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話せる人  作者: kikuchiyo
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遠山の金さん外伝

息を切らし車を引いた。

 これで少しは人を救うことができる。

 だが根本解決にはならないことは分かっていた。 だからこそあの現場を見て、心しなければと考えていた。

 眼先の付け焼刃と人は言うかも知れない。

 しかし何もせずに屋敷の中で旗本でございとふんぞり返っているよりはるかにましだ。

 旗本八万騎。

 徳川将軍を足下の位置で御守りする役目。

 だが、理屈をこねるようではあるが、民百姓あっての徳川幕府ではなかろうか。

 とにかく人を一人でも救い、徳川の屋台骨を支えていかなければ。 実父のような仕事も当然必要ではあるが、全ては民あってのことだ。 

 河原へ着いた頃、両国の火は殆ど治まっているようだった。 

 「米だ! 米を持ってきた! 誰か粥を炊いてくれる者はおらぬか!」

 

 幾人かの命は救えたであろうが、焼け石に水という言葉が的を得ているのかも知れない

。 旗本の小倅ひとり、躍起になったところで高が知れているというもの。

 3日間、道乃進は河原で過ごした。

 飲まず喰わずで風呂にも入らず、手先や足元は傷だらけ。 あの医者に言われた肩から腕にかけての火傷も、少しだがピリピリと痛んでくる。 今日まで雨が降らなかったのが幸いだが、吹く風は冷たくなってきた。

 十一月ももう半ばだ。

 オミチは火事の次の日には起きて働きだしていた。

 水汲みや薪割りなど、男顔負けの働きをしていた。 身体が良くなっていくのと合わせるように、冗談など言って周りの者を笑わせたりするが、ふと手を止めて火事場を見て、ボーッとしている時がある。

 「また一からだ・・・」

 と悲しげに言っていたことが、道乃進には忘れられない。 残念なことに、オミチと二人で助けたお咲という少女は・・・死んだ。

 「ちょうど良かったんだ・・・ 家族もみんな死んじまってたからね。 あの娘一人生き残ったってどうにもならないから。」

 オミチは変に無感動な、あっさりしたような言い方をした。 逆にその言い方が道乃進には辛く悲しく聞こえていた。

 町人はとにかく強い。

 すごい勢いで火事場を片づけ、簡単ながら長屋などの住む所が造られていく。

 オミチは何日経っても屋敷へ帰らない道乃進を、最初は訝しげに見たものだが、がんばって働くのを見て、少し笑顔を見せてくれるようになっていた。

 それにしてもでかい女だ。 

そして、美人なのだ。 

照れ隠しなのか、口の利き方や立ち居振る舞いにぞんざいなところが見受けられる。 

己の器量の良いところを恥ずかしく思っているのだろうか。 妙な感じがする。

 そして力がべらぼうに強い。

 米や臼など、男でも重くて上がらないものでも、ひょいと簡単に持って行ってしまうのだから驚いてしまう。 立ち向かえば道乃進も負けてしまいそうだ。

 働き者で器量がいい。 料理だって玄人裸足のもんを拵える。 力持ち? これはちと違うかも知れないが、女房にすればいい感じの女ではと思う。 オミチ自身が身体の大きいのを気にし過ぎているのだ。 

 くたくたになるほど働いている時でも、オミチが自分の嫁だったらなどと、妄想をしている。 頭に描いたものが、もし他人に全部見られるとしたら、えらいことになっているなと、道乃進自身恥ずかしくなる。

 あの火事から半月余り過ぎた頃、養父にもらった金を元に、何かの店を出す話をした。

 「そんな・・・御屋敷から貰ってきたお金を使ってなんて・・・」

 オミチは最初そう言った。

 しかし、自分の民に対する想い、これからの武士の在り方、実父とは違う方向で民や世の中のためになりたい自分の気持ち。

そのことに対しての養父の想いなんかを伝え、何をどうしようと具体的な計画があるわけではないが、何かしら武家と民百姓のつり合いを、うまく取れる方法はないかと模索していることは伝わった。

また外国奉行の実父の名はオミチも知っていて、“あの方の・・・”ときた。

瓦版が出回ることで、結構人気があるらしい。 そして話すなか、安い料金で、貧乏人に飯を食わせる店を出すということに行きついた。

 「もちろん商売繁盛が目的じゃないさ。

元は幕府から貰った金。 言わば民百姓から取り上げたようなもんだ。 そいつを返すつもりで、安くてうまいもんをたらふく食べてもらえるような・・・そんな家さ。 払えない連中だって後払いでな。」

 「ほんとに御武家さんでそこまで考えてくださる方がいるとはねぇ・・・」

 この頃には本当にオミチは道乃進を信頼できる人と認識してくれていたようだ。

 一つは、道乃進が無用にオミチに対して男を見せなかったこともあるかも知れない。

 はっきり言えばそれは嘘なのだが。

 あの火事は、道乃進のようなウジウジした男を、少し正義漢にしたようで、オミチを女と見るより、同志のような感覚を持ち、とにかく民百姓にこの矛盾した社会に、解決を見出そうという気持ちを胸に起こさせた。

