INTERLUDE2 荒野の四人
車通りの少ない早朝の森の道路で、奇遇というにはあまりにもタイミングのいい出会いが果たされるその日から、ひと月以上遡る。
大陸の中央部一帯を占める広い広い荒野を、一本の道路が貫いていた。この道は西エリアと中央エリアを繋ぐ主要ハイウェイの一つである。周辺に森林は少なく、赤土の荒原が遥か地平線まで続いている。
乏しい緑の代わりに岩山が多く点在しており、夕暮れ時には燃えるような紅に染まって、荘厳な絶景を見せてくれる。
その昔は、ガンマン映画の舞台として有名な場所だったが、近年はジャンル人気が下火になったことで、あまり撮影に使われなくなった。
そういえば学生時代に複合映画館で、友人とガンマン映画を観に行ったことがある。車窓を流れる赤い大地を眺めながら、アンドリュー・シャラマンは古い記憶を思い出した。
〈イーデル〉に勤め始めて以降、映画館に行くことはなくなってしまった。毎日研究に忙しくて、娯楽に興じる時間の余裕が持てなかった。羽を伸ばす機会が皆無だったわけではない。ただ〈イーデル〉での仕事が充実すればするほど、自分が賑やかで華のある公共の場にふさわしくない人間のように思えていったのだ。
それはきっと、〈イーデル〉が抱える闇の部分に触れたからだろう。闇に触れた自分もまた、闇に侵されてしまっている。そんな人間は、光あふれる世界に踏み入ってはならない。
いつの間にか、そんな気持ちを胸に秘めるようになっていた。
あの子と家族になれたら、また明るい光の下で生きていけるかもしれない。
シャラマンにとって、それは希望の灯火だった。
それなのに――。
「おい、もっと景気のいい曲ねェのかよ」
後方から低い男の声が飛んできた。不機嫌そうな物言いだが、口調ほど不機嫌ではない、ということが最近わかってきた。
その言葉を受け、助手席の男が顔だけを後部座席に向ける。
「ハンドル握らん奴には選曲権あらへんわアホ」
車内には軽快な音楽が流れている。携帯端末に保存されたプレイリストなのだが、四、五十年は昔のものだ。シャラマンにとっては、なじみのある有名な曲ばかりで懐かしいけれど。
「なんでお前らの音楽の趣味はそんなジジ臭えんだ」
低音ボイスの男――サイファー・キドナがあきれると、助手席のマキシマム・ゲルトー……マックスは再び顔をうしろに向けた。
「うっさいわヘチマタワシ! お前の好みもたいがい古いやんけ!」
運転席から朗らかな笑い声が上がった。ディーノ・ディーゲンハルトだ。
「そうそう、サイファーさんの好きなん、俺らの子どもの頃くらいに出た歌やもんね」
「しかもコイツ、そんななかでもえらいマイナーなやつ聴きよるで。他人の趣味どうこう言えるか」
「俺より歳下のお前らが、どこをどうやったら、俺が生まれる前の流行りにハマるんだって話だガキども」
「好みなんぞ人それぞれあるやんけ。俺らはお前の短い物差しで測れるスケールの人間とちゃうんやぞ」
「『口から先に生まれた』ってのはお前のことか」
「頭の回転が速いっちゅーこっちゃ。脳筋金たわしとは脳味噌のクオリティが違うねん」
「ディーノ、お前の最寄りのデバネズミに殺鼠剤撒いとけ」
「誰がデバネズミやゴルァ! お前のたわしヘアーでこびりついた頑固な焦げ付きこそげ落とすぞ!」
シャラマンを間に挟んだまま、過激な若者たちの言葉の応酬が続く。彼らは時おりシャラマンに話を振ってくるものの、答えようが答えまいがお構いなしに会話を継続する。シャラマンは結局、三人の話に入っていけないまま、ただやりとりを見守るだけになるのだが、不思議なことに寂しいとは思わなかった。
元気すぎるくらい元気な若者たちが、他愛のない話で盛り上がっている。その姿を見ているだけで、なんだか満足している自分がいる。
最近、そのことに気がついた。
この四人で行動するようになって、一週間ほど経っただろうか。思えば奇妙な巡り合わせだ。それもおそらく、サイファーがアトランヴィル・シティのサウンドベルで、事件を起こさなければ繋がらなかった縁だろう。
