TRACK-1 炎心 2
「天災か。いいね! 天も見逃せないほどの存在ってことだな」
エヴァンが親指を立ててみせると、レジーニは明後日の方向にボールを投げ返されたキャッチャーのような、微妙な顔つきになった。
「お前のポジティブ思考がたまに羨ましくなるよ」
「前向きな考え方のコツ教えてやろうか? 簡単だぜ? 眉間にしわ寄せて深く考えるからダメなんだ。明日隕石が落ちてくるかもしれねえって心配するより、今日の晩ごはん何にしようかなーって考えた方が幸せだろ」
「明日落ちてくるかもしれない隕石について危惧するのは“防衛”だが、晩の食事のことで頭がいっぱいになるのは、健啖なだけだ」
「秋なんだから腹が減るのはしょうがねえじゃん。最近は特に体力絶好調だし、よく動けるぶん腹も減りやすいの」
エヴァンは両手を大きく広げてみせた。
「ほら見ろ。なんか今までと違って見えねえか? 絶好調エヴァン君の輝きが。近頃すげーコンディションがよくてさ、漲ってくる感じがすんだよ。特に〈異法者〉の仕事となると。本能が張り切るっつーか」
パラトロゴを一撃で沈めたときもそうだが、ここ最近とみに体調の良好さを実感する。今まで以上に身体が軽く、敵の動きもはっきり見え、繰り出す拳や蹴りの鋭さが増しているように感じるのだ。
レジーニは鼻にしわを寄せると、ブリゼバルトゥを円形の携帯フォームに変え、腰に装備したホルダーに固定した。
「そのコンディション、オツベルとの接触が原因だと考えないようにしているんだろうが、無駄だぞ」
「やっぱり?」
さすがは相棒、お見通しだった。
オツベルはひと月半前の事件の中心的存在で、人語によるコミュニケーションがとれる、特別なメメントである。
オツベルと初めて接触したとき、エヴァンの生体パルスが急激に反応を起こし、一時的な破壊衝動にかられた。二度目にオツベルのパルスの影響を受けたのは、彼女との不本意な対決の最中だった。
あの日以降、肉体は明らかに強化されている。自分の身体の異常性を認めるのは癪だが、目を逸らし続けても意味がないこともまた、承知の上だ。
「わけわかんねえ変化をちょっとでもポジティブに受け止めようと、いじらしい努力してんだよ」
「ゲームのステータスアップのようなものだと、こじつける方に無理があるだろう」
「んなこと言われたって、こんな変化が起こるなんて誰がわかるかっつーの。お前こそなんだその手袋は。今までそんなの着けてたことなかったろ。“氷の王子”のくせに末端冷え性ですか」
「知らなければ教えてやるが、手袋は上質なファッションの嗜みなんだぞ」
「ファッション性なんか、メメント討伐にはむしろ邪魔だろ」
「わかってないな。いつ何時でも装いに気を配るのが上級者というものだ。それにこれは山羊革。ほどよい丈夫さと柔軟性を兼ねている」
「なんの上級者だよ、ファッションコラムニストかお前は。そんなもんより、俺の籠手の方がよっぽど機能的だぜ」
エヴァンは自慢の両拳を、威勢よく打ち合わせた。まだ細胞装置を解除していなかったので、拳同士が接触した瞬間、小さな火花が散った。
そのとき、ふいに奇妙な気配を感じて、エヴァンはあたりを見回した。むずむずした感覚が、背中から首筋までを撫で上げる。
討伐完了したと思っていたが、どうやら敵がまだ隠れていたようだ。エヴァンの感知能力は範囲が狭い。潜んでいるなら近くだろう。
だが、何か違和感がある。パラトロゴやグルトニーとは違う気配だ。別の個体もいたのだろうか。それにしては――、
「どうした。まだいるのか?」
レジーニは、エヴァンがメメントの存在を察知したときの様子をよく知っている。冷静に周囲を警戒しながら、〈ブリゼバルトゥ〉を握り直した。
エヴァンは気配の出どころを探りながら、相棒の問いに頷いた。
「ああ。けど、何ていうか、変な感じが……」
気配を追って目を動かす。そうして視線が辿り着いたのは、燃え続ける炎の塊だった。
