TRACK-2 火の消えた街 8
ACU東支部司令本部は、ラボの隣に建ち、連絡通路で繋がっている。
ヒルダとともにオペレーションルームを訪れたリカは、緊張しながら入室した。主にラボで過ごしているリカにとって、司令本部はほとんど未知の領域だった。オペレーションルームに入るのは初めてだ。
向かって前方の壁面は、何台ものモニター画面で埋め尽くされ、さまざまな映像や数値が映し出されている。オペレーターたちのキーボードを打つ音が室内に響き、あちらこちらで職員らが言葉を交わす。
室内は、くしゃみひとつも許されないような、緊迫した空気に満ちていた。リカは縮こまりながら、ずんずん歩いていくヒルダについていった。
ひときわ目を引く人物が二人、オペレーションルームの一角で、壁面モニターを睨み上げている。リカとヒルダが近づいていくと、気づいた二人がこちらに顔を向けた。
一人は若い男だ。南方大陸系のエキゾチックな顔立ちに、朝焼けのような東雲色の瞳。ゆるくうねる茶色の髪は、照明の光を受けてたまに金色に見える。洒落たデザインのトラックトップジャージを着ている彼は、ACU所属唯一のマキニアン、ガルディナーズ=ミュチャイトレル=ヌルザーンだ。
もう一人はACU総指揮官でありヒルダの夫、ケイド・グローバー中佐だった。鼻筋から左頬にかけて刻まれた傷痕が、数々の死地を乗り越えてきた強者であることを物語っている。
「来たか」
中佐が短い言葉で、リカと妻を迎えた。
「状況に変化はあった?」
ヒルダが問うと、中佐は眉間に皺を寄せ、首を振った。
「いや。爆破テロ以降、大きな動きはない。エヴァン・ファブレルとメイレイン博士の娘を乗せた車両は発見したが、途中で見失った」
「衛星追跡の目から逃げられてしまったんです」
ガルデが悔しそうに唇を噛む。
「アトランヴィル・シティの第八区郊外までは追えたんですが、そこから先、ぱたりと消息が途絶えたんです。おそらくACUの衛星監視レーダーから隠れる、ステルス機能か何かを使って、海に出たかと」
第八区は第九区と同じく海に面している。港湾運送業が盛んな地区なので、船舶の係留場所にはうってつけだろう。
リカとオツベルが〈VERITE〉に捕らえられたのも、第八区と第九区の中間にあるコンテナターミナルだった。
リカはガルデの側に寄って尋ねた。
「ねえガルデ。エヴァンとアルが〈VERITE〉と一緒にいなくなったって話、あなたの筋からの情報だって聞いたけど、ひょっとしてレジーニさんからなの?」
「うん、そうなんだ。なじみの情報屋に頼んで、可能な範囲で〈VERITE〉の車両を追ったらしい」
ガルデはレジーニから聞いた話を、リカとヒルダに伝えた。
レジーニもまた、アンブリッジ議事堂の爆破テロが〈VERITE〉の仕業ではないかと踏んだそうだ。事件現場でドミニクやユイ、ロゼットと合流したものの、エヴァンと連絡がとれなかったので、急いでアパートに向かったという。
だが時すでに遅く、アパートにエヴァンの姿はなかった。
情報屋を頼り、アパートや周辺の防犯カメラの画像を確認。そこに映っていたのは、アルフォンセをむりやり連れ出したうえ、アパートの裏手でパーセフォン・レイステルに引き渡し、自身は待機していた車に乗り込んで、〈VERITE〉の連中とともに去るエヴァンの姿だった。
エヴァンの様子は明らかにおかしかった、まるで別人だったと、レジーニは断言したらしい。あれが“エヴァン”でないのなら、考えられる結論はひとつ。ラグナ・ラルスだ、と。
事態の深刻さを理解したレジーニが、協力を求めてガルデに連絡をよこしたのだ。
リカは、ガルデと中佐が睨んでいた壁面モニターを見上げた。アパートの防犯カメラ映像と、アトランヴィル・シティ第八区の地図が表示されている。
地図の海岸線の一ヶ所に赤いポイントが点滅しているが、そこが〈VERITE〉の車両を見失った地点なのだろう。
そして防犯カメラ映像では、エヴァンがアルフォンセを引っ張って、アパートの裏手に連れ出していく様子が、繰り返し流されていた。
エヴァンがアルフォンセをあんなふうに雑に扱うはずがない。リカでもわかることだった。