〈スペル〉をめぐる事件の中、エヴァンに敗れたサイファーは、自ら海に落ちていった。彼らの対決を隠れて見ていたシャラマンは、密かにサイファーを救い上げた。
救った、というのは正しくないかもしれない。サイファーは自死を選んだわけではないし、彼を海から引き上げるには、シャラマンは非力だった。
実際のところ、サイファーは自力で陸に上がった。シャラマンは彼を匿ったにすぎない。
何のためにサイファーを匿ったかと言えば、今こうしているとおり、ボディガード役として旅路に同行してもらうためだった。
サイファーは一匹狼だ。〈処刑人〉の一員として活動していた頃でさえそうだった。任務はこなすが協調性はない。曲者揃いの〈処刑人〉の中でも、彼は特に浮いていた。本人はまったくどこ吹く風だが。
そんな気性の彼だから、同行してくれと頼んでも、受けてくれるとは思っていなかった。駄目元での頼みだった。
だから、サイファーが同行を承諾したとき、逆に己の耳を疑ったほどだ。
少し前、どうして引き受けてくれたのか、理由を尋ねた。サイファーは不敵に笑って、
「借りを返すのに都合がよさそうだったからな」
とだけ答えた。
それがどういう意味になるのか、シャラマンが匿ったことも含まれているのか、詳しくはわからない。
ただ、サイファーがここまで同行し、雑ながらも守ってきてくれたのは事実である。素直にありがたく、シャラマンは感謝している。
エヴァンの中で眠っていたラグナ・ラルスを、無理やり目覚めさせたと聞いたときは、心臓が止まるかと思ったが。
サイファーとの奇妙な協力関係が築かれ、向かった先は西エリアのカムリアン・シティ南東区にあるデヴォナという街だ。
そこで出会ったのが、賞金稼ぎコンビ、マックスとディーノだった。
彼ら二人は、エヴァンの相棒レジーニの依頼で、西エリアを訪れていた。その目的はシャラマンたちと同じ、〈地震観測所〉と呼ばれる政府管轄施設の実態を探ることである。
観測所を嗅ぎまわっていることが〈VERITE〉に知られ、追われていた彼らと合流し、成り行きで一緒に逃げることになった。
マックスとディーノの事情を知ったシャラマンは、彼らにも協力を仰いだ。そもそも関係のない二人を巻き込むのは良心が痛んだものの、なりふり構っていられる状況ではない。
できることは何でもする。利用できるものは、何でも利用する。そう決めたのだ。
こうして奇縁で繋がった四人の、ずれているのか馬が合っているのかよくわからない、おかしなチームの結成と相成ったのである。
大陸中央エリアを目指し、ハイウェイをひたすら北上していく。途中、休憩のために、大きなサービスエリアに立ち寄った。
ちょうど昼時だったので、レストランで腹ごしらえをすることにした。どちらかというと少食なシャラマンに対し、若者三人はよく食べる。おまけに揃いも揃って甘党だ。食事のあとは必ずと言っていいほど、デザートを注文する。
シャラマンも甘いものはそれなりに好きだ。だが三人ときたら、体型が崩れないのが不思議なほどの量を食べるくせに、まだ胃にデザートを収める余裕があるのだから信じられない。
今日も今日とて、超ビッグサイズのハンバーガーランチをぺろりとたいらげたあと、名物だという山盛りのドーナツ&マフィンを注文した。
マックスがグレーズドドーナツを半分ほど食べ、肩を軽くすくめた。
「まあまあやな。リピートしてもええけど、可もなく不可もなくの“可”寄りっちゅーとこや」
「そう? 俺は普通に美味いと思うけど」
ディーノはスプリンクルがまぶされたチョコレートドーナツを、満足そうに頬張っている。
サイファーはカスタードクリーム入りの丸いドーナツを、黙々と口に運んでいた。美味いともまずいとも言わないが、あれで三個目だ。
五十半ばのシャラマンには、ランチ後のドーナツは一つで充分だ。比較的小さなボール型のシナモンドーナツを、ちびりとかじる。
