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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第五十四話 衣替え

 いらっしゃい。


 ゲームやり過ぎて日常に支障をきたしたマン参上! その正体は、一個人として割と良心的な事(ゲーム内でもつい倫理的行動を心掛けてしてしまう)をしているが、客観的に見ると駄目な部類の人間だ!

 今回も投稿遅れたけど、よろしくな!

 月の最も輝く夜を超え、誘われるように強風雷雨が訪れる。轟音を響かせ過ぎゆく嵐は、湿り気を帯びた空気を攫い、木々に囲まれた秘密の村に、本格的な秋の訪れを予感させた。

 とはいえ、雲の過ぎ去った後の空は天高く、肌を焼く日差しの強さは健在。残暑の中、未だ川へ涼を求めんとする人影が尽きることはない。


「なー、海行かねーのー? 何で―?」

「はいはい、まずは泳げるようになってからな」


 青い髪の少女が川の中で、つまらなそうに足をばたつかせている。


「マーニャ泳げるぞ。本気出せばいけんだって。ただ、ここの水がおかしーんだよ。やけに冷てーし、中で息できねーし」

「普通は出来ないの! はあ、先が思いやられるぜ……」


 嵐が過ぎ、エルフ達は海へ向かった。まだ波に高さはあるだろうが、放置していた塩田の整備に加え、滞在する小屋も補修が必要との判断で、少し早めの出発であった。

 その際、マーニャがメヒヤーを連れて同行を求めたが、イミーニアを残して離れたくないメヒヤーは、断る方便を探したわけである。すると、先程のやり取りで分かるように、元人魚が泳げない、という悲しい事実が判明したのだ。


「とりあえず、向こうまで泳げるようになろう。言っとくが、ちょっと泳げるようになったくらいで海行っても、浜辺で砂いじるくらいしか出来ねーからな」

「それでもいーからよー。もう、腹たぷたぷなんだよ……」

「何で川の水飲んでんだよ! とにかく駄目だから! どうせ調子乗って流されるのが落ちだら!」


 メヒヤーにとっては都合が良かった。のだが、わざわざ自分を探してここまで来た相手なだけに、無下に扱いたくはないし、不憫に思う気持ちもあった。


「なあ、元の姿に戻してもらいとか思わないのか? お前から頼んだわけじゃないんだろ?」

「やだよ。だって、お前ら隠れて美味いもん食うだろ」

「いや、隠れてるとかじゃないんだけど……、まあ、当人がいいのなら、いいのか」


 元はなかった足をばたばたと器用に動かす様子を見て、メヒヤーは微かに笑みを見せる。


「ちょっと、そっちばかりに構ってないでこっちも見てくれないかしら? この子が手本を見たいと言っているわ」

「え、ぇえ?」

「いいから、そう言ったことになさい」

「ええ……あ、あい……」


「はい、ただいま参りますからね、お嬢様。ちょっと待ってくださいね」


 川にはアンジェラとイミーニアの姿もあった。アンジェラは以前海へ行くという経験をしたが、その際、エルフのように泳げず、海の深さと冷たさへの恐れから浅瀬を歩くことしか出来なかった。その苦い経験から、少しは泳げるようになりたいと、少女なりに奮起したわけである。

 ちなみに、イミーニアはそんなアンジェラに付いて来たのだが、草原に囲まれた城で生まれた彼女が泳げるかどうかというと、推して知るべしであった。


「いいか、水の中で口を開けちゃ駄目だからな? 少し向こうを見るけど、無理して深いとこまで行こうと思うなよ? 分かったな」

「わーってるよ。でこのアネキが呼んでっから早く行けよ」

「あ、アネキ?」

「見た感じ、あの角のお嬢より偉いんだろ? だったらちっとは敬わねえとな」

「お、おう、そうだな、うん助かる。うん、助かるわ、そう思ってくれた方が」


 人魚の世界では、古来より仁義が大切にされていた。


「はいはい、どう致しました?」

「この子がバタ足すると水しぶきが凄いのよ。手本を見せてあげなさい」

「左様でございますか。そうすると、えーっと嬢ちゃん、まずはどうやってるか見せてもらえるかい? 手え持っとくからさ」

「あ、あい」


 アンジェラは腰の浸かる深さまで誘導されると、メヒヤーの手を握り、顔を水につけまいと必死に体を逸らし、足をばたつかせた。一応、泳ぐ姿を見せたつもりなのである。少女の足元では撹拌された水が撒き上がり、白き柱が作られていた。


