TRACK‐4 埋火(うずみび)2
「紹介受けなけりゃうまく話せねえってのに、初対面で毒吐く人見知りがどこにいるよ」
カウンター越しにすかさず突っ込みを入れてくるヴォルフ。レジーニは熊店主に人差し指を振ってみせた。
「相反する性質を持ち合わせている人間なんて珍しくないぞ。それに僕は、毒を吐いたつもりなんてない」
「そうだな。お前の毒はもっとねちっこくて、脇からブスブス刺すタイプだ」
「フォローどうも」
ヴォルフを軽く睨んでから、レジーニはルミナスに視線を戻した。真正面から口撃を受けたルミナスは、面食らって両目を見開いていた。そんな表情を見ても、レジーニに非礼を詫びる気は起きなかったが。
空気ひりつく両者の間に、ドミニクが慌てて割って入る。
「ああ……ええっと、紹介しますね。レジーニ、こちらはルミナス。私やエヴァンが所属していた〈処刑人〉の隊長です。隊長、こちらはレジーニ。〈異法者〉という裏稼業者で、メメント討伐を行っています。つまり私たちとは同志とも言える人です。そして、エヴァンとコンビを組んでいます」
「エヴァンと?」
ルミナスの藤色の瞳がレジーニを瞠目した。カウンタースツールから降り、並んで立ったルミナスの目線は、レジーニとほぼ同じ位置にあった。
「申し遅れやした。己は……」
名乗ろうとしたルミナスを、レジーニは片手を振って止めた。
「ドミニク、紹介ありがとう。さて、晴れてお知り合いになったということで、気兼ねなく話せるわけだが。隊長さん、僕はあんたに言いたいことや聞きたいことが二、三あるんだ」
「二、三どころじゃねえだろ、どうせ」
再びヴォルフから、間髪入れない突っ込みが飛んでくる。
「新たなご縁が繋がった若者同士が交流を深めようとしているところに、茶々いれないでくれないか」
レジーニがねめつけても、ヴォルフは怯まない。太く頑強な肩をすくめるだけだ。
「わかったわかった。ジジイは若者の交流が円滑になるよう、コーヒーでも淹れてやる。だがほどほどにしてやれよ。会って間もない奴が、俺の店で氷の毒の餌食にされるのは忍びねェ」
ヴォルフはドミニクに、レジーニたちから離れろというような手振りをしてみせた。
「ドミニク逃げとけ、流れ弾に当たるぞ」
レジーニを毒弾乱射装置認定したヴォルフとは対照に、ドミニクは被弾覚悟で――彼女に毒を吐く気はないが――レジーニとルミナスの近くにいると決めたようだ。
ドミニク自身、元上官と積もる話があるだろうに、レジーニのために控えてくれているのだろう。
レジーニはルミナスに、カウンタースツールに座り直すよう手ぶりで示した。ルミナスは警戒気味にスツールに戻るが、レジーニから目を背けることはなかった。
なるほど、この上は逃げも隠れもしないらしい。いい心がけだ。
「さて、仕切り直そう。だいたいはさっきロージーが言ったことと同じだ。まず、〈パンデミック〉以降、あんたはどこで何をしていたか。その間、かつての上官と部下が愉快な世界征服団体を結成して、好き放題暴れ回っていたことを知っていたか。知らなかったのなら問題だし、知っていて今まで何も行動を起こさなかったのも問題だ。あんたはずっと、隊長としての責任から逃げ続けていたってわけだからな」
オブラートに包まず、直球でぶつける。なるべく冷静に話そうとはしているが、徐々に感情が沁み出てくるのは止められそうにない。
レジーニの辛辣な言葉を、ルミナスは真剣な面持ちで静かに聞いていた。
「もしあんたが早い段階で対処していたなら、回避できたことが多くあるはずだ。ラグナと戦っている間、細胞装置を使ってなかったんだろう?」
ルミナスは細胞装置を起動させずに戦っている。
そうドミニクから聞いたとき、レジーニは驚愕と苛立ちで、ルミナスの背後からブリゼバルトゥを突き立ててやりたい衝動に駆られた。かわされようとも。
最初は、彼が振るっていた刀が、ドミニクの〈ケルベロス〉同様、外部機器型細胞装置なのだと思っていた。
だが、刀はただのクロセストであり、ルミナスの細胞装置スペックではなかった。
レジーニとドミニクが全力で挑んでも歯が立たなかったラグナを、〈処刑人〉の元隊長は、細胞装置に頼らず鎮めたのだ。
