TRACK-2 火の消えた街 4
サウンドベルの事件現場に近づくにつれ、通りの喧噪が大きくなっていく。事件発生から一時間経過しているが、いまだに野次馬があとを絶たないようだ。
レジーニは〈パープルヘイズ〉前の路肩に車を停め、歩道に降り立った。野次馬の流れに沿って、なかば駆け足で大通りを抜け、アンブリッジ議事堂を目指す。
現場は、テレビで見たときよりひどい有り様になっていた。爆発が起きたと思われる三階の一角はすっかり崩落しており、土埃と黒煙に包まれている。煙の中から炎が噴き出ると、野次馬たちが悲鳴を上げた。
可燃性の高いものが燃えているのかもしれない。消防隊が決死の消火活動を行っているが、完全鎮火にはまだ時間がかかりそうだ。
マスコミ各社が警察の張った規制線ギリギリまで押し寄せ、報道合戦を繰り広げている。いかに他社よりセンセーショナルにニュースを伝えられるか、やかましい競い合いだ。彼らが重要視しているのは、真実よりも視聴率である。
上空では数機のヘリコプターが飛んでおり、ゆっくりと旋回していた。
レジーニは慎重に周辺を見回した。爆破発生から時間が経っているので、この場に犯人が留まっていることはないだろうが、警戒はしておくべきだ。
「レジーニ!」
人々の大声や騒音に紛れて、どこかから名前を呼ぶ声が聞こえた。声のした方向を探っていると、野次馬の塊をかきわけて、ドミニクが駆け寄ってきた。彼女のうしろから、ユイとロゼットもついてきている。
「あなたも来ていたんですね」
「どうやら、僕たちがここへ来た理由は一致しているようだな」
「ええ」
ドミニクもレジーニと同じ推測をしたのだろう。マキニアンの彼女なら当然だ。ユイとロゼットも、緊張した面持ちだった。
「〈VERITE〉の仕業だと思うか?」
「そう考えてはいるのですけれど……」
ドミニクは考え込むように下唇を噛んだ。
「何か不審な点でも?」
「少し雑なような気がします」
「雑?」
「ソニンフィルドの計画にしては、大雑把と言うか……」
ソニンフィルドというのは、〈VERITE〉総統ディラン・ソニンフィルドのことだ。顔も知らぬ謎多きその人物はかつて、マキニアン部隊〈SALUT〉を率いていた長官でもある。
ドミニクが思案顔で、破壊された建物を見上げた。
「ソニンフィルドは規律に厳しく、軍務に対して謹直な人物でした。無駄を作らず、完成された計画をもって、正確無比に任務を遂行させます。派手な行動は好まなかったはずです。今回のような露骨なテロ行為は、ソニンフィルドの流儀に反しているように思えます」
ユイがパチンと指を鳴らした。
「方針を変えたのかもしれないよ。あれから十年以上経ってるし、座右の銘が変わっててもおかしくないんじゃない? 軍部と違って自由にできるんだしさ」
「そうだとしても、これはあからさますぎるわ」
柳眉を逆立てるのはロゼットだ。可憐な顔に嫌悪を浮かべ、議事堂の惨状を仰ぎ見る。
「大統領選挙が佳境だというこの時期に、ロバート・セルマン元大統領の息子が参加する保守派の食事会の会場を爆破するなんて。ソニンフィルドによる挑発だと、政府はすぐに見抜くわよ」
「そして、君たちのように〈VERITE〉に与していないマキニアンもね」
レジーニがそう付け加えると、ドミニクたち三人は顔を見合わせた。
「政府への宣戦布告があるとしても、君たちの言うように、これが〈VERITE〉の総統の趣味じゃないのなら、もっと違う形で狼煙が上がるだろう。それなら、この爆破事件には別の意図があるんだ」
「別の意図って?」
ユイが聞き返し、ロゼットが答えた。
「陽動?」
「あるいはメッセージかも」
呟いたドミニクが、はっと息を呑んでレジーニを見上げた。狼狽に揺れる彼女の目が何を訴えているのか、レジーニはすぐに察した。
エヴァンとはまだ連絡が取れていない。自宅マンションを飛び出したとき、即座に電話を掛けたが出なかったのだ。まだ折り返してもこない。
「エヴァンと連絡がついてないんだ」
「私からも掛けてみます」
言いながらドミニクは携帯端末を取り出し、耳に当てる。
待つ間レジーニは、今日はアルフォンセとデートなのだと、エヴァンが嬉しそうに話していたことを思い出した。二人きりの甘い時間に浮かれるせいで、電話に気づいてないのであればそれでいい。あとで仕置に一発殴れば済む。
だが、訳があって電話に出られないとしたら?
