第七話 寄り添う者
夏バテはしとらんかね?
木漏れ日の挿しこむ森の一角、静寂を切り裂く剣閃が舞い踊る。
ルヴナクヒエ・サリエン。前時代の遺物ともいえる剣術の使い手。
魔法を至高とし、魔術の研鑽が尊ばれる人間社会において稀有な存在である。自身に魔術の素養も、それを習熟する機会にも恵まれないことを悟り、父に剣で戦う術を教わってからは、幼少の頃より一日たりとも稽古を怠ったことはない。それは日を追うごとに激しさを増し、戦いにおいて彼に並ぶ者は村に存在しなくなった。
この日も例に漏れず、一人黙々と稽古に励んでいた。稽古が一段落し、少し休憩をとると胃の容量が寂しいことに気づかされる。稽古を再開するのは食事をした後にしようと決め、友人が食事を運んでくるのを待つことにした。木陰で汗が引いていくのを感じながら、何気なく周りに目をやると、視界の端に白骨化した遺体が映る。見た目は不気味だが、村の守り神である。血肉を失った現在でも、館に近づく者を睨みつけるように門の横で座し続けている。ルヴナクヒエも死してなお自分の責を全うしようとする、その姿は理解できるし、自身もそうありたいと畏敬の念を持っていた。
昨日、妙な来客があったせいか珍しく物思いにふけっていると、誰か一人近付いてくる気配を感じた。約束には少し早いが、友人が気を利かせて早く来てくれたのだろう。顔の汗を拭い、気配のする方向に目を向けるとそこには友人の姿が――
「いっ……!?」
一人ではなかった。ジルナートの傍らには昨日会った少女が連れ立っていた。そして、なにより少女の姿は――
「おい、ガキ、その服は……!! ……いや、そうか。今はうちに寄ってるんだったな。……そうだな。悪かったな、少し驚いちまった」
「ルヴ、どうやらおばさんも随分と気に入ったみたいだよ。村のみんなも少し会っただけなのに、おとなしくていい子だってさ」
「俺も別に嫌ってねーよ……。ただ、まあ同じ家にいるわけだし、邪険にはしないようにするさ」
「素直じゃないね。さ、僕もお腹が空いてるんだ食事にしよう。腹ペコなのに食べ物を抱えながら、ここまで歩いてきた僕の身にもなって欲しいね」
「ありがてえありがてえ、世界一の友人を持って俺は世界一の幸せ者だよ。さ、早くよこしな。少なくとも俺の方が間違いなく腹減ってるからな」
「まあ、君の分を持ってきたのは僕じゃないんだけど」
「あ? じゃあ……」
二人の視線が向かった先で、話に入れず呆けていた少女はハッとしたように、渡された荷物から慌てて弁当を取り出し、両の手をめいっぱい伸ばして目つきの悪い男に差し出す。
「あ、ああ、すまねえなガキんちょ」
伏し目がちな少女は弱々しく感じるほどにおとなしい。先程、気配を感じとれなかったのも無理はない。しかし、なんというか、記憶が無いとは聞いているが、印象としては貴族の箱入り娘といった感じで、どう対応していいのか分からず、どうにも調子が狂う。
「なあ、こいつ本当に鬼なのか? なんというか、すげー育ち良さそうに感じるんだが」
「君もそう思うかい?! そうなんだよ! 霊格が高いというか、何か神秘的なものを感じるんだ!」
「お、おう、そうだな。そう…なのかな?」
何気なく思ったことを口にしただけなのだが、友人にとっては重大な疑念だったらしい。普段とは違う熱の入った言葉の波に気圧され、思わず自分が発してはいけない言葉を口に出したような錯覚に陥る。まったく、頭のいい奴が考えることはよく分からん。
「な、なあ、ガキんちょよ。なんか覚えてることとかねーのか? お前が鬼なのかどうかも分かんねーし、どう扱っていいのか分からん。それに、お前がやべー奴から逃げてきたってんなら、それなりの用意しとかないと村も危ないかもしれないしな」
「え? あ、え? いや、いやあ……」
どうでしょうなあ? いやはや。急に話しかけられて焦ったのもあるが、村人たちの間で妙なストーリーが作られているらしいことに驚かされる。村に入り込む手段として記憶喪失という設定を利用したわけだが、なるほど、このような危険性もあるのだな。不用意な発言は出来んし、「大丈夫ですよ」 なんて言えんわな。村人にはいらん手間をかけさせることになりそうで、真に心苦しいことではあるが黙っているしかあるまい。本当にすんまへんな。
「やめとこうルヴ。思い出したらきっと自分から話してくれるよ。それに、思い出したくないことや話したくないこともあると思うし。君も話したいことだけ話してくれればいいからね」
「あ、あい」
「……思い出したくないことか。そうだな。俺も無理強いするつもりはねえ。だが、村のために必要だと思うことなら、どんどん話してくれ。それから、無理に思い出そうとしなくてもいい。思い出探しにうろちょろされると危なっかしくて仕方ねえからな。森を歩く時は俺の目が届く範囲にしろ。いいな?」
「あい……」
これさ、思ったんだけど、村には入れたけど、村から出ることが出来なくなったんじゃないか? 最終的な目標として館の修繕があり、そのために人材や知識をを集めねばならんわけだ。しかし、この村が外部との交流を断っていたら、もはや我が計画は詰みかもしれん。長大な寿命があるわけだから、いくらでも巻き返しはできるのだろうけど、そこは気力がね。もう湧かないよね。