「ちょちょちょ、ちょっと、ストップストップ! メヒヤーお兄さんの体持ってかれちゃうから!」

「え、おえ? あい?」

「分かった。大体分かった。順序を間違えたわ。あのな嬢ちゃん、まずは顔を水につける練習しよう。最初は目瞑っててもいいから」

「か、かお……うん、あい、あいあぃ……」

「そうそう、水は怖いけど、どこまで怖いかを正しく理解しないとな。嬢ちゃんは割と頭で考えるタイプだから、その重要性も分かるだろ?」

「な、なるほ、ど。わ、わかった」


 掴んでいるメヒヤーの手を確認し、顔を水につける。


「いいぞー。そのまま頭の中で3秒数えて顔を上げてみよう」

「え、あ、あいがぼぼっげべ、げへっげへっ!」

「ああ、ごめんごめん、声掛けたらつい返事しちゃうよな」

「うぇ……あ、あいじょう、ぶ……。水、にか、顔つけれ、た」


 アンジェラは顔を伝う水を拭い、少し満足げに答える。


「そう、それが第一歩だ。それから顔を水につけれる時間を伸ばしていって、何秒までなら苦しくないか泳ぐ前に把握しておくんだ。十秒苦しくないなら、とりあえず五秒以内に顔を出しておけば絶対大丈夫って心構えができるだろ?」

「う、うんうん、そ、そそそうかあ」

「それが出来てから、次に息を止めて泳ぐ練習だ。息継ぎの仕方もその内教えるけど、息を止めて泳ぐ練習は絶対に必要だからな」

「あい、い、一時間はと、止められ、る、と、お、お思、う」

「はは、そりゃ張り切り過ぎだな。初めてだと二十秒も止められれば上出来だろう。長く息を止められりゃ有利ではあるが、別にそれがイコール泳ぎの上手さってわけじゃねえし、条件でもないからよ、息が少ししか持たなくても落ち込む必要はねえぞ。だが、その様子だと水に顔をつけるのは、もう問題なさそうだな」


 その言葉に、アンジェラは自身が一歩成長したことを実感する。それが嬉しかったのか、少女は再び息を止め、水の中に顔を入れた。メヒヤーも内向的で流されやすい少女が、自分から進んで挑戦するその姿に、思わず頬を緩め、目尻に光さえ浮かべるに至った。


「……………………」


 ……思ったよりも長いな。


「…………」


 少女は水面に顔を沈めたままぴくりともしない。


「おいっ!! 大丈夫か?!?!」


 メヒヤーは慌てて少女の体を引き起こす。少女の手が脱力するのを感じ取った瞬間のことであった。


「え、え? あ、あい。あいじょう、ぶ、です……?」

「え、あれ? お、おう、大丈夫なのか……そっかあ……。うん、よかったわ、うん」


 少女の力が抜けたのは、水の中でふと手を握り続けていたことを思い出し、それがなんとなく気恥しく、悪い気がしたからであった。メヒヤーにとっては、今まさに自分の手の中で生命の息吹が潰えたようにしか感じなかったわけではあるが。


「いいい、息は、と、止めれ、た。つ、次、は?」

「お、やる気勢だな嬢ちゃん。そうだな、次は姿勢だな。足の裏から頭の先まで糸を張ったように意識して、真っ直ぐ立つ」

「あ、あい。い、いいい、糸、糸……」

「そうそう嬢ちゃんは猫背だから意識してな。その状態で息を目一杯吸って水の上に寝そべってみな?」

「え、えええ……」


 アンジェラはメヒヤーに背中を支えられながら、恐る恐る水面に体を預けた。すると、耳まで冷たさが追り上がり、ごぼごぼと不気味な音に浸される。しかし、驚くことに水面から突き出た顔は沈まず、雲の動きを眺めることさえできた。無論、呼吸も出来る。


「お、おおぉ~」

「おお、よかった。嬢ちゃんは痩せてるから浮くか心配だったけど、大丈夫そうだな。肺活量がすごいのか? 今はちょっと支えてるけど、いい感じの浮き方を探ってみろ。それから、もっと力を抜いた方が良いな。それだと疲れるし、体が強張ると逆に沈むから」

