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A駅の七夕飾り

作者: 王理友恵

 七夕の時期になると、駅構内に短冊を書くコーナーができる。短冊は駅員が笹に飾ってくれる。立ち止まってこの短冊をちょっと眺める人も多いのではないだろうか。私もその一人。今日はどんな短冊が目に入るだろう。

 話は変わって、このA駅の南口の女子トイレは、個室が三つあるのだが、二つは扉が閉まっており、扉にガムテープが大きく〝ばってん”に貼られている。そして残った個室の和式便所は、何やら水を流すとおかしな感じ……ゴポッとこちらに水が戻ってくるのだ。そして、流した物が浮遊する。こういった状態がまさに常態化していて、私は日頃から(いきどお)っていた。駅の投書コーナーは全く機能しておらず、用紙もボールペンもないただの箱に、自分で用意した紙に「南口のトイレを直してください」と書いて入れたこともあるが、もちろんトイレは直らなかった。仕方ないから、今は諦めて北口のトイレを使っている。諦めずに直接抗議せよ、という人もいるかもしれないが、私はそんな性格ではない。

 そんな私が、(ひらめ)いてしまった。それは飾られた短冊を見上げて舞い降りた天啓(てんけい)だった。そうか。これなら。駅員が無視できない方法で、トイレの故障を改善しろと訴えられる方法があるじゃないか。

ーー短冊に書いてやれーー

 私は迷わずマッキーペンを取り、目立ちそうな白い紙を選んだ。そこに、書いたのだ。

『A駅の南口のトイレが故障しているので直してください。使える個室でも水の流れがおかしいです』と。

 私は意気揚々と仕事に向かった。

 ロッカールームで同僚のEちゃんと会い、そのまま作業場に向かう。Eちゃんは「今日食堂で何食べよ」と食事のことばかり考える典型的なぽっちゃりさんだった。

「もうそろそろ、七夕メニュー出るんじゃない?」

「早くない? 六月二十六日ですが」

「あ……そっか。まだ全然七夕じゃないね。でもA駅にはもう七夕の笹あるよ」

「笹……あーそっか、N子、A駅か」

「そうだよ」

「じゃあ、さ。この噂、知ってる?」

「へ?」

 そこで始業のチャイムが鳴り、私たちは持ち場に戻った。その後Eちゃんと食堂でその話の続きをすることになった。Eちゃんはオムライスを頼んで、おにぎりと唐揚げも別につけて、すでにプリンパフェのデザートも並んでいた。

「Eちゃん、相変わらずだね」

「誰にも止められないからつい」

「Eちゃん一番最初に食堂で注文するから誰も止められないんだよ……」

「まあ、そんなことよりね、N子」

「はい」

「さっきいいかけた噂について。私、一応いっておきたいんだけど……」

「うん」

「A駅の笹ってね、願い、叶う率半端ないらしい」

「はい?」

 Eちゃんはやけに真剣な目でこちらを見る。

「そうなの? あっ、そういえば、私、お願い書いたよ! じゃあ、叶うかも?」

 私は呑気に合わせた。私の場合、織姫でも彦星でもなく、駅員に宛てたお願いだけど。

「まじ? 叶うよ、多分。どんなお願い?」

「えっ……いや、まあ、駅のトイレ直してっていう」

「それお願いかーー!? さすがだねN子」

 Eちゃんは体を折って笑った。そんなに受けるかなぁ。

「まあ、その程度なら可愛いもんだね。で、気をつけなきゃいけないのは、A駅の織姫と彦星って、嘘が大嫌いなんだって。だから短冊に嘘は書いちゃ駄目だよ」

「え? 嘘ってそんなの……短冊に嘘を書くって何?」

「例えば、いもしない架空の彼氏彼女と結婚したい、とか、ただのイタズラで馬鹿なことを書くとか」

「うーん、前者はピンとこないなぁ……後者はみんなやってない? で、書くとどうなるの? 神様に激怒される?」

「いや、罪悪感で頭がおかしくなるらしい」

「はーーっ?」

 今度は私が思いっきり笑う番だった。罪悪感で! 頭がおかしく! 

 Eちゃんはそんな私を見て苦い顔をしている。

「N子ねぇ、いっとくけど、これ本気なんだから。実際、頭がおかしくなっちゃった友達の弟を知ってるのよ。短冊に『私は神だ、(あが)めたまえ』って書いたって、家族にもいってたんだって。そしたら、その短冊が笹に飾られてから、友達の弟さん、『私は神ではありません、申し訳ございません』ってずっといってるの。食事の時も買い物の時も、とにかくずっと口ずさんでるんだって。それが七月七日を過ぎて笹が取り払われても治らなくて、結局入院したみたい」