その訳というのが、この爆破事件と何らかの関係があるとしたら?
単なる杞憂と切り捨てるには、あまりにタイミングが良すぎる。
「だめです、出ません」
端末を耳から離したドミニクが首を振った。レジーニは思わず舌打ちする。
当たるのはいつも、嫌な方の予感ばかりだ。
「アパートへ行こう」
エヴァンが暮らすアパートは〈パープルヘイズ〉から、徒歩で行ける距離にある。四人で連れ立ってアパートに向かい、エレベーターで十二階まで上がった。
エレベーターを降りて廊下へ出た瞬間、嫌な予感は確信に変わった。
エヴァンの部屋、そして向かいのアルフォンセの部屋。両方の部屋のドアが開きっぱなしになっていたのだ。
「ユイ、ロゼット。アルの部屋を調べてくれ。ドミニクは僕と一緒にエヴァンの部屋へ」
「わかった。行こうロージー」
頼もしげに頷いたユイが、ロゼットとともにアルフォンセの部屋に入っていく。
レジーニはドミニクを伴い、相棒の部屋に足を踏み入れた。
このアパートには家族用と一人暮らし用、2タイプの部屋がある。当然エヴァンは一人暮らし用の部屋に住んでいる。
よくあるスタジオルーム(1K)だ。玄関から見て右手にバスルームとクローゼット、左手にキッチン。リビングの壁際にベッドが一台。ノート型のコンピューターが載ったセンターテーブルとコンパクトソファがひと揃い。窓は二つ。窓辺に水槽。テレビとミニコンポ。
リサイクルショップで集めたという家具やインテリアは、デザインに統一感がない。ルームウェアがベッドに脱ぎ捨てられ、床に直接コミックが積み上げられているところなど、エヴァンらしいといえばエヴァンらしい。整理整頓をこまめにしていないことが、ありありと窺える室内だ。
そんななかで、おかしな点がまず一つ。テレビがつけっぱなしになっている。
テレビ画面に映っているのは、議事堂爆破事件のニュースだ。やはりエヴァンも見ていたようだ。
出かける前に消し忘れたか? いいや、そうではない。消さずに出て行ったのだ。でなければ、玄関ドアが開いたままであるはずがない。
「レジーニ、あれを」
何かを発見したらしいドミニクが、テレビの近くでしゃがみ込んだ。見つけたものを拾いあげ、立ち上がりながらレジーニの方に向き直る。
ドミニクが差し出した掌にあったのは、壊れた携帯端末だった。二つ目のおかしな点だ。
破損状態はひどく、文字通り粉々だ。落とした程度ではこうはならない。故意に破壊されたのだ。
レジーニはドミニクと顔を見合わせた。電話がつながらないわけである。
「あの子、ちゃんとバックアップとってるかしら」
ドミニクがぽつりと呟く。今心配するようなことではないのだが、エヴァンが携帯端末をとても大事にしていたのを知っているからこそ、つい口にしてしまったのだろう。
エヴァンは携帯端末を、というより、端末に保存している写真や動画や音楽を、宝物のように大切にしている。そのことはレジーニも承知していた。端末にはエヴァンの思い出が詰まっているのだ。
それほど大事にしているものを、エヴァン自身がこんなふうに壊したりするだろうか。
相棒の身に何かが起きた。携帯端末を壊し、テレビを点けたまま、急いで出ていくほどの何かが。
「一体、何があったのでしょう」
ドミニクが不安げに部屋を見回す。レジーニは窓辺の水槽に近づいていった。
水槽の中では、エヴァンが可愛がっている亀のゲンブが、小指の先ほどの大きさの頭を持ち上げ、レジーニを見上げてくる。なじみのない人間に水槽を覗き込まれても隠れない。肝っ玉は飼い主譲りだろうか。
水槽はきれいに手入れされており、紫外線ライトやヒーターのおかげで、亀にとっては住み心地がよさそうだ。自分の部屋の片づけには無頓着なくせに、ペットの飼育環境にはこだわっている。初めて知るエヴァンの一面だった。
思えばエヴァンとコンビを組んで一年になるが、相棒に関してはまだ知らない部分が多い。部屋を訪れるのも初めてだし、亀をこれほど大事に育てていることも初めて知った。
別にコンビを組んでいるからといって、プライベートから何から、すべてを把握する必要はない。相手の性格は、仕事をしていくうちに理解できるものだ。
仲良しこよしというわけでなし、お互いのことは、仕事に差し支えない程度に知っていればいい。
そう、思っていた。