「た、たた為に、な、なりま、す」


 少女が体の緊張を解いたのを確認して、メヒヤーは背中からそっと手を離す。直立不動の少女の体は、小舟の如く水面を漂っている。

 その様子を、川岸に腰を下ろしたイミーニアは、真剣な眼差しで見つめていた。


「あのぉ、お嬢様……そちらはあの……どうしましょうか?」

「何がかしら? いいから続けなさい」

「は、はい!」


 とりあえず、気を悪くした様子は見受けられないので、メヒヤーは安心してちびっ子水練教室の個人演習を続けることにした。


「ええっと……、浮くことは出来たわけだな。そしたら、次はひっくり返って泳ぐってことになるんだけど……いけるか嬢ちゃん?」

「も、問題な、し。ふ、不安は、ちょちょちょっと、有り」

「頭で整理すれば大丈夫だ。理屈で言うと、足の向きと反対に進んでいくわけだから、水面より上に足を出す必要はない。そんで、力んで強く水を蹴ればそれだけコントロールが難しくなる。だから慌てず力まず、体が浮いたのを確認してゆっくり足を動かしてみりゃいい」

「な、なるほ、ど。く、詳し、いか、か、解説、に感謝」

「とりあえず、仰向けのままで、こう……手と足をゆっくりぱたぱたさせてみろ」


 メヒヤーが体の横に真っ直ぐ伸ばした腕を上げ下げしているのを確認し、アンジェラが真似をする。水を掻く手足の開閉運動によって推力が生じ、少女の体は頭頂方向へ舵を切った。


「一応それも泳ぎだ。溺れそうになった時はその姿勢を意識してみるといい。ただ、焦ったり十分に空気が吸えてなかったりすると体が浮かない時もある。陸地まで距離が短いと、思い切って川底を歩いた方が安全な場合もあるから、とにかく焦らないことだ。俺も泳ぎにはそれなりに自信があるが、海と違って川だと体が沈んじまうから、流れの速いとこには近付かないようにしてる。無理せず焦らずだ」

「おお~、お、泳いで、る。泳いで、る!」

「はは、楽しそうで何よりだ。風があると波も高くなって、その姿勢が絶対安全てわけでもないが……ま、焦らずだな。急いで教える必要もねえ。嬢ちゃん、しばらくそれで水に慣れてみな」

「あ、あい! ど、どうも、お、お世話さ、ま!」


 少女は満足そうに水の上を漂っている。深い青に染まった空では、はぐれた雲が体を小さくして、申し訳なさそうに仲間を追いかけている。


 強い日差しの下、病的なほど白い肌をした少女は、まるで水死体の様。


 メヒヤーの脳裏に不穏なワードが離れず付きまとい、安心して見守ることは出来ないが、自分の助力によって、少女が着実に成長の一歩を踏みしめているのだと、そう考えると、責任の重さよりも、喜びの方が大きかった。


「ふう、マーニャの方も見てやらないといけないんだが……」

「ねえ」

「はい!?」


 小さき主の声がした。普段避けられている分、珍しく声を掛けられている今日という日は、嬉しくもあるが、心臓にも悪い。


「手本は?」

「あ、はい、えーあの、今の段階では下手に真似をすると逆に危ないと思いまして、順序立てて……」

「…………」

「………………」


 イミーニアの顔は若干強張ったまま、動きを見せない。メヒヤーは目の前の姫が何を求めているのか掴めず、言葉に詰まった。

 場を沈黙が支配する。経過する時間は両者同じであったが、置かれた立場の違いにより、片方の精神には刻一刻とダメージが刻み続けられていた。


「何やってんだメヒヤー? さっさと泳いで見せりゃいいじゃねーか。ガキの気持ちになれガキの」

「ル、ルヴナクヒエェ……!」


 掛けられた声は天の救いか。気まずい空気を脱する機会を得て、メヒヤーはルヴナクヒエに感謝した。


「おいガキ、お前も素直に泳ぎ方が分からないから教えてくださいって言え。ガキが格好つけても損すんぞ」

「な、なによ! 勝手な想像やめてくれないかしら!? っていうか、何? ずっと覗いてたの? しかも汗だくじゃない、気持ち悪い!」

「……暑い日に剣振った時は、いつもここ来んだよ。優しく見守ってりゃこのガキ……」

「ハッハッ、随分と気の強いお嬢ちゃんだな。ルヴ坊」


 木々の間からのしのしと巨大な影が近づいてくる。


「え、なに? 誰……?!」


 イミーニアの目線の先では、見たこともないほど大柄な男が汗だくで近付いてくる。彼の名はベン・ヴァンデル。クリモリ村一の巨漢であり、かつてクリモリ村一の怪力を誇った男である。


