INTERLUDE2 提案
サービスエリアを出発した午後。途中休憩を挟みつつ、北東に向けて車を走らせる。
運転はシャラマン、マックス、ディーノ交代制だ。盲目のサイファーは運転できない。ゴーグルの機能で周囲の状況を把握することはできても、運転はさすがに無理だったようだ。
太陽が地平線に近づく頃、小さな町に到着した。夕陽を受けて茜色に染まる町は、やや閑散としていて、目ぼしい観光スポットなどもなさそうだった。
しかしここは、すでに大陸中央エリアである。
〈政府都〉モン=サントール、その最南の町がここだ。シャラマンたちはついに、〈政府〉の膝元までやってきたのだった。
目的地の中央都市ペレ=アルブールまでは、車でさらに二、三時間かかる。着いたときには日もすっかり暮れているはずだ。今日はこの町で宿をとることにした。
小さな町だが、政府都の入り口ということもあるからか、複数の宿泊施設が営業していた。
一行は繁華街に近いモーテルにチェックインし、レストランで夕食を済ませると、早々に部屋に戻った。
宿をとるときはだいたい、シャラマンとサイファー、マックスとディーノに分かれて部屋を借りている。今夜も同様だ。
マックスたちは一階、シャラマンたちは二階の部屋を割り当てられた。少し離れているが、シャラマン以外の三人は、有事の際の行動が早いので問題ない。
サイファーはシャワーを浴びると、さっさとベッドに潜り込んだ。特にやることがないので寝るしかないのだ。テレビは見ないし、若者のように携帯端末と戯れたりもしない。
旅の間、一人で夜の街へ出かけて未明に帰ってくる、ということが何度かあった。
朴念仁とはいえシャラマンも男であるから、サイファーの深夜外出の目的が何なのか見当はつく。
事の最中に、自分の身に何かあった場合、サイファーはどうするのだろう。ちょっと下世話な考えが、シャラマンの脳裏をよぎった。そして、そんなことを考えるほど、今は彼に信頼を寄せているのだな、と思い至った。
シャラマンはシャワーを済ませたあと、バッグパックの中から分厚い手帳を取り出し、ライティングデスクの上で開いた。
使い込んだ革製のカバーがかけられた手帳で、切り抜きやメモなど、気になった物を何でも挟んでいる。そのおかげで、もともとの厚みから、ずいぶん肥えてしまっていた。
今どきこのような、手書きの手帳を活用している人は少ないだろう。だがシャラマンは、デジタル端末に入力するより、ペンで紙に書く方が考えをまとめやすい性分だった。
手帳を開き、ぱらぱらとめくる。旅の間のひらめきや気づいたことを、思い浮かんだそのままに書いている。旅の記録帳も兼ねていて、余裕があるときに出来事を書き込んでいた。
細胞置換技術やマキニアンに関するメモも書き記している。内容は、決して敵の手に渡らせてはいけない、非常に重要なものである。
あるページまでめくり、手を止めて内容を読み返した。これは、エヴァンの相棒レジーニに渡した装置の改良案だ。元の装置の図面に、改良アイデアをびっしりと書き込んでいる。
何らかの要因でラグナの人格が目覚めたとき、彼の意識をシャットダウンさせるための手段として、レジーニにこの装置を渡した。だが、あくまでも緊急時の手立てだ。ソニンフィルドの手に落ちてしまうくらいなら、と、切羽詰まってレジーニに押しつけてしまったが、身勝手で強引過ぎたと、あとで猛省したシャラマンである。
(あの装置では、ラグナの意識をシャットアウトできても、その後、確実にエヴァンの人格を覚醒させられるとは言いがたかった。運が悪ければ、エヴァンの人格にも影響が及びかねない。まったく粗忽だった。これでは彼に怒られるのは当然だな)
装置を渡し、その用途を告げたときの、レジーニの表情を思い出す。相棒の人格が道具のように扱われることに憤慨し、端正な眉目を歪め、まっすぐにシャラマンを睨みつけてきた。氷のようでもありマグマのようでもあった、あの苛烈な碧眼。