 私は少し真剣味を取り戻した。

「え……それ、本当?」

「A駅の短冊って巷では有名みたいね。でもさ、最近は、変な短冊は駅員も飾らないようなとこあるじゃん? だからまあ、今はそんなに。昔はひどかったみたいだけど」

「へえ……」

 自分の知らないA駅の噂。そんな話があったなんて……。

 私はその日の帰り、A駅の笹の前に立ち止まった。今朝方投稿した私の「トイレを直して」という願いは、短冊が多いせいで探すのが大変で、半ば諦めた。もとい、駅員に届けばそれでいいのだ。今度は、いつもと違う目でみんなの願いを眺める。今日Eちゃんが語ったことを踏まえて。不遜(ふそん)な短冊があるだろうか。どこかで誰か嘘をついているのだろうか。

『庭のカボチャが大きく育ちますように マキオ』牧歌的だなぁ。

『彼氏と結婚できますように さな』あるあるだよね。嘘ではないんじゃないかな。

『たくさんの幸せがみんなに届きますように 唯香』……これが本心と言えるのか。性格悪くてごめん。

 私は深く息をする。この七夕飾りの裏にEちゃんが語ったエピソードが隠れているのか。

 頭がおかしくなってしまった人がいるのだろうか。

 ……うーん、まだ、そんなに納得してないよね。大体、漠然とし過ぎじゃない?

 私は定期券で改札を抜けて、階段を降り、駅から出る。その日、しばらくぶりに故障している南口のトイレに入ってみたのは、自分が短冊に書いた言葉を実地検査するためだった。「まだ壊れてるよこのトイレ、全く」と自分の怒りを確固たるものと証明するため。

 ところが。

 二つ塞がっていた個室はどちらも空いており、ばってんも見当たらない。三箇所順番に流すレバーを押していったところ、何一つ故障はなく。

 私は「なーんだ! 直ってんじゃん!」と勝手に感動していた。

「ホントだ。めっちゃ願い叶うじゃん。Eちゃんの言った通り!」と口にさえ出した。

 でも、はたと気づく。今朝仕事に行く前に短冊を書いて、駅員が多分だけど飾って、仕事帰りにトイレに寄ったら直ってた、って対応早過ぎない?

……あれ、私、このトイレに来るの、結構久々で……二、三ヶ月は来てないんだ。どうせ壊れてるからって決めつけてたけど、もしかして、元々直ってたのかな。

 私の短冊の願いは『A駅の南口のトイレが故障しているので直してください。使える個室でも水の流れがおかしいです』。でもどこも故障してない。

 ーー嘘をついたのか。

 そう気づいたけど、だから何だという気持ちで、私は「まあ、いっか」とトイレを後にした。

 アパートに帰って夕食のカレーを作っている時、急に小さな罪悪感が生まれた。

 もしかして、駅員さん、短冊を見て、急いでトイレを確かめに行ったかも。忙しいのに。私、そもそもあのトイレを放置していると思ったのが間違いで、元々直す計画が立ってて、それを信じることができなかったのは私の落ち度なんじゃないか。

 私は首を振る。それは考え過ぎだ。

 でも駅員さんは思ったはず。ちっ、忙しいのにめんどくせぇことするなよ。

 でもだってそれは、トイレが壊れてたから……

 今壊れてねぇだろが馬鹿。

 ご、ごめんなさい。ーー私、誰に謝ってるの?

 謝って済むかよ。お前仕事増やしてんだぞ?

 あ、え、駅員さんごめんなさい。嘘をついてお手を(わずら)わせました。

 いうことは他にもあんだろうが。 

 わ、私は、私は駅員さんを信じることもせず、一方的な逆恨みをしました。

 他にもあんだろって!

 駅員さんだって人なのに、試すように短冊に願いを書いて、それを友人にひけらかしさえして、私はなんて頭のおかしい人間だろう。短冊に書くようなことでは断じてなかった。直接いう勇気がなくて、直接いってさえいたら、私にその勇気があったら、こんな間違いは起きなかったのに。私はなんて駄目な人間だろう。

 そうだよ。お前は頭がイカれてるんだ。わかってんなら謝れクズ。

 申し訳ありません、申し訳ありません。私はA駅の笹の、短冊の秩序(ちつじょ)を乱しました。美しい笹に嘘を吊るしてはいけない。必ず報いがくる。

 駅員の声が反響して繰り返される。そこらじゅうに駅員が立って私を(なじ)る。これは幻覚? これは何?

 ああ、私は、私はなんてことを。

 ここまで罪深いことをしたんだ。

 駅員さん、ごめんなさい。許してください。もう二度と嘘をついたり、人を試したりしません。お詫びします。お詫びします。

「駅員さん、ごめんなさい。申し訳ありませんでした。お詫びします、お詫びしますから……」


 七月七日を過ぎて、七夕飾りが撤去されても、私は薄暗い病室の壁に謝っている。なんせ、食事を運んでくる人はみんな駅員の制服を着ているし、面会に来る家族も駅員の制服を着ているからだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いやこれは怖いですね。本人はそんな気がなかったのに……。 やはり何でも確認は大切ですね。 自分も改めてそう思いました。 とても、面白かったです。
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