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連続猟奇犯

 全裸の女。手足を淫らに広げて、床に横たわっている。ムッチリとした乳房に、ひねった腰のラインが艶かしい。見事なプロポーションである。

 スマホのシャッターが切られる。その黒いコートの人物は、唸った。そして、片手で、女の片足を持ち上げて、広げ、首を横に向けると、満足したようにまた、シャッターを切り、スマホの写真に収めていく。その人物は、すでに事を終えた満足感に浸っていた。さらに、自らの手で殺した女の腰を持ち上げ、身体を返し、ポーズを決めて、また、シャッターを切る。それを繰り返し、何枚もの写真を撮っていく。

「これくらいにするか?」

 その人物は、ニンマリと笑顔をこぼすと、手にしたスマホをコートのポケットに仕舞う。そして、今度は、小さなスポイドを取り出すと、最後の仕上げに入ったのであった..................。


「やだ、こぼしちゃった!」

 ミニスカートの裾に、飲んでいた珈琲の滴がついて濡れている。急いで、ハンカチを出して、拭き取る。そして、紺野美沙子は、誰も見ていないのを確認して、ほっと溜め息を突いた。喫茶店ラッキーの2階、窓際の席、彼女は、東都日報の敏腕記者で、向かいの席で、難しい顔をして、ブライヤーのパイプをふかしている中年の男は、推理評論家の丹奈修造である。

「ああ、これは失礼しました。で、丹奈先生、現代ミステリに関して先生の率直なご不満は?何か、ありまして?」

「一言で、「稚拙」だよ。一昔前の推理小説には、揺るぎない気骨の念を感じるね。何と言うか、根っこが這っていたって言うかな」

「ふむふむ、根性がないと........。

では、先生が尊敬してらっしゃるミステリ作家は?誰ですの?」

「そりゃ君、何と言っても、松本清張だな。あの徹底したリアリズムと深い人間観察の心理描写、君、彼の作品を読んだことは?」

「残念ながら、まだ。でも、リアリズムの追求は共感できますわ。誰でも、小説のように推測できる行動だけで理解不可能ですものね」

 美沙子は、うなずきながら、またカルピスのストローに手を伸ばす。

「例えば、誰でも、変な趣味を持っているとか、ね?」

「そうそう、僕の場合なら、抜いた鼻毛のコレクションとか、肛門の写真撮影だな。人に言えたものじゃないよ。君は?」

「そうね、あたしなら、マネキン趣味とか、ウサギの足の剥製集めですわ。あら、ちょっと失礼」

 美沙子の携帯が鳴っている。急いで、彼女は、電話に出た。

「はい、紺野です。...........、えっ、女性の全裸死体?どこですか?...............、はい、分かりました。すぐに向かいます」

「記者さんは大変だね?今度は、事件かね?殺しかい?」

「さあ、そこまでは?とにかく、行かないと。先生、今日は、貴重なお時間を本当にありがとうございました。また、本條のご自宅の方で、続きをお願いしますわ、じゃあ、お茶代はあたしが払っておきます。ではまた」

と、美沙子は、呆気に取られた丹奈を残して、店を出ると、近くのタクシーを停めて、一路、歌舞伎町へと向かわせた..............。


「おい、堪らんなあ、フルヌードだぜ、こいつ」

「殺しですかね?」

そこは、駅前の歓楽街から少し離れた閑静な住宅街の一角、大型マンションの一室であった。ガランとした広い空き部屋の中は、捜査陣の人々が大勢で右往左往している。鑑識の連中も忙しげに働いている。部屋の中央で、モルタル塗りの床に倒れた全裸美女は、幾度となく現場写真のフラッシュをたかれていた。そして、彼らの中を潜るようにして、死体の前までやって来たよれよれのコート姿の中年男がいた。口でチューイングガムをクチャクチャいわせている。