少し気が重くなりつつ、このまま話を聞いていては段々と不便な立場になりそうなので、ここに来た本来の目的を果たすことにした。こういった判断力がある限り、まだまだ活路を切り開くことはできるだろう。
少女が桶の水に浸した手拭いを取り出す。その姿を見て、男二人もまた本来の目的を思い出し、手に持った包みを開いて自身の欲求解消に努める。
包みの中は、干し肉とクリモリ村特性のサンドウィッチであった。サリエン邸自慢の竈で焼き上げたパンを薄く切り、片面にバターを塗って、チーズと塩漬けのレモンをのせ、それを同じく片面にバターを塗った薄切りのパンで挟み込んだ一品。材料はいずれも保存のために塩が多量に使われ塩辛いのだが、体を動かす労働者には概ね好評である。ちなみに、パンは焼き上げてから時間が経つと大変固くなるため、そういったパンはスープの湯気に当てたり、浸したり、そのまま具材として入れるのが一般的。弁当として持っていく時は事前に薄く切ってサンドウィッチにするのが好ましい。そうでない場合は、一応そのまま食べることもできるのだが、千切るではなく、捻り割るという表現の正しいパンは万人が喜ぶものではないので、水でふやかしながら食べるという方法もとられる。
幸いにも、今朝焼き上げたばかりのパンで作られたサンドウィッチは、心地よい弾力に加えて、練り込まれた小麦の香りを失うことなく、舌と鼻腔両方の器官に満足感を提供してくれる。手の平ほどのサイズで4切れあるサンドウィッチは、小食のジルナートには十分な量だが、ルヴナクヒエには物足りない量である。そのため、一切れ融通してもらうのが昼食時に毎度行われる暗黙の了解となっていた。ただし、シャヴィ・サリエン氏の眼前でそのような不正を行えば、翌日の食事にまで尾を引く吊し上げをくらうため、昼食時に弁当を食べる際のみの約束事である。
食事を行う男二人の傍ら、既に食事を終えている少女は、慌ただしさで十分に出来ていなかった家臣への挨拶を済ます。その姿は見事な白骨と化している。緑に満ちた周囲の光景と不釣り合いな白は、不思議な神聖さを発し、この地の守護者たることを理解させる。
彼が命尽きるまでここに留まったという事実は、父様と母様が如何に偉大であったか、その証左と言えるだろう。そんな忠義の者に帰還するよう連絡していなかったのは、悔やんでも悔やみきれない失態である。
しかしながら、その姿を見て、ふと思うこともある。
たとえ伝えていても帰らず、ここに留まっていたのではないか?
父様と母様が死んだことを知らぬ訳がないのだから。
館には私しかいないことを知らぬ訳がないのだから。
腹ごしらえを済ました男二人は、暫し森の空気を吸いながら食後の余韻を楽しんでいた。胃を膨らましてすぐに動く気にはなれないので、何気ない会話をして時を過ごすのが昼食後の常となっている。この日の会話は、当然ながら不思議な少女に関してである。
「随分と熱心だな」
「そうだね。村の中でもオホネ様について知らない人が増えてきていることを考えると、不思議な感じがするね。僕も昨日教えてもらうまで詳しくは知らなかったし、まったく頭が下がる思いだよ」
「あん? お前知らなかったのか? 村長の息子なのに少し勉強不足だったんじゃないのかね、ジルナート君?」
「……反省してるよ。ただ、教えてもらってないことは知らないし、重要なことかも判断できないよ。それに、君と違って小さいころから森に入らないように言われて育ったからね」
門兵の体を拭きながら、少女は会話する男二人をチラチラと目に入れる。
も、揉めているのか!?
悲しいことではあるが、他者と交流する経験が極度に乏しい少女には、親しい間柄で交わされる会話の荒さや雑さを理解できない。ただひたすらに状況が悪くならないよう祈りながら自身の業務に徹していた。
「なあ、それくらいでいいんじゃねえか?」
……。
「熱心なのはいいが、そのうち擦り減って無くなっちまうぞ」
「う゛ぃっ!? え、あ、え、いや、そ、そそそ、その、とおぅひ、り、です……」
わ、私に話しかけたのか、お、驚かせやがって……。揉め事は解決したのか? こちらとしても、これ以上拭く必要はないと結構前から考えてはいたのだ。そちらの問題に巻き込まれても、差し伸べる手を持たないので、目立たぬよう振舞っていたにすぎない。まあ、事態が好転したというのならば素直に受け入れ、私もすべきことをするとしよう。次は、えぇと、鎌で雑草を刈って、……花も探さなくてはいかんのだったな。
「お、おう。なんか驚かせちまったみてえだな。雑草も大して生えてねえし、っていうか、水車んとこの婆さんが朝来て花も添えてったから、オホネ様はもう十分だろ」
先言えや。
「で、どうすんだ? 用が済んだなら俺が送っていった方がいいのか? 俺は見回りがてらここで剣振ってたんだが、門が倒れてる以外は変わったことねえし、ここに留まる理由もねえ」
「やっぱり変わったことは見当たらなかったのかい? だったら、本当にどこから入ってきたんだろう。柵も壊れてなかったんだろ?」
視線を感じる。知っているぞ。これは疑念だ。懐疑の念が宿る眼だ!
