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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第五十七話 磨硝子

 いらっしゃい。


 毎日コツコツ書いた。絵もちょっとずつ描いた。でも時間はかかる。感覚としては悪くないので、これを継続して調子を上げていきたいな。これ前書きの使い方あってんのやろか?

 無知とは、恐怖である。迫りくる認知のさざ波は、怠りという己の罪科を露にし、不安の楔を打たれた体を羞恥の炎が罰する。

 恐怖から身を守るためには、知らねばならぬ。新しきを知らねばならぬ。であるからして、本を読む。本を読む。本を読んだ。

 分かっているとも。知っているとも。それでは十分じゃない。客観的な情報は重要である。だが,知というものには段階がある。私には、欠けているのだ。験が。知覚し、体験し、経験するという段階の後二つが。


 成長とは、己の無知を晒し、乗り越えること。

 恐怖とは、知ることそのものに違いなかった。


「…………る……ぎ、る……」

「ん、どうした?」

「ひ、人が、お、お多す、ぎる……」


 ここはネフレスクの中心部。鬼の国一の盛り場。これに祭りが重なれば、森奥深くの隠れ里とは比較にならぬ賑わいを見せていた。


「人、というか鬼だけどな。ま、俺も人混みは好きじゃねえ。こういう時は気に入らない奴見つけてガン飛ばせ。向こうが目え反らしたら勝ち、突っかかってきたら遊べる」

「……そ、それは、有り方、というか、い、生きか、方がだ、駄目なき、きき気が……」

「……うるせえ。俺にガンを飛ばすんじゃねえ」


 鬼達の視線が牛車に乗せられたクリモリ村一行に注がれる。石畳で整備された街道の脇を埋め尽くさんばかりに鬼が立ち並び、湧き上がる歓声には喜色が混じる。竜と対峙した少女の噂がどれだけ盛りに盛られたかをありありと伝えていた。


「すまねえな、オーク山でのことは秘密にしてたんだが、連れてった奴らが尾ひれをつけて酒の肴にしちまったらしい。お陰で領主の嬢ちゃんはこっちじゃ古今無双の偉丈夫ってことになってる。小さい女の子だって伝えたはずなんだがよ……」

「ええ……」

「お前が気い張ったのは事実だ。これも平常心を保つ修行だと思っとけ。それにしてもエイゼックさんよ、この祭りはあん時の事を祝うためじゃなかったか? 何で秘密に?」

「……ままま、いいじゃねえか。うちの体裁というか、歴史というか、色々あんだよ。それより見ろ、前方に見えるのが祭りのメーン会場だ!」


 視線を前に戻すと、遠方に巨大な建造物が目に映る。街道の遥か先を立ち塞ぐ石造りのそれは、遠目には岩塊のようであったが、僅かに確認できる彫刻の施された外装が、高度な文明による人為的活動の極地であることを理解させた。


「お、ぉお~、そ、そそ壮観!」

「お前見えんのか? 俺の目には建物か岩石かも判別できねーんだが」

「ウハハハ、紹介にはちと遠かったな。あれはネフレスク中の豪傑が憧れる華の舞台、王立中央闘技場だ!」

「王立? 鬼の国にも王はいんのか?」

「ん? いや、昔はいたらしくてな、そん時に造られた闘技場だから、呼び方が残ったままなんだよ。それより、ほら、闘技場だぞ? わくわくするだろ? 男ならよ? 女でもさ?」

「ほーん……、王様も殴り合いが好きだったんかね」

「おうよ! ったりめえだろ! 角有りに生まれたなら女だろうと成人前に殴り合いの十や二十は済ますもんだぜ!」

「……そりゃ、祭りも楽しくなりそうだな」


 ルヴナクヒエは目を輝かせるエイゼックの様子に呆れて笑う。ただ、自身もそういった事が嫌いではない性質であることを知るだけに、その笑いは自嘲気味であった。


「ネフレスクには五つの闘技場がある。東西南北四つの地区とこの中央。今から行く中央闘技場は、他四つの闘技場で優秀な成績を収めた者と、特別に実力を認められた者だけが参加する資格を与えられる。それは素晴らしい神聖な場所であり、中央闘技場が開かれるということは、これ最早国事と言って差し支えないわけですよ!」