彼の怒りはもっともだ。シャラマンは装置の改良案を、繰り返し考えた。
アイデアはまとまりつつあるが、問題は造るためのパーツ収集だ。一般では売られていないような特殊なパーツが、いくつか必要になる。
(パーツの入手法は、また改めて考えよう。ひょっとしたらマックスやディーノが、調達方法を知っているかもしれない)
手帳には、一枚の写真を挟んでいた。シャラマンはその写真を手に取り、しばし眺めた。
映っているのは四人だ。今より少し若い自分。その右隣に立つのは、精悍な顔つきの東方人男性。手前には幼い少年が二人、親しげに寄り添っている。
シャラマンの指は、無意識に少年たちに触れていた。この子たちのために、危険が伴うであろう無謀な旅を続けてきたのだ。
明日、図書館で、何か新たな情報を手にできるだろうか。
シャラマンは写真を挟みなおし、手帳のまっさらなページを開いた。ここ数日、旅の記録が書けていなかったので、まとめて記すことにした。
手帳のペンホルダーに差した万年筆を引き抜く。爺臭い、アナログだとからかわれながらも、研究実習生時代から愛用しているものである。大学入学記念に、両親から贈られた大事な万年筆だ。
この数日間の出来事を思い出しながら、シャラマンはペンを走らせた。
『〇月×日
本日、ようやく政府都入りを果たすが、遅い時間であったため、最初に着いた町のモーテルで一泊する。
ここへ来るまでに一週間ほどかかった。というのも、マックスとディーノの提言があったからだ。
二人と共同戦線を張った日、私はすぐにでも政府都に向かいたかったのだが、彼らは何日か空けて出発する方がいい、と言ったのだ。曰く、我々の顔と乗っている車は〈VERITE〉に知られているから、町を出入りするルートはどこも見張られているはず。すぐに町から離れようとすれば、監視の網にかかって追手が来る。数日空けて監視の目が緩んだ隙に、別の車で移動するべき、とのことだった。
言われてみれば、なるほど、一理ある。逸る気持ちを抑えて彼らの助言に従い、何日か隠れて過ごした。
サイファーはこの提案に、一切の不平を言わなかった。つまりサイファーも二人と同じ意見だったということだろう。
頃合いを見て、いざ出発、という日。これまで乗っていた私の車がなくなった。と思っていたら、マックスとディーノがどこからか違う車を用意してきた。前の車を下取りに出して買ったのか、と尋ねたら、マックスに「おっさんは知らんでええ」とだけ返された。
この一週間、マックスとディーノの知識と機転には、何度も助けられた。裏稼業者というのは、常に危険と隣り合わせであるためか、“生き残るための戦略”に長けているのだろう。
賞金稼ぎの二人は、ある意味では軍曹だったサイファー以上に、サバイバル能力が高いと言える。
若き同行者たちは、少々――場合によってはだいぶ――過激ではあるが、研究しかしてこなかった私にとっては、今や心強い存在だ。
彼らと一緒なら、エヴァンやフェイトの助けになる何かを得られる気がする。
まだ希望はあるはずだ』
*
翌朝四人は、モーテルの食堂に集まった。朝食のみだが食事を提供するモーテルだったのは幸いだ。味はともかくとして。
四人は狭いテーブルで額を集め、冷凍食品であろうオムレツやパン、シリアルを腹に収めながら、今後について話し合った。
ディーノが携帯端末でルートを確認しながら、クロワッサンをかじる。
「ここから中央都市まで、順調に行けば二、三時間で着くとして、すぐダンハウザー図書館に向かうってことでええんですよね、シャラマンさん」
「ああ。できる限り早く行けると助かる」
中心都市ペレ=アルブールにあるダンハウザー図書館。シャラマンたちが目指すそこは、大陸全土で出版された、すべての書籍を所蔵する最大級の図書館である。
