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TRACK-1 炎心 4

 秋も深まり冬が近づいてくると、コーヒーの売り上げが夏の倍以上に伸びる。

 木枯らしに身を晒して〈パープルヘイズ〉にやってくる客がまず求めるのは、身体を温めてくれる熱いコーヒーだ。

 今日は寒いなあと言いながら入ってきた客は、エヴァンにコーヒーを一杯注文する。エヴァンは愛想よく受けてから、慣れた手つきでコーヒーを淹れる。

湯気の立つカップを渡すとき、客が今日はどんなブレンドだいと訊くと、エヴァンは得意げな笑顔を見せて答える。

「俺のブレンドもうすぐ冬ですねスペシャル」

 エヴァンの勘まかせのブレンドがはずれたためしは、幸いにもまだなかった。ただし、ブレンドにつけるネーミングのセンスは、いかんともしがたい。

 

 土曜日の昼時は、平日以上にランチ客でにぎわう時間帯だ。途切れることなくコーヒーのオーダーが入り、おかわりの注文もひっきりなしである。テイクアウトでのオーダーもあるので、エヴァンはほとんどカウンターから離れられず、客への食事出しはドミニク一人にまかせるしかなかった。

 だが心配は無用のようだ。ドミニクは手際よく食事を運び、注文をとり、キッチンにいる店主のヴォルフに新たなオーダーを告げ、出来上がった料理を再び運ぶ。

 一連の動きは、舞台女優のように優雅で無駄がなく、疲れも一切見せないドミニクの独擅場だった。彼女が動けば、男性客の視線も動く。

 エヴァンとヴォルフとドミニク。〈パープルヘイズ〉を三人で切り盛りするのも、すっかり当たり前の光景になっていた。

 慌ただしさは午後三時の一時閉店まで続いた。本日のランチは、クラブハウスサンドかショートパスタのどちらかを選べるセットで、ほぼ完売だ。

 忙しくしていると良い効果もある。余計なことを考える暇がないのだ。おかげで夕べの陰鬱な気分は、どこかへ行ってくれた。

 ドミニクが外の看板の表示を「準備中 十八時開店」にして、エヴァンは一息入れるために三人分のコーヒーを用意した。

 エヴァンに礼を言ってカップを受け取ったドミニクは、一口飲んで満足げに目配せしてきた。

「お前にこんな才能があったなんて驚きです」

「だろ? やっぱ俺って天才かも」

「そうやってすぐに調子に乗る」

「たまにはいいだろ。いつもお前やレジーニにバカだ猿だってイジられてんだから」

「まあ、誰にでもひとつは取り柄があるってこったな」

 いかつい肩を揺らして、ヴォルフが笑う。

「ぜんぜん褒め言葉に聞こえねえんだけど」

「そうか? (わけ)ぇのに耳が遠いな」

「一言多いんだよ。大事な従業員の成長を、素直に喜べないかねえ」

 憎まれ口を叩きはするが、ヴォルフもドミニクも心から認めてくれているとわかっている。たまには掛け値ない評価の言葉をもらいたいものだが、いざまともに褒められたら照れてしまいそうだ。

 エヴァンは話題を変えようと、店内を見渡して今日の忙しさを思い返した。

「にしても、今日はいつもの土曜以上に客足多くなかったか?」

「そうだな。ざっと売り上げ集計してみたが、先週よりよかった」

 ヴォルフが頷くと、ドミニクもそれに倣った。

「おそらくですけど、明日の会食のせいじゃないでしょうか。なんだか近所がそわそわしているように感じますもの」

「ああ、そうか。なるほどな」

 二人は合点がいったようだが、エヴァンには見当もつかなかった。

「会食って、何の?」

「ニュースで言っていたでしょう? 明日アンブリッジ議事堂で、保守派政治家たちの会食があるって。中央区ではない場所で行われることは珍しいからと、ちょっとした話題になってるんですよ」

「へー」

 アンブリッジ議事堂は、〈パープルヘイズ〉から大通りを挟んだ斜め向かいにある、年季の入った建物だ。初代第九区区長の名前が付けられたこの建物は、テレビドラマの撮影場所としても有名なので、エヴァンも存在くらいは知っている。

 ヴォルフがコーヒーをぐいと飲み干して言った。

「初代区長のアンブリッジは保守派だったからな。その縁で会場として選んだんだろう。たしかセルマン候補も来るんだったか。マスコミでうるさくなりそうだ」

 エヴァンは、うんざりだというように首を振る店主の顔を見上げた。

「セルマン候補って誰?」

 するとドミニクとヴォルフ、二人から白眼視された。

「お前って子は、次の大統領選挙に誰が出るかくらい、頭に入れておきなさい」

「似たり寄ったりの俳優の顔と名前を覚えるのは早えくせに、社会のこととなるとぜんぜんダメだな、まったく」

「そんな重要な人?」

 エヴァンが眉根を寄せると、二人は異口同音に「重要だ」と答えた。

 大陸(ファンテーレ)の国家元首は大統領であり、国民投票で選出され、任期は五年間。そのくらいの社会常識は、エヴァンもさすがに知っている。が、次の選挙に誰か出るのかという点については、残念ながら興味がなかった。