「なんで喋りが丁寧になってんだよ」

「興奮してんだよ、俺は!! お前も参加したくなったら言えよ?!」

「言わねーよ」


 騒がしい場所があまり好きではない男。祭りに期待などしていなかった。だが、言葉とは裏腹に落ち着かぬ体は、己が存外楽しみにしていることを表していた。




 後続牛車にて。


「…………おかしい、おかしいわ。有り得ない。有り得ないわよ、こんなの」

「……ですねえ……。お嬢様の言う通り、おかしいです……」

「何がおかしいのよ? 笑い事じゃないわよ。悔しくないの?」

「……悔しいです」


 かつて不倶戴天の敵と信じて育った鬼達の国を、煌びやかな装飾をあつらえた牛車で迎えられている。しかも、明らかに生まれ育った土地より技術的に優れると見て取れる、石造りながら高さのある重厚な家屋が立ち並ぶ。


「どうやって建てているのかしら。石畳もそうだけど、わざわざここまで切り出した石を運ぶ?」

「年季の入った家もあるようですから、どうも石で造るのがここの伝統のようです。それにしても、古くなっても家の高さがどれも揃ってる。石の重みに耐える土台作りまでしっかりとした技術が見て取れます」

「でも、似たような形しかないようね」

「そういう決まりなのか、様式なのか、恐らくは遥か昔から家屋はああいった形態なのでしょう」

「衣服も私達と大差ないようだし、凶暴で規律の無い、奔放な蛮族っていうイメージは、捨ててあげなきゃいけないみたいね」


 普段から吊り上がり気味の眉に加え、眉間に皴の寄ったイミーニアの表情は険しい。城の中で生の大半を過ごしてきた少女にとって、築かれた常識の砦が瓦解してゆくのは、まるで自分の両親が否定されているような耐えがたさが伴った。

