」


 声を発し、同時に彼女の全身から汗が噴き出た。

 出した声がきれいに裏返っていたからだ。

 だが、乗り越える。乗り越えてみせる。


 「あの、きょきょ、きょうは、ほんとに、ごきゅろうさまでござす!」


 乗り越えることはできなかった。


 なぜ礼の言葉ではなく、ご苦労さまです、という単語を選択したのかと彼女を責めることは容易だが、もはやそういう次元ではない。が、そのことは彼女も自覚しており、言葉を発した後は顔面を朱に染めて硬直している。

 それでも相手が黙っているから、なんとか続きを絞り出した。


 「き、騎士さまのかっこ、なんですね。へ、へへへ、か、かか、かこよい、です。しゅてき、です。へへへへ、お、おいしそ」


 絞り出した結果はさらに混迷の度合いを深めていた。美味しそうという言葉が自分のどこに埋蔵されていたのかと彼女は自らを呪った。最悪の深度を更新し、彼女の目尻には涙が浮かんできた。

 なんとかせねば。この窮地を。お相手さん、俳優さん、怒って帰っちゃう。こんなんじゃ、呆れられちゃう。


 「ま、まじゅは、座りたまえ。ここ、ここ、ね、ほら」


 足元の下草を指さし、自ら先に腰を下ろす。そのまま膝を抱え、頭を埋める。

 も、帰ってもらおかな……なんか気の毒になってきた……。



 ◇◇◇



 丘のふもとまで馬を進め、その脚を止めた。

 レヴィンは丘の頂に立つ姿に視線を置き、しばらく動かない。観察しているのだ。人間型。女。武装なし。だが、どこか異様だ。

 そう感じる原因は表情かもしれない。一見、笑っているように見える。が、その笑みが顔面の筋肉によって作られていることを彼は鋭敏に見抜いている。


 ……まあ、いい。もとより生贄だ。相手の懐に飛び込むまで。


 そう思い定めて、彼は馬を降り、足を踏み出した。ざくざくと下草を踏んで丘を登ってゆく。近づくにつれて相手の顔かたちが明瞭に捉えられた。

 女というより、少女。人間なら、二十……いや、十七歳ほどか。起伏のない体格。手足も細い。が、いまこちらに向けている紫の瞳だけが、どこか不自然なほどに熱を帯びているように感じられた。


 と、相手が心なしかよろめいたように思えた。攻撃か、と身構えようとしたがそうではないようだった。直後に口を開く。聞き取れない。甲高い音で、早口で発声されるためだ。レヴィンは以前、深夜の街で実体化した妖魔と対峙した際、似たような声を向けられたことがある。

 が、次の言葉は聞き取れた。

 

 へ、騎士さまの恰好かよ、捨てる気だな、美味しそう。


 意味は取れない。が、通じる。王宮の聖騎士ともあろうものが、殺されるとわかっていて命を捨てにきたのだな。美味しく喰ってやるから、覚悟しろ。


 その直後に相手はまた聞き取りずらい発声をし、座り込んだ。苦しんでいるようにも見える。人間の形状を長時間、維持することが困難なのだろう。

 ある程度の会話が成立することが分かったため、彼は相手の隣に腰を下ろした。あとは、委ねるのみだ。自らの命を。相手の望むままに。



 ◇◇◇



 その時、白の騎士が隣に腰を下ろした。

 マイアのほうをちらと見て、遠く山稜に目をやり、ひとつ息を吐く。


 「……約束は、守ってくれるのだろうな」


 騎士はたしかに、そう言った。

 マイアは膝から顔を上げ、目を瞬かせながら騎士の顔を見る。あまりの美麗に直視ができずにすぐに横を向き、高鳴る心臓を押えながら考える。

 約束? なんだろう? しばらく考えてひとつの可能性にたどり着く。


 以前にマイアは、劇団の昼食に手を出した。

 二日間、草の露しか口にしていなかった日。ふと劇団の天幕の横を通ると、香ばしい匂い。昼食の肉を焼いていたのだ。露天のテーブルに並べられたそれをマイアは無意識に失敬し、即座に捕縛された。彼女の動作は他人の倍の時間をかけてなされるためである。