――ラグナに勝てるだけの強さがあるのに、どうして今まで一緒に戦ってくれなかったんですか。
ロゼットの叫びは、レジーニの叫びでもあった。
もし、オツベルとリカを巡る一連の事件の際、ルミナスが味方としてあの場にいてくれたなら。
みすみすオツベルを死なせることなく、リカを悲しませずに済んだかもしれない。
エヴァンとアルフォンセを、失わずに済んだかもしれない。
もはや“たられば”だが、そう考えずにいられなかった。ロゼットの悲憤が、今のレジーニには痛いほど理解できた。
「あんたなら、止められた」
それほどの力があるのなら。
レジーニが抑えた声でそう言ったあと、しばしの沈黙が流れた。ドミニクが身じろぎし、ヴォルフが淹れるコーヒーの香りが、静まり返った店内にささやかに響く。
それまで寡黙だったルミナスが、座ったまま両手を膝に置き、姿勢を改めてレジーニに頭を垂れた。
「お怒りごもっとも。返す言葉もございやせん」
「弁解する気はないのか」
「己がお前様の立場にあったなら、同じことを言うでしょう。このアトランヴィル・シティに来た理由は別にございやすが、十年以上、隠れ逃げていたのも事実。その点につきやしては、申し開きできやせん」
ルミナスは視線をドミニクに向け、彼女にも頭を下げる。
「ドミニクもすまなかった。ふがいない隊長で面目次第もねぇ」
元上官から実直な謝罪を受けたドミニクは、頭を上げるよう、慌てて手を振った。
「そんな、隊長、私に謝る必要はありません。私は、本当によかったと思ってるんですよ。どんな事情があったにせよ、こうして生きてまたお会いできたんですから」
死んだものと諦めていたエヴァンやガルデと再会したドミニクなら、ルミナスの隠遁を、文句も言わずに許せるだろう。
だがレジーニは、そう簡単に溜飲を下げられなかった。
「なら説明してくれ。〈パンデミック〉の後から、アトランヴィルに来るまでの事情を」
納得できるまでは、この男を信用するわけにいかない。
「承知いたしやした」
ルミナスが覚悟を決めたように、硬い表情で頷いたとき、コーヒーの芳しいアロマが近くまで漂ってきた。
ヴォルフが三人分のコーヒーカップを、カウンターテーブルに並べる。シュガーポットと小さなミルクピッチャーも添えた。
「話が長くなりそうなら、余計にこういうもんが必要だろ」
ドミニクとルミナスが、ヴォルフにコーヒーの礼を述べる。
「レジーニ、お前も座って落ち着けや」
「充分落ち着いてるよ。でもコーヒーなんて飲んでる場合じゃない」
「いいから座って一口くらい飲め。俺の店では俺の言うことを聞いとくもんだ」
有無を言わさぬヴォルフの態度に、レジーニは渋々、ルミナスと向かい合う形でカウンタースツールに腰掛けた。だがコーヒーには手をつけなかった。
ルミナスは律儀にコーヒーを飲み、ひと呼吸おいてから真摯に話し始めた。
「今からですと十一年前、となりやしょうか。〈パンデミック〉、つまりマキニアン一掃作戦の起きた日、己は戦禍を逃れた先で、ディラン・ソニンフィルドと〈処刑人〉のメンバーと合流しやしたが、そこにエヴァン、ドミニク、ガルデ、サイファー、シェン=ユイとロゼット・エルガーの姿はございやせんでした」
ルミナスとドミニクたちは、違う方向に逃げたのだ。ドミニクはユイとロゼットを連れ、ガルデと共にいたが、途中ではぐれてしまった。サイファーの行方は誰にもわからなかった。
エヴァンに至っては説明するまでもない。〈パンデミック〉勃発以前から、ラグナ・ラルスの人格のまま凍結睡眠状態にあったのだから。
「思えばそのときすでに、ソニンフィルドには〈VERITE〉結成の構想があったのでござんしょう。生き残った全員で組織を立て直す。必ず政府にこの報いを受けさせる。その場にいた全員に、そう宣言しやした。彼ら――シーザーホーク、ウラヌス、ベゴウィック、パーセフォン、エブニゼル、そしてクロエ・シュナイデルは、ソニンフィルドに賛同しやした」
「当然、あんたもついてくるよう命令されただろうな」