 平静を装ってこそいたが、その内心はささくれ立ち、まとまりのつかぬ激情に駆られていた。そして、その情念が喉の痛みに変わらぬよう、今は冷静にならぬと努めていた。


「おい、メヒヤー、またゴロゴロゴロゴロ、流石に飽きてきたんだけど。着いたんじゃねーの?」

「あ、マーニャさん、起きてたんすか。その能天気さ、助かります」

「おう? まあ、いい天気だよな。最近雨とか寒いの苦手なんだよ」

「後ろの袋に干し肉とか入ってるんで、口寂しかったらしがんでください。胃に何か入れたほうが温まりますから」

「それじゃ、私も少し貰おうかしら」

「え、お嬢様が?!」

「はしたないと思う? 今はそうしていた方がなんだか気が紛れそうだわ」

「そ、そうでございますか、は、ははは、そういう気分の時も有りますわな、はは……」


 少女の癇癪がいつ降りかかるのかと身構えていただけに、妙に穏やかな応対は調子が狂う。


「……」

「あれ、どうしたマーニャさん? 何で袋抱えてんの?」

「す、すまねえ、でこのアネキ……」

「で、でこ?!」

「まーまあまあ、まあ! ど、どうしたのかな、マーニャさん?」

「マーニャの、マーニャの手癖が悪いばっかりに……この様だ……」


 マーニャが俯き気味に手に持った布袋を振ると、ひらひらと厚みなく風に揺れた。袋の口からは僅かに干し肉のカスや埃がはらはらとこぼれるのみである。


「育ち……盛りだねえ……」

「私、そこまで食べたかった訳じゃないから。おでこも大して広くないから」

「すまねえ……すまねえ……」


 顔を伏せ、垂れた青髪の隙間からは、ぽたぽたと落ちる大粒の涙と、干し肉のカスを拾っては口に運ぶ忙しない手の昇降運動が見える。


 元人魚。人間情緒に慣れるは難しく。無礼無作法許されよ。


 人間とさして変わらぬ鬼の生活に、鬼よりも奔放な人魚。共通するのは、どちらも何故か人間味が感じられることか。

 周りを睨んでいても悩みの答えは出そうにない。今は何も考えず、ただ有るがままを見つめていよう。


 イミーニアは牛車の小窓に顔を寄せ、幼き日々に見た姿と変わらぬ空を眺めた。


 とりあえず、お腹が空いたなあ。


 その思いだけは、はっきりとしていた。




「出発してから結構経ちましたし、そろそろ着いたかもしれませんね」

「そうか」

「アルメトラさんはオークさん達の山に一度戻ってから、向こうで合流するみたいですよ」

「……そうか」

「もっと早く伝えられれば、お祭りを一緒に」

「いや、構わん。私には使命がある。気遣いには感謝する、名も知らぬ少年よ」

「……ジルナート青年です、アルカハクさん」


 クリモリ村の広場で仁王立ちしている鉄兜の男、アルカハク。今日は割と暖かくなったので、外套を脱ぎ去り、割と半裸であった。


「それにしても、最近ビスカントさんはどうしてるんですか? 全然来なくなっちゃいましたけど」

「使命だ。多分」

「忙しいんですか。都合がつけばお願いしたいこともあったんですけど」

「……ビスカントは便利だが、教会に仕える者として優先すべきことがある」

「ですけど、アルメトラさんも残念そうに――」

「やはり、道具には使い道があってこそかもしれん。使い潰されるのも本望であろう」


 お土産のお酒が来なくて。そう続くはずだった言葉を飲み込み、ジルナートは目の前の半裸男を観察する。正直すぎて腹の内が見えぬ男ではあるが、妹の話になると言葉にも心の揺らぎが反映されるらしい。


 何故、村へ?


 ジルナートは、ただ一点求める答えを探る。

 領主不在。ルヴナクヒエもバランもいない。そして、何故かファルプニも見当たらない。警戒を解くには重なり過ぎている。この半年姿を見せなかった男が、何故こんな時に?


 妹がいない日を選んだ?

 妹に見せたくないことを――


 いや、発想の飛躍か。危険な考えを持っているなら、こんな人目につく場所で堂々と半裸の仁王立ちは流石にない。いや、別の意味で危険な感じはするのだけれども、人道ではなく風紀の範疇ではある。

 ともかく、ここへ来た真意を知らねば。彼には一度決めたら必ずやり遂げるという意志の強さを感じる。目的如何によってはだが、下手すると何日何十日と半裸の仁王立ちを続けられかねない。

 まずい。それはまずい。今はまだいいが、よろしくない。ネフレスクから急な来客があったら、門を開いた瞬間、屈強な鉄兜半裸のまごうことなき変質者スタイルがこんにちはしてしまう。

 村の沽券に拘わる。村長代理に就任して早々、よく分からない岐路に立たされている気がする。

 彼は強い。大丈夫だろうか。仮に目的を聞き出して、要半裸仁王立ちとなったら、話はそれで終わりだ。彼の鉄の遺志は動くまい。


 今日は何故かいつもより広場の人通りが多い。主に女性が。

 皆熱病に罹ったのか、一様に顔を赤くしている。

 村にはヴァンデルという同じ屈強な半裸が闊歩しているはずだが、むさい、毛深い、というのは実に受けが悪いらしい。尤も、重要なのは顔の良さであり、普段は隠しているというのがそそるポイントなのだという。


 不憫だ。流行り病は初動が肝心。体を小さくして広場の隅を歩く男達の為にも、村長代理として、せめて屋内での仁王立ちに移行するよう説得せねばならない。


 ジルナートは意を決し、本題を切り出すことにした。下心で浮ついた女たちと違い、男は不動心である。正面からぶつかるしかないのだ。


「あの……、それで、今日はどういった御用件で……?」

「頼まれた」

「何を、ですか?」

「留守の間頼むと」


 悪気はないのだろう。彼は正直に答えている。聞かれたことを正直に。求められている情報量と回答に明らかな開きがあるだけで、誠意自体はあるのだ。


「……ええと、ここの警備してくれるってことですか? 有難うございます。それで、あの、どなたから頼まれたのでしょうか?」

「我が想い人だ」

「……えっと、どなたから……」

「頼まれた。留守の間を。我が想い人から」

「想い人……」

「そうだ」


 なんで、ここで、言葉に、遊び心を、出すんだろう? 会話が、出来ないのかな?


