水使いの目覚め
旧 7.8.9を合体させております。
この章の主人公(多分)ふたりが動き始まる……筈なんですけど、この二人っば慎重すぎてあんまり動いてくれないっていう共通点があったりなかったり。
気が付いたら1年ぶりくらいなんですよ。なろうひらくの。毎回毎回体調崩すと復帰に時間がかかるこの頃。年は取りたくないですねえ。
誰もいない水族館の中に彼女は一人座していた。
正確に言うならばそこは『水の神』が創り出した空間であり、そこにある全てのものが現実には存在しないはずのものだ。
暖かくも寒くもない気温と上空から燦々と降り注ぐ光。
快適といって差し支えないその空間に足りないものと言えば『他者』だろう。
時間の感覚などとうに失ってしまっていた。ただ、退屈しない為に設えたらしい無数の魚達が泳ぐ空間にいること自体は何の苦痛もなかった。
けれど、それでも彼女はもう判っていた。自分が体から離れ魂こころだけでこの場所にいるの理由を。
目の前には一人の少年。向き合う形で同じ様にやわらかい敷物の上に座して、その横には冗談の様な生き物がまるで知性のある存在として大人しく少年に付き従っている。
彼女のためだけに作られた水族館である。彼女の座するその場所は居心地の良い居住空間の様に、ある程度の調度が揃えられている。
とは言え彼女が多くを望まなかった故に、小さいテーブルと質の良い敷物があるだけではあったが。
どう言う原理かは判らなかったがこの場所にいてもある程度は外の様子を知ることができていた。
清藍の気がかりであった陸と徹たちの安否はそれで知ることができた。憎らしい程に気が利く水の神の手回しに、苛立ちながらも、彼らの周囲にひとまずの平穏が戻った事を安堵した。しかし。
そうしてすぐに自分も解放されるのだろうと思っていたのだが事態はそれ程簡単にはいかないようだ。
どうやっているのか水族館の水槽の一部に外の映像が映され、清藍は映画でも見る様に現世の様子を見せられた。その流れで意識不明の彼女の病室を深夜に訪れる男の映像を見せられたのだ。
黒衣の男は警戒の厳しいこの病院に難なく侵入し、病室の前まで訪れた。結果として何もせずに去って行ったが、それは結果論であって今清藍の体が無事だとしても何の慰めにもならないと。
自分が意識不明でいることがどうして清藍を守ることになるのか理解のできない彼女は反論したがそれに関しても水の神は冷静に反論して見せた。
曰く、今まで通りの生活をした場合、他者に紛れて襲って来る術者だけを正確に迎撃することが難しいこと。
曰く、清藍が休眠状態でいることによって敵の油断を誘えること。
曰く、意識にのない体だけを守るのであれば最悪その中に神が入り込むことによって最大限の防御になるえること。などなど。
清藍を守るというその一点のみに集約された神の行動に憤りを覚えたが、その全てが他者を巻き込まないことを前提としていると言われてしまえば、子供の様にムキになって抵抗することもしにくくなってしまう。
意識だけの存在になったためか、時間の感覚がすぐになくなったことが逆に幸いした。空腹や疲れといった苦痛もない。ただ孤独と退屈だけが癒されずに降り積もっていく。
現実問題として自分は今病院で眠っていて、その生命維持に関しては病院側が申し分なく行なっており、近くには必ず陸か徹が側にいて彼女を守っている。
水の神が映す映像にもその様子が見て取れる。だからこそ、心配そうな顔で眠っている自分の顔を覗き込む二人に大丈夫である事を伝えたくなるのだが、それに関しては頑として譲ってもらえなかった。
そうして三日が過ぎた。
その間、水の神は時折彼女の前に現れては、清藍と何気ない会話をしてまたいなくなるを繰り返していた。不在の間、かの神が何をしているかは問うても答えてはもらえなかった。
三日目になって、再び水の神はペットの様なその身長50センチ程の生き物を従えて彼女の前に現れた。ある提案を伴って。
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病院の最上階、十二階建ての建物は周囲に同じくらいの高さの建物が少ないこともあり、周囲を一望できる眺望を有していた。
およそ病院の最上階とは思えない清潔で明るし店内に意外性を感じた男達は室内を見回す。
彬華は見慣れているのか何気ない顔で空いている席の中でも見晴らしのいい席を選んで指差した。
「あそこにします?」
何となく気後れしたのか男達二人は、こくりと頷き彼女について歩き出す。
彬華は席に着くまず肩に掛けていた服と同色のバックを奥の席に置くと、手前の席に腰を掛けた。わずかの逡巡の後、男二人はその向かい側に並んで腰かける。
奥に新汰あらたが、彬華の前に正樹まさきが腰掛けたのは、新汰のせめてもの思いやりだったのかも知れない。
年配のウエイトレスが水とメニューを運んで来るまでの間に微妙な沈黙が流れる。
全員が言葉を探しているような、どう切り出したらいいのかと悩んでいるような微妙な空白ができる。
彬華は視線を正樹に次いで新汰に向けてからそのまま外の景色に向けることにした。出会ってしまったものは仕方がない。取り合えず出方を見る方がいいだろうと判断したようだ。
パタパタという足音と共にウエイトレスがやって来て、全員に水が入ったコップを配りメニューを置いて去って行く。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
お決まりの台詞を残して。
時間はまだ十時を回ったところだ。店内も人は多くない。
新汰と正樹はメニューにざっと目を通し、それから彬華に回した。病院併設のレストランのせいかメニューはそれほど多くなく、けれど豪華で美味しそうなラインナップが揃っている。