「ナマンダブ、ナマンダブ...........」

 男は、合掌して、やおら、死体を見ていたが、丸坊主のテカテカ

頭を振って、背後を向くと、ひとりの刑事に、

「おい、検死官はまだか?ホトケさんの色っぽい写真はもう撮ったか?」

「ええ、神川検死官なら、じきに到着するそうです、.............、おい、君!」

 ツルツル頭の匂坂警部に身を乗り出すように、ひとりの背の高いボーイッシュな感じの女性が声をかけて、

「匂坂さん、被害者の衣服、クローゼットの中じゃありません?」

「ク、クローゼットの中?」

 匂坂警部は、慌てたように部屋のクローゼットの衣服類の奥から、くしゃくしゃに丸めたドレスと下着の塊を見つけると声を上げた。

「あったよ!君も相変わらず、勘が鋭いねえ。どうして分かったね、紺野君」

「衣服なら、クローゼット。子供でも思いつきますわ。で、被害者の身元は?」

「残念だが、まだだ。ああ、検死官、こちらですよ?」

 初老の医師が、手にした黒い鞄から何やら取り出して、女性の死骸をつぶさに調べていたが、やがて匂坂警部を振り向いて、

「心臓発作だな。直接の死因は不明だよ。また剖検してみないと。死後推定時刻も、胃の中の食物残留を見んと、はっきりせんが、まあ、死後硬直の状態から見て、死後10時間前後といったところかな?............、ともかく、あとは解剖してみないと分からん」

「おい、ホトケさん、もう搬送していいぞ、先生、どうも。............、お、おい、何やっとる?」

 見ると、紺野美沙子が一眼レフで、現場の写真をバンバンと撮っている。彼女は、振り向くと、ペロッと舌を出して笑うと、

「これが記者魂ってもので。あとで、匂坂警部さん、お昼ごはん、ご馳走するわね?あれ?あの人は?」

 匂坂警部が振り返ると、現場の床に描いた死体の白い線の上に、若くて背の高い青年が寝転がり、死体の真似をしている。奇妙な男だ。匂坂警部が声をかけた。

「君、困るよ!早く帰りたまえ、ここは、休憩室じゃないぞ!」

「いや、死体の気分を味わってました。妙なものですね?警部さんもどうです?」

「ふん、まったく。...............、君、名前は?」

「僕ですか?遊民です」

「何い、遊民だと?俺をからかうな、お前が遊び人というのは分かったよ。本名は?」

「弱ったな?金田一耕助と申します」

「じゃあ、俺は、磯川警部か?横溝正史の読みすぎだ!いい加減にせんと!」

「ごめんなさい。鏑木慎一郎って言います。どうぞ、お見知りおきを」

「ええっ、鏑木?鬼崎殺しの、あの鏑木さんかい?こいつは恐れ入った、噂はかねがね、から聞いとります」

「恐縮するなあ、僕は、たまたま、あの場に居合わせて............」

 鏑木は、そう言って、長髪をかき上げると、人懐っこく笑った。彼は、床から立ち上がって、着ていたコートの埃を払った。匂坂警部は、その背中に、

「他にも聞いとりますぞ、ストーカー事件、老婆殺しの一件、あんた、いったい何者なんです?」

「さあ、僕にもまだ?書物にでも聞いてくださいな?では、また」

「ちょ、ちょと待ってくださいよ、今度の事件も、あなたの腕の見せ所じゃありませんか?ぜひ、私からご協力をお願いしますよ。おい、紺野、お前も来るか?」

 美沙子は、鏑木をじっと見惚れた様子で、

「あなた、とっても、いい男よ。放っておけないタイプよね。あたしの、タ、イ、プ、うそー、やだあ」

 それを見て、鏑木は、露骨に嫌な顔をした。やがて、彼は、泣き出しそうになって、

「勘弁して下さいよ。僕、毛虫と女性が大の苦手なんです。好きになるなら、阿部寛にでもして下さい」

「分かったわよ、この利かん坊。で、どこ、行くんです?警部さん?」

「とりあえず、さっき言った通りに、紺野君にランチをご馳走になるか?お前、いい店知ってるのか?」

「コンビニでホットドッグと紅茶買って、近くの公園のベンチで、一服、っていかが?」


 そこは、渋谷区の某所にあるレディースサウナの脱衣室の中。真っ白なバスタオルを巻いた女が、暗い脱衣室のタイル張りの床の上で倒れている。もう、バスタオルは、乱れて、事は済んでいた。黒コートの人物は、ゆっくりとバスタオルを脱がせる。すると、ポロンとあふれでるように、豊満な乳房がこぼれ出る。細い腰のラインが悩殺的である。足は乱れて、流れる白魚のような趣だ。黒コートの人物は、急いで、スマホを取り出すと、殺した女の乳房をやや持ち上げ、お尻をひねって、形を決め、シャッターを切る。次は、女の両腕を高く上げて揃え、腰の辺りを手で引っ込めておいて、1枚。次々とポーズを変えて撮る。その人物は、床に描かれた文字らしきものを認め、やや首を傾げたが、そのままに無視しておいた。そして、最後のスポイドが出たのである........................。


