TRACK-3 烽火を上げよ 4
基地艦〈ヴィスキオン〉の作戦室に、組織の中枢を担う主要メンバーが集まっている。元〈処刑人〉のマキニアン三人と、科学班を率いるクロエ・シュナイデルだ。
シュナイデルは会議デスクの椅子に座り、のんびりと爪磨きをしている。いつもの白衣ならぬ赤衣を羽織り、組んだ足をぶらぶらと揺らしていた。
彼女の斜め向かいに座っているのは、長いグレイッシュシルバーの髪をひとつにまとめた男、ウラヌスだ。仕立てのいいジャケットにニットベストを合わせ、品良くネクタイも締めている。タブレット端末で電子書籍を読んでいたが、ふと顔を上げ、椅子を回転させてうしろを振り返った。やや垂れた宵藍の目が、好奇心で輝いている。
「そろそろこっちに来るかな? さっきヘリが到着したみたいだし」
声をかけた相手は、長椅子に寝そべるベゴウィック・ゴーキー。彼の傍らの床には、茶と黒の毛色の犬がおとなしく伏せている。ベゴウィックは片腕を垂らして、愛犬の頭をこちょこちょとくすぐっていた。
「来るんじゃねえのか。俺が知るかよ」
「そっけないなあ。ベゴ君は気にならないのかい? もうすぐ顔合わせするんだよ?」
「今さらラグナの顔見たところでなんだってんだ。面白くもなんともねえわ」
「いや、そうじゃないよ。ジーク君の妹だよ。絶対かわいいに決まってるじゃない。会うのが楽しみだなあ」
「そっちかよ」
ベゴウィックが鼻をならした。ウラヌスの女好きは今に始まったわけではないが、副官の妹にまで興味を持つことに呆れたらしい。
爪磨きを終えたシュナイデルが、ウラヌスに向かってにやりと笑った。
「ジークの妹に手を出したら、あんた確実に殺されるわね。死体はあたしにちょうだいね。有効活用してやるわ」
「えー、やだよ。君、僕のこと改造して、ゾンビにでもするつもりだろ?」
「ゾンビの何が嫌なのよ。串刺しになろうが内臓飛び出ようが動けるのよ。本能的欲求は食欲だけなんだから、扱いやすいでしょ」
「串刺しになろうが内臓飛び出ようが、頭やられたら死ぬじゃない」
「ゾンビになってる時点ですでに死んでんだから、そのあとどうなろうが構わないでしょうが。むしろあたしの研究に貢献できて光栄に思ってほしいわね」
「もうちょっと仲間の遺体への敬意ってものを持っておくれよ。仮にも同じ組織に属している人に、死んでも雑に扱われたら、僕ァ悲しすぎて成仏できないよ。君の枕元に化けて出るからね」
「それ最高。そっちの分野にも興味あるのよ。幽霊になって出て来てくれたら捕獲してやる」
「君、研究分野にも節操ないのかい」
ウラヌスとシュナイデルが実のないやりとりを繰り広げるのを、うんざりした表情で横目に見るベゴウィック。
エブニゼル・ルドンは大きなガラス窓の縁に腰掛け、そんな三人の様子を独り静かに見守っていた。
彼らの会話に参加する気にはなれなかった。もとより口下手なうえ、苦手なシュナイデルがいる。ウラヌスは嫌いではないが、彼の持ち出す話題と言えば女性か本のことばかりで、エブニゼルはどちらにも興味はない。
任務でなければ寡黙なエブニゼルが、曲がりなりにもまともに言葉を交わせるのは、ベゴウィックとパーセフォンだけだった。この二人とは年齢が近く、何より〈処刑人〉への加入がほぼ同時期だった、という縁もある。
エブニゼルはベゴウィックに視線を移した。表情が不機嫌そうに曇っている。機嫌が悪い原因は、いやでも耳に入ってくる中身のない会話だけではないだろう。
彼は不服なのだ。
