第13話 ゲーム・オブ・スローンズ
【4月9日 午後5時45分】
ボトルの水を一気に飲み干すと、ミキティはいつもの調子を取り戻したようだった。
「わーん、やっぱりぜロっちは私の思ってたとおりのゼロっちだよぉ。男気見たぜい」
「いや、あれは俺じゃない。俺らしくない。ただ……ちょっといいとこ見せようと頑張っちゃったかな。そして結局、何にもできなかった」
酷い目にあったばかりだというのに上機嫌で頬を擦り付けてくるミキティ。一方の零斗の表情が曇っているのはミキティの扱いに困っているからではない。自分の無力さを痛感していたからだった。
「ごめんねぇ。変なもの飲まされてなかったら、あんな奴ら殺しちゃったんだけど」
「殺しちゃだめだろ」
零斗たちは店を出るとすぐに街路樹に沿って並ぶベンチにミキティを座らせ、一息ついていた。
新入生歓迎で盛り上がる『蒼天通り』では気勢を上げる集団がちらほら、静まり返った店など一つもなく漏れ聞こえる声がここが若者たちのマチであることを再認識させてくれる。そして、夜が更けるに連れてさらに盛り上がり、これから最高潮を迎えるようだ。
一夜は何も語らず通りの反対側にあるベンチに腰を掛けている。
零斗はそっと近づきすぐ隣に座る。何と声を掛けていいか分からなかったけれど、何かを言うべきだと思った。
「……嫌な奴でしたね」
「つまらないものを見せてしまったね」
一夜は、視線を夜空の先に向けたまま答える。
「九十九里浜とは知らない仲でもない。だから、謝罪するよ。この時期、誰しもが学園の嫌な部分を知る。偉ぶりたい連中は、自分を大物に見せるのに大忙しという訳さ」
「たかだか部活動の勧誘にそこまで必死になるモノなんですね」
「同情するとすれば、彼奴には優秀な兄が5人もいたってことかな。その全員が学園の卒業生と在校生だ。生まれながら、権力ゲームから逃れられない運命にあったともいえる」
「権力ゲームですか」
「この学園自体が、そのゲームのために作られた箱庭だからね。いや、そういう側面もあるというだけだな。単純化するのは人間の悪い癖だ――ボクらしくない」
一夜は苦笑する。
「学園で生活する限り当たり前のように見かける光景だ。関わらないことが一番だ。まあ、今日は腹は立つかもしれないが財布は潤っただろ」
「1万円儲かりました」
学園から生徒に配られる生活費が月3万円。1万円といえば大金なのだ。
「大人たちはこう考えている。学園は社会の縮図であるべきだ。外の世界のルールを学園でじっくりと学ばせよう。持てる者がいかにして持たざる者を支配するのか。体験学習を終えれば立派なクソッタレになって、ここを卒業できるってわけだ」
「それが権力闘争という名のゲーム……」
「そう、誰が学園で一番の権力者になれるかどうか。そんなゲームが来る日も来る日も続けられている。入学の時期というのはね、つまり100人の新しいプレイヤーと3万人の新しいコマが補充される時期なんだ」
「僕たちはそのコマだってことですか……」
「別に深刻に考える必要はない。ここが平等でなくたって、楽園であることには違いがないのだから。馬鹿な連中のやることだと笑ってやればいい」
一夜は再び夜空を見上げる。
「九十九里浜は、もうほとんどドロップアウト状態で引き籠ってつまらない映画ばかりを作っている。それでも、九十九里浜の家名と彼奴の立場が、ゲームから降りることを許さない。情けない男だ」
「神さまが気にしていないのなら、僕は何も言いませんけど……」
「それがいい」
夜風が、二人のあいだを抜けていく。
「さて、どうしようかな。カルラを呼び出すのならまだ間に合うぞ。キミさえよければ遠慮はいらない」
「そうですね!」
あの店で起こったことはさっぱり忘れて次へ進もう。神さまもそれを望んでいるように思えた。
しかし、意外にもその思惑に真っ向から反対したのはミキティだった。
「神様なのに、あんな奴らに負けちゃうんですか?」
「ボク個人の事情にキミたちを巻き込めないだろ」
「そんな気遣いはいらないんですよ」
ミキティの声が震えた。
「もし明日、道端でアイツを見かけたらどうすればいいんですか。慌てて物陰に隠れて、やり過ごせばいいんですか。それとも、アイツがアタシのことを覚えてなくてホッとしろって? そんなの。そんなの。そんなのは全然楽しくないんですよ」
ミキティがここまで怒りを露わにするのは、零斗にとって意外なことだった。彼女は臆病ではない。だけど、危険や面倒事は避けて積極的に距離をとる、そういう『賢いタイプ』だと思っていた。
「神様なら奇跡くらい見せてくださいよ。アイツが泣いて土下座をする姿を見せてください」
ミキティが吠える。
零斗は燻る思いでその様子を眺めていた。本当は自分だってアイツを許せない。神さまにもミキティにも非道いことをした。だが、それは本当に正しいことか?
「いいんですか。このまま帰っても」
ミキティが一夜に詰め寄る。彼女には、躊躇という言葉がなかった。
「……ボクは何とも思ってないよ。相手にするほどの価値もない」
「アタシはムカついてる。悔しい、ホントに。腹の底から」
「俺も九十九里浜がしたことは酷いと思う。ぶん殴られても当然だよ。でも……」
殴られても当然、だが殴ろうとは言わない。零斗は、中途半端なことしか言えない自分が嫌になっていた。
「ああ、もうぶん殴ろう。アイツをボコボコにしちゃおう。アタシは決めたから」
熱くなるミキティ。しかし、一夜が動く様子はない。
「ミキティがそこまでボクの心配をしてくれるのは意外だね」
その言葉に、ミキティは一瞬だけ静かになり、ぽつりと訊ねた。
「千夜学園に中等部なんてあったんですね」
ミキティがポツリと質問する。
「ああ。高等部と違って学費がかかるからね。あまり生徒はいない」
「その頃からの『級友』なんですよね」
「アイツ、悪ぶれば他人を傷つけても許されると思ってるんだ。そういうの本当に最悪ですよ」
「彼奴ら兄弟との因縁は、ボクだけのものでいい」
「じゃあ、アイツはあのままですか。誰も彼を変えることができない。そうしようとしないから?」
ミキティ自身、最初からロジックがあったわけじゃない。
胸の奥で燻る気持ちと向き合って、とうとう結論にたどり着いたのは、この瞬間であったと思う。
「殴られずに一人前になった男がどこにいるものか!あんな奴、修正してやりましょう!『級友』として」
「私たちは後輩として、です」
一夜は、ようやく肩をすくめて笑った。
「なるほど。ボクにはボクの役割があるという訳か」
そして、静かに、しかしどこか楽しげに呟いた。
「神さまというのは、楽じゃないな」