顔を強張らせ、冷や汗を流し、眼球を動かさないようにしながら、視界の端にある倒れた門扉を見つめる。なるほど、難しい問題だ。突如として侵入者が現れた。だが、侵入ルートは見つからず、目の前にある館の門扉が倒れていた。
これ、答え出てない? 何故分からんかね。
「柵には少し隙間があるし、大きさが均一ってわけでもねえ。ガキってのは思いもよらねえ狭い場所も通れたりするもんだ。場所によっては補修しといたほうがいいかもな」
「そういうものなのかな? 本当は空とか飛べたりしてね」
ドキリ、とするが、待て、それは想像の飛躍だな。瓢箪から駒である。間違ってるけど正解や。
「本の読みすぎだろ。ありえねえって。今度、そこの門扉も倒れたままってわけにもいかねえし、起こすついでに、柵も補修しとこうぜ」
「そうだね。館はそっとしとくように言われてるけど、門扉くらいはね」
これが先入観というやつだな。思い込みの悪魔である。
なんにせよ助かる。館の主であることがばれると色々と面倒を抱えそうだからな。まあ、まさか3000年以上前から住人がいて、一度も門の外に出てこなかったとは思うまいて。真実に辿り着かぬのも無理からぬ話であるな。
「それで、どうするんだい?」
「……あ、え?」
背中に悪寒が急速に広まり、心臓が不規則な脈動を繰り成す。……なにがだ?
まさか、まさか、シャカウエ ( 釈迦の手の上で踊る ) か!?
観察していたのは私ではなく、人間達の方であったか……!?
「もう用事が済んだのなら、帰らないかい? おばさんも心配しているだろうし、ここに連れてくるとしか伝えてないから、あまり寄り道してると怒られちゃうよ」
あぁ、なんだそれだけか。曖昧な言葉で尋ねられても困るのだがね。
少女は問いかけに首を縦に一度振り、帰路に就くことにした。他にすることもなかったし、目の前の人間がそれを望んでいるように感じたから。
帰路の途中、妙な男たちに出会った。
「……駄目だ、やっぱり駄目だ駄目だ!」
「そんなこと言わずによ、一回勇気出してみろって。な?」
「無理だよう……」
男たちは何かを話し合っている。片方の男は随分と気が弱そうだ。
「あのー、どうしたんですか?」
「お、ジル坊に嬢ちゃん、食堂の息子さんまでいらっしゃるじゃねえか!」
「や、やあ、お嬢ちゃん。昨日は畑で助かったよ」
「あ、あい、ど、どういた、いたし、まして」
「で、何を騒いでたんだ?」
「実はよ、みんなビルさんがあんたんとこのお袋さんにホの字なのは知ってんだろ? それで一度酒飲まずに会ってみろって前々から言ってんだよ」
「ちょ、ちょっと! 他に人がいるときにやめてくれよ! そ、それに素面で会うなんてやっぱり無理だよ!」
……ビル? なんか聞いたことあるぞ。
「やっぱり、おばさんはモテモテだねルヴ」
「うるせえ、俺の知ったこっちゃねえよ。俺が聞いてもどう反応していいか困るだろうが」
「ハハ、すまねえな。だがビルさんにとっちゃ至上命題なんだよ。今日も家に寄らせてもらうぜ」
「ご、ごめんよ。お、俺はあのお顔を見るだけで一日の疲れが吹き飛んじまうんだ」
「そんなこと言って、酒飲んだら何にも覚えてねーじゃねえか」
「だ、だけどよう、やっぱり無理だ! 素面じゃ顔を合わせらんねえ!」
「ハハハ、まあ、長え付き合いだ。なんか粗相しても、またフォローしてやるよ」
「いつもすまねえな……」
そうか、こいつ昨日の酔っぱらいか……。
人間とは不思議である。このビルという男だけでなく、ルヴナクヒエもそうだが、第一印象はそれほど良くなかった。しかし、少し話を聞いてみると、なんとなく憎めない存在に思える。別に人間だからとか、特別にというわけではないのかもしれない。だが、自分の空虚な記憶に注がれたそれは、特別な不思議ということにしておきたかった。
騒がしい男たちを残し、少女の一行は再び帰路に就く。
若い男二人は呆れながら。悪魔の少女は自然と笑みを浮かべながら。
お疲れさまでした。
ルビは面倒臭いから振ってないけど、それはごめんなの。