健康面も考慮してあるようでメニューにはカロリー表記やアレルギー食物表記などもされていた。
「私はコーヒーで」
長居をするつもりもない彬華はさりげなくメニューを二人に返しそう言った。
「お腹空いてないですか?」
まだ言葉を探したまま固まっているらしい正樹に代わって新汰が問い掛けた。
「……すみません。午前中は入らなくて」
長居をするつもりがないと言うわけにもいかず彬華はやんわりとそんな風に答えた。嘘ではなかった。
彼女は血圧が低く朝はいつも抜いている。この時間になればある程度空腹を感じはするが、このレストランのメニューは殆どがセットメニューで、量が多く全部食べ切る自信がないのは紛れもない事実だ。
「はぁ……なるほど。じゃあ俺もコーヒーでいいかな。正樹は?」
「……あ、じゃあメロンソーダで」
ぷっとその瞬間、彬華が噴き出した。
ころころと屈託なく笑う彼女に新汰が不思議そうな顔で正樹を見る。正樹は気分を害した様子ではなく、むしろ場が和んだことに少しほっとしている様子だ。
ひとしきり笑ってから彬華はなんとか笑いを収めたといった様子で頭を下げた。
「ごめんなさい、いきなり笑ったりして失礼ですね」
「……俺が良くメロンソーダ頼むから」
「私の勝手なイメージなんですけど、何か小さい子供が好む飲み物のように思ってたので。大人が飲んでると何となく笑っちゃうんです」
「……あぁ、なるほど」
場の雰囲気が和やかになったことで、口の滑りも良くなった一同は、運ばれてきた飲み物を飲みながら世間話に興じた。
彬華はこの正樹の友人と名乗った青年−−新汰が間違いなく戸上の関係者らしいと言う事実を聞き及んだあたりで、再び背筋に冷たいものを感じたが、取り敢えずそれを相手に感づかれることはなかった様だ。
無難な世間話のみで何とか解放され、彬華は二人を置いてレストランを後にした。
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ずっしりと重い体。瞬きをするただその行動一つに信じられない労力を要した。まるで重りの入った袋を抱いて動いているような気怠さ。
潤んだ瞳はその調節もままならないのか周囲の景色はぼやけている。
視界を整えるためだけに信じられない時間を費やし、やっと鮮明になったことに安堵して一つ息を吐く。そうして気付く。今まで呼吸をするのを忘れていたことに。
わずかに息苦しさを感じていたのはそうした理由だった。
こんなことではいけないと少し反省してから、ようやく彼女は自らの手を上げその感触を確かめた。
人形の体の中に入っているようだと思う。体を思うように動かすことのできないもどかしさ。けれど、おそらくそれは人形では感じることのできない感覚で、その手が場の空気を掻き回す感触を伝えてくる。
ああ、これが生きている事の証なのかも知れない。そんな風に思った。
点滴の繋がれれいない左の掌てのひらを握ったり開いたりしてみた。色白の手がその通りの動きをする。当たり前のことだったが何故かそれが嬉しいと思った。
次に手を下ろして彼女は部屋の様子に目を移した。
清潔そうな白い壁紙の天井がまず視界に入り、少し顔を動かすと明るい木目のサイドテーブルが目に入った。
室内は暖かい。暖かいと言うよりは体にうっすらと汗をかく程で、そのせいか体はわずかに不快感を訴えている。
大きな窓には薄いレースのカーテンのみが引かれ、そこからは光が燦々と差し込んでいるが、横になった状態ではレースの隙間から見える青色以外は見ることができなかった。
室温の高さの原因の一端はこの日差しにあるようだ。
今いる場所が10階建てのビルの最上階だということは事前に教えられていた。
この病院はエル字型に並んだ3棟が、1階、3階、5階でそれぞれ渡り廊下でつながっており、今彼女がいるのは一番西に位置する病棟で主に入院患者を収容する病棟の筈だ。ちなみに正樹たちがいたレストランを擁するのは、外来患者の中でも健康診断など検査等を主に行う病棟で北側にある。
その入院患者を収容する西棟と検査病棟である北棟をつなぐ形で立っている病棟が中央棟でそこの一階に受付ロビーがあり、そこは主に外来患者を診察するための各科があった。
その口頭のみで教えられた構造を思い出しながら彼女はゆっくりと上半身を起こしてみた。
相変わらず体は鉛のように重い。
まるで自分の体ではないようだ。と、考えて彼女は自分の考えにくすりと笑った。
上半身を起こした事で窓から崎宮市街地の様子を見ることができるようになった。見慣れている筈の景色。灰色のビル街が見える。思い描いていたより高層ビルが多かったが地方都市である。最大でもこの病院と肩を並べる程度で、多く見積もっても20階を超えるビルはないように思える。
近くに建設中のビルが見えた。建設途中の現在で最上階がこの病室と同じ程度の高さになっている。完成すればこのあたりで一番高い建物になるのかも知れない。そう彼女は思った。
外の景色に見惚れていた彼女の耳に、病室のドアを開ける音が聞こえた。
まだ不自由な体をゆっくりと動かして彼女が振り返る。
ドアを開けて入ってこようとしていたのは、二人の青年。二人とも入院患者なのかラフなスエット姿だ。
「せいら……」
ああ、と彼女は心の中だけで感嘆する。表情には表さないように気をつけて。
一人は端整な青年。スエット姿だと言うのにだらさなさを感じない清潔感を感じる様子に、短く整えられた焦げ茶色の髪。
もう一人は傍の青年より頭半分ほど高く、体付きのがっちりとした青年だった。隣の青年より少しだけ着崩した服装にボサボサの頭。髪も少し長く伸びてしまっていて襟足を覆っている。
望んでいたものをやっと目にできた。そんな感慨が彼女を支配する。彼らの無事を確認することが彼女の何よりの望みだった−−。