シャラマンが求めているのは、『宇宙航海記』というタイトルの児童向け小説だ。四十年以上前に少数部数、初版のみ発行された本で、フェイトの愛読書だった。
マックスがロールパンを片手に顔をしかめた。
「ほんまにあるんか? そのお子様用の本の中に、あの〈地震観測所〉におるデカいバケモンの正体のヒントが」
「あると思う。いや、あるはずなんだ。トワイライト・ナイトメアの造形が、フェイトの記憶の影響を受けたものなら」
シャラマンは上着の内ポケットから、一台の携帯端末を取り出し、テーブルに置いた。ニサリア教会のサム・ヘインズリー神父に託された端末だ。中の画像フォルダには、シャラマンやマックスたちが探し求めていた、「西エリアの政府管轄施設」の秘密が保存されている。
シャラマンは、問題の画像を表示させた。端末画面いっぱいに、奇妙な物体が映し出された。
それは、太いチューブ状のものが何本も絡まり合い、アーチを描いて地面に突き刺さっている。カーブを描く天頂部分から、色が赤と青にくっきりと分かれていた。いくつもの装置や機材、鉄柵に囲まれ、厳重に管理・監視されているであろうことが窺える。
〈地震観測所〉とは表向きの姿で、実態は、この奇妙な何かを外部から隠すための施設だったのだ。
〈ヴァノスとアテリアル〉と名付けられているらしいこれは、間違いなくメメントだ。だが、その正体がわからない。一体何のために存在するメメントなのか。なぜ〈政府〉が隠蔽しているのか。
シャラマンは〈ヴァノスとアテリアル〉の正体を突きとめるヒントが、フェイトの愛読書『宇宙航海記』の本文内に書かれていると踏んでいる。
最強クラスの特殊メメント、トワイライト・ナイトメアが首なし騎士の姿をしているのは、『宇宙航海記』を読んだフェイトの記憶が影響しているからだ。フェイトの記憶は生体パルスとして広範囲にわたって発信され、受信したモルジットが素体を首なし騎士のメメントに変異させたのである。
シャラマンははじめ、トワイライトの素体こそフェイトだと思っていたのだが、そうではなかった。
かのメメントの素体は、アトランヴィル・シティにいる生物学者シーモア・オズモントの一人息子だった。
「細くて不確かな糸口だが、手繰れば思いがけない事実に繋がるかもしれない。ここまで来たんだ。一度確認させてほしい」
フェイトは誰の手も届かない場所へ行ってしまった。だが、シャラマンが掴めそうなヒントを、残してくれているように思えた。
ディーノが、常盤緑の目を曇らせた。
「まあ、他に手がかりがないっちゅーことやから、行くしかないんでしょうけど、ええんですか? 迂闊に政府管轄の施設に入ったりしても」
ダンハウザーは、政府が運営する図書館だ。元〈イーデル〉所属の科学者であり、マキニアンの生みの親とも言えるシャラマンが、政府に見つからないか心配してくれている。
シャラマンが答えようとすると、サイファーが先に口を開いた。
「好きにやらせりゃいいんじゃねえか。このおっさん、最初から蟻地獄に突っ込んでいく気満々だったぞ」
「マジか。俺らおらへんかったら死んでるで」
マックスが呆れたように顔をしかめる。
「わざわざ見つかりに行くつもりやったんか、狂っとんな」
ひどい言われようである。しかしながら、もしサイファーに同行してもらわなければ、ひいてはマックスとディーノの協力がなければ、単独ではモン=サントールに行くことさえ困難だっただろう。
シャラマンは咳払いし、居住まいを正した。
「も、もちろん政府に見つかりたくはないさ。〈VERITE〉にもね。そこでなんだけれど、ダンハウザー図書館に入るにあたって、私にひとつ提案があるんだ」
政府にも〈VERITE〉にも面が割れている。素性を隠して政府運営施設に入るなら、こうするしかない。