「ん、そうか、お前、おやっさんと会うのは初めてだったか」

「俺は何回か見かけたけどな。だが、こうして面と向かうのは確かに初めてだな! 俺はヴァンデル、よろしくなお嬢ちゃん!」

「え、ええ……イミーニア・スタイよ。よろしく……。それで、あの、汗を流したいの、かしら……?」

「おう! 久々にルヴ坊の稽古に付き合ったんでな、汗だくだ」

「そ、そう。私は、……そろそろ戻ろうかしら」


 上半身を露にしたヴァンデルの肌は茶褐色に日焼けし、浮かんだ汗は次々と蒸気に変質している。質実剛健戦士の家に生まれしイミーニアではあったが、成人前の乙女には少々刺激が強すぎる光景であった。


「ったく、失礼なガキだぜ。まるで汚いものでも見る様な目しやがって。知ってるか? 水ってのは多少の汚れなんか希釈して、気にならねえほど薄めるんだぞ?」

「気にならないって、あなた、失礼を承知で言うけど限度があるでしょ!」

「てっめ、こっちも好きで汗かいてんじゃねーよ! 少しは気を使え!」

「ハッハッハ! 落ち着けルヴ坊。男の俺でも気持ち悪いから、水で流しに来たわけだからな。ルヴ坊、お前もこっち側にいすぎると、いよいよ婚期を逃すぜ?」

「余計なお世話だよ」


 ヴァンデルのよく響く笑い声が木霊する。その賑やかさに、水の上で悪魔的時間間隔のくつろぎをかましていた少女も思わず頭を上げ、バランスを崩して溺れかけた。


「がへ! げへっ!」

「おい、何やってんだよ大丈夫かガキんちょ?」

「あ、あああ、焦った……。こ、ここ、浅いか、ら、た、助かった」

「おう嬢ちゃん、その経験を大事にしろよ。水辺ってのは油断すると危ないんだ。失敗しないと怖さも分からないままだったから、これもいい経験だ」

「あ、あい、よく、よく覚えと、く」


 アンジェラは、自身が知らず知らずのうちに、己の器量を超過した軽率な行動をとっていたことを悟る。その反省から、川底から指一本で背中に触れる深さでの遊泳を敢行することにした。


「おお、嬢ちゃん、ちっとは泳げるようになったのか!」


 ぷかぷかと漂うアンジェラを見て、ヴァンデルが驚きの声を上げる。


「え、泳ぐって、もっと見栄えのいいものじゃ……」

「そうかい? 泳げない俺からすると、十分凄えし、羨ましいぜ?」

「泳げない? あなた凄く力が強そうだし、何だって出来そうだけど」


 ヴァンデルの意外な言葉に、イミーニアが素直な疑問をぶつける。

 目の前の男はザッツカークでも見たことがないほど逞しく、今この場所にあるちっぽけな川など、ものともしない人種なのではないかと、そう思わせるほどに大きく、強靭である。イミーニアの感覚からすると、この村で育ったはずのその男が泳げないというのは、道理が通らないのである。


「うーん、ガキの頃からそうだったんだが、俺の体は沈んじまうんだ。十歳かそこらの時に溺れて以来、もう泳ぎは駄目だ。もがいてももがいても、体が浮かばないんだからよ」

「そうなの……。でも、それは体質の所為であなたは悪くないと思うわ」

「ハッハ、ありがとよお嬢ちゃん。それでもよ、やっぱり自分に出来ないことが出来る奴を見ると、凄えなって思うし、羨ましいもんだぜ。お嬢ちゃんもよ、自分の出来ないことが克服出来るチャンスは大事にしなよ。俺は結局この歳になって自慢出来るのが、生まれつきの腕っぷしだけで、頭の方はからっきしだ。ハッハッハ」