「なんやおっさん、そんくらい一口でいけや」
二個目を手に取ったマックスが目を細める。
「あまり大口で食べられないんだよ。君たちほど胃が丈夫じゃないしね」
シャラマンは苦笑しつつ答えた。
「早よ食べんと、おっさんの分なくなってまうで」
早よなくなってまう理由の一人が、言うそばから減らしている。
「マックス、そんなん言うなら残しといてやらんと」
長身のディーノこそもっとたくさん食べそうなものだが、甘いものに関しては他の二人やシャラマンに譲りがちだ。
「いいよディーノ。私はこれだけで充分だ」
「そんなら、シャラマンさんの分、テイクアウトにしようか」
「ああ、それでもいいね」
シャラマンが頷いたとき、マックスの怒鳴り声が天高く響き渡った。
「モサ男お前なんぼ食うてんねん! 食いすぎじゃドアホ! そのクランブルマフィンは俺のや!」
どうやらマックスが次に食べようと狙っていたマフィンを、サイファーがかっさらったらしい。当のサイファーは、素知らぬ顔で悠々とマフィンを口に運んでいる。赤いゴーグルで隠された目には何も見えていないはずだが、匂いでドーナツの種類を判別しているのだろうか。
「なんだチワワ、名前書いてねえから食っていいのかと思ったぜ」
「書いとっても見えてへんやんけワレコラ」
「マックス、お店ん中で大声出したらあかんよ。他のお客さんがびっくりしはる。サイファーさんは、もうちょい食欲セーブしたって」
「だとよチワワ。ママの言うことはよく聞いとけ」
「お前もやろが!」
「はいはいはい、静かにしよか」
騒がしいグループに向けられる白い目が痛い。シャラマンは周囲が気になって身を縮めるが、若手三人衆はまったく無頓着である。
この四人で行動するようになってから、毎日がこんな調子だ。よく言えば賑やか、悪く言えばやかましい。それでもなんとか、ここまでやってきた。
シャラマンとサイファーの二人だけだったときは、実に静かなものだった。会話は必要最小限。心境的にも他愛ない世間話などする気分ではなかったため、移動中はほとんど無言。たまに交わす言葉といえば、行く方向の確認、食事は何にするか、現状の認識共有、そんな程度だ。
もともとシャラマンは雑談が下手だし、サイファーも普段は口数が少ない性質だ。会話に花が咲くはずもない。
そんな寡黙な二人旅は、賞金稼ぎコンビとの協力関係成立により一変した。
マックスとディーノはよく喋る。いつもどこからか話のネタを引っ張り出しては、コンビで延々言葉を交わしている。よく喉を傷めないものだと、シャラマンは妙に感心したほどだ。
ただ、喋らないときは喋らない。長く沈黙が続いても、会話の糸口を掴んだ途端、ずっと喋り続ける。口を閉じている時間より、開いている時間の方が長いだろう。
だがシャラマンは、なぜかうるさく感じないのだった。マックスとディーノのやりとりはテンポがいい。長く組んできたためか、言葉にしても行動にしても、見事に呼吸が合っている。だから、見ていて爽快なのかもしれない。
それにマックスとディーノ相手だと、意外や意外、サイファーも冗談を言うのである。
シャラマンの知るサイファーの笑みは大抵、口の端を歪めるだけの、皮肉めいたものだった。心の内を誰にも見せず、厚い壁の向こうから警戒しつつこちらを覗いている。彼は誰に対してもそうだと思っていた。
けれど賞金稼ぎの二人と接するときは、表情の変化こそ少ないが楽しそうに見える。マックスとディーノの性格に釣られているのか、それとも元からそんな一面を持っていて、これまで他者に見せてこなかっただけなのか。
孤独な旅をしていた頃と打って変わって、独りではない今は、驚きと発見と気付きの連続だ。気苦労も絶えないけれど。
ドーナツとマフィンをめぐって、まだ子どものような言い合いをしている若い三人を、シャラマンは眩しい思いで見回した。
息子と持つというのは、こんな気分なのだろうか。




