それは、ある夏のお話
室内に響き渡る蝉の鳴き声、うだるような暑さで神咲遥斗は眠りから目を覚ます。
正面では、教師が黒板に難しい計算式を書きながら、式の解き方を説明している。
「お〜い。遥斗、大丈夫かぁ〜」
「はいっ!」
突然大声で教師に名前を呼ばれたので、変な声が出てしまった。周りではクラスの奴らがクスクスと笑っている。
「暑いのはわかるが、ここはテストにでるからな。寝てないでしっかり板書しとけよ」
「はい・・・すいません」
遥斗が謝るとほぼ同時に授業終了のチャイムが鳴り響いた。
「じゃあ、授業はこれで終わりだ。今日やった範囲はちゃんと復習しとけよ〜」
そう言って、教室から出ていった。それと同時にクラスでも特に仲のいい錦戸悠介が駆け寄ってくる。
「おい遥斗!昼だぞ昼!パン買いに行こうぜ!」
「え、めんどくせぇからお前買ってきて。俺あれな、ゼリーパン。あとジュースも買ってこい」
「そんは不味そうなパンねぇよ!てかなにさり気なくパシらせようとしてんだよ!」
「え?お前、俺の奴隷じゃないの?」
「今まで奴隷だと思われてたんですかねぇ!俺は!」
「・・・うん。え?違うの?」
「なんですかその俺をこきつかって当たり前みたいな反応は!くそぉぉぉぉ!」
そう叫びながら悠介は涙目で教室から飛び出していった。
「おう!屋上で待ってるからなぁ!」
※※※
片手で顔をパタパタと仰ぎながら俺は学校の屋上を目指し、階段を上がっていく。
(・・・夏なんてさっさと終わって秋こいやーっ!)
声には出さずに心の中でそう叫びながら、階段を一歩ずつ上がる。
屋上への扉の前にたどり着くと、ドアノブにゆっくりと手をかけ、おもいっきり扉をこじ開ける。それと同時に、雲ひとつない大きな天井から、容赦なく照りつける光に目を細める。
「つーか・・・今日風まったく吹いてねーじゃん」
風がまったく吹かない真夏日の屋上は、日光に直接当たる分、教室よりも暑い。
「くっそ・・・こんな事なら大人しく教室で飯食えばよかった・・・」
俺はその場にヘナヘナと座りこんで、真夏の空を見上げて大きく息を吸う。アスファルトに熱された空気が身体に充満する感覚に襲われる。少し動いただけで容赦なく体力が削られる。
「また・・・同じ夢だったな」
俺は全身の力が抜けたようにその場で倒れる。空から降り注ぐ陽射しが眩しい。手のひらで光を遮る。
数ヶ月前から、全く同じ夢を見る。見渡す限りの荒地。まるで終末。そこで、俺と少女が"なにか"から逃げる夢。
いったいなぜ逃げているのか、その場所がどこなのか、少女の顔すら目が覚めると記憶からするりと抜け落ちてしまう。
「うわっ!」
急に首筋に冷たい物体が触れた。反射的に体を起こし目の前に映った影に向けて、容赦なく右ストレート。
「ぐぼぉらぁっ!」
変な悲鳴が屋上に響き渡る。俺が右ストレートを当ててしまったのはちょうどパンとジュースを買ってきた悠介だった。
「なんてことしてくれるんですか!」
「お、悪いな。お前が一瞬だけマジモンのバケモンに見えたから恐怖のあまり手出しちまった。」
「あんたの目は節穴ですか!?」
「そもそもはお前が変なことしてくるからだろ。変態。変質者。お前が悪い」
「開き直るのやめてください!」
そんなくだらないやり取りを終わると、悠介は持っていたビニール袋から幾つかパンを取り出し、遥斗に手渡した。
「ほら、買ってきてやったからさっさと飯食おうぜ。ちなみにゼリーパンじゃないからな。」
「おう、ありがとう。」
遥斗は素直に礼を言って、パンを食べ始める。
「そういえば、お前朝のニュース見たか?」
悠介がパンを食べながら話しかけてくる。
「いや、見てない」
「また起こったんだよ、テロが。ネットではエーボの仕業だって盛り上がってる。」
「エーボなんて架空の存在だろ、信じてる奴はゲームのやりすぎだな。」
「今なんて信じてない人のほうが、少ないだろ。」
※※※
3年前、東京上空に突如として現れた"なにか"は、大規模な破壊テロを行った。しかし、当時の各メディアではあまり取り上げられず、当時中学3年生だった悠介はネットでいろいろ調べたらしい。エーボとは、ネット民がつけた"なにか"の総称の事だと、悠介は言っていた。
「エーボは存在する。だけど知られたらマズイことがあるんだよ。だからメディアもあまり詳しく取り上げられない。」
「へぇー」
「きっと俺達もこのまま日本にいたら何かに巻き込まれる!そうなる前に一緒に逃げようぜ!遥斗!」
「嫌だよ、それで何も起きなかったらただのアホじゃねーか。」
悠介は都市伝説オタクだ。UMAやらUFOやら、オカルト系の話が大好きで、やたら話てくるのはその手の話ばかり。そのせいで遥斗も大分詳しくなってしまった。
「まぁ、いずれ逃げることになるさ・・・エーボはきっと東京だけに留まらず、日本全土でなにか起こすぞ」
「お・・・おう。その時はお前を囮にして俺だけ逃げよう。」
「一緒に逃げるって考えはないんですか!」
※※※
あまりに一瞬だったらしい。"なにか"が現れ、都市が1つ無くなるまで。メディアが取り上げないんじゃない。わからないんだ。誰も。あの日その場にいた人は全員、消えてしまったんだから。