第一話 選ばれし者たち
あなたの性癖、満たしませんか。
ぜんぶまるごと叶えてみせましょう。
わたしたち南風演劇旅団が。
そんな煽情的な売り文句が飾られた立て看板をマイアが見逃すはずがない。両手に抱えていた端切れ食材がぼとぼとと落下する。芋の皮、にんじんの葉、パンの耳。いずれも村の商店を回ってもらい受けたものだ。
立て看板には、こうも書いてある。
この地域での最後の公演となります。お世話になった皆さまへの恩返し。当劇団の人気俳優がまる一日、あなたのお望みの人物を演じます! 理想の恋人や伴侶、憧れの英雄と時を過ごしてみませんか!
くじは一枚、たったの銅貨七枚! 当たりくじは一枚だけ。明日の朝、村の広場で抽選を行います。参加希望の方は……。
マイアは落ちた芋の皮を拾うことも忘れて懐を探った。小さな革袋が出てくる。開けると、銅貨七枚が現れた。マイアの今月の生活費のすべてである。先日の占いの料金、銅貨十枚が入って来るのは来月のはじめ。これを使えば今月あと半分、赤貧だ。
マイアはぼろぼろの黒いフードのなかで目を伏せ、小さく微笑し、首を振った。わたしは愚か者じゃない。余った食材をもらい受けるこんな生活を、今度こそ抜け出ると誓ったもの。貯金をし、小さくともしっかりした部屋を借り、今度こそ村のなかで暮らすんだ。
フードを撥ね退け、秋の陽光のもとに顔を出す。青紫の腰までの髪は編みこまれ、母の形見の髪飾りが輝いている。色白の顔を決然と上げ、紫の瞳を天に向ける。
母さま。見ていて、わたしを。いつか、きっと。
◇◇◇
「はあい、それでは発表しまあす」
翌朝、マイアの姿は村の広場にあった。
胸の前で合わせた手にはくじが握りこまれている。
ぎゅうぎゅう詰めの村人たちに圧されながら、彼女は目を瞑り、呟いている。十八番、十八番、十八番、これハズれたら今月はもう駄目です、お願いしますお願いしますお願いします。
当選しようがしまいが今月が駄目であることは確定しているのだが、そんなことは些事だ。口のなかでぶつぶつと声を出す彼女を避けようと左右の村人が身を捩って間隔を空ける。
だだだだだん、という太鼓の音。壇上に上がった男が大げさな動作で小さな書付を掲げてみせた。
「当選番号は……」
詰めかけた村人ぜんいんがごくりと唾を呑む。しん、と静まり返る中、壇上の男はすうと息を吸った。
「十八番!」
おおお、というどよめき。皆が当選者を目で探す。誰だ誰だと動き回る群衆のひとりが、意識を失ってぼろきれのようになっているマイアをぐにゃりと踏みつけた。
◇◇◇
「……奴らはなんと言ってきている」
白い甲冑。
金と黒の重厚な装飾が施されているその装備は、この国において最も精強な騎士にのみ与えられるものであり、また聖騎士団としての誇りの象徴ともなっている。
王宮の騎士棟、要塞としても機能するその建物の一室に集まっている五名の男の全員がそれを身に着け、ただ、誇りとは縁遠い表情をつくっているのだ。
俯く者、奥歯を噛むように悔恨の色を浮かべる者。
「……王を救いたければ、生贄を出せ、と」
「ふざけるな!」
男の一人が壁を叩く。堅固な石積みの壁はその衝撃で揺れ、一部が剥離してぱらぱらと落ちた。
「生贄だと! 妖魔どもめ、まだ人々の魂を喰い足りぬというのか! いったい何人を要求している、千か、二千か!」
「……ひとり、だ」
答えた細身の男に全員が振り向く。
「……ひとり、だと……?」
「ああ。その代わり、我ら聖騎士団のひとりを差し出せ、と言ってきた。刻限は明後日の朝、東部の教会不在地域にひとりで来い、と」
妖魔。王宮の聖職者たちは彼らをそう呼んだ。
古典では悪魔とも邪霊とも表現されるその存在は、時には病として、時には実体化して人々を襲った。襲われた者は魂を喰われる。喰われれば、現世と彼岸の境界に彷徨うこととなる。
これに対抗したのが王宮の神殿、そして聖騎士団である。聖職者たちは祈りと法術で闇に潜むものを祓い、聖騎士たちは市民の眠る深夜に人知れず妖魔を斬った。その身命を厭わぬ努力と犠牲によって妖魔を退ける方法が確立され、世界はようやく平穏を享受した。
が、五年前にその平穏が終了する。時の司教が身罷ったのだ。同時に折悪しく、疫病が流行した。そして妖魔はこの疫病と一体化することを覚え、あらゆる場所に侵入し、人々の命を奪い、魂を喰らった。
王宮も必死に抵抗したが、疫病の強さが優った。姿を現して聖騎士と戦うことを避けた妖魔はついに王宮内部に侵入することに成功し、王を瀕死の状態に陥れ、あわせて聖職者と聖騎士団の九割を喰った。
いま動ける聖騎士は、わずかに五名。
その全員がここに参集し、ついに王の喉元まで手を伸ばした妖魔たちからの最後通告の扱いについて決そうとしている。
「……俺が行く」
もっとも身体の大きい男がそう言い、戸口に向かって歩き出した。が、壁際にいた男が手を上げて止める。
「いや、貴様は退魔術に優れている。神殿の影響力が弱まったいま、妖魔を封じるためには貴様の力が必要だ。俺が行く」
すると別の男も声を上げる。
「なら、俺だ。いいか、奴らの狙いはおそらく、殺すことじゃない。いたぶり、切り刻み、だが生かし続け、その苦悶の表情を眺めて楽しもうって腹だろう。俺は痛みに強い。絶対に泣き言は言わねえ。だから行く。後は頼んだぞ」
「馬鹿を言え、貴様には妻も娘もいる」
「お前にだって老いた両親がいるだろう。騎士の妻なんてなあ、いつだって覚悟してるもんだ」
「まて、それならば……」
がん、と足を踏み鳴らし、男たちの声を止めた者がいる。
窓際で壁に背を預け、遠い山嶺に隠れかけた太陽と紅い街を見下ろしていたその男は、顔をゆっくりと室内に振り向けた。照らされる残照に輝く白金の髪は荒々しく散らされ、塑像のように鋭角に刻み込まれた頬骨にかかっている。
体格は、場の男たちのなかでも中庸といってよい。が、その額に残る傷と、平時においても寸分の隙もない身のこなしが、彼があらゆる戦場を潜り抜けてきた本物の戦士であることを雄弁に語っている。
「俺が行くぞ。文句はあるまい」
聖騎士たちを睨みつけ、だが彼は、わずかに口角を上げてみせた。
「貴様らは良い騎士だ。技を伝え、王を支え、人々の希望になれる。だが俺は、闘うことしかできねえ。いうなれば、妖魔の仲間みてえなもんだ。だから行く」
「……レヴィン団長」
「団長がいなきゃ、聖騎士団じゃない。残ってください。俺らが行きます」
「ばあか。こういう時はな、上司を立てるもんだ」
男、第三十五代聖騎士団団長、レヴィン・スリアディネスは、そう言って大きな笑顔を浮かべてみせた。
その笑顔は、彼が心から信じた、自分の背中を預け続けた仲間たちへの置き土産のつもりだったのだ。