 クリモリ村の村長代理ジルナート・カレフ。優男ながら万事器用にこなす頭の良さも併せ持つが、この日は、会話という人間的文化活動の初歩において、大きなつまずきを覚えていた。




「どういう風の吹き回しだ?」


 暗闇に包まれた部屋に無機質な男の声が響く。


「こちらは相変わらずのようですね。油の節約ですか? 物も少なくなっているようですが」


 長身の影がつかつかと、投げられた声の方へ歩み寄る。


「……お前が戻ってくるというなら歓迎する。こちらもようやく目処がついたところだ」

「生憎、私、お使いすべき慈母との巡り会わせがありまして、このような場所でカビの生えた生活を送る気は、今のところございません」

「ただ嫌味を言いに来たわけではあるまい。その慈母を放り出して、何用で戻った?」

「そうですねえ、根回し、でしょうか。先にご挨拶しておいた方が後々の為かと思いまして」

「……近くに、住んでいるのか? ファルプニ」

「おや、気になりますか獄炎雷王さ――」

「やめろ!」


 闇の中、二つの眼光が鋭く光る。


「グラウフォルト、だ。あの名は私も気の進むものではなかった。当時の流行りというものがあって、目立たぬように仕方なく周りに合わせた結果、何故か私だけ殊更目立ってしまった。病んだ時代の歯車が私の体を巻き込んだのだ。それだけだというのに、いつまでもこのような憂き目にあう謂れはないはずだ。そうは思わんか?」

「そうやって、さも悲愴な出来事の様に反応するから、面白がられてしまうのでしょうね。皆さん笑い話にするか素知らぬ顔をするかで、すぐ忘れられてしまいましたよ?」

「あの時代の荒波にもまれていない世代だから、簡単に言えるのだ。皆、道化を演じるか、忘れたふりをして傷の痛みを見せぬようにしているのだ。恰好良すぎる名前をつけなかった私に感謝してほしいものだな」

「私はもっと小さそうな可愛らしい名前が良かったですが。プニプニとか」

「……話題を間違えたな。それで、今はこの近くなのか?」

「ええ、西の森の中に人間の村がありまして、少し前からお世話になっております」

「人間の村……だと?」


 ファルプニの答えに、グラウフォルトは頬杖をつき、深く溜息を吐いた。

 続けて、右の掌中から火球を浮かべ、暗闇に包まれていた部屋を照らす。広々とした部屋には二つの椅子と小さな机一つのみ。腰掛けたグラウフォルトの眉間にはしわが寄り、下がった眉の下には濃い影が溜まっている。影の中で光る細く切れ長な目は、私は実に不満であると主張せんばかりである。


「こんなみすぼらしい部屋で芝居がかった振る舞いをされましても、なにやら悲しくなってしまいますね」

「悲しいのだ。突然消えたかと思えば、よりにもよって人間などと……」

「悪魔の矜持に人間を嫌えなどというものはありませんよ。お気持ちはお察し致しますがね」

「…………二度だ。人間にう。は二度裏切られた」

「おや、戦争の時以外にも。二度目は初耳ですね」

「一度目だ。思えば、あの時見限っていればよかった。人間と交渉しようなど、馬鹿を見たものだ。よもや馬鹿魔王に手を回していようとはな。フ、フフフ……」


 椅子を机しかない部屋を見渡し、グラウフォルトが暗く、良くなさそうな、若干構ってほしさの混ざる笑いをこぼす。


「リザードマンにはもはや用を持たぬ武具を渡して誤魔化した。金がないからな。ゴブリンには二束三文の荒地を与えた。金がないからな。足下を見られてもこれ以上払えんから、居丈高に振舞うしかなかった。他の悪魔への支払いが既につかえていたのだ。契約無視の現物給付など、私は前時代に生きているのか? 文化人としてあるまじき応対だ。だというのに、彼らは頭を下げて感謝してきたのだぞ? 金がなかったから、程度の低い扱いしか出来なかったのにな」

「……」


 その話は百回以上聞きました。と言いたいところではあったが、そうすると却って話が長くなってしまうのが毎度のオチであったため、ファルプニは動かない。さも、同情しますなあといった空気を出してやり過ごすのである。


