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TRACK‐4 埋火(うずみび)10

 冷たい風が吹き、ガルデの頬を撫でていった。反射的に身震いし、身体を丸める。耳元でかさかさと乾いた音が鳴り、懐かしい匂いが鼻をくすぐった。

 これは、土の匂いだ。

 

(土――?)


 はっとして目を開ける。ガルデは横向きに倒れていた。瞬時に異常事態だと察し、慌てて上半身を起こす。服に付いた枯れ葉が、はらりと落ちた。指先と掌に伝わるのは、冷たく柔らかな土と落ち葉の感触。

 見渡せば、あたりには木々が鬱蒼と生い茂っている。どこかで鳥が飛び立つ羽ばたきが聴こえてきた。

 視線を上げると、木々の葉の間から灰色の空が見える。

 どう考えてもACUのラボではない。森の中だ。

 たった今までラボにいたはずなのに、気がつけば見知らぬ森で目覚めるとは、一体どういうことなのだ。

「アズラよ、これは……何が起こったのですか」

 ありえない事態に心乱されまいと、ガルデは祖国におわす大地と風の獅子神に祈りを捧げた。

 改めて周りを見回す。ゆっくり視線を動かし、木立の向こうに何か見えないか目を凝らす。背中側を振り返ったとき、誰かが倒れているのに気付いた。リカだ。

「リカ!」

 赤毛の少女の肩を揺すり呼びかけるが、長い睫毛を纏う瞼は開かれない。薄闇の中では顔色もわからなかった。

 一瞬、最悪の事態が、ガルデの脳裏を過ぎった。リカの鼻に顔を近づける。かすかだが呼吸はあった。脈も測ってみる。正常だ。安堵したガルデは、大きく息を吐いた。

 異常はないものの、リカの身体は冷えていた。彼女はラボでマインドダイブを行ったときのままの軽装、つまりTシャツとショート丈のランニングパンツのみという格好だった。おまけに裸足だ。ガルデは急いでジャージのジャケットを脱ぎ、リカを包み込んだ。

 そこで思い至る。自分たちはいつから森の中にいたのだろう。ここがどこなのかも重要だが、いつからここにいたのかも謎だ。

 リカの身体が冷えているのは、長時間のマインドダイブの反動だろうが、低体温症に陥るほど深刻ではない。一方のガルデは、指先が冷たくなっているものの、体温は損なわれていなかった。

 見上げた木々の隙間から覗く空は灰色。リカの姿や森の様子がわかる程度の明るさはある。()()()()()()のだ。


 そこがまずおかしい。


 ガルデはポケットから携帯端末(エレフォン)を取り出し、ホーム画面を表示させた。デジタル時計が午前七時一分を告げている。

「そんな……ありえない」

 ガルデは信じられない思いで、穴が開くほど画面を見つめた。

 リカがラボの医務室で、マインドダイブ後の消耗から目を覚ましたのは、まだ深夜十一時を回る前だった。端末画面に表示されている時刻が不具合ではないのなら、そのときから少なくとも八時間近く経過していることになる。

 真冬でなくとも、そんな長時間、晩秋の森の空気に晒されれば、凍死の恐れすらある。だというのに、ガルデの身体の冷え方は、ほんの少し前に建物から出てきたばかり、という程度なのだ。

 目を覚ます直前にこの場所に放り出されたというのなら辻褄は合うだろうが、そもそもなぜこんな森に二人だけで放置されたのかがわからない。

 何より、誰が、何の目的でそうしたのかがわからない。

 いや、それよりここはどこなのだ。ラボの敷地内にも小規模の森はあるが、ここはその森の中なのだろうか。

 ガルデは今一度、携帯端末を確認した。

「まいったな、圏外だ」

 画面の端に、圏外マークが小さく表示されていた。ラボの森ならば電波が届くことをガルデは知っている。つまりここはラボ敷地外だ。

 説明のつかない異常な出来事が起きている。ガルデはとりあえず、その事実を飲み込み、頭を切り替えることにした。

 何があったにせよ、まずやらなければならないのは、暖かくて安全な場所にリカを連れて行くことだ。電波の届く所に移動すれば、ヒルダやグローバー中佐と連絡を取れる。それにラボのコンピューターが、ガルデの端末の位置情報をキャッチするだろう。

 ガルデは細胞装置(ナノギア)〈マンティコア〉の一部だけを起動させた。両耳が三角状のヘッドギアに覆われる。通常の約四倍に強化された聴覚で、あたりの音を探った。

 風の流れ、生き物の気配、木々や草花のささやき。それら様々な音を注意深く拾っては、どの方角へ進めばいいかを吟味する。

 やがて、自然物ではないモノが放つ音を捉えた。更に集中して聴覚を研ぎ澄ませる。

 