鏑木は、死体を調べていたが、やがて顔を上げて、匂坂警部を向き、

「綺麗な身体ですね。女でも興奮しそうだ。身元は?」

「報告によれば、吉野幹子、28歳、所持品の名刺からいくと、都内の商事会社の受付嬢ですな。どうりで、綺麗なわけだ。昨夜は、勤務帰りにこのサウナに立ち寄り、たまたま忍び込んだ犯人に見事、一撃です。しかし、べっぴんですな。誰かさんとそっくりだ」

そう言って、匂坂警部はそばにいる美沙子を見上げた。美沙子は、ツンと胸をそらせて、

「あら、今頃、お気づき?まあ、いいわ。でも、もうランチは駄目よ。この前のラウンジでも高くついたんだから」

「これ、何でしょうねえ?」

と、鏑木が鋭く言った。死体があったそばのタイルの床に、血糊で描いたように、「ON」と、残されている。

「英語のオンですな。きっと、被害者が最後に必死の気持ちで、犯人が誰かの手がかりを何とか残そうとしたんだろうが、何の事やら...........」

「レディースサウナか...............」

と、鏑木は考え込んでいた。

「電気のON?それでも、意味が、..................、いや、待てよ」

美沙子が、眉をひそめて、

「また、心臓の発作でしょう?本当に殺人かしら?偶然に、事故が重なって、てことだってあり得るわよね?」

「そうですね。充分にね。警部さんは?」

「こいつは殺しだな。私の直感だよ。おや、あれは?」

 見ると、脱衣室の窓の外の庭の木陰に人の動く気配がした。ものすごい勢いで、匂坂警部が飛び出すと、やがて、片手に小柄な若い男の襟首を掴んで、帰ってきた。

「誰かと思ったら、お前か?滝崎勘三郎、いつ、出所してきたんだ?」

「いったい、誰です?滝崎って?」

「盗みのプロですよ。情報屋も闇でやってましてね。役に立つやつなんだが、去年、窃盗罪で刑務所行きの実刑食らって、おい、何とか言ってみろ、滝崎!」

「匂坂警部さんと一緒でさ。今度の裸女事件、追いかけてんでさあね、へへっ」

「雇い主は?誰だ?」

「そればっかりは、口が裂けても、言いっこなしで、どうも、どうも」

「二度と、こんな下手な真似、するんじゃないぞ、ほら、行け!」

 獣のイタチが逃げ出すような勢いで滝崎が窓から姿を消した。その後で、匂坂警部が言った。

「お二人に少しお話ししたいことがあるんです。ちょっと、警視庁まで、ご同行願えますかな?」


 誰もいない広々とした会議室、長机が並び、たくさんのパイプ椅子が整然と置かれてある。前には、壇上に、スクリーンと巨大なホワイトボード。そこには、乱雑に名前や記号、手書きの地図が黒インクで描かれてあった。

「普段は、捜査会議を開いたり、ここで記者会見したりと、大変なんですがね、今は、こんな具合に静かなもので.................」

「で、警部さんのお話しって言うのは?」

と、鏑木が抜け目なく尋ねた。

「行方不明でしてね...............」

と、匂坂警部が答えた。

「鬼島耕史って言うやつなんです。当時、話題になった有名な連続レイプ魔でしてね。今も足取りが掴めないままで。被害者は、皆、若い女性ばかり、その数も30は下りませんよ。最後の目撃が、五反田の飲み屋でね、主人が帰るときにハッと手配書の似顔絵を思い出したんだが、手遅れ。もう、彼の姿はなかったそうです」

「女の敵よね。女をレイプする男の気持ちって分からないわ、やっぱり、興奮するの?」

 そう言って、流し目で、美沙子は鏑木を、うっとりと見た。鏑木は、顔色ひとつ変えずに、

「で、なぜ、鬼島なんです?」

「いやね、今までの2件の裸女変死事件、その死体の体内に残された男の精液をDNA鑑定にかけたんです。それと、情報庫に残った鬼島の精子DNAとね。それで、今朝、科捜研から連絡を受けて訊いたところ、99%の確率で一致したそうなんです。いかがです?」

