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TRACK-1 炎心 5

 図書館の通用口を出た途端に秋風が吹きつけ、アルフォンセの髪やオータムコートの裾をなびかせた。

 とっさに髪とコートを手で抑え、風が治まるのを待つ。夕暮れ刻、曇天の空気は昼間より冷えており、アルフォンセは少し震えた。冬が近い。

 グリーンベイの市立図書館は、平日午後六時まで開いているが、土曜日は午後五時に閉館する。アルフォンセは足早に歩き、出入り口を守る門衛に挨拶をして通りに出た。

 マーケットで買い物をしてバスに乗る。携帯端末(エレフォン)をチェックすると、エヴァンからのメッセージがたくさん来ていた。

 メッセージの内容は、ごくありふれた写真だった。今日のランチ、失敗したラテアート――猫を描くはずだったらしいが、失礼ながらどう見てもフナムシ――、盛り付けがうまくいったデザート。エヴァンはいつもこんなふうに、〈パープルヘイズ〉の日常を切り取って、アルフォンセに見せてくれる。

 報告するまでもないことばかりだが、アルフォンセにとっては楽しみのひとつだ。会えない間も、エヴァンが気にかけてくれていることが嬉しかった。

 送られてきた写真やメッセージを見ていると、自然と頬が緩んでくる。アルフォンセは端末のキーボードを打ち、

『今度ラテアートやってほしいな。練習にもなるでしょ?』

 と、送った。すると即座に返信が来た。

『もちろん! 変な生き物が爆誕すると思うけど』

 その一文にまた、くすっと笑ってしまう。



 サウンドベルのアパートに帰り着き、ドアを開けようとしたとき、うしろの方から声をかけられた。

「アル、おかえりなさい」

 振り返ると斜向かいの部屋のドアから、マリー=アン・ジェンセンが顔を出していた。

「ただいま、マリー」

「ねえ、今からうちに来ない? 見せたいものがあるの」

 マリーは瞳をきらきらと輝かせている。よほど嬉しいことがあったようだ。

「行くわ。ちょっと待ってて」

 アルフォンセはそう答え、キッチンに荷物を置いてから、ジェンセン家にお邪魔した。

 ジェンセン老夫妻は留守だった。マリーはアルフォンセを自室に招いてベッドに座らせると、オリーブ色の箱を持ってきた。

「見て。今日パパとママから届いたのよ」

 マリーが得意げに蓋を取る。箱の中身は赤いショートブーツだった。スエード地で編み上げ紐は黒いレース、ステッチも黒で施されている。ヒールは三センチくらいで歩きやすそうだ。シンプルめながらかわいらしさもあるデザインである。

 深みのある赤なので、子どもっぽくはない。大人に近づきつつある年頃のマリーには、ちょうどいい雰囲気だった。

「素敵なブーツね。何かお祝い事?」

 マリーが十三歳の誕生日を迎えたのは七月のことだ。誕生日会では、両親からプレゼントされたワンピースを着ていた。

 マリーは少し肩を上げて首を振った。トレードマークのサイドテールがふわりと揺れる。

「ううん、これ、ママたちの会社の新作なんだ。パパがデザインに関わってるの」

 マリーの両親は有名アパレルブランド会社に勤めている。二人とも忙しい身で、長期の海外出張が多いため、なかなか娘に会えない。

 帰省が確実なのは年末年始くらいのもので、それ以外のタイミングで帰って来られるかどうかは、その年その年のスケジュールに左右される。

 一人残してきた娘への、せめてもの慰めなのか、よくこうしてプレゼントを送ってくるのだと、ジェンセン老夫妻から聞いたことがある。

「すごいわね、マリーのお父さんとお母さん。こんな素敵なブーツを作れるんだもの。履いてみせてくれる?」

 マリーは頷き、いそいそとブーツを履いた。

 赤いブーツは、マリーのすらりとした足にしっくりとなじんでいた。彼女の淡い金髪にもよく映える。

 おそらくマリーは、アルフォンセを呼ぶ前に一度履いているのだろう。自分のためにブーツを送ってくれた両親と、それが似合っている自分自身が誇らしくて、誰かに見せたかったのだ。

 嬉しそうにその場でくるりとひと回りするマリーが、アルフォンセには妹のように可愛くて仕方がなかった。

「とっても似合ってるわ。おでかけで履く日が楽しみね」

 マリーはアルフォンセの隣に座り、ブーツを脱いで大事そうに箱にしまった。

「ねえアル。あたし、将来の夢が決まったわ。服飾デザイナーになる。あたしがデザインした服を、パパとママに作ってもらって、アトランヴィル・シティ中の人に着てもらいたい。ううん、アトランヴィルだけじゃなくて大陸中、他の大陸まで渡ってほしいな」

 近頃マリーは、ぐっと大人びてきた。もともと目鼻立ちのくっきりした愛らしい顔つきが、さらに整ってきている。小柄だった身長も少しずつ伸びており、初対面でジュニアモデルですと紹介されたら信じるだろう。

 ファッションセンスがあり、意思が強く行動力もあるマリーなら、きっとその夢を叶えるに違いない。

「あなたならなれるわ。マリーがデザインした服、私も着てみたいな」

「そのことなんだけどね」

 マリーがアルフォンセの顔を、意味ありげに覗き込んだ。

「あたしね、ウェディングドレスもデザインしてみたいと思ってるの。だから、アルが結婚式を挙げるとき、あたしがドレスのデザインしてあげる」

「本当に? 嬉しいわマリー」

 気の早い話だが、マリーの申し出は心から嬉しかった。

「あたしならアルに一番似合うドレスをデザインできると思うの。だけどひとつだけ。相手がエヴァンじゃなかったらデザインしない」

 アルフォンセははっとしてマリーを見つめた。彼女の首にはペンダントが提げられている。ペンダントトップは服に隠れているが、今年のマリーの誕生日にエヴァンがプレゼントしたものだとわかった。

 アルフォンセはマリーの肩に手を置き、もう片方の手をマリーの手と重ね、まっすぐに目を見た。

「私、マリーのウェディングドレスを着たいわ。だから、夢を叶えてね。応援してる」

「もちろんよ! 絶対叶えてみせるから、待ってて」

 その約束は、すぐ近くにあるようでいて、まだ掴みどころのないもの。

 確信より未定であり、不安定さを残すもの。

 けれど、希望という温かな光を湛えた絆だ。

 その光を絶やさぬよう、マリーがくれた希望を壊さぬよう。自分にできるのは、誠意をもって努力することだと、アルフォンセは思った。

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