けれどレジーニは、相棒について今までよく知ろうとしてこなかったことを、にわかに痛感した。
エヴァンのことは、わかっているつもりだった。
だが、知った気になっている部分は表面の一部だけで、実のところ何もわかっていないに等しい。
それはレジーニが、エヴァン・ファブレルという人間の懐に、深く踏み込んでいかなかったからだ。
エヴァンの方はというと、初対面時からやたらとレジーニのことを知りたがっていた。相棒なんだから理解しておきたいのだと。
しかし、他人にありのままを曝け出すことにまだ抵抗感があるせいで、エヴァンからの歩み寄りに、すべては応えられていない。
あのラッズマイヤー事件を経てさえも、だ。
自分がそんなだから、こちらから誰かの懐に入り込もうとすることもなかった。
そのことに気づいたレジーニの胸に、うしろめたさに似た苦いものが広がる。同時に、そんなふうに感じている自分自身に、かすかな動揺を覚えていた。
「レジーニ、どうかしましたか?」
つい黙考していると、肩に手を置かれた。はっとして振り返ると、怪訝そうなドミニクの顔があった。
「いや、なんでもない。何か手がかりが見つかったか?」
「いいえ。ですが、ユイたちが呼んでます」
ユイとロゼットは、エヴァンの部屋の前で待っていた。二人とも、不安そうな表情を浮かべている。
レジーニが側に行くと、ユイが興奮気味に口を開いた。
「アルの部屋、なんだか変なんだ。テレビがつけっぱなしになってて、コートもバッグも携帯端末も残ってる。テレビを消してないのも、戸締りができてないのもアルらしくないし、何も持たないででかけるなんて考えにくいよね?」
「そっちもそうだったのか」
「エヴァンの部屋も同じ状態です」
四人の目線が交わる。考えたくないが、アルフォンセはエヴァンの身に起きた異変に巻き込まれてしまったのだろう。最悪のシナリオだ。
「早く二人を捜さないと」
慌てて駆け出そうとしたのはロゼットだった。それをユイが抑える。
「待ってよロージー。捜すったって、どこを捜すのさ」
「そんなの……、わからないけど、こうしてここでじっとしている間にも、エヴァンやアルに危険が迫ってるかもしれないのよ。エヴァンはともかく、アルは戦えないんだから!」
浮足立ったロゼットの様子に、レジーニは目を見張った。こんなとき、いつもなら真っ先に飛び出すのはユイの方だ。ロゼットはそんな彼女を冷静にたしなめる役割を担っているのだが、今日は立場が逆転している。
焦燥感に駆られているようなロゼットを見るのは初めてだ。レジーニは、何かあったのか、とドミニクに目配せした。彼女は困ったように、小さく首を横に振った。
ジェンセン家にも話を訊いてみよう、騒ぎがあったのなら気づいたかもしれない、という意見が挙がったが、レジーニは却下した。エヴァンとアルフォンセの隣人であるジェンセン家の三人は、悪事や裏社会とは縁のない善良な一般人だ。エヴァンたちがいなくなったことを知らないのであれば、まだ教えない方がいいと考えた。何が起きたのかもわからない状況では、説明のしようがないどころか、余計な心配をかけてしまう。
もっと懸念すべきは、そういった余分な情報を開示してしまえば、ジェンセン家までも巻きこみかねない、という点である。
それだけは絶対にあってはならない。
では、どうやってエヴァンたちの行方を捜すか。誰も巻きこまず、目撃証言を得る方法は――。
「防犯カメラだ」
廊下、エレベーター、玄関ホール。アパートの要所要所に、防犯カメラが設置されている。どれかのカメラには、エヴァンとアルフォンセの姿が移っているはずだ。
「ですが、大家さんが映像を見せてくれるでしょうか?」
ドミニクが首を傾げる。
「大家のキールマンさんはとてもいい方ですけれど、防犯カメラの映像は、たとえ住人でも、そう簡単に見せてもらえるものではありません。警察を通して、やっと開示が可能になります。つまり、警察に届け出なくては」
「ああ、わかっている。さすがに被害届を出すわけにはいかない」
「じゃあ、どうするの? 管理室に忍び込む?」
ユイが疑問を口にした。
「それもできなくはないが、こういうときはプロを頼るに限る」
レジーニが歩き出すと、ドミニクたちもあとに続いた。
闇雲に動いたところで、いい成果は挙がらない。時間は惜しいが、辛抱強く情報収集するしかなかった。