「それは、決定的ですね。じゃあ、犯人は鬼島ということで、すでに捜査陣は動いていると?」

「ええ、この前の捜査会議の結果から、また前進しましたよ。どうです?鏑木さんのお考えは?」

 その時、美沙子の携帯が鳴った。美沙子は、失礼を詫びて、ひとり廊下に出た。

 電話の相手は、丹奈先生だ。嫌に興奮している様子である。

「どうしたんです?先生。インタビューなら、明日にでも.............」

「ぼ、僕、分かったよ!君の事件の犯人さ。鬼島耕史って男なんだ。秘密だけど、有名なレイプ犯でね、今も行方不明らしい、これはスクープになるぜ、ぜひ、君が調査してくれたまえ」

「ああ、そうなんですね!」

と、美沙子は、空とぼけて答えた。

「分かりました。極秘に調査いたしますわ!ご協力ありがとうございます」

 美沙子は、電話を切って舌打ちをした。えい、いまいましい。

 会議室に戻ると、二人の姿は消えていた。

 テーブルにペンで走り書きをしたメモの紙切れが置いてあった。

 美沙子は読んだ。

「横浜の埠頭で女性の全裸死体が発見さる。すぐ来い」


 海風が強い。海岸の波打ち際には、何隻もの漁船が停泊して、黒い波に揺らめいている。海燕の鳴きわめく声が騒がしく響いている。

 埠頭の波打つ岸のテトラポッドの上に乗るように、真っ裸の裸体をのけ反らせて、全裸女性が死んでいた。長い黒髪が、波に揺られて、ユラユラと漂っている。

「また心臓の発作ですか?」

「そうだな。外傷はなさそうだし、何かの精神的ショックでも受けたんでしょうか?分からんな、急いで、検死の方へ回してくれたまえ」

 神川検死官が去ると、近くで、鏑木と話し込んでいた美沙子が囁くように、

「ねえ、鏑木さん、あたし、以前に鬼島の事件、追いかけてたんだけど、鬼島、左頬と、右の太ももの内側に大きな黒いホクロがあるって。こんなの、手がかりにならないかしら?」

 鏑木は笑って、

「そんな人間なら、日本人の男に山ほどいますよ。でも、美沙子さん、あなたは面白い人だ。今まで、あなたみたいな女性は見たことがない」

「それ、褒めてるの?それとも、馬鹿にしてるの?分かんない?」

 向こうから、二人を匂坂警部が大声で呼んだ。二人は、岸のテトラポッドを大股で掻い潜りながら、近寄ってきた。

「これで3人目ですな。それにしても、これ、何ですかな?」

 そう言って、警部が差し出したのは黒い薄手の布地であった。

「被害者の右手が握ってましたよ。たぶん、犯人ともみ合って、格闘の末に、犯人から奪い取ったものだと思われるのですが」

 鏑木が、手にしてじっくりと観察していた。やがて、首を振って、

「これだけでは、何とも。おや、あれは?」

 三人の見ている岸壁の倉庫街を、こちらに向かってヒョコヒョコ歩いてくる小柄な男がいる。

 美沙子は眼を凝らせた。

「あら、丹奈先生!」

 パイプ片手に、ステッキをついてこちらに向かって来る。

「丹奈って言うと、あの丹奈修三ですかな?確か推理小説の批評家でしょう?そんな男が何でここへ?」

 匂坂警部は不思議そうだ。

「それに、丹奈修三って言ったら、丹奈財閥の御曹司だ。それが、車でもなく、歩いて...........」

御曹司。その言葉が、妙に鏑木の心に引っ掛かる。どこかで、何かあったような。しかし、わからない.......................。

「やあ、皆さん」

と、丹奈は、上機嫌な様子だ。そして、右手を差し出して、匂坂警部に握手を求めた。しかし、その右手の手袋は、何かに引っ掻けたのか、破れて、穴が空いていた。

「まあ、先生らしくもない。今度、あたしが縫って差し上げましてよ?」

「そいつは、ありがたい。昨日、愛犬のジャックに噛みつかれましてな、怪我はなかったが、この有り様で、いや、あいつ、狂犬病にでも感染したかな?」

 それから、朗々と、丹奈先生の推理談義が行われた。これは、実に面白くもないので、ここでは、ただ、レイプ犯の鬼島が、有楽町を中心とする周辺地域で目撃が多発しているから、多分、奴は、そこに潜伏しているのではないかという彼の仮説を、匂坂警部が熱心にメモっていたことだけを記すに止めておこうと思う。

 それから、数日が経った。

 そして、ある日、プラッと、警視庁を訪れた鏑木は、緊迫した捜査会議の最中に出くわし、廊下の長椅子で読書をして時間を潰していた。そこへ、珈琲の缶を2個持った美沙子が現れて、図々しく、鏑木の隣に座って話しかけた。

「あら、鏑木さん、読書かしら?