「少し前も、ゴブリンの頭領が他所の土地に行く許可を取りに来た。私といえば、紋切り型の言葉を掛けるだけで、領主でありながら手土産の一つも与えん。彼らは私の庇護下にあるからと、今の境遇に納得しているが、私が威厳を失すれば、それも長くは続かんだろう。頭を下げるわけにもいかぬが、出せる物もない。借金を返すまで、私は口数の少ない孤高の強者を演じ続けねばならんのだ」


 グラウフォルトは、机の上に置かれた紙束とペンに目を落とす。

 領主としてこの地を離れず、汗を流す姿も見せぬ金策は限られている。だが、悪魔の中でも有数の学識を誇るグラウフォルトは嫌われこそすれ、侮る者は少なく、頼られることも多い。過去には、人間世界の文化や伝承、物語をまとめたものを執筆し、本を出したこともある。そうした経験と知見を活かし、今も学術書や専門書を編纂している。依頼されれば、箔付けの家系図や一族史も作るし、児童向けの教材に冒険譚や絵本まで手を伸ばす。ついでに、完成品を渡す際、別名義で書いた大層大人向けのいかがわしい、言わば不純愛文学なる物を包み、珍しい物を拾った、興味があれば、等と言ってそっと渡すのである。その希少性に口止めの意味も重なれば、それなりに懐は温まるし、笑顔の心付けまでおまけされるのだ。今ではリピーターも多く、同著者の作品を探す作業に頭を悩ませている。


「現在ゴブリン達をまとめていた頭領も、彼らの盾となっていたリザードマンも出かけている。今何かあれば、領主としての務めを果たせておらぬと、如何ほどの突き上げをくらうか……」

「あー……、ゴブリンといえば、そのゴブリンの頭領が向かった先はネフレスクですよね?」

「む、何故知っている?」


 会話のイニシアチブを譲る様子が見られなかったので、ファルプニは牽制の話題を切り出す。


「実は、私のお仕えしております御方も招かれておりまして。ゴブリンの頭領さんとも、オークの郷でお会いしたそうですよ」

「ちょっと待て、お前は人間の村にいると言ったはずだ。何故ゴブリンやらオークやら、お前まで交流しているのだ。仕える者とは、一体何者だ?」

「あの、そもそも以前ゴブリンの頭領さんが帰られた後に報告を受けていないのですか?」

「む、いや、確かにオークの山へ向かう前から人間の村があるとは聞いていた。が、誰しも関心の向かぬ事柄はある。威厳を保つにしても、こんな状態の屋鋪へ入れて長々とお喋りというわけにもいかんしな。人間にしろ、ネフレスクにしろ、関わりを絶ったものが何故こうも押し寄せてくるのか。これも全て私の――」

「分かりました。いえ、分かりました。なるほど、設定では口数の少ない孤高の御方ですものね。分かりますよ。ええ、分かります」

「そうだ。私の不徳と不運故に――」

「ゴブリンの開拓が進み、生活圏が村に接近しているそうです。ネフレスクでもその件で話し合いが行われるでしょうし、人間と接触するのも時間の問題。事の運びによっては、こちらフェテリに人間が挨拶に訪れるかもしれませんよ?」

「………………え?」


 面倒臭くなって放ったファルプニの言葉に、グラウフォルトは目を白黒させる。


「いや、待て、そんなことを言われても、こちらにも用意というものがだな」

「ええ、ですから根回しに来ました」

「そ、そうか。だが、見て分かる通り、来客を招けるような状態ではないし、出せる茶の用意もない有様だぞ? 悪魔連中は私が質素を好み、清貧だとか勘違いしてくれているからいいが、事情を知らぬ者からしたら、ただの礼儀知らずな貧乏人だぞ?」