 川でざぶざぶと体を洗いながら、ヴァンデルは明るく笑う。

 ザッツカークでは寡黙さが尊ばれ、誇りと恥という意識文化が浸透していた。それだけに、このようなタイプの人間に出会うのは、イミーニアにとって初めての事であった。そして、その笑い声には、城内で慣れ親しんだ魔法士と通ずる暖かさが感じられた。


「ありがとう。あなたの忠告大事にするわ」

「おう、ありがとよ。ただ、不器用は不器用なりに自分の仕事に対して一途になれるし、出来ないことがあるってのも、それはそれで自分らしくて良いもんだ。元々俺は衛兵だしな」

「あら、あなた兵士だったの? この村の?」

「へ、へい、しぃ?」


 耳に入り込んだ一つの単語に、アンジェラが反応する。

 クリモリ村では、自警自衛として魔術や武芸を研鑽する者達はいるが、制度としての兵士は聞いたことがなかった。だが、いつぞや見たヴァンデルの持つ立派な戦斧を思い起こすと、ヴァンデルの口にした言葉には、特別に意味があるように思えた。


「ああ、そうか、嬢ちゃんには話してなかったか。俺の先祖はよ、昔は結構名の通った戦士だったらしくてな、ナーデンゲルムで百人隊長を務めてたらしい。前線が好きで指揮も下手だったから、それ以上は出世できなかったって話しだがな、ハハッ」

「へえ、やっぱりあなたには立派な戦士の血が流れてるのね。こんなに大きな体見たことがないもの」

「ああ、この体は一族の誇りだ。先祖がこの森に来たのも、衛兵として村人を守るため。だから俺は今でも衛兵だ。今日も畑仕事が休みで時間があったから、久しぶりにルヴ坊の稽古に付き合うことにしたんだが……」


 ヴァンデルがルヴナクヒエを見てにやりと笑う。


「お手上げだ。全く敵わねえ」

「え!?」


 イミーニアが目を白黒させる。ヴァンデルの巨体と比べ、ルヴナクヒエはあまりに貧相であった。もちろん、比較対象が規格外なだけで、ルヴナクヒエ自体は引き締まった体に、腕も胸も厚みがあり、オークの住む山まで短期間で踏破した脚力も備えている。それでも、技術どうこうで説明できる体格差には到底思えなかったのである。


「おやっさんとはガキの頃から付き合って貰ってるからな。絶対に力で敵わない相手との戦い方は嫌でも覚えたぜ」

「そ、そう……、案外凄かったのね、あなた」

「まあ、一日中剣振ってりゃな。それに、でかい魔獣相手だと俺よりおやっさんの方が頼りになると思うぜ」

「ハッハ、謙遜するなルヴ坊、らしくねえぞ。だが、確かに、魔獣相手ってのは勝手が効かねえ。その点では、俺もカレフさんの槍捌きには敵わなかったな」

「……カ、カレ、フ……?」

「えっと、カレフさんって、あの足の悪い村長さんよね?」

「ああ、そうだ。あの足も昔、魔獣と戦った時の怪我が原因でな……」


 アンジェラは混乱した。カレフという名を聞いても、自分に優しく微笑む柔和な顔しか思い浮かばない。あの小柄で親切な老人が、実は豪傑でしたなどと言われても、それをイコールで繋ぐには、高度に柔軟な思考が必要であり過ぎた。

 少女の個人的感情としては、なんとなく嬉しいような、そうでもないような、微妙な心境であった。


「魔獣って……、この辺りではそんなに出るものなの?」

「ああ、そりゃ、ここは呪われた地だからな。あれ、聞いてなかったかい?」

「……それ本当の話だったのね」

「だが、出るってたって、俺も数度しか見たことないぜ。森の中でもここは何故か魔獣があまり寄り付かないらしい。多分だが、本当にオホネ様の加護があったんだろうな」

「オホネ……、そう、オホネ様ね……」

「それに、以前は村の周りを巡回したりもしてたからな。それで、遭遇することも多かったわけだ」

「見通しの悪い森を? 父上は視界の悪い場所での戦闘は徹底的に避けて、誘い出すのが上策って言ってたけど……」


 イミーニアの言葉を聞いて、ルヴナクヒエが組んだ腕から右手の人差し指を突き出して、チッチと横に振る。


「ザッツカークは草原が主戦場で、騎兵が主力だ。ここはどこもかしこも木が生えてやがる。そうしたくても出来ないのさ」

「……普通の受け答えなのに、妙に鼻に付くのは何なのかしら?」

「ハハッ、俺には分からんが、あれが恰好いい振舞いなんじゃないか? だがまあ、お嬢ちゃんの言うことも間違いじゃない。確かに危険なんだよ。それでも、こうして村を大きく出来たし、事前に危険を払うってことで昔から続けられてきた意義のある活動だったわけだ」


