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TRACK-2 火の消えた街 2

 日課の早朝トレーニングを終えたレジーニは、シャワーを浴び、バスルームを出た。鏡に映る自分の身体を見て、陰鬱げに眉をひそめる。

 日々の鍛錬のおかげで、美しく均整のとれた肉体に粗はない。レジーニは左脇腹に手を当てた。

 ここ最近バスルームから出るたびに、繰り返しこうしている。先の事件でメメントの攻撃を受け、文字通り風穴が開いた箇所だ。しかし事件後、たった数日で完治してしまった。痕すら残っていない。

 いくら鏡を睨んだところで、本来なら全治数ヶ月の重傷が数日で癒えた、という事実が覆されるわけではないのだ。レジーニは己を叱責するように首を振り、リビングに移動した。

 服を着ながら、頭の中で考えを巡らせる。

 自分の身体に、何らかの変化が起きている。それはわかる。だが、何が起きているのかがわからない。そして原因も。


(最初に異変に気付いたのは……)


 思い返してみる。あれは、キッチンでリンゴのコンフィチュールを作っているときのことだった。シーモア・オズモントとハンズフリーで通話をしていて、うっかりペティナイフで手を切ってしまったのだ。


(あのときは、先生との通話を終えた時点で、傷口が塞がっていた)


 そもそも傷は浅かった、というのもあるだろうが、それにしたってほんの数分程度で治るものではない。

 そこへ持ってきて、メメントに貫かれた脇腹の件だ。ペティナイフの切り傷と比べても、明らかに治癒速度が上がっている。

 先日の遊園地での仕事の最中でも、メメントによる攻撃で頬に傷を負ったが、エヴァンと合流する前に完治していた。

 手袋をはめていたのは、負傷の際に傷口が塞がっていくところをエヴァンに見られないためだったが、ただの悪あがきでしかないように思える。

 この身体の変化についてどう調べるべきか、まだ見当もつかなかった。

 負傷箇所がたちどころに治るなど、まるでマキニアンだ。しかしレジーニは生身の人間である。


(一体なんだというんだ……)


 レジーニの頭脳をもってしても、答えはまるで出てこなかった。

 テレビを点け、朝のニュースにチャンネルを合わせる。ちょうど天気予報のコーナーで、気象予報士が今日のアトランヴィルは曇りだと述べていた。

 タワーマンション八十階の窓から見える空は、薄い灰色の雲で覆われていて肌寒そうだった。この頃の平均気温は八度前後、秋物コートが欠かせない。

 テレビを横目で見ながら朝食を摂る。ニュースの内容は、本日サウンドベルのアンブリッジ議事堂で行われる、保守派政治家たちの会食についてだ。

〈パープルヘイズ〉の近くにある建物で会食があることは知っていたが、レジーニには大して興味のない話題だった。次期大統領選挙もいよいよ大詰めだが、どうせ投票しないのだからどうでもいい。

 裏稼業を生業(なりわい)にしている身からすれば、もはや誰が大統領になろうが、状況に変化はない。裏稼業者にとっての元首は、大統領(プレジデント)ではなく〈(プレジデント)〉だからだ。

 選挙戦に残った二人、ガルシア候補とセルマン候補。そのどちらが次の大統領になったとて、大陸(ファンテーレ)に劇的な改革が起こるとも思えない。ガルシア候補の方がまだましだろうか、という程度だ。

「セルマン……」

 一瞬、その名前が引っかかった。気になった理由は、すぐに思い至る。デリク・セルマンの父親は、ロバート・セルマン元大統領。彼の任期時代に何があったか。

「〈パンデミック〉……、マキニアン一掃作戦の執行させた人物、か」

 その息子が、次の大統領になるかもしれない。ドミニクやガルデは複雑な心境だろう。

 エヴァンはどう思っているだろうか。いや、あの男は、誰が候補者なのかすら知るまい。

 朝食と片付けをすませ、コーヒーを片手にデスクに向かう。例の、自生繁殖するメメントについて、何か新情報がないかコンピューターをチェックしたが、これといって目ぼしい書き込みはなかった。

異法者(ペイガン)〉の共有ライブラリの中に、注目すべき過去データがないか、いま一度洗い直してみてもいいかもしれない。

 いくつかのファイルを開いていると、携帯端末(エレフォン)が鳴り出した。着信画面を見ると、相手はバージル・キルチャーズだった。

「もしもし」

『やあ、おはようレジーニ』

 落ち着きのある低い声が返ってきた。

 バージルは、マックスたちからの報告をレジーニに渡す役目を果たしたあと、アトランヴィルにしばし残ることになった。アンダータウンの主ファイ=ローの館に滞在し、彼からの依頼というていで、アンダータウン近辺のメメント討伐を、何件か引き受けているそうだ。

「バージル、何かあったのか?」

『君がライブラリにアップした、卵を産むメメントのデータを見たんだが』

「ひょっとして、似たような奴が現れたと?」

『いいや、まだ定かじゃない。それを調べに行くつもりだ』

 バージルの話によると、ローから受けた討伐依頼の一件に、自力で繁殖しているのではないかと思われるメメントの存在が見られるそうだ。そいつが出現した場所に、卵の欠片のような奇妙な残骸があったらしい。

