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話せる人  作者: kikuchiyo
3/9

遠山の金さん外伝

河原はまったく地獄だった。 

ただ違うのは、鬼もいないし亡者もいない

。 怪我をした者をちっとは怪我の軽い者が世話をしている。 道乃進はすでに泣きそうになっている。

 左の腕から肩にかけて、何かぴりぴりと痛みがある。 いつの間にか火傷をしていた。

 「あとになっちまうね。 悪いことしてしまったよ。 御内儀様に謝らなくちゃ。」

 オミチが道乃進を見て言う。

 「おいらに妻などおらん!」

 吐き捨てるように言い、オミチを敷物が敷いてある処に座らせた。

 自分が片足片腕をさらしで巻いて、自由が利かない身体で、無理をしてでも何かしようとしている人がいる。 

 少し離れた処には、雨露を凌げるように革張りの布のような大きな風呂敷で、屋根を作ってある。 下は筵敷きだ。

 ないよりはましか。 

蓆や古い布団をしいて、怪我人を寝かせている。 即席に石を組んだ釜戸で粥を炊いているようだ。 

甘い、いい香りがしてきた。 

道乃進も少し腹がへった。 いやそんなこと言っている場合ではない。 

オミチを見た。

 こいつも大分疲れているようだ。 無理もない。

 若い元気な奴らが水汲みをしている。

 一町ほど先の井戸が解放されているそうだ

。 そいつらは変に明るい。

 中に大工や左官の職人がいるらしく、これでお前のところは、また大儲けだな、などとからかわれている。

 「バカ言え、そんなことを思った日にゃ、江戸っ子の名がすたらぁ!」

 家を失い。 呑み喰いもままならない状況で、彼らはとても明るい。

 「慣れっこになってんのさ。 江戸は火事が多いからね。」

 道乃進の驚いた顔を見て取ったのか、オミチは力なく言った。 そして甘えるような疲れたような眼で道乃進を見て、

 「みっつぁん・・・あたいちょいと、横になってもいいかい?」 

 この場の敷物では狭い。

 いろんなことが一遍にありすぎて、オミチ自身もかなりの怪我をしていたことに気が回らなかった。 

 「・・・すまない・・・すぐに・・・」

 雑に敷物が敷いてあるここは、オミチの身体には小さすぎる。

 オミチに肩を貸し、革張り屋根の下へ向かった。 幸い筵の上に少し空きがあった。

 オミチは薄目を開けて少し笑った。

 「すまないね。 御屋敷に帰ればいいものを、付き合わせちまって・・・」

 「何を言う・・・その・・・お前の脚をもう一度見たかったんだ。」

 元気づけようと言った冗談だったが、オミチに聞こえているのかいないのか。

 やはり大きいから重い。

 医者が廻っている。 

 町医者であろう。 剃髪にところどころ擦れのある作務衣を着ている。

みんなの脈や眼、傷の具合などを見ている

。 偏屈そうではあるが、きれいな眼をしている。 

道乃進の風体を見て、武家と解したらしく

、怪訝そうな顔を一瞬したが、つかの間だった。 オミチの脈を取ってくれ、眼、怪我をしている腰のあたりを診て、

 「折れてはおらんな。 打撲だ。 少し休ませれば大丈夫だ。 後で弟子に湿布薬を持ってこさせる。 それらしい奴が来たら、もらってくれ。 うん?」

 道乃進の火傷に気付いた医者。 そのことに気付いた道乃進が、

 「おいらは大丈夫です。 他の人たちを・・・」

 道乃進が一、二歩後ずさると医者は無表情のまま、別の怪我人のところへ行った。

 やがて湿布薬が届いた。 怪我は腰の辺りだし、さすがに道乃進も遠慮をし、世話をやいているおばちゃんに声をかけ、湿布を張ってもらった。

 やがて粥が回され始めた。

 道乃進も腹は減っていたが、元気な分、そんなことは言っていられない。 これくらいなら自分にもできるとばかり、身体の起こせない奴らを助けたり、手足が利かなくなっている奴らに粥を匙で喰わせたりした。

 だが、粥の量が少な過ぎる。

 古びた木の椀にほんの少ししかない。

 ひととおり終わったら、自分もお零れに預かるかなんてとんでもない。

 石を積み上げ、即席で作った釜戸の方を見ると、そこをやってる連中が手持無沙汰になっている。

 道乃進はそこへ駆けて行き、

 「どうした? くたびれたのならおいらが替わってやる。 火くらいおこせるぞ。」

 元気づけるように言ったつもりだが、そこにいた職人風体の男たちはしらっとして、

 「米がねぇんですよ、旦那・・・」

 “おいらは役に立たんな”

 ほとほと厭になる。 

自分の身体を投げ打ってでも、子供を助けようとした大きな女。 

 金にならないであろうやっかいで大勢の患者を不機嫌そうな顔をして診ている医者。

 あの人たちだけではない。

 ここにいる人たち皆、少しでも身体が動けば、自分より辛い目に合っている人を何とかしようとする。 お互い様と笑いあう。

 何てことだ。 

道乃進の思う武士階級のくずどもは、何よりも上の顔色を伺い、我が家の最上級の出世を願う。 そんなことばかりで時を過ごした徳川には、くだらん人材しかいなくなってしまったのだ。