「今回の爆破テロの目的が、エヴァンからレジーニやドミニクを引き離すためだったとしたら、やりすぎにもほどがあります」
ガルデは憤りの声を上げるが、中佐は冷静だった。
「奴らにとってラグナ・ラルスは、それほどの利用価値があるということだ。敵の手に落ちたのは痛い。オツベルの件で世話にはなったが、エヴァン・ファブレルの身柄を押さえておくべきだった」
「中佐!」
ガルデが非難の声を上げると、中佐は「口が滑った」と発言を一応取り消した。グローバー中佐は、軍部でも数少ないマキニアンに理解ある人物だが、根底に軍人らしい考え方があるのは仕方ないことなのかもしれない。
「エヴァン・ファブレルにラグナって人格を植えつけたのは、クロエ・シュナイデルだよ」
ヒルダが苛々した様子で腕組みする。
「あの女、本当にろくなことしないね。エヴァンはシャラマン博士の養子になるはずだったんだ。それなのに人格矯正計画で、博士からエヴァンを奪った。博士の直属の助手だったくせに裏切ったんだ。そして今や、悪の組織の女幹部ときた。神様、どうかあのビッ〇に天罰を」
顔をしかめるヒルダから、〈VERITE〉の科学者クロエ・シュナイデルに対する嫌悪感が溢れ出ている。
ヒルダはかつて、政府の研究施設〈イーデル〉に勤めていた。そこはマキニアンが誕生した場所であり、メメントが爆発的に増加した惨劇〈パンデミック〉の震源地でもある。
ヒルダとシュナイデルは、同じ研究班――マキニアン開発を含む〈M計画〉と呼ばれるプロジェクトの一端――に所属する同僚だった。当時から二人の仲は悪く、何かにつけて衝突していた。
ヒルダのシュナイデル嫌いは、もちろん今も続いている。リカがラボに来たばかりの頃、オツベルやリカを巡る事件におけるシュナイデルの所業をヒルダに話すと、リカには到底思いつけない罵詈雑言を吐き散らした。
エヴァンがシャラマン博士の養子になる予定だったことや、ラグナ・ラルスという人格の存在、その後〈イーデル〉やマキニアンを待ち受ける運命については、そのときにヒルダから詳しく聞いた。
「今のエヴァンがラグナなのだとしたら、ディラン・ソニンフィルドに絶対服従の状態にあるってことです」
ガルデが両手を握りしめたかと思うと、頭を抱えて叫び出した。
「なんてことだあああああっ! このままではエヴァンはまたソニンフィルドの命令に従うだけの道具にされてしまあう! 恐るべき企みの片棒を担がされてしまうんだっ! そして俺たちの前に立ち塞がる強大な壁となって! 悲劇だ! 悲劇の再会だ! 邪魔者を排除させたあと、街を襲わせ、政府を倒し、世界の敵として瓦礫の山に旗を立たせるつもりなんだあああ! 許すまじソニンフィルド! なんとかしないといけません中佐あああああああっ!」
一気にヒートアップしたガルデが、グローバー中佐にしがみつきながら吠え立てる。そんなガルデを、中佐は慣れた様子で引き離そうとする。普段は礼儀正しい好青年のガルデだが、いかんせん熱血が過ぎて思い込みが激しいのが玉に瑕だ。
いきなり沸騰するガルデの性質にも、ようやく慣れつつあるリカだった。この困った癖さえ目をつぶれば、彼は良き友人なのだ。
「ちょっと話が飛んでるかもしれませんけど、ガルデの言うとおり、エヴァンをこのままにしておけませんよね。アルも助けなくちゃいけないし」
リカは三人を見回して口を開いた。
「エヴァンたちがどこに行ったのか、探すんですよね? そのために私をここへ連れて来たんでしょう?」
中佐とヒルダがリカを見返す。ガルデも叫ぶのをやめ、東雲色の目を向けた。
ヒルダがリカの肩に手を置く。
「連中が、海のどのあたりまで出て行ったか見当もつかない。かなり遠くまで精神を飛ばすことになるかもしれないよ」
「私が追うのはエヴァン自身、だよね。衛星で〈VERITE〉の車両を追えないなら、エスパスからエヴァンの精神を追跡する。それができるのは、私だけ」
こういう事態のために能力研究に邁進してきたのだ。ふつふつと湧き上がる使命感に、胸が震えた。
「やります。やらせてください」