 当代大統領であるジェイデン・ウォーカー氏が、来年の三月末で任期満了となる。四月からの新政権に向けた最終選挙は、年明けすぐに行われる。

 次期大統領候補は二名に絞られた。革新派のイーサン・ガルシア、保守派のデリク・セルマンだ。

 柔軟な考え方ができ、行動力もある六十代のガルシア候補。

 四十歳になったばかりの若さと甘いマスクで、保守派の秘蔵っ子とされているセルマン候補。

 現時点での国民人気は甲乙つけがたし、といったところだが、実際にはセルマン候補が有利ではないかと言われている。

「セルマン?」

 聞いたことがある気がして、エヴァンはその名を呟いてみた。

「どこで聞いたんだっけか」

 首を捻っていると、ドミニクが複雑そうな眼差しで見つめてきた。

「聞いたことがあるはずです。私たちにとっても忘れられない名前ですから」

「どういう意味だ」

「デリク・セルマン候補の父親は、ロバート・セルマン。彼はひとつ前の大統領です。つまり、今からだと十一年前になりますが、私たちマキニアンを一掃するという保守派の計画にGOサインを出した人物ですよ」

「ああ、そういうことか」

 エヴァンたちマキニアンの部隊〈SALUT(サルト)〉が壊滅状態に陥った原因である、マキニアン一掃作戦。それは、メメントを爆発的に増加させるきっかけ〈パンデミック〉の要因ともなった、忌まわしい出来事だ。

 エヴァンとて元軍人の端くれ。軍部の一組織であり、政府直轄の研究施設〈イーデル〉にも連なる特殊部隊を、丸ごと潰す大がかりな作戦ともなれば、軍部最高司令官である大統領の承認が必要になることは察しがついた。

 当時の保守派政治家たちは、マキニアンの高い戦闘能力を恐れて、土に埋めてなかったことにするように廃棄――殺処分しようとした。

 大陸を脅かす怪物(メメント)を倒すために生み出されたマキニアンは皆、戸籍上死亡したことになるのを承知してまで、大陸に住まう人々を守る過酷な戦いに身を投じたというのに――その守るべき人々の範疇に政治家たちも含まれていたというのに、待っていた結末がこれだ。

 思い出した。ロバート・セルマンは二期連続で当選した、稀なる“十年政権”を誇った大統領だ。つまりドミニクの不機嫌は、マキニアンに引導を渡した男の息子が、次の大統領になるかもしれない点によるものなのだ。

 記憶の一部を失くしたエヴァンにとっては、過去より今の生活の方が大事だ。今さら因縁のある人物が大統領になろうとどうでもいい。しかし、情深いドミニクにしてみれば気分のいいものではない、という心境は理解できる。

「まあ、私たち(マキニアン)は死んだことになっていて選挙権もないので、候補の皆さんについてとやかく言う権利はありませんけれど」

 ドミニクは肩をすくめ、コーヒーカップに視線を落とす。長い睫毛が彼女の藍色の目を隠した。

 会話が途切れたとき、誰かの携帯端末(エレフォン)の呼び出し音が鳴り響いた。

「俺のだ」

 ヴォルフがエプロンのポケットから端末を取り出し、耳に当てながら厨房の方へ引っ込んでいった。

 エヴァンは話題を変えようと思い、昨日の発見をドミニクに話した。

 閉園した遊園地にメメントの卵があり、自主繁殖する個体が存在していたという事実に、ドミニクは目を見開いて驚いた。

「それでは、ひょっとしたら、他にも卵を産むメメントがいるかもしれない、ということですか」

「可能性はあるってレジーニが言ってた。あいつ前からこうなることを心配してたんだ。他の報告がライブラリに上がったって話はまだ聞かねえから、なんとも言えねえんだけど、一種類は確実にいたわけだからな」

「メメントが死骸からの変異だけでなく、自ら繁殖するようになってしまったら、討伐が追いつかなくなる恐れがありますね」

「ああ。レジーニはそこも気にしてた。お前も変なメメントに遭遇したら教えてくれよ」

 ドミニクが唇を軽く噛み、思案顔でまたカップを見つめる。なにか心配事でもありそうな雰囲気だったので、エヴァンは彼女の顔を覗き込んだ。

「どうした? 気になることでもあんのか?」

「ええ、まあ」

「なんだよ、歯切れが悪いな。おかしなメメント見たことあるとか?」

「いいえ、そうではなくて」

 ドミニクは細いため息をついた。

「もしメメント討伐の人手は足りなくなれば、ユイとロージーにも現場に出てもらわなければならないかと、ふと思ったのですが……」

 しかし首を振り、自分の言葉を即座に打ち消す。

「やはりだめですね。もう軍属時代とは違います。せっかく普通の十代らしい生活をさせてやれるようになったのに、青春を満足に謳歌しないうちに戦いの場に出すなんて。それに……」