ベゴウィック・ゴーキーは軍人家系の長男で、幼少期から厳しく育てられたそうだ。性格やふるまいこそ粗暴だが、それは表面的なものに過ぎない。本来の気質を知られたくないのか、あえて必要以上に言動を荒っぽくしているだけだ。
他人の顔色を窺い続けてきたエブニゼルには、よくわかる。
ベゴウィックが、何に対して不満を抱いているのか。
ふと、気配を感じて、ドアの方に顔を向ける。開いてもいないドアの向こうに誰がいるのか、なんとなく察せられた。
その気配に気づいたのはエブニゼルだけだったが、どうして気づけたのか、エブニゼル自身は理解できていない。
エブニゼル以外で気配に気づいたのは、ベゴウィックの愛犬フラッシュのみ。
三歳の雄犬は、耳をピクリと動かし、エブニゼルと同じようにドアを見つめた。
ブルーの右目に黄色の左目という美しいオッドアイを、シルバーとホワイトの体毛が引き立たせている。見栄えのいい犬だと思うのだが、残念ながらエブニゼルは、フラッシュにあまり好かれていなかった。態度がオドオドしているからだろう。
間もなくドアがスライドして開き、総統ソニンフィルドを先頭とした四人が、作戦室に入ってきた。
ソニンフィルドのあとに、シナモンブラウンの短髪の男――シーザーホークが続く。その次に金髪の青年。最後にパーセフォン・レイステルが入室し、ドアが閉まる。
総統が現れるや、ウラヌスはおしゃべりをやめてすぐに立ち上がった。シュナイデルは座ったままだ。ベゴウィックも長椅子から身を起こし、フラッシュを安心させるように撫でてやりながら立つ。彼の犬は、ソニンフィルドを怖がっているのだ。エブニゼルは変わらず、静かに窓際に佇む。
「諸君、同志が一人、我々のもとに帰ってきた」
ソニンフィルドが、斜め後ろに控える金髪の青年を手で示した。青年は緋色の目をやや伏せ、誰とも視線を合わせようとしない。
「ラグナ、十一年振りの仲間たちとの再会だ。挨拶するといい」
ラグナは無言で軽い会釈をする。挨拶はそれで終わった。
誰も挨拶に応えないなか、ただ一人、ウラヌスだけが陽気な声をあげた。
「やあラグナ君、久しぶり。ウラヌスおにいさんだよ」
親しげな笑顔とともに、ひらひらと手を振る。ラグナは一瞥さえくれないが、それしきで傷つくウラヌスではなかった。エブニゼルはたまに、あの肝の太さが羨ましくなる。
「ようやく彼を連れ戻すことができたが、諸君も承知のとおり、我々はまだ離散状態にある」
作戦室にいる全員をゆっくりと見回し、ソニンフィルドは続けた。
「サイファー・キドナはもとより、ドミニク・マーロウ、ガルディナーズ=ミュチャイトレル=ヌルザーン、そしてルミナス。残る彼らも余さず迎え入れ、チームを再結成させることは、私の悲願のひとつである。当時まだ幼かったシェン=ユイ、ロゼット・エルガーの両名は、いまや成長し、訓練を積めば充分な戦力となるだろう」
「あの子ども二人も加えると?」
総統の発言に眉根を寄せたのはシーザーホークだ。誰もが恐れるディラン・ソニンフィルドに対し、臆せず物を言う数少ない人物の一人である。
「次世代型マキニアンとしての成功体とはいえ、ベゴウィックたち第二世代とさえそもそもの能力に大きな差がある。私のような第一世代とは比較にもならない。そんな小娘どもが役に立つとお思いですか」
「まあまあ。僕たち第一世代の三人、特にシーザー君とルミナス君はバカみたいに火力高めに設定されちゃってるからね。そこと比べるのはフェアじゃないよ」
ウラヌスが両手を広げ、肩をすくめた。シーザーホークは群青の目を細めて、戦友を睨む。
「だから比較対象にもならんと言っただろう。第三世代など戦力外だ。しごいてやれば多少ものになるかもしれんが、今、小娘どもにかける時間などない」