燃えているのは、エヴァンが引導を渡したパラトロゴである。
パラトロゴがまだ燃えている。
違和感の正体はこれだ。
レジーニが歩み寄り、エヴァンの隣に立った。相棒も異変に気付いたようだ。
「なぜまだ分解消滅していないんだ?」
倒したメメントは、異臭を放つ蒸気を立ち昇らせながら分解消滅する。それなのに、パラトロゴはいまだ燃えてはいるものの、消滅していない。異臭の蒸気も発していない。それどころか火に包まれた肉体は、まだ崩れてさえいなかった。
「なんだこれ。こんなこと今までなかったよな?」
うかつに近づくのは危険だ。本能でそう感じたエヴァンは、ホルスターから二挺のクロセスト銃を抜き、炎の塊に照準を合わせた。
レジーニも同様に、愛用の銃〈QB〉を構える。
「仕留め損なったな、エヴァン」
「そんなはずない、手応えはあった」
「じゃあなぜ」
レジーニの反論は、火が弾ける音で中断された。二人が固唾をのんで目をみはる中、メメントの胴体が炎の中でみしみしとひび割れていった。
割れ目の内側から、すなわちパラトロゴの体内から、何かがぬるりと姿を現す。死んだ胴体を脱ぎ捨て、炎より這い出てきたそれは、パラトロゴとは全く違う形をしていた。
頭部の大半を占める球状の双眼、脊椎が隆起し血管が脈打つ歪な胴、不規則に並んだ長い脚。背部からは幕のようなものが生え、左右に垂れ下がっていた。よく見れば双眼は、無数の小さな目の集合体だ。そのひとつひとつが、ぎょろぎょろと蠢いている。
「うっわ気持ち悪い。俺ああいうの無理」
「なら、さっさと倒すぞ」
レジーニの言葉を合図に、二人はありったけのクロセスト弾を浴びせた。
パラトロゴから出てきたメメントは未成熟だったのか、銃撃だけであっさりと倒れた。地面に崩れ落ちるや否や、今度こそ分解が始まり、悪臭を撒き散らしながら、抜け殻もろとも消滅していった。
「なんなんだコイツ。メメントからメメントが出てきたぞ。中に一体いたから、すぐに分解消滅しなかったのかな」
エヴァンは、地面の焼け跡を見つめて呟いた。パラトロゴの欠片が、しつこくそこに残っているような気がした。
レジーニが思案顔で低く唸った。
「以前、バージルと仕事していたとき、脱皮するメメントと戦ったことがある」
「パラトロゴも同じようなタイプってことか?」
「いや、これは脱皮じゃない。羽化だ」
相棒は、自分が口にした言葉にハッと息を呑み、エヴァンの方へ顔を向けた。
「おそらくグラトニーはパラトロゴの下位変異体ではなく、幼体だ」
「幼体って、つまり、パラトロゴの子ども?」
「そうだ。これまでは、羽化するまでに至らなかったかどうかで、報告されなかっただけなんだろう。ああ、まずいな」
「まずいって、何が」
滅多に焦らないレジーニが、「まずい」と声に出すとはよほどのことだ。
「グラトニーがパラトロゴの幼体だとしたら、どこかに卵の形跡があるかもしれない」
「たまご!? メメントの卵なんてあんのかよ!?」
「それを確認するんだ。パラトロゴが出てきた場所を探るぞ」
言い終わらないうちに、レジーニは駆け出していた。エヴァンもあとを追う。
すでに太陽は沈みきり、あたりは夜の紺色に包まれていた。閉園した遊園地に外灯が点くはずもなく、ハンディライトだけが頼りだった。
パラトロゴが最初に現れたのは、西側のエリアにある土産物のショップだ。建物内と周辺を念入りに探索すると、ショップ裏手の緑地帯に穿たれた大きな穴を発見した。
穴の内部をライトで照らす。果たしてそこには、悪夢としか言いようのない光景が広がっていた。
穴の中は、まだら模様をした丸みのある陶器の残骸のようなもので、埋め尽くされていたのだ。
エヴァンはぞっとして、思わず背中を震わせた。
「嘘だろ……、これ、メメントの卵の殻か?」
「最悪の事態は、すでに起きていたようだな」
険しい表情のレジーニが、深いため息をついた。
「メメントが繁殖を始めている」