いったい、何の御本なの?」

「舞台奇術の歴史に関する図解本なんですよ。古本屋の主人に頭を下げて頼み込んで、5万円ちょいで譲ってもらいました。悕購本なんです」

「あれ、奇術かしら?じゃあ、その鏑木さんなら、今度の事件の犯行手口はもうお分かりなのね?」

「ハハハ、そう来ると思いましたよ。ええ、自分なりに解釈というか、ちょっと医学をかじっていれば、分かることですよ、誰でもね?」

「あら、そうなのね?でも、心臓発作を引き起こすって、いったい?」

 そこで、会議が終わったようで、ゾロゾロと刑事たちの群れが出ていく。最後に、苦い顔をした匂坂警部が、二人を見て声をかけてきた。美沙子は、持っていた缶珈琲を鏑木に押しつけて、会議の結果を匂坂警部に詰めよって訊い

た。

「丹奈先生でバッチリだよ。その線で洗ったら、奴の潜伏先が判明した。鬼島は、有楽町の住宅街のアパートで、今も寝泊まりしているようだ。今から、突入だが、君たちはどうする?」

「もちろん、同行しますわ、ねえ、鏑木さん?」

 返事も訊かずに、二人は、警部の自動車に乗り込んだ。警視庁から、繁華街、そして、閑静な住宅街を車は疾走していく。

「あのう、サイレンは?」

 とぼけた質問に、警部は優しい口調で、

「鬼島に気づかれちゃ困るからね、静かに行こう!」

 やがて、車は、住宅街の中ほどの、古びた2階建てのアパートの裏手で停車した。

「すでに刑事たちが周囲を張り込んでいるよ。奴の様子はどうかな?」

しばらくして、2階の一室の窓が開くと、若い短髪の浅黒い顔の男が首を出して、周囲を窺い、また窓を閉めてしまった。

「鬼島だよ。大丈夫だ」

 警部は、車のマイクを取ると、

「よし、確認した。突入せよ!」

と、命じた。すると、あっという間に、アパート周辺の木陰や停めてあった車から、びっくりする数の刑事たちが飛び出して、問題の部屋へ突入していった...............。


「何?どこにもいない?煙のように消えたってのか?」

 鬼島の部屋は、乱雑であった。台所には、山積みになった食器類、床は、煎餅布団が乱れて、ジャンクフードの空き袋の類いが散乱している。しかし、大勢の刑事たちが立ち並ぶ部屋のどこにも、鬼島の姿はなかった。

「チクショウ、逃がしたか!」

 毒づく警部に刑事のひとりが、

「しかし、我々は、扉と窓の両側から飛び込みました。逃げ道なんてあり得ませんよ」

「じゃあ、奴は、透明人間にでもなったか?ええっ」

 不思議である。奇跡としか言いようがない。

 美沙子が隣の鏑木を見た。

 彼は、さっきからにやにやと笑っているではないか?

「何、笑ってるのよ?あなた、狂ったの?」

 すると、鏑木は、警部に、

「警部さん、奴なら、ちゃんとここに居ますよ。...............、おい、出てきたまえ、鬼島君、君の居場所なら、この僕が知っているからね」

 そう言って、鏑木は、手にした棒切れで天井の羽目板をゴンゴンとつついた。

 すると、どうだろう?天井裏で、ゴソゴソと物音がして、やがて、押し入れが内側から開き、観念した様子の鬼島青年が、こそこそと姿を現したのである................。

 

 それから、容疑者、鬼島耕史の供述が始まった。しかし、取調室に座った彼は、事件に関して知らぬ存ぜぬの一点張りで、僕は、やってない、知らないと繰り返し、

僕には黙秘権がある、すぐに弁護士をつけてくれと、うるさい。ついに、匂坂警部も辟易するような事態となっていた............。


「情報屋の滝崎からタレコミがありましたよ?」

 と、刑事が言った。匂坂警部が、

「そうか?逃げたイタチの滝崎か?奴は何て言ってた?」

「何でも事件の尻尾を掴んだって。今日の夕方に、品川区のグローバルってマンションの308号室で女が殺られるって言うんです。どうします、匂坂警部」

「夕方か、間に合うかな?よし、行くぞ!みんな!」


 マンションの一室。広い廊下の中央で、紅いバスローブを着た女が、橫たげに倒れている。黒コートの人物は、丁寧にバスローブを脱がせてしまうと、真っ裸の裸体にした。そして、女の足を互いに組んで、両腕を前へ伸ばして求めるようなポーズを取らせて、スマホのシャッターを切った。