『パラトロゴと同じようなケースの可能性もある。下位変異だと思っていたら、実は幼体だった、というね。結果はライブラリに上げるが、君にも報告するよ』

「加勢が必要かい?」

 バージルなら一人でも心配はいらないだろうが、念の為に訊いてみた。

『年寄り扱いにはまだ早いぞ』

 返ってきた苦笑に、レジーニも少し笑う。

「頼もしいね、先輩」

『歳はとったが、腕はなまらせちゃいない。もうしばらく頼れる先輩でいてもいいだろう?』

 何かわかったら連絡する、と締めくくり、バージルは電話を切った。

 バージルの手を借りられるのはありがたい。

 思えばこれまで、誰かを頼りにしたことはほとんどなかった。ヴォルフやママ・ストロベリー、ファイ=ローを頼るのは“仕事”として必要だから。つまりビジネスだ。

 彼らのことはもちろん信用している。だがそれは“需要と供給(ギブアンドテイク)”の上に成立しているように思えた。そこには遠慮も含まれている。ストロベリーには「水臭い」だの「他人行儀だ」だのと言われてしまいそうだが。

 バージルのように、無条件で頼らせてくれる相手は他にいない。長年何もかも一人でやってきたせいで、寄りかかれるありがたみというものを、すっかり忘れていた。それはあえて捨ててきたものだった。

 今は――。

 一人ではない。しかし、寄りかかるにはまだ心許ない柱だ。まあ、肩くらいなら借りられそうではある。

 携帯端末をデスクに置き、再びコンピューターとにらみ合おうとしたとき、点けっぱなしにしていたテレビから、騒がしい音が聴こえてきた。

「なんだ?」 

 テレビ画面はニュース番組を映したままだった。街のどこかを生中継しているようだ。風景に見覚えがある気がする。緊迫した様子の男性リポーターが、マイクに向かってしきりと喋っていた。

 リポーターの背後にある年代物の建物から、黒煙が上がっている。右往左往している人々の姿や、一台また一台と到着する緊急車両が、テレビ画面中に映し出されていた。

『繰り返しお伝えします』

 男性リポーターが、喘ぎながらも努めて冷静に言葉を紡ぐ。


『ついさきほど、アンブリッジ議事堂で爆発が起こりました。煙が濛々と立ち昇っているのがご覧いただけると思います。ああ、あちらに火の手が上がっています。消防隊の方々が、速やかに消防作業にかかろうとしています。建物から、中にいた人々が避難していますが、まだ取り残されている人もいるかもしれません。ここ第九区サウンドベルのアンブリッジ議事堂では、本日、政界保守派の会食が正午に行われる予定でした。会食には、次期大統領候補の一人であるデリク・セルマン氏も参加することになっており……』


 レジーニはデスクから離れ、テレビの前に移動した。立ったまま画面を食い入るように見る。

 建物に見覚えがあるのは当然だった。たった今リポーターが言ったように、映されている建物は、〈パープルヘイズ〉の近くにあるアンブリッジ議事堂で間違いない。その議事堂で爆発が起きたという。

 テレビカメラは、騒然となった現場を捉え続けている。決死の消火活動に挑む隊員、建物から避難してきた人々と、彼らを保護する警察官、際限なく集まってくるマスコミと野次馬。

 まさに、上を下への大騒動だ。

 反政府テロだろうか。政治体制に不満を持つテロリスト集団が、こういった破壊活動を時おり実行している。それならば、ありふれたテロ行為と言えなくもないが……。 

 レジーニは時計を見た。まだ十時を過ぎたばかりだ。

 会食が行われるのは正午だとリポーターが言っていた。参加する政治家たちが集まるにも早すぎる時間である。つまり、爆発が起きた時点で議事堂内にいたのは、建物の職員らだけだったはずだ。

「政治家たち自身を狙ったわけではないのか?」

 であるならば、この爆破の意味は何だ。

 政治家ではない人々を標的にすることで得られるのは、市民に恐怖心を与える、という効果だろう。そうやってテロ集団の存在を誇示し、彼らを生み出した原因である政府に不満の矛先を向けさせる。

 だが、どうにもしっくり来ず、レジーニは自分の推察を取り消した。

 頭の中で、情報をひとつひとつ整理する。 

 アンブリッジ議事堂。保守派。大統領選挙。候補者。デリク・セルマン。

「そうだ、セルマンだ」

 デリク・セルマン次期大統領候補の実父は、元・大統領ロバート・セルマン。

 この爆破事件が、セルマンに対する恐嚇とは考えられないだろうか。

 ならば、テロ集団の正体は〈VERITE(ヴェリテ)〉だ。

〈VERITE〉は、〈パンデミック〉を生き延びたマキニアン数名と、彼らを指揮していた長官ディラン・ソニンフィルドによって結成された組織である。

 少し前からその存在が見え隠れしていたのだが、リカとオツベルを巡る一連の出来事の中で、ついにレジーニとエヴァンの前に姿を現した。

 彼らの目的はまだ詳しくわかっていないが、なんらかの形で現政府に反旗を翻すつもりであろうことは見当がつく。

 その一環として、マキニアン壊滅の一端を担ったセルマン元大統領の実子である、デリク・セルマンを標的とするのは至極当然であろう。しかも次期大統領候補の一人である。ターゲットにはおあつらえ向きだ。

〈VERITE〉が何を始めようとしているのか、確かめなければ。

 レジーニはテレビとコンピューターの電源を切り、携帯端末とコートを掴んで、足早に部屋を出た。

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