「ええ。ですが己はその場を去りました。ソニンフィルドは己を止めやせんでしたが、仲間たちには留まるように言われました。己は仲間の声を聞き入れず、背を向けたのでございやす」
――あのとき。
ルミナスは遠い眼差しで、うわ言のように語り続ける。
「己は残るべきでした。残って、仲間たちを止めるべきだった。あるいは、ソニンフィルドから引き離すべきでした。そのどれも、己はしませんでした。一人で去ったのでございやす」
生存者を統率する。行方不明の仲間を捜す。上官の反逆を阻止する。
マキニアンの精鋭部隊のリーダーとして、果たすべき務めは多くあった。しかしルミナスは、それらすべてを放り捨て、離反したのだった。
「後悔を覚えたのは、ほんの数ヶ月前からです。それまでは、なにもかも、どうでもよかった」
藤色の目の光が鈍く陰る。口の端からこぼれた嘆息には、倦み疲れた重苦しさが感じられた。
「それで、今までどこに?」
それでもレジーニは、追及の手を休めない。
「大陸南エリアのアンソンという自治区をご存知で?」
「たしか、東方系人種の集まった町、でしたか」
ドミニクが答えると、ルミナスは首肯した。
「山裾にある静かな田舎町でござんす。出奔して一、二年ほど。流れ流れて辿り着いたのが、アンソン自治区でした。そこで身許を伏せ、細々と生活しておりやした」
アンソンは農家が多い平穏な町だ。住民同士のちょっとした諍いはあれども、警察の出番が来るような大事は滅多にない。ましてや、死骸から変異した化け物とはまったくの無縁。その討伐に特化した強化戦闘員など、何の価値もなかった。
ただ勤勉に、真っ当に働く。単調だが、戦いとは一切関係のない凡庸な日々が、むしろありがたかったとルミナスは語った。
アンソンで暮らしている間、ルミナスは一度も細胞装置を起動しなかったという。必要なかったからなのだが、起動させたくなかった、という理由の方が強かったそうだ。
「メメント、〈イーデル〉、〈SALUT〉、〈処刑人〉、政府、軍部。マキニアン。過去の何もかもを捨てたかった。それらが自分の一部だったことも、覚悟して背負ったはずの責務も、全部、捨てちまいたかったんでござんす」
軍部の襲撃をかいくぐり、逃げ込んだ森の中で見た、燃え落ちようとする〈イーデル〉の施設。多くの仲間たちと寝食を共にし、鍛錬を積み、命を懸けて使命を果たそうと励んでいた年月のすべてが。
地獄の底から召喚されたような業火に包まれ、消失していく。
その様を目の当たりにしたルミナスは、魂からすうっと、何かが抜け出ていく感覚に陥ったという。
懺悔の如く、かしこまった姿勢で淡々と話すルミナス。その佇まいには、かつて最強と謳われた人物にあるべき風格を感じられなかった。
ここにいるのは裏切りによって傷つき、疲れ果て、燃え尽きてしまった、ただの男だ。
隊長という立場にあったがゆえに、軍部ひいては政府からの仕打ちに対し、誰よりも大きな失望を被ったのかもしれない。
彼にも同情すべき点がある。それは認めざるを得ないと思った瞬間、レジーニは小さくため息をついた。
すいぶん他人に甘くなったものだ。誰の悪影響を受けたものやら。
「それで、十年も細胞装置を封印するほど嫌気がさしていたお前さんが、なんでまたアトランヴィルまで出てくる気になったんだ?」
レジーニの次の疑問を、ヴォルフが代弁した。
ルミナスは一同を見回し、
「アンソンに、メメントが現れたのでございやす」
怪訝そうに眉根を寄せた。
「ただ――メメント相手にこう言うのもおかしなことですが――どうも様子が妙なメメントでして。武器のようなものを持っていたのです」
「武器?」
レジーニが繰り返すと、ルミナスは頷いた。
「ええ。例えば尻尾や爪、牙など肉体の一部。あるいは触手だのといった器官を、武器のようにふるって攻撃する。そういうものならメメントには多くおりやすが、それはお前様もよくご存知でしょう。そうではなく、刃物だとか銃だとか、明らかに有機物ではない器官が備わっていたのでござんすよ」
ドミニクが息を飲み、レジーニと目を見合わせた。武器のような器官を持ったメメント。ドミニクは、レジーニと同じものを連想したに違いなかった。
「フェイカーだ」