 次は、女を九の字にして、両手、両足を揃えて、お尻をぐんとつき出す格好でシャッターを切る。なかなかに良い。そして、最後に、女の乳房をそらせて、両足を開き、陰部を丸見えにして、刺激的に1枚。最後の仕上げのスポイドを取り出そうとした瞬間、突如、その人物の背後で、バンと玄関の扉が開かれた。

「しまった!遅かったか!」

 現れたのは、ひとり、鏑木であった。彼は、黒コートの人物に、にじり寄ると、

「君の犯行行動地図を、僕が綿密に調べた結果、ここだと分かってね。

 さあ、サングラスにマスク、そして、黒いコートを脱ぎたまえ。君の正体なら、すでに知っているよ、ねえ、紺野美沙子君?」


「どうしても、あなたの勝ちなのね?あなたって人は?」

 美沙子は、素直にコートを脱いで見せた。そして訊いた。

「どうして、あたしが犯人だって分かったの?」

「女性が犯人だって、確信を持ったのは、例のサウナの事件だよ。被害者は、死に際に犯人を伝えようとして、血糊で、「ON」と描いた。あれは、御曹司じゃない。つまり、女は、「ONNA」、犯人は「女」と描こうとして、途中で事切れたわけだ。それから、レディースサウナ。あんなところへ、係員の眼を盗んで、男が入り込めるものじゃないよ。そして、最後に、埠頭で起こった事件、被害者が握っていた極薄手の黒い布地、あれは、黒いパンティーストッキングを履いていた君から破り取ったものだろう?それらから、僕は、女が犯人だという確信に至った。次に君だよ、美沙子君。君は、最初の事件で大きなミスを犯した。被害者の衣服がある場所を、うっかりと警部に教えてしまったんだ。クローゼットの奥深くに丸めてあるってね。大きなミスだよ、犯人しか分からないような奥深い場所だからね。

 君には、マネキン趣味がある、これは丹奈先生から訊いたよ。君には、常人には理解しがたい美学があった。つまり、「死んだ裸女の裸体美」という美学がね。僕も真似てみたよ。実に美しい。しかし、殺人は犯罪だよ。君は、実に巧妙な殺害方法で女性を殺害した。僕から話そうか?

 人の心臓をどうやって心臓発作で殺すか?簡単だよ。人の心臓に食塩液を注射する。薄い食塩水じゃ意味ないけども、濃い高濃度の食塩水を急速に心臓へ直接、注射すると、人は不整脈を起こして死に至るんだそうだ。恐ろしいものさ。しかし、この方法も、君にとっては、貴重な裸体を傷つけないための工夫だった。そうだろう?そして、君は、この恐るべき方法で、女を殺し、最後にスポイドで、恐らくスポイドだろう、それに男の精液を、そう、鬼島耕史の精液を詰めたスポイドを女の膣に入れて注入して男の犯行に偽装した。どうやって、鬼島の精液を手に入れたか?それは、君自身が僕に手がかりを話してくれたよ。ほら、君は、僕に言ったろう?「鬼島の右の太ももの内側に大きな黒いホクロがある」って。こんなこと、記者の取材で分かる筈ないさ。君は、計画的に、鬼島と肉体関係を結び、自らの体内に残った鬼島の精液を採取して、容器に集め、冷凍庫に保管しておき、溶かして、スポイドに入れ、犯行に及んだ。君は、事を済ませた。「殺人」という事をねえ。満足感に浸っていたんだろうな。人間としては共感できる。しかし、ねえ、人を殺す、どうだろう?うん、どうした?お、おい!」

 美沙子は、いつの間にか、彼の話を聞きながら、唇から赤い一筋の血を流していた。そして、やがて、崩れ落ちるように、その場で倒れ込んだ。それを、鏑木が両腕でしっかりと抱き止めた。

「あ、あたし.........、あなたに......、分かってもらえて...............、嬉しいわ.......、あたし.......、本当に.........、あなたのこと.............、好きだっ...........」

「おい、しっかりしろ!毒を飲んだな、おい、しっかりしろ、おい」

 美沙子はこと切れた。いつの間にか、彼の背後に、匂坂警部と刑事たちが立っていた。それが、希代の連続猟奇犯罪魔の哀れな最後であった.................。

 

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