第五十二話 萌え溜まる
いらっしゃい。
昼下がりの午後、人でごった返していた食堂も落ち着きを取り戻す。仕事に手間取った者が女主人に怒られながら遅めの昼食を取っていたり、集荷所を失った老人がだべっていたりと、なんやかんや人がいなくなることはないが、この時間帯は総じて人が少なく、比較的静かであった。
そんな食堂に一人机に突っ伏する男の姿。
彼の名はメヒヤー。酒席における口の巧さで村の仕事をのらりくらりと躱し、領主様の御共にオークの山へ赴くという大きな仕事を為したことで、平時は仕事をしてなくても大丈夫な空気を作り出すことに成功した男である。
そんな男がこの日、心底へこたれていた。
「あれ、どうしたんですかメヒヤーさん。お酒飲んだわけじゃなさそうですけど」
「……ああ、ジルナート青年か。陰気なのはらしくねえとは思うんだがよ……いや、参ったね。お嬢様によ、また嫌われちまってな……。もう一週間も口きいてくれねえんだ」
こけた頬を僅かに緩ませ、渇いた笑いをこぼす。以前より日に焼けて濃くなった肌の色と、厚みの減った体に、その苦労が如実に表れている。食堂が暗くなると連日シャヴィに叱られているのだが、それさえ耳に入らぬほどに疲弊した有様であった。
「なるほど……、でも、なんで嫌われたんですか?」
「え……、それは……言えねえな。とにかく、俺のデリカシーのなさと間の悪さがよくねえんだ」
「確かに、上品な女性には好かれなさそうですよね」
「……厳しいじゃねえか。まあ、それはいいんだよ。それより、あんたの方からお嬢様に俺のこと上手く言ってくれねえかな? 今の俺じゃ話すきっかけ作る事さえ厳しいぜ」
「別にいいですけど、なんで僕に?」
「いや、そりゃあ…………」
「あ! やっと来たのかいジル、ちょっと何とかしてくれよ! ここ最近、この時間になるとじじばば様とメヒヤーさんが席を占拠しちまうんだよ。じじばば様は日に日に増えてるし、メヒヤーさんはこんなだし、一日二日だったらいいけどさ、毎日居座られるとこっちがくたびれちまうよ。あたしゃ、この時間帯くらいしかゆっくり出来ないんだからさ!」
女主人が腰に手を当て、困った風な顔をして話に割り込んでくる。
「あ~、シャヴィさんや、わしらのことは気にせんでええよ~」
「そうそう、自分のことは自分でしますからね。ほら」
老婆が立ち上がり、厨房へ向かう。
「え~……、お茶これ使ってええんよねえ?」
「あの、ちょっと……」
「ええからええから、お湯も自分で沸かしますよーっと」
「……もう、そういうことじゃないんだけど……」
ジルナートはその光景に思わず唇を噛んだ。
自分の決定した集会所改修の影響がこのような形で現れるとは、想像だにしていなかった。海千山千の老人が誓ったたくましさを見くびっていたのである。
「……分かりました。集会所程の規模は保証出来ませんが、皆さんの集まれる憩いの場を作るよう提案することを約束します」
「おや、わしらのために何か作ってくれるのかい?」
「でも、あたしらのためにそりゃ大げさだよお。あたしゃここで十分だねえ」
「それに提案だろう? いつ出来るか分からんし、俺もここで文句ねえなあ」
「…………では、十日以内に工事を開始します。今集会所の改修に当たらせている人員を半分割き、さらに新たな人員を配備して、最優先の課題としましょう。どうですか? これで手打ちにしませんか?」
「いや、本当にわしらは別にいいんだけど……」
「まあまあ、若いもんがあたしらを思ってくれよるんよ。好意は受け止めにゃ悪いよ」
「そじゃのう、急いでくれるようだし、それを楽しみにおとなしくしときましょうかな」
「ほんじゃ、今日はおいとましましょうか」
老人たちはのんびりと後片付けし、遅れて用意されたお茶をゆっくり味わうと、ようやく帰路に就いた。
誤解の無いよう言っておくと、老人達に悪気は一切ないのである。
「はぁ、助かったよジル。でも、よかったのかい? あんな事ぱぱっと決めちゃって」
「いいんです、これは僕の手落ちですから。集会所の改修はエルフさん達が頑張ってくれたので予定よりかなり速く進んでいますし、なんとかなるでしょう」
「……兄ちゃん、あんたも大変なんだな」
「何他人事みたいに言ってんだい。あんたにも迷惑してんだからさっさと元気だして、あのでこっぱち娘を追っかけな!」
「そんな簡単に……、お嬢様は難しい年頃なんだよ……」
「たく、いつもみたいに厚かましくしてりゃいいのに、そうやってらしくない気遣いばっかやってから空回りしてんだよ! そんだけ恥かましてんならさ、いっそ土下座でもして詫びてきな! うじうじしてるよりもその方がよっぽど芯が通って見えるよ」
「…………もう、してきました……」
「……」
さすがの女主人も、これにはかける言葉を失った。
「……さてと、ちょっと早いけど夕飯の支度でも――」
「たのもーーー!!」