「それに?」

「ちょっと心配なんです。ロージーが」

「ロージー? ユイじゃなくて?」

 心配の対象が、好奇心と活発の塊のような性格のユイではなく、シニカルながらも分別のあるロゼットだというのは意外だった。

 ドミニクも、エヴァンやレジーニ同様、裏稼業者〈異法者(ペイガン)〉として活動している。ただし彼女は誰とも組んでおらず、一人でこなしていた。

 ユイとロゼットは、メメント討伐を手伝いたくてしかたないらしいのだが、ドミニクは二人を学業に専念させるため、それを許可していない。

 数日前のことなのですが、とドミニクは語り出す。

 その日の討伐対象のメメントは数体いたが、ドミニクにしてみればさほど苦労せず倒せる相手だった。

 ところが、なんとユイとロゼットが、こっそり現場についてきていたのだ。気づかれないようにうまく距離をとって隠れていたらしい。一体のメメントがドミニクの隙をついて、彼女の背後を取ったとき、物陰から二人が飛び出してきたのである。

 驚くドミニクをよそに、それぞれメメントと対峙するユイとロゼット。そこまではよかった。

 ロゼットの動きが次第に怪しくなっていった。後方支援型の細胞装置(ナノギア)スペックを持ち、前方に立つことはないはずの彼女が、どんどん攻めていくのだ。

 ロゼットの細胞装置〈ヴィジャヤ〉の攻撃力は、マキニアンの中では低い方だ。彼女の強みは最高精度の索敵感知能力、そして〈ヴィジャヤ〉から放たれる光の矢〈グリムシュート〉の追尾機能にある。

 支援ではない戦い方に慣れていないロゼットの立ち回りは、無謀そのものだったという。ユイを押しのけてまで敵に突っ込み、危うく返り討ちに遭いそうな場面もあった。

 それでも無事にすべてのメメントを倒せたものの、義妹(いもうと)たちの勝手な振る舞いに対し、ドミニクは雷を落とした。

 ユイは素直に謝った。だが、ロゼットの態度は反抗的だった。

 ドミニクは、我が身を顧みないロゼットの戦い方に苦言を呈したが、当の本人は「私だって前線で戦える。うしろにいるばかりじゃない」の一点張りだ。

 常に冷静に状況を判断し、ドミニクやユイの背中をしっかり守ってくれていたロゼットが、なんだって急にそんならしからぬ行動に出たのかわからない。ロゼットにどんな心境の変化があったのか、ユイにも見当がつかないらしい。

 その日以来、ロゼットとの間に気まずい空気が流れて困っているのだと、ドミニクは嘆息するのだった。

「ユイが暴走すんのはわかるけど、ロージーがそんなことするなんてなあ」

 ユイとロゼットの性格は、そのままエヴァンとレジーニに置き換えられる。レジーニが普段の従容自若さをかなぐり捨てて、無鉄砲に敵に突っ込んでいく姿は想像しがたい。とはいえ本性は結構荒いので、場合によっては感情にまかせて暴走することもあるのだが。

 エヴァンの言葉にドミニクが頷く。

「今までにないことなので、正直どうしていいのか。あの子が何を考えているのかわからないのです」

「反抗期?」

「理由をそれだけで済ませるには、あんまり無茶しすぎだったと思いますけど……」

 ドミニクが眉根を寄せたちょうどそのとき、厨房からヴォルフが戻ってきて、話が中断した。

「お前たち、今日閉店したらすぐ帰っていいぞ」

「でも、後片付けがあるじゃありませんか」

 ドミニクが首を傾げると、ヴォルフは「俺がやる」と答えた。

「閉店後に個人的な客が来るんだよ。もてなしはいらんから、俺一人で大丈夫だ。エヴァン、帰る前にコーヒーだけ用意しておいてくれるか?」

「ああ、わかった」

「頼んだぞ」

 そう言って、ヴォルフは再び厨房へ姿を消した。

 気のせいかエヴァンには、店主(ボス)の顔に翳りがあるように見えた。

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[良い点] ロゼットちゃんがそんな……? 二人の後方支援をする自分になにか思うところあったんだろうけど、なにかきっかけがあるんだろうなぁ。 マスター、顔が広いからいったい誰が来るやら……!
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