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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第五十話 獣道

 いらっしゃい。

 日常には危険が孕む。竈の管理を怠れば大火を招き、川の深みを誤れば歩んだ生もただのそれまで。失意に語られる顛末の多くは、繰り返される慣れによるとも。

 生きるということは即ち危険に曝されるということである。そして、日々追い立てられる時の喧騒によって、生活は危険という認識を鈍してゆくのだ。


 目の前のこれは危険であろうか? 私はいつから鈍していたか。


 木工職人はナイフを用いねば仕事にならぬ。赤ん坊は親が面倒を見ねば食事も得られぬ。どこまでを当然として受け止め、緊張を保ち接するか、そういったものは空気を吸うのと同じように培ってゆかねばならぬ道理なのだ。生きることに聡くならねばならぬ。

 とまれ、私は怠った。未だ判然とはせぬが、日常の緩みにはまり、未知の接近を許したのだ。敵対する者には見えずとも、その内に狂気を宿さば無情の害は振り撒かれる。村を守護せんと誓った私の、明確な怠りであった。


「おい、お前はみんなのとこ行って人を集めてくれ。入り込んだのが一人だけとは限らねえ」

「だ、駄目! ひ、ひひ一人での、残る、のは、よ、よくない!」

「……確かに、自信をもって大丈夫と言える相手じゃねえな、これは。俺の直感がやばいって言ってやがる。こんな気分は初めてだぜ」


 ルヴナクヒエに余裕はない。日の半分を剣の鍛錬に費やす男が、ただ構えているだけで玉の汗を地に落としていた。

 得体の知れぬ女。優しく微笑む様は心をほぐし、容易くこちらの懐へ入り込んできそうな、柔らかな空気を纏う。その危機感を煽らぬ姿が、何よりも恐ろしかった。


「……なんだかマディマディ、置いてけぼりに話が進んでいるようで困惑なのです……。私はただ、良き男を――もとい、用事を頼まれてきたついでに、あれやこれやしたかっただけなのですが……」


 名をマディマディというのだろう。自身の望む反応が得られなかったことが気に喰わぬらしい。まさしく驕り、傲慢である。それは、村へ忍び込み、気配を消して後背を覗くような真似をした人物がとるべき態度とは、到底認められぬものであった。


「村の連中はぬるい奴が多いからよ、あんたがよく分からねえ奴だろうと、客人として応対するんだろう。だがな、俺はどうも今のあんたを村の奴らに会わせる気にならねえ。力ずくでふん縛らせてもらうぜ」

「まぁ、それは、とても……興奮しますね」


 アンジェラは咄嗟に一歩、右足を後退させた。


 恐怖からである。


 目の前の美しき女性は、一見すると穏やかな慈母の如き印象を受ける。だが、彼のマディマディなる人物は、ルヴナクヒエの挑戦に対し、興奮する、と答えたのだ。

 世にもおぞましき戦いの信奉者である。アンジェラは理解した。穏やかな姿は、彼の者に取り争いがごく自然な生活の延長であり、それが日常における楽しみに過ぎないことを意味していたのだ。


「……得物は魔術か? まさか素手でやろうってこたあねえと思うが」

「うふふ、血気盛んなおのこを見ると、私の体も疼いてうきうきしてしまいます。いいでしょう。汗を流したいのなら、私の、気が済むまで付き合ってあげましょう。この体で」


 マディマディは軽く腰を落とし、左手の平をへその位置で水平に、右手の平を肩の直線上拳三つ分の位置に置き、構えた。その動きには一切の淀みがなく、目の前で対峙していたルヴナクヒエは構えへの移行中に隙を見出すことが出来なかった。


「てめえ何者だ? まじに素手でやるつもりなのか?」

「マディマディは刃物が好きくありませんから」


 平然と答えるマディマディにルヴナクヒエは剣を下げる。


「舐めるような真似は好きじゃねえが、素性不明で素手の相手に剣を向けられるほど俺の頭はいかれてねえ」

「ル、ルル、ルヴナクヒエ、さん?!」

「うるせえ、変な口調になるな! 俺がやべえって思ってるだけで悪人じゃねー可能性もあんだよ! おい、てめえも聞け、俺は組打ちは不得手とは言わねえが、加減が出来るほど得意でもない。多少荒っぽくなることは覚悟しとけ!」 