バンッ、と玄関扉が勢いよく開き、けたたましい声が流れこむ。
「ああもう、うるさい! どうれーー、何事だい……って、オホネ様じゃないかい。忙しくてお参りに行けてないけどさ、祟るのはやめとくれよ」
そそくさと奥に引っ込もうとしていたシャヴィが訝し気に体をひねると、人の肌よりも白すぎる顔が見えた。
「天使である拙者が、そんな考えを持つものか。それより女主人、一つベッドを借りたい。この娘が快復するまで寝かせてやりたいのだ」
オホネが腕に抱えた塊から布をめくると、青い髪をした少女の顔が現れた。よく見れば、オホネの着る衣が腰から上で破れている。少女を包むために破ったらしい。
「ちょっと、どうしたんだいその子?! ほら、ベッドなら奥にあるから!」
「かたじけない。失礼するぞ」
「……ちょっと待て、その顔……?」
部屋の奥に移動しようとしたオホネが足を止める。
「おぬし、この娘を知っているのか?」
「たぶん……そうだと思うが、何処で拾って来たんだ? 俺の知ってる奴だったら、近くまで来れるわけがねえんだ」
「……メ、ヒヤー?」
メヒヤーの声に反応し、青紙の少女が目を覚ます。
「俺の名前を……、やっぱりマーニャか?!」
「おい、この野郎! 約束守りやがれ、何処ほっつき歩いてやがった! くそっ、なんだお前、離しやがれ!!」
興奮した少女が身をよじり、オホネの手から無理やり離れ、落ちる。
「おい、危ね……んんん?」
体を包む布は受け身を難しくしていたが、少女は器用に身をひねり着地した。
「お前、足が有るぞ! っていうか、そんなに喋れたか?」
「あれ、ほんとだ? まあいいや、それよりなんで海来ねーんだよ。波が荒れてきたから、仲間全員他所行かせちまったぞ!」
「え、ああ、そうなのか。こっちも海が荒れるから行けなかったんだけど……、もう何がどうなってんだ? よく分かんねえ! オホネさん、何でこいつがここにいんだ?!」
「うむ、川で助けた」
「川で?」
「そうだ、マーニャ川にいたんだ! でも、なんでこんな変な場所にいんだ? 空も見えないし水もないし、生き物が生活できる場所じゃねえぞ」
「人間はこういう所に住むんだよ。それで、何で川にいたんだ?」
「そりゃ、お前を連れ戻しにだよ。お前、約束したのに来ねえからさ、こっちから出向くしかねーじゃん」
「いや、来るっつったって、ここの場所分かんねえだろ」
「そんなのお前らが来た方向の川登ってたら着くだろ。魚は水の中にしかいないんだからよ。だけど、流石の私でも浅い川を登り続けるのはくたびれちまって、目瞑ってたらいつの間にかここに着いてた」
「なるほど……。ってことは……」
情報を整理したメヒヤーがオホネの方を見る。
「オホネさん、知ってるとは思うが、この子は人魚だったんだ。ところが、今のこいつは流暢に人間の言葉を喋ってて足が生えてやがる。一体どんな魔法を使ったんだい?」
「……他意はない。察しの通り、拙者の魔法であるが、これはその娘を助けるための措置。許されよ。この魔法は人化の法というもので、生物を人間に変えることが出来るのだ。ただし、元となった種の名残はあるし、元の知能が低すぎれば人語を解せぬ」
「えーと、理解は追い付かねえが、とにかく魔法はすげえってことだな。こいつの姿を見たら納得するしかねえ。感謝するぜオホネさん、こいつを助けてくれてよ」
「マーニャは助けられてないぞ! 目瞑ってたらこうなったんだって!」
「いいから! ほら頭下げろって!」
「よいのだ、拙者は感謝されるために助けたのではない。それに、そこまで元気ならば、本当に助けはいらなかったのやもしれぬ」
そう言うと、オホネは背を向けて扉へ向かった。
「どこへ行くんですか?」
「む、少年か。確か村長の息子であったな。影が薄い故気が付かなかった。すまぬ」
「影の薄い青年です。それで、また外へ?」
「うむ。拙者は役に立ちたいのだ。巡回を途中で切り上げてしまった故、戻らねば」
「……十分役に立っているじゃないですか。見てくださいよ、メヒヤーさんの顔」
振り返ると、メヒヤーが身振り手振りで青髪の少女に状況の説明をしている。疲れた顔をしてはいるが、その表情には確かな喜びが見て取れた。
「メヒヤーさん、ここ最近落ち込んでたみたいでしたから」
「……そうか、ただ己の心のままに動いただけであったが、こんな形の貢献もあったか」
「今日くらいは、ゆっくりしててもいいんじゃないですか?」
「ふふ、そうはいかぬ。己が心に誓った責務である故な。それにしても少年、おぬし少し強くなったようだな」
「え、そう見えますか? 実は親切な人に魔術を教えてもらいまして」
クリモリ村より遥か南東の森。
「ほくほくなのです」
「男子たるもの強きを得るために励まねばな。関心であるぞ」
「まだ強くなった実感はわきませんが。それにしても、強さなんて一目見ただけで分かるものなんですか? 魔術を教わったのは、つい先日の事なんですけど」