 泣いて謝るマイアに劇団の者は言った。もう、するんじゃないよ。欲しくなったら言ってね、ちゃんと代わりのものを分けてあげるから。

 このことしかない。劇団の者に約束と言われるのであれば。


 「……もう、手は出しません」

 「……確かか」


 重ねて言われ、マイアは相手の顔をきっと見返した。


 「出しません。約束は守ります。代わりのものをもらえることがわかったから」


 そう言うと、騎士は息を呑むような表情をし、それから頷いた。頷いたまま顔を上げず、しばらく足元の下草を見ている。それでもやがて、絞り出すように小さな声を出した。


 「……なにをすればいい」


 マイアはそこに至り、相手の俳優さんに何を頼むかをまったく考えていなかったことに思い至った。心臓の鼓動が加速する。まずい。なにか言わなければ。

 そうした窮地においては、誰もが自らの根底をさらけ出すことになる。心の深層に思い描いていた性癖を露出することになる。

 マイアは乾いた口を動かし、そのことを告げた。


 「あの、あの、そしたら……ぼぼ、僕の小さなうさぎちゃん、って」

 「……なに?」

 「うううさぎちゃん、は、はちみつたっぷりかけて、でろんでろんになった君を抱きしめてあげるよ、ぼぼ僕も全部脱いで、はちみつだらけで、えへ、えへへ」


 数拍後、さすがのマイアもすべてが完全に終了したことを直感した。騎士の顔が歪んだままで固まっている。泣こうかと思ったが涙も出ない。それでもなんとかしなければと声を出そうとした、その時に。


 「……う……うさ、ぎ、ちゃん」


 騎士が声を出した。震えている。声も、身体も。顔の側面を手で覆っている。耳が赤い。


 「でろ、でろん、で……だ、だきしめて、あげる……ぜんぶ、ぬいで……」


 彼の言葉はマイアの言うことを正確に反映していない。が、そんなことはいまどうでもよい。マイアの世界が回転した。宇宙が弾けた。星が飛ぶ。薄紅よりほかの色彩が消失する。

 いちど倒れかけた身体を起こし、マイアは呼吸を荒くしながら先を続けた。


 「きき、君の髪、君の首。なんて美味しそうなんだろうって」

 「……きみの、かみ、くび、なんておいしそう……なんだ……」

 「むしゃぶりつきたい、離したくない、もう僕とひとつに溶けちゃえばいいのに」

 「むしゃぶり、つきた、はなしたくない、ぼくととけちゃえば……のに……」

 「君しか見えない、君が欲しい、いつまでもそばにいてほしい」


 マイアは文字が読める。村人から借りた草紙を読むこともできた。そうした中には大人の女性向けの物語もあり、そのもっとも気に入りのセリフを彼女は無数に暗記していた。それらの言葉が彼女の性癖の根底を形づくっていたのだ。


 こうした応答がしばらく続いたのち、騎士はばっと顔を上げた。マイアを見つめる目には涙が浮かんでいる。あまりの情けなさ、口惜しさゆえだろう。


 「い……い……いい加減にしてくれ! もてあそばれるのはたくさんだ! 妖魔なら妖魔らしく、ひと思いに俺を喰えばいいだろう!」


 叫んだ騎士を、マイアは呆然と見返している。


 「……え? え?」

 「貴様、妖魔だろう? 王を脅し、俺を、聖騎士を差し出せと言っただろうが!」

 「……ちょ、ちょっと、ごめんなさい。え、なに? これって、演技……?」

 「演技じゃねえ!」


 騎士はレヴィンと名乗り、あらかたの経緯を語った。マイアはそれも演技、台本に沿ってのことかと考えたが、どうもおかしい。もしや……。


 「……もしかして、ほんものの……騎士、さま……?」

 「だから! そうだっつってるんだよ! あんたこそなんだよ、妖魔じゃねえのか? なんでこんなとこいるんだよ、ここには妖魔の親玉がいるはずなんだよ!」

 「わたしは……その……それより、妖魔の親玉って、どんなのです?」


 レヴィンは妖魔がどういう存在かを説明しようとしたが、うまく言えない。当然だ。対峙したことがないものに、不条理の世界に巣食う彼らの実態を伝えきれるものではない。

 が、もどかしげに言いよどむレヴィンの額に、ふいにマイアは手をかざした。


 「……ああ、そういうやつ」


 こともなげにいうマイアに、レヴィンは怪訝な顔を向けた。


 「……なにをした」

 「あ、ごめんなさい。わたし、いろんな力があって。誰かの考えてることも読み取れるんです。いま、あなたの覚えてる妖魔のこと、見させてもらいました」

 「……そんなことができるのか。あんた一体、なんなんだよ……だが、そんなことはどうでもいい。あんたが妖魔じゃないとすると、いったい奴ら、どこにいる。まさか、場所を誤ったか……?」


 焦燥した表情で顎に手を当てるレヴィンに、マイアは小首を傾げてみせた。


 「いないと思いますよ、もう」

 「なに」

 「妖魔、っての。だってさっき、森の南の方で消しましたもん。なんか真っ黒で気持ち悪いのがたくさん湧いてきて、ぎゃあってぶっとばしました。あれが妖魔なんですね。親玉だったんですか」

 「……は?」


 マイアはなにか口にしようとしていったん収め、恥ずかし気に後ろを向いてから、横目にレヴィンの方に目を向けた。


 「わたし、先日亡くなった母からこの地方を引き継いだんです。一応、女神さん、やってます。えへへ。でもでも、なるべく力を使わないで、人間のなかで暮らしたいなあって……あ、あの、わたしのこと呼ぶときは、う、うさうさ、うさぎちゃんで……ね。うさちゃん、ぴょ。へへへ」



 <了>


 

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