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夢蟲の母  作者: 棺之夜幟
三章
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 先生がスマホを取り出して、識君を呼びつけた辺りだったか。私は空腹で頭が働いていなかった。体が要求するだけの食事量を摂れていないのだ。ふわふわとした低血糖の脳が、薄暗い空気に溶ける。


「樹、誰かに死体のこと、喋ってたの?」


 揺れる脳が、綴の言葉を反響させた。おかげで、彼女に対する応答は、ただ首を横に振るだけにとどまった。事実、私は六年前の事件のことを、誰にも話してはいない。

 元々、父や祖父はあまり信用に値する人達ではない。母に至っては、当時、既に鬼籍に入っていた。祖母については、話せと言われれば話したかもしれないが、過去、それらを要求された事実はない。

 しかし、瞼の裏には、一人の少女が、ほくそ笑んでいる姿があった。


「けど、話さなくても、私達がしたことを、知っていたかもしれない人は、いる」


 私の感覚が正しいのであれば、その少女は知っていたかもしれない。


「地楡」


 少女の、妹の名を呼ぶ。それに真っ先に反応したのは、先生だった。


「花鍬地楡は……入院しているのではなかったのか」

「はい。でも、たまに外泊で生家に戻ることも、五年前までは何度か」

「だが子供だ。今十六歳なのだとすれば、五年前までで十一歳だろう。病人の少女が、ここまで歩いて、死体を見つけて、穴を掘り返して、死体を回収して……そんなこと、出来るものなのか」


 言われてみれば、そうなのだ。確かに、理屈ではそうだった。だが、何故か、私の中では、理屈が捻じ曲がってでも、彼女が関わっている気がしてならなかった。脳裏に存在する彼女に対して、私が抱いている感情のせいか。それとも、彼女の私に対する態度か。恐らくはその両方が、私を感情的にさせているのだろう。現実への理解を飲み込んで、私は息を吸った。


「……少なくとも、何処の誰が、死体を掘り返したのだとしても、一人でやったとは、思えないのでは?」


 犯人探しをするつもりはない。けれど、可能性の心当たりは、ずっと頭の中で回り続けていた。


「父も祖父も、地楡の方を可愛がっていたので、二人が手伝っていた、なんて。考えてしまって」


 嫌悪と事実を入り交ぜて、言葉にする。綴が不安そうな顔をしていた。先生にとっては、思考の誘導をしているようにも、見えるかもしれない。


「お祖母様の方は、お前の方を心配なさっていたような気もするが」

「え?」

「以前、インタビューをしたと言っただろう。その際少しだけ、孫娘の話をされたことがある」

「……母が自殺した後の話ですか?」

「いや、する前だ。孫娘が二人生まれたと、大変なことをしてしまったと……そう言って、お前の身を案じていた」

「大変なこと?」


 先生は私の問いに答えるより前に、煙草に火をつけた。識君達を待つ間、私達は冷たい風に晒されていた。


「何をしでかしたか、私は聞いていない。だが、それが、お前達の現状に、一枚噛んでいるのは確かだろうな」


 彼の言葉と共に、煙草の煙が放散する。その煙を、どうしてか、風下の綴は避け続けていた。風上にいた私は、先生の少し虚にも見える翡翠の瞳を見た。


「先生」


 口が動く。丁寧に、空気と、言葉の曲線をなぞる様に、舌を動かす。


「先生は、何を調べるために、祖母を訪ねたのですか」


 先生はかつて、オシラサマを調べるために、と言った。だがそこで生まれる「何故オシラサマだったのか」という疑問については、何も語っていない。


「オシラサマを調べるためだ」

「なら、何故その、花鍬のオシラサマを調べようと思ったのですか」

「……聞いて、理解出来るものだと思うなよ」


 鼻に皺を寄せて、先生はこちらを見た。


「かつて、夜咲という、怪異を生み出し続ける家系があった。彼らは自分達の中から生まれた『母神』を崇め、再び新たな神を作ろうとしていた」


 母神と聞いて、一つだけ思い出したものがあった。それを言葉にしてしまうよりも前に、先生は続けた。


「その『神』を作ろうとした残骸の、その一つが、花鍬樹という存在だった」


 先生はそう言って、静かに煙を吐いた。先生の言葉は、綴にも聞こえていた。彼女も私も、先生の発言を殆ど理解は出来ていない。

 私は夜咲という言葉を知らない。けれど、私は『花鍬樹』だった。


「花鍬樹。お前は、神のなり損ないで、これから神を産むかもしれない存在だ」


 私の口はパクパクと動くばかりで、何も言えずにいた。思考が追いつかない。低血糖は相変わらず、私の脳に靄をかけていた。綴が何か言おうと、口を大きく開けたところで、先生が再び声を上げた。


「今になって、私もそれに気づき始めたんだがな」


 先生はそうして、土で汚れた手を、私と綴に向けた。


「花鍬、菖蒲、お前らが出会ったのは、いつのことだ?」


 先に反応を示したのは、綴だった。


「六年前です。六年前、私が暴漢に襲われて、この山に連れてこられて、樹が助けてくれて……」


 それ以上を言う前に、綴の口の前に手を置いた。そうして、私に返答を求めて、睨んだ。


「わ、私も、同じです。六年前です」

「では、菖蒲綴と出会ってから、君は祖母に彼女を紹介したか?」


 先生の問いへ、言葉のままの意味を見出す。私が綴を、祖母に話したことはない。そもそも話すことなど、出来なかったのだから。


「いいえ、綴と出会った頃には、既に祖母は……」


 亡くなって、いたはずだ。亡くなっているのだ。祖母は。五年前に亡くなった祖母は、綴と出会った六年前には亡くなって、いた。


「花鍬樹、お前は――――」


 数字がおかしい。矛盾している。記憶が混濁している。

 それに気づいた頃には、先生は、私の腕を掴んで一歩、引いていた。それと同時に、先生は綴の肩を、指で押した。


「菖蒲綴《夢蟲》を産み落としたな?」


 綴の輪郭が歪む。空間と彼女の隙間からは、黒い蜘蛛が、四散して行った。

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