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TRACK-2 火の消えた街 1

 日の出前の午前七時。

 レムル・シティとアトランヴィル・シティを繋ぐ都市間長距離ハイウェイは、日曜の早朝にも関わらず、多くの車が走っている。

 遠く南東に見える稜線が、その向こうから昇りつつある陽光により、シルエットとなって浮かび上がっている。もうしばらくすれば、あの尾根から太陽が顔を出すだろう。

 一台の四輪駆動車が、アトランヴィル・シティへ向かって走っている。運転者は二十代後半頃の若い男だ。

 彼はフロントガラス越しに空を見上げた。車載ラジオの天気予報によると、今日のアトランヴィル・シティは全域で曇りらしい。

 なるほど、暁闇の空が薄い雲に覆われている。

 若者は趣味のソロキャンプを楽しむために、アトランヴィル北部のキャンプ地を目指していた。今夜一晩泊り、明日ドライブしながらレムル・シティの自宅へ帰る予定だ。

「曇りなのは構わないけど、雨は降ってほしくないなあ」

 若者はぽつりと漏らす。完全なる独り言というわけでもない。助手席にはもう一人、男が乗っている。

 会話を求めて言ったつもりはないけれど、何か反応があるだろうかと、少しだけ期待した。なにしろ助手席の男は、実に寡黙なのだ。ここまでの道中、彼から話しかけられた試しはない。

 だから、返事があったのはちょっと驚いた。


「雨でのキャンプは、難儀でござんしょう」


 声は静かで、独特な物言いだ。顔立ちから東方人であることはわかったが、東方のどこ出身――東方大陸なのか、東方列島なのか――までは判別つかなかった。こちらの生まれの人間に、東方人種を見分けるのは難しい。

 鋼色の髪は長めで、尻尾のように結んでいる。東方系の顔はたいてい若く見えるので、実年齢は推し量れないが、それでも自分よりは年上だろうと踏んだ。

 初対面のときにまず気になったのが、藤色の目だった。珍しい雅な色合いだが、瞳の奥に倦み疲れたような、悲哀にも似た陰りが見えたのだ。

 余計な詮索はしない方がいいだろうと思った。彼には彼の事情がある。でなければ、少ない手荷物だけで、未明のハイウェイのレストエリアをうろついてはいない。だから名前も訊かなかった。

「キャンプ仲間には、雨の日のキャンプを好む奴もいるけどね、僕はあんまりやらない。前に失敗したから」

 そう答え、助手席を横目で見やると、

「そうですかい」

 彼が口元をほんのわずか綻ばせた。

 


 名も知らぬ東方の男との付き合いは、実はほんの二時間程度だ。

 二時間前、まだ天で星が瞬いている頃。トイレ休憩のために立ち寄ったレストエリアで、若者は強盗に遭ってしまった。トイレから車に戻ったところを、ナイフを持った男に襲われたのだ。

 強盗は切っ先を突きつけ、キーをよこせと脅してきた。車ごと奪うつもりらしい。

 レストエリアは外灯に照らされていて明るかったが、時間が時間なため、他に利用者がいなかった。助けを求める相手が一人もいない。

 若者は一瞬、自分の命と所持品以外の財産――大事なキャンプグッズとローンが残っている四駆――とを天秤に掛けた。

 はかりが自分の命に傾いて、ポケットから車のキーを取り出そうとしたそのとき、東方人の男が助けてくれたのだ。

 彼は気配もなく足音も立てず、二人の間に割って入ると、強盗の手からナイフを叩き落とし、地面に引き倒した。

 男は一連の行動を、片手だけでやってのけた。強盗がわめき散らしながら暴れたが、男は片腕と片膝でしっかりと強盗を抑え続けた。

「兄さん」

 東方人の男が、凪のように穏やかな声を発した。自分が呼ばれたのだと気づき、慌てて「は、はい」と返事する。

「この男、どういたしやしょうか」

「どうって」

「丸腰の兄さんに刃物を向けた狼藉者、情けは無用にござんす」

 口調は静かなものの、返事次第では強盗の命も奪いそうな、危険な空気を漂わせている。殺すまではいかなくとも、ある程度は痛めつけるつもりなのかもしれない。

「いやいやいや、そんな物騒なこと僕に決めさせないでよ、さすがに荷が重いよ。普通に警察に通報すればいいじゃん」

「ま、待ってくれ!」

 強盗が、東方人の男に取り押さえられたまま、悲痛な声を上げた。

「頼む、警察だけは勘弁してくれ! 小さい子どもがいるんだ! もう二度とやらないから見逃してくれよ! ほんの出来心なんだ!」

 絶対嘘だ。手慣れた風情だったではないか。犯罪者の言い訳など一ミリも信用できない。

 しかし、これ以上事態を長引かせるのは時間の無駄。実質無被害なのだから、逃がしてやってもいいような気がした。

 若者は小さく嘆息し、東方人の男に言った。

「放してあげてください」 

「いいんですかい?」

「あんた、もう抵抗する気ないでしょ?」

 これは強盗に向けた言葉だ。案の定、ぶんぶんと激しく首を縦に振った。そして東方人の男が拘束を解いた途端、大慌てで立ち上がり、トイレがあるレストハウスの裏手へ向かって一目散に逃げて行った。