 硬いもの同士が強く接触する音。日常的によく聴く音だ。これは……タイヤの音。

 

 そう遠くない所に道路がある。渡りに船とはこのことだ。ガルデは眠り続けるリカを抱き上げ、彼女に負担がかからぬよう、しかし迅速に道路のある方へ向かった。

 しばらく歩くと、幹と幹の間に、人工的な地面が見えた。そこを目指して進むと、まもなく森を抜け、道路脇に出られた。

 灰色の空に、東雲の光が射す。もうじき陽が昇る。

 ガルデは柔らかそうな草の上にリカを横たわらせ、自身は道路の中央に立った。運良く車が通りかからないか、上りと下りを交互に見回す。早朝の、森を突っ切る道を走る車に遭遇する確率など、ほとんどゼロに近いかもしれない。望みが薄ければリカを背負って歩くつもりだが、裸足で薄着の彼女を、これ以上寒風に晒したくなかった。

 夜明けを告げるオレンジ色の輝きが、森の向こうから滲み始めた。幸運をアズラに祈りながら、ガルデは地平線に目を凝らす。

 すると西の方角から、黒い影が迫ってくるのが確認できた。影には、目のような丸い光が二つある。ガルデは両手を高く上げ、黒影に向かって大きく手を振った。

 影の接近につれ、その正体が明瞭になっていく。大型のオフロード車だった。光る目はヘッドライドだ。

「止まって! 止まってください!」

 声を張り上げ、手を振りながら、ガルデは車の方へ走った。

 オフロード車が減速し、やがてガルデから二、三メートル離れた位置で停車した。ヘッドライトの光量が減少する。エンジンはかかったままだ。運転席と助手席に、それぞれ男性が乗っている。助手席にいるのは子どもだろうか。

 怪しい者ではないとわかってもらうため、ガルデは慎重に車へと近づく。運転席側に回り、窓を開けてほしいと身振り手振りで伝えた。

 パワーウィンドウが下がる。運転手は、温厚そうな顔つきの若い男だった。短く刈り込んだ栗色の髪に、常盤緑(エバーグリーン)の瞳の持ち主だ。子どもかと思った助手席の人物は、よく見れば童顔なだけで、れっきとした成人男性だった。夜明け前の空のような灰色の目で、注意深くガルデを睨んでいる。両手は胸の前で組んでいた。

「おはようございます。止まってくれてありがとうございます」

 ガルデが礼儀正しく挨拶すると、運転席の男は優しげに笑った。


「いいえ、おはようございます。こんなとこで、こんな時間にどないしはったんです?」


 特徴的な訛りのある話し方だ。どこの生まれだろう。

「突然すみません。あの、怪しい者ではありません。身元は証明できます。助けてほしいんです。ですので、どうか銃から手を離してもらえませんか?」

 男たちが両目を見開き、顔を見合わせた。

 助手席の男が銃を隠し持っているのを、ガルデは即座に見抜いていた。早朝から電波が圏外になるような森の道路でヒッチハイクする人間に対し、最大限警戒するのは当然だ。

 こう言えば更に警戒されるおそれもあったが、意外にも助手席の男は、素直に組んだ腕を解き、隠していた銃をダストボックスに置いてくれた。

 この二人、かなり肝が据わっている、とガルデは感じた。想定外の出来事への対応に慣れていそうだ。

 それに、ずっと気になっているのは後部座席だ。彼らのオフロード車は三列シートだった。二列目、三列目にも、一人ずつ誰かが乗っている。

 二列目の人物はこちらを用心してか、シートの裏に身を潜めている。三列目の人物は崩した体勢で座っており、フードで顔を隠していた。寝たふりをしているのかもしれないが、おそらく起きていてガルデを観察しているだろう。

 ひょっとしたら、なにか訳ありな一行かもしれない。まずい相手に声をかけてしまっただろうか。

 にわかに後悔の念が湧き上がってきたとき、二列目のドアが開かれ、隠れていたはずの人物が降りて来た。


 優しげだが、どこか愁いを秘めた眼差しの、壮年の男だ。奇跡を目の当たりにしたかのような驚いた表情で、ガルデを凝視している。

「ガルデ……。ガルディナーズ=ミュチャイトレル=ヌルザーン、君なのか?」

 ガルデも彼と同じような顔つきになった。

「え……? あなたは……」


 三列目のパワーウィンドウが下がり、四人目の人物が頭を外に出す。フードを脱ぎ、赤いサングラスと長いドレッドヘアがあらわになった。

「なんだニャン公か。ついに山猫にでもなったかよ」

 ああアズラよ、本当に一体、何が起きているのですか。

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