悪魔の王、悪役令嬢を見守る
私は悪魔の王だ。
今はわけあって、とある少女に憑いている。
ああ別に体を乗っ取っているわけではない。ただ見守っているだけだ。
この少女に出会ってから、私は一度も少女の自由を奪ったことはない。
あれは、この少女が生れた夜のことだった。
酷い難産で、母子共に生死の境を彷徨っていた。
治癒師と司祭の力でも、どちらか一方を救うので精一杯。
この少女の父である貴族家当主の男は、選択を迫られていた。
妻の命か子の命。
どちらを救うか、どちらを見捨てるか。
男は悩みに悩んだ末、妻の命を取った。
子は、妻さえ無事ならまた生めるし、分家から養子を貰うこともできる。しかし愛する妻に代わりはいないからと。
おかげで男の妻である女は一命を取りとめた。
翌朝、男は妻に事情を説明し、慰め、謝った。
すまないと、けれどなにより君が大事なんだと。
しかし、女は夫を赦さず、責め立てた。
なぜ子を救ってくれなかったのかと。子を犠牲にするくらいなら、死んだ方がましだったと。
そして、自分は母親失格だと嘆き悲しんだ。
女は我が子の亡骸を抱きながら、日がくれるまで涙を流した。
そしてその日の夜。女は覚悟を決めた。禁忌に手を染める覚悟を。
女は魔術師だった。それも国でも指折りの。
故に知っていたのだ。失われた子の命を救えるかもしれない超常の存在、悪魔を。そして、その悪魔の召喚の仕方を。
女はすぐに召喚の準備を整えた。
砕いた魔石の粉で魔術陣を描き。
火の点いた蝋燭で道を、合せ鏡で扉を作り。
呪文を唱え、ついに悪魔を召喚した。
そうして喚ばれたのがこの私…ではない。
そもそも悪魔の王はそんな簡易的な儀式で喚べるような存在ではない。悪魔王は、最低でも屋敷を建てられる程の広さの魔術陣を描き、万単位の人間の魂を生贄に捧げ、十人以上の超一流の術師が数週間に渡って儀式を執り行い、ようやく喚べるかどうかというところだ。
女が行った儀式は、魔術陣は半径二メートル程。
生贄は無し。魔術師は一流が一人。かかった時間は精々呪文を唱えるのに使った数分。
これでは悪魔王どころか支配階級の悪魔を喚べるかどうかも怪しい。
実際この時喚ばれたのも、騎士級悪魔だった。
この程度の悪魔では、死んだばかりで魂が残っているならともかく、数時間も経てば蘇生は不可能だ。
だが愚かにも女は、魂を対価にこの悪魔と契約を結ぼうとした。悪魔の甘言にのせられて。
悪魔は基本的に嘘はつかない。契約の強制力が弱まるからだ。ゆえに契約の抜道を作ったり、穴をついてくる。
例えば今回の場合なら、契約の完了条件に『女が我が子の蘇生を確認すること』といった項目を加えさせ、女に子が蘇る幻覚を見せたり、てきとうな死霊を憑依させ、一時的に生きているように見せかけるなどいくらでもやりようはある。
この時悪魔がとろうとしていた方法は、自分が赤子に憑依するというやりかただ。
悪魔は精神世界の住人だ。基本的に、物質世界では長く活動はできない。しかし受肉すれば、多少力は制限されるものの器が壊れるまで活動できる。これにより、自分から契約を持ちかけることができるのだ。
つまりこの時悪魔は、女から報酬を騙しとるだけでなく、器まで手に入れようとしていたのだ。
おそらく、悪魔のこの企みは成功していただろう。…私が干渉しなければ。
私はそのとき、所謂散歩をしていた。様々な世界に赴き、様子を眺めていたのだ。
悪魔でも、自分で他の世界に行くことは難しい。空間跳躍に特化した特殊個体や、侯爵級以上の悪魔でも散歩感覚で世界を越えられる者はなかなかいない。
だが私は悪魔王。しかも時空と運命を司ることを得意とする悪魔だ。そんな私にとって世界を越えるなど、児戯に等しい。まだ冬場にこたつから出ることの方が難しく思えるほどだ。
そんな私がなぜ悪魔と女の契約に干渉したのか。まあ簡単にいえば、なんとなくでたまたまだ。
意味がわからない?
経験がある者もいるのではないか?道に線が引かれていて、なんとなくその線の上をあるいてみたり。なんとなく脇道にそれてみたり。あるだろう?
それから、たまたまナンパやしつこい勧誘の刃を目撃してしまったり。万引きやいじめでもいい。落書きやポイ捨てでもかまわない。とにかくそれが、大きいことでもささいなことでもいい。誰かがなにか、誉められたことではないことをしている場に遭遇したこと。あるだろう?
今回のはそれと同じだ。
なんとなく道っぽいのがあったから通ってみた。
そしたら悪質な契約の場に遭遇した。
それだけだ。
大多数の者は、こういった場合見て見ぬふりをするだろう。どちらも他人だ。関わる理由が無い。捲き込まれないようにそそくさと退散するのではないか?。
そしてたいてい、見逃されるだろう。
しかし私は悪魔王だ。こちらが気にしなくとも、あちらは気にするだろう。
例えばだ。
万引きを強盗犯に見られた。
怖くないか?
詐欺の現場をヤクザに見られた
恐ろしくないか?
例え相手が、自分に興味が無かったとしても、そんなこと自分ではわからないのだから。
自分のような子悪党など比べ物にならない大悪党。
そんなのが突然現れたら、どうする?
まあ普通、逃げるんじゃないか?
少なくともあの、騎士級悪魔はそうだった。私を見た瞬間、絶叫しながら這う這うの体で逃げ出した。
女はいきなりの状況の変化に戸惑って、困惑していた。
まあそうだろう。いきなり別の悪魔があらわれたと思ったら、元からいた方が逃げだしたのだ。わけがわからなかったに違いない。
その後、女の契約台無しにしてしまったわびに、私が代わりに契約することにした。さすがにあの状況で素知らぬふりをして去るのは悪い気がしてな。
そして私は、『女の寿命』を対価に赤子を生き返らせた。
ん?魂は取らなかったのか、だと?
はっきり言って私クラスになると、もう人間の魂程度では力の増加は見込めんのだ。神や天体の魂でも誤差にしかならん。
だから私は、少しお節介をしてやることにした。
女はあと数年の命だった。産後の肥立が悪かったのだろう。そんな女から私は、『-60年』の寿命を奪い、子を蘇らせた。
ん、まあつまり、女の寿命を伸ばした上でさらに子も蘇らせてやったわけだな。さらに子の方には私が憑き、常に見守ることにした。
まあ、気まぐれに思い付いた単なる暇つぶしだ。
せいぜい百年程度だ。それぐらいつまらなくても我満してやろう。そう思っていた。
しかしだ。なかなかどうしてこの少女、面白い。
なんとこの少女、転生者だった。
さらに驚いたことに、この世界は乙女ゲームの世界で、少女は悪役令嬢らしい。死亡エンドばかりの、な。
どうやら少女は、どうにかして自分の死亡エンドを回避しようと必死らしい。
そのたびに私を楽しませてくれる。
まあ、せいぜい頑張れ。最悪、私がどうにかしてやるからな。
ま、聞こえてないのだろうが。