「それを何とかしてください。借金の方も目処が立ったのでしょう? なんなら私が貴方の仕事を手伝いましょうか?」

「……!? 駄目だ、それは駄目だ! 駄目だ、絶対!!」


 冷静で知られた大悪魔が見せる突然の狼狽。その大声に、ファルプニは、古くから親しんでいたはずの悪魔へ怪訝な目を向ける。


「……一体どんな仕事をなさっているのですか?」

「…………分かった。こちらは何とかする。だが、時間を稼いでくれ。出来れば一年……、と言いたいところだが、そんな時間はないのだろうな。半年、待たせられるか?」

「まあ、大丈夫でしょう。私が折衝役という体で進めれば。そもそも主導権は挨拶される側に有るべきなのですから」

「助かる」


 息を吐き、ほっとしたように体の力を抜く。だが、右手の人差し指はこめかみの辺りをぐりぐりと押さえ、装いを整えるべき最小の部屋数と、用意すべき調度品、もてなす際に必要となる食料や酒、蝋燭にランプ用の油など、山積する問題に頭を悩ませていた。


「では、私はこれで失礼します」

「なに、もう帰るのか?」

「ええ、先程のことを伝えに来ただけですので。それに、私も忙しいのです。ストーカーの応対もせねばなりませんし」

「は? ストーカーだと? お前、何者かにつけ狙われているのか?!」

「惚れただのなんだのと、しつこく手合わせを乞われますよ。いつもは村の外であしらっているのですが、今日は願いを聞いてあげる代わりに村の警護を頼みました。モノは使いようですね」

「……危険、がないのであればよいが……あまり好ましい状態には思えんな」

「過ぎた幸せを享受しているのですから、多少の毒は我慢しますよ。それでは」


 ファルプニが屋敷の主へ一礼する。


「待て」

「なんです? まだ何かあるのですか? それとも寂しいのですか?」

「いや、私はだな、お前を託された身として、目を離すことに責任を感じてしまうというか、心配というか……」

「……」

「……」

「寂しいのですか?」

「………………寂しい」


 がっくりと肩を落とし、恨めし気に見つめるグラウフォルトに、ファルプニはちょっと困った。


「あの、根回しに来たとは言いましたが、別に貴方がこちらへ訪ねくださってもよいのですよ?」

「は? 私が? 人間の村に?」

「ええ。貴方がそれを良しとしないでしょうから、言わなかったのですが、その方が話は早いですよね? 屋敷に物を整える必要もないですし」

「……確かに。いやしかし……」

「あの村であれば、害意を持たない限りは歓迎されるでしょう。私もお待ちしておりますし、話し相手になれそうな古の方もおられますよ。その気になられた時は、どうぞお越しください」

「…………これ以上引き留める言葉は見つからん。分かった。お前が再び来る時を待つとしよう。人間と会わねばならぬのは癪だがな」

「今の私の立場としては、お気持ちが変わってくれることを願うばかりです。それでは」


 再び一礼するファルプニに、グラウフォルトの目つきは鋭いまま動かない。しかし、その口端は諦めたように緩む。その様子に、ファルプニも古くからの知己に納得を得られたのだと安堵する。


「そちらも無事でいることを願う。もし必要ならば、私を頼ってくれて構わん。これでもお前より随分と長く生きているからな、古い知識ならば力になれるだろう。人間の村へ戻ってから暇をして勉強をしたいと思う時があるなら、私の書いた本を持っていくがよい。それが人間を助けることに繋がったとしても、お前の功となるなら私はその事実を喜んで受け入れる。それから、仕事を手伝ってもいいと言ったのに、あのように大きな声で拒否してしまったのは、それが、依頼者の個人情報を私一人で秘匿し、尊厳を守るという約束に背くことになってしまうからだ。だからこそ、私一人で完遂する必要があり、決してやましい行いを隠すだとか恥じるだとかの意味で」

「失礼致します」


 悪魔は真顔でその場を去った。

 お疲れさまでした。


 敢えて今まで触れてなかったんやけど、多分、読んでる人の多くがサブタイトル意味不明やと感じとるんちゃうかな。今回のタイトルは、各キャラクターの不透明な心の内や思惑、揺らぐ心をイメージする単語として、磨硝子と題したわけやねんけど、完全に作者の遊びや。すまんな。

 趣味で書いとるだけやし、まあええやろを続けた結果、数十話作者の勝手な連想ゲームに付き合わせてしもたんや。申し訳ない。

 各話数十分は考えとるし、一応、サブタイトルにも意味は有ったんよいう話。終わり。

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