 心の奥の方には、オミチを女と見ている自分がいる。 オミチが女房だったら、オミチを抱くとどんなだろうとか・・・


 養父から貰った金で、食堂に毛の生えたようなものを造り、貧乏人に喰いもんをふるまった。 たちまち評判になり、客が結構やってくるようになった。

 二本挿した道乃進がいるせいか、あまり横着な客は来ない。 金はないんだが、これでと職人が商売道具を形に置いていったり、食器洗いや巻き割りをやるから食わしてくれと言う輩は結構いた。

 辛いのは親が子供を連れて自分は食べずに子供の分だけ頼んでいる女がいる。 

銭は子供の分しかないからと、自分は食べようとしない。

 オミチは大概親の分を用意してやり、

 「いいから御食べな。 無理しないである時払いでいいんだから。」

 などと言う。

 ばかな道乃進は、うまいこと言って払いを半分浮かそうとしているんじゃねえかと、考えてしまうが、オミチは、

 「大丈夫よ。」 と言う。

 「何でそう思うんだい?」

 聞いても、

 「そう思うからそう思うのさ。」

 話にならない。 不思議なことに、十日もしない内にその客がまた来て、先日の払いと今日の払いときちんと払う。

 「ほらごらん!」

 オミチは得意げに言う。

 店ができてからオミチは店の小上がりに寝泊まりするようになった。 道乃進は河原の御助け小屋か店の物置に寝たりした。

 御助け小屋も町人しかいないので、何か居辛くなり、店で寝ることも多くなった。 けれども・・・オミチとゆっくり過ごす時間があっても、なかなか男女にはならない。

 オミチも道乃進もわかっていて、そういう雰囲気になりそうだとオミチの方から、

 「みっつぁんは御武家様だものね。 いつかは御屋敷へ帰るんだろ・・・」

 道乃進はそう言われると手も足もでない。

 まあ、手も足も出そうとしても、オミチには力で敵わないような気もする。

 それはそれですごく恥ずかしいことだ。

 オミチと一緒の買い出しの返り、小さな三毛猫を見つけた。 大きな袋に食材を入れて

、肩を逆に持ち替えようとした時、足元にまとわりついているのに気付いた。

 「あら、かわいそうに。 随分汚れちまってるねぇ。 この御侍さんが好きか?」

 その時のオミチの顔は今までに見たこともない、明るく可愛い笑顔だった。

 我らに赤子ができたなら、こんな顔であやすのだろうか? まったく自分は愚かなことを考える男だと、道乃進は思う。

 火事からずっと、オミチはよく働いた。

 働きづくめだった。 道乃進はただただ指図通りに従うことしかしなかったが、オミチは何かしら他のことに癒しを求めていたのかも知れない。

 それでこの猫を見て、見たことのない笑顔がでたのだろうか? 

 「なぁオミチよ。」

 「何?」

 「そのなんだ・・・」

 口ごもっていると、

 「あたしもこんなこじんまりした感じで生まれたかったねぇ。 どこ行っても大女で珍しがられてさあ・・・だからおっかさんに煮炊き裁縫はしっかり仕込まれて・・・おとっつぁんなんざ、そんな大きな女は見世物へでも出やがれ! なんて酔っぱらって酷いこと言ってたよ・・・」