「……最近は皆さん優しくなってしまいましたから、その言葉を聞くだけで体が熱くなってしまいます。一緒に燃え上がりましょう、マディマディ大噴火なのです!」


 ルヴナクヒエの額から汗が一筋流れ落ちる。対してマディマディの顔は紅潮し、ギラギラした目つきと吊り上がった口角がその心情を物語っている。

 アンジェラはその様子を見て、悪人ではない可能性という言葉が腑に落ちた。彼の者は狂人である。善悪などという感情は恐らく有していない。用事などと言っていたが、きっとそれ自体は大した意味を持っていないのであろう。ただ己の心のままに生きている。

 アンジェラはそう理解し、身震いした。頭の中の認識は整ったにも拘らず、その存在を理解すること自体は全く以て出来なかったからである。


 ルヴナクヒエは外した剣帯アンジェラへ預けると、腰を落とし、左拳を顎へ、右手を脇腹を沿うように下げて半身に構えた。マディマディの流れるような隙のない構えに対し、来るなら来いと言わんばかりの力強さが感じられる構えであった。


挿絵(By みてみん)


 マディマディが動く。熟達した者同士の戦いに合図など必要ないのだろう。まるで行く先に一切の障害が存在しないかの如く、淀みなく歩みを進める。

 アンジェラはそれをただ眺めるしかない。状況の判断が二人に追い付いていないのだ。今はルヴナクヒエの身に危険が迫った時、どの段階で動くべきなのか、どう助ければよいのか、その問答だけを頭の中でぐるぐると繰り返すのであった。


「悲しくなるな、一切の怯みなしとは」


 手を伸ばせば届く位置までマディマディが迫った時、ルヴナクヒエが構えを変える。右肘を上げ、相手の喉元に突き付ける形で待ち受けた。

 打撃であれば、剣の鍛錬によって身に着けた目である程度は見切ることも出来る。恐れたのは柔の術である。ルヴナクヒエは、その動きの流麗さからマディマディを業師と判断した。もし右手を掴まれたならば死角から左拳を突き入れ、肩を掴まれたならば喉に肘を潜り込ませる。組み伏せられた場合は、その勢いのままに喉を潰す算段であった。


 しかし、愛の旅人マディマディにそんな小細工は通用しない。左手で軽く肘に触れると、右手をルヴナクヒエの眼前へ瞬時に伸ばし、掌をかざした。フェイントによって相手の動きを制限した上で、目隠しを作ったのである。ルヴナクヒの腕にリーチで劣るため、打撃の当たる距離ではなかったが、足りぬあと一歩を得るための技であった。


 そして、ルヴナクヒエもまた、構えが通じぬことは予想通りであった。真の狙いは右肘に注意を引き付け、下方向への意識と視界を封じることである。

 目隠しを受けた時には既に右膝を上げ、足底を相手の右膝に向けていた。


 相手は業師である。ならば、その肝は足の運びとなるだろう。故に、潰すならば最大限機能を削ぎ、つま先などよりも躱すに難い膝を、狙いが気取られぬ初撃で決めねばならぬ。


 ルヴナクヒエは折り曲げた右足を弾き、前方下部の空間に足底で真っ直ぐ踏み貫いた。


 構えを見て、力量は相手の方が上であると即座に判断した。予測できる動きもこれ以上はない。勝ちがあるとすれば、リーチの差が機能するこの一瞬、この一撃だけであった。


 だが、踏みぬいた足には穿つべき対象の感触はなかった。マデイマディの曲げた足の脇を擦り抜け、ルヴナクヒエの蹴りはスカートをなぞっただけで空を切っていた。


「うっ!?」


 さらに、空を切った右足はマディマディの太ももとふくらはぎに挟まれ、搦め捕られていた。そのままマディマディは腰を落とし、挟んだ足を巻き込みながらルヴナクヒエの膝関節を極めた。