 ハイウェイの休憩所で待ち伏せて盗みを働こうなど、ずいぶん変わった趣向の悪党だと思ったが、わざわざ車に乗ってここまで来たのではなく、どこかから違法に侵入したようだ。

 ではこの男は? 若者は改めて東方人の男を見た。彼はなぜこんな所にいるのだろう。駐車場に停まっているのは自分の車だけだ。ということは、彼も車に乗って来たのではないのかもしれない。

 あの強盗のように、何らかの目的でハイウェイに侵入したとしか考えられなかった。

 男はフード付きのミリタリーコートを羽織り、さほど大きくないバックパックを背負っていた。開いたコートの前身頃と裾から、なにやら布に包まれた長いものが見えているのが非常に気になる。

 オンラインゲームによく登場する、とある武器を連想させる長さだが、まさか本物ではないだろう。もし本物なら、さっきの強盗が持っていたナイフより、もっと凶悪な刃物になる。

 助けてもらっておいて失礼とは思うが、強盗と同じくらい、いやそれ以上に東方人の男は怪しかった。

 だが、義理は通さねばならない。

「えっと、助けてくれてありがとうございます」

「いえ、兄さんに怪我ァなかったのが何よりです。では、(やつがれ)はこれにて」

 男が会釈し、道路に向かって歩き出そうとしたので、急いで引き止めた。

「待ってよ、まさかハイウェイ歩いていくつもり?」

「ここを出て先に進むにゃあ、その方が早いかと」

「駄目だって。ハイウェイは歩行者侵入禁止だって知ってるでしょ? 警察に捕まるよ」

 男が眉根を寄せる。

「そいつァ困りやすね……」

「そもそも、どうして車もないのにこんな所にいたんだ? おかげで僕は助かったけどさ」

「面目ねぇことではござんすが、どうも道を間違えたようで」

「どこをどう間違って歩いたらハイウェイに迷い込むんだよ」

「へえ、うっかり」

 うっかりにもほどがある。

「どこまで行くの?」

「はっきりとあてがあるわけではございやせんが、差し当たってはアトランヴィル・シティへ参りやす」

 仕方がない。若者はもう一度ため息をついた。本当はあまり関わるべき相手ではないのだろうが、助けてもらった礼としては、これが一番いいだろう。

「僕もアトランヴィルに行くんだ。街に入った所まででいいなら、乗せていくよ。助けてくれたお返しとして」

 そういうわけで、奇妙な東方人の男が助手席にいるのである。



 四輪駆動車はアトランヴィル・シティ最初のレストエリアに入った。駐車スペースに車を停め、若者と東方人の男は外に出る。

 時刻は八時前。夜は明けているが、灰色の雲に覆われた空はぐずついていた。

 アトランヴィル・シティほどの大都会のレストエリアともなれば、早朝でも利用客は多い。駐車場は家族連れや友人グループ、カップルでごった返していた。

「僕は北部に行くから、乗せられるのはここまでだよ。あなたはたしか、中央区に行ってみるってことだったよね。ほら、あそこ」

 若者がレストハウスの方を指差すと、東方人の男はそちらに顔を向けた。レストハウスの前には、行先案内の電子看板が立てられており、トイレや土産物売り場、子どもが遊べるプレイルームの場所などを示している。

 若者はその中のひとつ、「一般道 こちら」と表示された看板について、男に説明した。

「ここはハイウェイバスも通るから、バスの乗客のために一般道と行き来できる歩道が通ってるんだ。そこから街に降りられる」

 頷きながら身支度を整えた男が、若者をまっすぐに見て頭を下げた。

「ここまで世話になりやした。御恩は終生忘れやせん」

「そんな大げさな。先に助けてもらったのは僕なんだから」

「道中お気をつけなすってくだせえまし。(やつがれ)はこれにて失礼致しやす」

 男はそう締めくくり、もう一度深々とお辞儀をすると、踵を返して歩き出す。ミリタリーコートの裾からはみ出た例の長い物体が、彼の歩調に合わせて揺れていた。

 男は速足で、あっという間に人の波の中へ姿を消した。彼が見えなくなると、若者は三度目のため息をついた。

「記念に写真を撮っていいか聞いても、たぶん断られたよな」

 若者にとって、これまでの人生で最もおかしな出会いは、こうして終わったのだった。

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