 ヴァンデルが水中に体を寝そべらせ、首だけ出した状態で話を続ける。


「けど、今はやめた。ジル坊が提案したんだ。十分に大きくなった村で、戦力を外に回しても村全体を見張る目が減るし、得られるものより危険の方が大きいってな。長老達が先人たちの遺志をないがしろにするのかと猛反対したし、俺もどうかと思ったんだが、ジル坊は頭がいいし、間違いを言った記憶もねえ。よく考えりゃ、それもそうだなってなったわけだ」

「そう、あの人が。そうなんだ。流石ね」

「何でお前が嬉しそうにしてんだ?」

「…………うるさいわね……!」

「ハッハッハ、そう、ジル坊は大した奴なんだよ。昔から続けてることってのは、やめるっていう発想も中々出ないわけだ。みんな、それなりに使命感っていうのか、危険の中に身を置くと一致団結して、上手く言えない良さも感じてたしな。そういう意味では、カレフさんは理想のリーダーだったよ。昔を知ってる人でカレフさんを悪く言う人はいねえ」


 強い日差しに、ヴァンデルは目を細め、空を見上げる。


「今はジル坊が畑の計画や見張りの配置交代まで大体仕切ってくれるし、カレフさんの負担も随分と減った。最近は元気になって、外にもよく出歩くようになってる。本当に良かったよ……。……さて!」


 一頻り体を冷やしたヴァンデルは、水しぶきを上げて勢いよく起き上がる。


「そろそろ腹減ったろ? 戻って飯食わないかい? 体も冷えてるはずだ」

「……ん、そうね。ちょっと体を乾かしたら戻ろうかしら。聞いたわね? あなたも上がりなさい」

「あ、え、え?」

「俺はもうちょっと大自然の涼を楽しむとするかね」

「あなたには聞いてないから」

「……俺も聞いてねーよ。おやっさん、俺はジルがメシ持ってくるはずだから遠慮するぜ」

「え」

「何でお前が返事してんだよ。そんで……あれ、何処行った? おーい、メヒヤー、メヒヤー! お姫様がお帰りだってよー」


 ルヴナクヒエが辺りを見回しと、いつの間にかいなくなった友人を探す。それに呼応したわけではないが、下流から動転して少し甲高くなった男の声が響いた。


「マーニャさん!? マーニャさん?!?!」

「…………へ、へへ、こんな小川じゃ私は飲まれない……。逆に飲み干してやるぜ……! ゲフッ!!」

「マーニャさん、飲んじゃだめだから! それじゃ息できないからあ!!」




「ね、ねえ」


 不意に声がかかる。最近は耳も遠くなってきたが、この遠慮がちで慎み深い声の主は間違えようがない。


「どう致しましたかな、アンジェラ様」

「そ、そんちょ、う。そんちょ、う」

「はい」

「そ、村長、は、す、すす凄い! え、えら、い!」

「はは、有難いお言葉ですな。しかし、わしが何かお褒めになる様な事をしましたかな?」

「う、ううん……い、いや、違う、ひ、否定の、い、意味じゃなく、て、な、何とな、く、い、いい言いたく、なって……!」

「ほっほっほ、そうですか。これは、いい日になりましたな。アンジェラ様のお言葉があれば、疲れも吹き飛びますわい」


 角の生えた少女は、照れて赤くなった顔を下を向いて咄嗟に隠す。老人はその様子を見て、頬を緩める。


 クリモリ村の村長ネイエイ・カレフ。彼があっさりと病でこの世を去ったのは、それから三日後の事であった。


挿絵(By みてみん)

 お別れサマ-で明日もオータム。


 体感の三倍は時間が速く流れている事実に、創作者の端くれとして慚愧の念に堪えない次第であります。次はお絵描きせねばなのです。

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