 オミチが涙声になったような気がした。

 「みっつぁん、両国も大分元通りになってきたし、うちのめし屋も大分余裕ができたからさ、あんた、たまには一杯飲むかい?」

 吃驚と喜びが道乃進はに降ってきた。

 あの火事以来、道乃進は酒を口にしていなかった。

「いいのか? 悪くないねぇ。」

 間違いはその夜おきた。


 その夜も、店は繁盛した。

 職人が主な客だが、川人足や船頭なんかもたまにいる。 オミチ一人でも身体がでかい分凄みはあるが、女は女。

 まさかの時は道乃進が奥の方から顔を半分出して、

 「おい、どうかしたか?」

 などと言ってやる。 

着物も廃れ、旗本の倅というより、喰いつめ浪人のようにはなっているが、神道無念流

免許皆伝一歩手前まで行ったこの面つきが物を言うのだ。

 何かしら酒の勢いで、からもうとでもしていたとしても、そんな輩はすぐおとなしくなるのである。 女相手にからもうとする奴なんざ、所詮気の弱い連中なのだ。

 ここはもう、安くて美味くて、気のいい店

。 色気はないが、腹はいっぱいと、人気があるのだ。 酒を出せばもめごとも起きやすくはなるが、精一杯働いた職人たちは、やはり夜には一杯やりたがる。

 「みっつぁんがいてくれるんなら・・・」

 と、少し前にオミチは店で酒をだすのを決めた。


 店が引けたころは亥の刻(22時)をとうに過ぎていた。 酔った客に問題がある連中はいないし、このまま時間だけが過ぎていき

、それはほのかな夢なのか、道乃進が望むことなのか。 

 くたびれた身体に酒は効いた。

 「あたいも一杯もらおうかな。」

 オミチが珍しく甘えた声で道乃進のそばに座った。 何かのんびりと、そうしてふっくらとしたような感覚が、部屋の中の二人を包みこんだ。

 人はこのように働き、喰い、たまに酒を飲み。 女房子供を養い、愚痴を言いながらも暮して行く。 

このことはわかっていたが、あえて自分がやっていることを思うと、自分がしたかったことがここにあったと言うか、自分を含めた武家社会への反骨とでもいうか。

何か自分がまっすぐになった気分だ。

 「まったく変わった人だよ、あんたは。」

 オミチがしみじみ言う。

 「おいらのどこが変わってる?」

 「御武家さんだろ? 自分のことおいらって言ったり、頼まれもしないのに貧乏人助けたり。 ほんと、変わってる。」

 オミチが道乃進に杯に注ごうと、とっくりを持った手を伸ばした時、顔と顔が近づいてしまった。 本来なら髪のいい香りしたとでも言いたいが、残念なことに賄いで喰った納豆と酒の匂いがした。

 「ごちそうさん! 帰ってねるわ!」

 客の声がした。

 オミチが声の方へ行く。 道乃進はゴクリと唾を呑んだ。 オミチをそばに感じた途端

、客の声が現実に引き戻したのだ。

 ゆっくりとした動作でオミチが戻ってくる

。 少し不貞腐れた顔に見える。 道乃進の杯を取り、自分で注いでぐいっとやった。

 「御屋敷に帰っちまうんだろ? 気まぐれでこんなことしてんだろ?」

 オミチが絞り出すような声で言った。

 「わからん・・・今は何もわからん・・・ただ・・・眼の前のお前が、いい女だと思ってる。 それだけだ・・・」

 オミチの方から口を合わせてきた。

 そして・・・二人はついにそうなってしまった。


 「あたい、身体も大きいけど、声もでかいだろ?」

 道乃進は思わず笑った。 

オミチはこちらに背中を向けたまま、着物を着て、話をしている。 道乃進はオミチがさっき言った冗談がまだおかしくてクスクス笑っている。

 「男の人って、あれだろう? ショッチュウ・・・その・・・したいって思ってんだろ? だから、吉原とか・・・そういうとこ行くんだろ?」

 オミチの声が鼻声になってきている気がする。 風邪をひいたのか?

 「いや、その・・・男によるだろう。 そういうのが好きなのと、さほどでもないと言うか・・・」

 「あんたはどうなのさ?」

 自分では結構好きな方だと・・・いや、そんなことはない。 ただ、この期に及んで何だが、オミチは町人で道乃進は旗本。

 自分たちができちまってどうなる。

 自分が半端な気持ちでオミチとただただしたいだけなら、自分はもうオミチの首に手をかけていただろう。

 しかしそうならなかった。

 二か月近くの間、同志として闘ってきたこの女を、雑な扱いをしたくない。

 惚れたのか?

 そんなんじゃない。

 いや、惚れたとしたらなぜそうしない?

 偉そうなことを言っても、旗本という身分をきっぱり捨てられない自分がいる。 オミチとの恋を(これが恋ならばだが)成就させるということは、自分が身分を、武士を捨てることになる。 

“いや妾という手がある。”

 ・・・最低だ。

 少し前まで実父への当てつけで、武士を捨てることを考えていたはずが、いざその場に立てば足踏みをする。 武家の良くないやり方で、オミチとのことを成就しようとする。

 道乃進は情けなかった。

 全てオミチに見透かされている気がする。

 オミチの眼がじっと自分の眼を見ている。 今道乃進が言えることは、

 「ここしばらくで、火事場でおめぇにあってから、町の人たちに少しでもと手助けしてきた・・・おいらはちょっと違うと思うんだ

。 その、親に、家というものに、反発して

、世の中・・・その・・・徳川に対して・・・うまく言えねぇな。」

 照れ笑いをした。

 オミチは一瞬道乃進から眼を外し、酒徳利をもて遊んだ。 

 「あんたねぇ・・・」

 そう言って、道乃進に顔を近づけてきたかた思うと、口を重ねてきた。

 オミチはでかいから道乃進の身体が少し押されてしまった。

 座っていた場所より押されて、ずずずっと音を立てる。 二人とも吹いてしまった。

 オミチがもう一度道乃進を見た。

 「女だってね、したいって思う時があるんだよ。 男と違って時と場所と、相手を選んでるだけなのさ・・・」

 そう言うともう一度口を吸ってきた。

 道乃進は火が点いてしまい、オミチの腰と尻に手をまわした。


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