 ゆえに実父のように、多少切れる人物が現れ、それが何かの功績をあげれば、ばかみたいにひれ伏す。

 己の裁量のみでやってのけた仕事であったとしても、

 「これも上様あっての我ら・・・」

 などとぬかしているのであろう。

 今、必要な物。 官僚の浅はかな知恵や行動など、何の役にも立たない。

 米・・・米・・・今いるものは米だ。

 自分にも少しは役に立つことができるかも知れぬ。 川風が道乃進の頬を撫でた。

 「待っていてくれ。 米なら少しくらい何とかできる!」

 職人風体の男たちは、この御侍何を言ってんだ? みたいな顔をしていたが、道乃進は走り出した。 オミチが横になったままの姿がちらりと見えた。 

 「腹いっぱいとまではいかないかも知れないが、もう少しは食わせてやるから・・・」

 道乃進は走った。

 火事はほぼ鎮火したらしく、両国のあたりは落ち着き始めているようだ。 災いを免れた人たちは、後片付けに追われている。

 口ぐちに、

 「今度は運が良かった。」

 「これくらいなら、常に戻るのにさほどもかからないよ。」

 などと言い合っている。

 河原へ逃げた人たちの所と別のところを通っているのだ。 それは旗本屋敷の群れに通じている道なのである。


 屋敷は静かなものだ。

 河原での喧騒とは別の世界であり、その静けさが一層道乃進をいらだたせた。

 裏の勝手から入り真っすく米蔵へ向かう。

 途中、下女に会い。

 「あら・・・若様・・・」

 などと声を掛けられるが、返事もせず。

 蔵を開け、大八車に米を二表乗せたところで、御用人の森川信が飛んできた。

 「若様、いきなり帰ってきて何をなさっておいでです!」

 道乃進は子供の頃からこのじいやが大好きであり苦手ででもある。 それはこの人が自分に対して愛情を持って接してくれたことの現れでもある。

 「若様、今日という今日は・・・訳を御話しくだされ!」

 道乃進が口を開こうとした瞬間、養父影好が現れた。

 「好きにさせてやれ、これのこと故筋の通った故あってのことじゃ。」

 道乃進の腕を掴んでいたじいの力が緩んだ

。 道乃進は腕をほどき、養父の前に出て一礼した。

 「父上、忝のうございます。」

 この養父は実父と違い、自分をこの上なく信頼している。 そして子供の頃から実の子のようにかわいがってくれた。

 実父は未だ自分のやることなすことに、計算高いイチャモンをつけてくる。

 先月、実父は長崎奉行に御出世あそばしたとかで、在宅でないことを知っていて、道乃進はこの強硬に及んだ。

 「先ほど来の騒ぎ、両国辺りに火事があったと聞いた。 そのことに関することで米がいるのか?」

 「御察しの通り・・・」

 養父は道乃進の先の先を知っている。

 森川爺が大八車の周りをあちこち触っているのが眼の端に映る。

 「御助け米と言うわけか・・・役所からの米では足らぬのか?」

 「とても足りません。 焼け出され、腹を空かした者が大勢苦しんでおります。」

 「若様!」

 じいの森川は渋面の極みだ。

 「だが道乃進、かようなことは切がないとも言える。 今後どのようにするか、考えておるか?」

 「はい、彼らの・・・彼らの苦渋を眼の当りにし、生産製造をする民と、政りごとに関わる我ら武家との関係を、今一度見つめ直してまいろうと思います。」

 自分で自分の言葉に驚いた。

 実父の人となりや、市井の人々の貧しい暮らしぶり、幕府上層部の無能ぶり、贅沢ぶり

。 そして異国の外圧。

 実父はその能力を生かし、称賛されてはいるが、果たしてこれで良いのか?

 養父を含めた家族のことや何やかや、まとまり切らない事どもが、養父景好の前で純粋にすんなり、自分が思うことが言えたのだ。

 そうだ。 今自分が言った通りだ。

 民百姓がこれほど貧窮し、武士階級に能力がないとすれば、外圧に対し、守ることも退くこともできぬ。

 今や煮つまっているのだ。 

織田、豊臣、徳川と、その時代になかったものが、この国に押し寄せ、滅ぼそうとしている。

 それは外からと、内からと両方なのだ。

 「思ったようにやってみるがよい!」

 養父の言葉で我に返った。

 「だが米だけでは心持たないであろう。 少しだが持って行け。」

 養父は小判を2枚、道乃進に差し出した。

 胸の内が熱くなり、顔面いっぱいまで熱さがせり上がるようだった。 言葉が出てこないまま、養父の眼を見た。

 養父は包み込むような大きな眼で自分を見ている。 言葉が出ない。

 小判ごと父の手を握り、頭を下げた。


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