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夢蟲の母  作者: 棺之夜幟
四章
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 妹は、私ではなく七竈に意識を向けていた。まるで私が存在しないかのように、認知行動の一つ一つが、丁寧に削ぎ落とされていた。


「どんなに化粧をしたって、まともにならないだろ。そんな顔じゃ」


 七竈がそう示した妹の顔は、彼女の言う通り、化粧などというもので繕える程、人間の顔をしてはいなかった。ズル剥けになって固まった皮膚が、顎の近くに集まって、頬の筋肉を、常に笑っているように見せる。その口元も美しく引き攣っているわけではなく、折れた鉄パイプをどうにか真っ直ぐに戻そうとした時のように、歪んでいた。唇は溶けて薄くなり、前歯が常に見え隠れする。右瞼が半分程くっついて開かず、代わりに左目は瞼を失って、ギョロギョロと動くのがわかった。毛髪をなんとか伸ばして、頭皮の露出を抑えているが、何処までが額なのかよくわからない程度には、毛根は溶けた皮膚で埋められていた。


「そんな酷いことを言わなくても良いじゃない。でも、そうね。良いわ。貴方のようなはっきりとした人、嫌いではないわ」


 歪んで舌も上手く回らないだろうに、妹はそう笑っていた。


「それで、貴方達、私に話があるんでしょう。ファミレスで呪いだのなんだのと、お話していたようだけど」


 何処から聞いていたのか、妹はそう言って、私達を見ていた。ようやく、彼女は私を見たのだ。その語り口は酷く優しい。私と一対一で話す時とは全く異なっている。あの悪態ばかり吐く少女の姿が、この部屋には残っていなかった。


「死体を集めて、花鍬樹を蟲で襲っているのはお前か?」


 七竈から単刀直入に吐き出された言葉は、直接妹に向かっていった。それらを軽やかに受け止めて、妹は口を開いた。


「死体を集めていたのは私だけど、送り込んでなんかいないわよ。蟲の苗床にしているだけ」

「じゃあ何で死体と蟲が組み合わさって、こいつを襲ってるんだ? お前以外にそれが出来る奴がいるのか?」


 私を「それ」だの「こいつ」だのと言いつつ、二人は淡々と言葉を交わしていた。妙な違和感がある。現実感がないのは、当たり前のことだった。もっと別のところが、何かすれ違っている。拭いきれないそれらが、胃の上部を刺す。ちくちくと内臓が痛かった。それでも彼女達は私を差し置いて、答え合わせに興じていた。


「いるんでしょう。私もね、困っているのよ。順調に増やしていた蟲と、その苗床を勝手に使われて」

「苗床ね……蟲、あるいは怪異を纏わせた死体なら、誰でも手順を踏めば使えるのは、考えようによれば、そうかもしれない」


 七竈は、自らのこめかみを人差し指で、トントンと二回突いた。その様子は、何か考え込んでいるようだった。答えは出ていないようで、彼女は出掛かっていた言葉を飲み込む。それを見た妹は、すかさず口を開いた。


「誰にでも出来るというなら、重要なのはどうやったかではなくて、どうしてやるのかじゃないの?」

「お前にはやる理由が無いのか」

「無いわよ。そこにいるそれは、居ても居なくても、特段困ることが無いもの」


 顔こそ笑ってはいないが、ケラケラと妹が笑っているのがわかった。機嫌が良い。というよりも、単純に乾いた感性をしているようだった。私の記憶にある彼女は、こんなにも明るい女だったか。もっと陰湿で、私を恨んでいた筈だ。汗が伝う。背中、喉、額、その全てが、脂汗で濡れて、痒かった。


「でも、そうね、私には感じられないけれど……人間は何故か皆、それを『美しい』と言うわね」


 そう言って、妹は私を指差した。輪郭が歪む。心臓が痛い。頭痛がした。心臓が動く度に、締め付けられるような痛みが全身に走る。呼吸が浅くなっているのがわかった。

 縋り付くように、七竈を見た。彼女は私を見ておらず、妹の発言を訝しんでいる様子だった。言葉を咀嚼するように、彼女は数秒黙ると、再び妹に目を向けた。


「人を呪うなら、純粋な一人の悪意と、複数人の膨大で乱雑な殺意、どっちがふさわしいと思う?」


 ポンと投げ込まれた問いに、妹はにっこりと微笑んでいた。


「他人の乱雑で大きな殺意を、一人の悪意でまとめ上げるのが、一番『いやらしい』でしょうね」


 その答えを聞いた瞬間、七竈は妹に背を向けた。彼女は私の腕を掴んで、その場から引きずり出そうとしているようだった。もう用は無いと、七竈は閉まっていた扉に手をかける。


「待ってください」


 やっとのことで出た私の声は、か細く、七竈の耳に届いている自信がなかった。けれど、彼女は動きを止めて、私と目を合わせた。それだけで、ホッと、胸の支えが取れたのがわかった。七竈は聞く耳を持っている。私は妹に向かって口を開いた。


「貴女、そんな良い子ぶって、何のつもりなの? 貴女、いつもは私のこと睨んで、嫌味ばかり言って、父さん達を味方につけて、罵るじゃない」


 私が何も言えないのを良いことに、嘘を吐いている。そんな考えが、頭に浮かんだのだ。そうでなければ、こんな、大人しく彼女が笑っていられるのだろうか。


「本当に貴女がやったんじゃないの? 何故死体を苗床に蟲を育てたというの? 全部、私に嫌がらせするためだったんじゃないの?」


 漏れ出る言葉に、理性が欠けているのは、理解している。けれど、それを止められない程度には、言いたいことがあった。舌が止まらなくなりそうな頃になって、妹が、眉を顰めた。


「……ねえ、花鍬樹」


 彼女はそう、私を指差して、口角を落とした。


「お前、ここに来るのは初めてでしょう。今の花鍬樹が花鍬地楡と話すのは、一度も無かったことなの。会って話したことも無い相手を、待ち焦がれ妄想することこそ出来ても、罵るなんて、どうしたら出来るの?」


 淡々と、彼女は言う。それは嘘を言う口ではなかった。ただ、彼女は観測結果を流すだけの、レコードのように、言った。


「無を殺すことが出来ないように、無を汚すことも出来ないのよ。だから常に無は清浄なの。今のお前と違ってね」

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