「分かる。とは言っても、ただの感覚故な、拙者自身の見立てとはズレもある。正確とは言えぬが、魔力量の増減くらいは見て取れる」
「じゃあ、僕はその魔力量というものが増えてるんですね?」
「いかにも。本来は生まれ持った資質や修練によって少しづつ培うものであるが……、言われてみれば確かにおかしい。急に伸びすぎている。やはり、これが人間というものなのであろうな」
「そんなにですか。おかしな人だったけど、凄い人だったんだなあ」
再びクリモリ村より遥か南東の森。
「……」
「……あの~、どうされました? マディマディさん?」
「もう一回……、行ってみましょうかしら」
「え」
「いかん、すべきことを心に決めておきながら、話し込んでしまった。そろそろ往くとしよう。少年、労せずに得たものは何事も身に付き難いものだ。慢心せずに励むがよいぞ」
「はい、そうします。どうやら、僕も身を守る術を持っておいた方が良さそうですから」
ジルナートの答えに、オホネはカタカタと満足そうに顔を揺らし、食堂を後にした。
実のところ、ジルナートはオホネが動き回るとトラブルが増えそうなので、おとなしくしてしかったのだが、古の豪傑に察しの良さを求めるのは、とても難しいのである。
館前を移動してからそれなりに時間が経つ。地面に伸びた影は背を伸ばし、今から外へ向かえば、帰る頃には真夜中になっていることだろう。しかし、骨の体に色はなし。夜も昼も大した差はないのだ。
「魔獣の一匹でも退治できれば、もう少し胸を張れるのであろうが……」
門を守るのであれば、何も起こらないのは良きことであった。だが、自ら動くようになった今何も起こらないというのは、さながら釣り上手を気取りながら日々ボウズで帰ってくるような気恥しさがあり、どうにも自分の男を下げている気がして心が逸ってしまうのだ。
魚ではなく、人魚を連れ帰ることは出来たわけではあるが。
ジルナートの言葉を思い返し、進むべき道は間違っていないのだと自分に言い聞かせる。
世界は自分が考える以上に変化しているのだ。人間の村にエルフが滞在し、お嬢様がいて、かつて御屋形様と共に歩んだオークまでいる。自分もこの新世界に添える存在でありたいと思う。
「……オホネさん、何かあったのですか?」
「む、其処許は……」
そして、この村には懐かしき古の空気を纏った者もいる。
「差し出がましいようですが、アンジェラ様は目立つことを好みません。魔力の気配が大きくなっていますので、抑えていたぎたく……」
「おお、それは面目ないファルプニ殿。村のために腕を振るう機会が訪れず、つい気が昂っていたようだ」
「暴力は使わないに越したことはありませんよ。村には私もオホネさんもいますから、魔獣も寄り付きませんしね」
「……寄り付かない」
どうやら、魔獣も魔力を感知できるのかもしれない。
「先日の侵入者には些か肝を冷やされはしましたが」
「先日というと、人間の女か?」
「気付いてらしたのですか?」
「うむ。だが、人間は敵ではないのであろう? 悪魔との争いも終結したと聞き及んでいる」
「いえ、それはそうなのですが、部外者が無断で入り込むというのは多々問題があるかと……」
「拙者にはよく分からぬな。敵意があるなら正々堂々と正面からかかってくればよいものだが」
「あの、敵というのはこちらの都合など考えぬものでして、件の人間も敵ではありませんでしたし」
「ならば、よいではないか」
「……」
同じ古の存在同士ではあったが、その認識や思考は割と平行線であった。
「……オホネさんは長い間動けずにいましたから分からないでしょうが、今、我々悪魔は新時代を迎えようとしているのです。天使と名乗るのは癪ではありますが、アンジェラ様のため、共に慎んだ行動を心がけましょう」
「それは重々承知しているつもりではあるが、……天使が癪?」
「人間は天使を神聖視していますからね。アンジェラ様も良好な関係を築くきっかけとして、天使を名乗るのが最善と判断にたのでしょう。おそらく父母を害したであろう忌々しき存在を騙るなど、どれ程の屈辱だったことでしょう。誠に心痛計り知れません」
「確かに、拙者にとっても仇とは言えるが……、お嬢様の――」
「ふぁ、ファウプ、ニ!!」
背後から慌てた少女の声と駆けてくる音が聞こえた。
「おや、アンジェラ様いけませんよ、お一人で外へ出ては。皆にとって大切なお体なのですから」
「そ、そそ、それよ、り! い、家から、し、知らない人の、こ、声が!!」
「ああ。それはですね……」
ファルプニがアンジェラに優しく語りかける。その姿には敬愛の情がありありと伝わってくる。オホネはそれを静かに見守り、吐き出そうとしていた言葉を飲み込んだ。
……悪魔、か。詮索はすまい。それに、これを知ったらどう思うのであろうか。
お嬢様の父君は、四大天使の一人であったと。
お疲れさまでした。