「貴重な新人なんだから、大事にしなくちゃ。若い芽は摘むものじゃないよ」
「土から出ることもなく枯れる芽もあるがな」
「すぐそういうことを言う」
「弱者は不要。足手まといなど見るにも耐えん」
いかめしく両腕を組み、嫌悪を隠そうともしないシーザーホークを、ソニンフィルドが泰然と制した。
「そう言うなシーザー。お前の主張もわかるが、第三世代の子らも仲間に違いないのだから。安心しなさい、お前に教育係を担わせるつもりはない」
「当然です」
シーザーホークは総統相手だろうが、その必要はないと思えばへりくだることもなく、堂々と意見を述べる。不遜ともとれそうだが、シーザーホークの態度について、ソニンフィルドが怒りを示したことはなかった。
ディラン・ソニンフィルドは〈SALUT〉所属時代は、軍人らしく規律を遵守する、剛毅朴訥といった人物だった。
今でもその謹厳さは健在だが、軍属ではない私設組織である〈VERITE〉では、ある程度の自由をメンバーに許している。口の利き方ごときは問題にしない。
彼にとって必要なものは、恐怖による服従や、傅かんばかりの忠誠ではない。目標を完遂させる実行力と揺るぎない意志だ。
かつてと変わらぬ、確固不抜の精神である。世界に対して蜂起せんとする組織の指導者として、これほどふさわしい人物はいないだろう。
シーザーホークとウラヌスの脱線話が、なかなか終わらない。こんなときは副官が場を制するのだが、今ここに彼はいない。代役を務めるのは、パーセフォンの役目だった。
「シーザー、ウラヌス。少し黙って。あなたたちが喋り出すと、進むものも進まないわ」
ぴしゃりと言われ、シーザーホークは仏頂面で鼻を鳴らし、ウラヌスは苦笑いで肩を軽く上げた。
ソニンフィルドはマキニアンたちのやりとりを咎めず、何事もなかったように言葉を続ける。
「まもなく〈キボトス〉が完成する。我々の新たな門出は間近だ。まずは一週間後に備えよ。クロエ、それまでにラグナの調整を済ませておくように」
「まかせて」
シュナイデルが自身たっぷりに請け合うと、総統は満足げに頷いた。
いくつかの確認事項を述べたソニンフィルドは、部屋を出ようと背を向けた。ラグナも彼に倣う。
そのとき、会釈以来、何の反応も見せなかったラグナが、おもむろに首を動かし、エブニゼルを見つめた。
エブニゼルはぎょっとして、あたりに視線をさまよわせた。自分の周りにある何かを見ているのだろうか、と思ったのだ。
だが、ラグナが興味を持ちそうな対象は、何もなかった。
ラグナは、エブニゼルを見ているのだった。
そう気づいた途端、急に落ち着かなくなって、エブニゼルは身体ごとラグナから顔を背けた。
ラグナがエブニゼルに注目したのは、ほんの一瞬。彼ら二人の視線が交わったことに、誰も気づかないほど束の間の出来事だった。
「ゼル、何ボーっと突っ立ってんだ」
声をかけられ、はっと我に返る。顔を上げると、ベゴウィックが怪訝そうに眉根を寄せていた。
「お前喋らねえと、いるのかいないのかわかんねえよ。行くぞ」
「あ、ああ……」
この作戦室に集まって、初めて声を発した。
気がつけば室内に留まっているのはエブニゼルだけで、仲間たちはすでに退室していた。ベゴウィックと愛犬だけが、入り口で待っていたのだ。
ベゴウィックのあとについて部屋を出てからも、相手を射抜くようなラグナの緋色の視線が、脳裏に突き刺さっていた。
心臓が早鐘を打つ。なぜだかわからないが、見られてはいけないものに見られてしまった――そんな気がしてならなかった。