「やんちゃ坊主、つーかまーえたっ!」


 目をぎらつかせたマディマディが、体勢を崩したルヴナクヒエへしな垂れかかる様に倒れ込む。


「ぐぁっ――」


 意識を遠のかせるような激痛が走り、呼吸の止まった胸にマディマディがそっと手を下ろす。


「…………離れ、ろ!!!」


 気力を振り絞り右腕を払うと、それを避けてマディマディが飛び退いた。

 さっきの痛みに脂汗を流すルヴナクヒエを、マディマディは嬉しそうに見つめる。


「加減はしましたけど、あんな状態から動くなんて……、本当に、元気いっぱいなのですねえ……!」

「……てめえ、……どういうつもりだ……?」


 ルヴナクヒエは焦りと怒りと混乱が入り混じった表情でマディマディを睨んだ。関節は完全に固められ、勝負は決まっていた。苦し紛れに振るった腕など容易に受け止められたであろうし、今流している脂汗の原因となった激痛が綺麗さっぱりなくなっているのだ。


 動揺を隠せない。狙いが見えない。もしや自分と同じ、アルカハクと同じような、闘うことに意義を見出す人種なのではと考えもしたが、どうも目的はその先にある様な気がした。


「てめえ、本当はこの村に何を――」


 言葉が口の中で途切れ、ルヴナクヒエは前のめりに崩れ落ちた。


「ル、ルブナクヒエ!?」


 突然の異変に、アンジェラが急いで駆け寄る。


「く、来るなぁ!!!」

「え? あ、え?」

「ふふふ、心配ありませんよ、不思議なお嬢さん。私は彼を傷つけたりなんかしません。ほら、ピンピンしてるでしょう?」

「え、あ、ん? んん?」


 アンジェラは大混乱した。ルヴナクヒエは無事である。それは分かっているのだ。マディマディなる人物からは、一切の害意を見て取ることが出来なかったのだから。

 関節を極めたのも、動きを封じるため。無論、ルヴナクヒエを地に這わせるほどの攻撃など行っていない。むしろ、逆の……


「は、かっ……、て、めえ……、これは一体……」 

「マディマディは体術だけじゃなく、魔法も得意なのです」

「ま、ほう……? そんなことは、言って……」

「私はただ汗を流すのに付き合うと言っただけですよ? でも、マディマディは争いごとが好きくありませんから、魔法は人を元気にするために使うのです。さっきあなたの胸を触った時にマディマディの愛を送りました。私の手は人をとっても元気に出来るので、今のあなたは元気ギンギンのはずですよ」


 前屈みになったルヴナクヒエが絶望の表情を浮かべる。


 おかしい、私の目から見てもあれは強化魔法の類に見えた。にも拘らず、ルヴナクヒエは蹲ったまま、立ち上がることさえ出来ずにいる。膝が地につくことを恥じる男が、なぜこれほど弱々しくなる?

 私にも分からぬ魔法か? ……代謝機能を部分的に強化させることで、毒に似た症状でも作り出しているのか?


「ルヴナクヒ、エ……?」

「来るな! こ、来ないで、……ぐ、いや、ちょっと……今はまずいから!!!」

「ど、どうした、の……?!」


 ルヴナクヒエの身に何か異変が起きている。だが、その異変が何なのか分からない。


 友人の苦しむ姿を見て、アンジェラはもう半泣きであった。


「……ルヴナクヒエさん、事前に話しておきますが、実はマディマディ、あなたが魔術を使えるようにするため、ここへ来たのです」

「……は?」

「たぶん、あなたで間違いないのです。マディマディの魔法は特殊なので、こういった使い道もあるのです」

「そりゃ、一体……」

「あなたにはもう魔術を扱う下地が出来ました。魔術とは、知識が有って正しい手順を踏めば扱えるというものではありません。火ならば火の知識だけでなく、扱う火に耐える体を持たねば魂が魔術を拒絶するのです。水なら水に、風なら風に耐える体を。これらは長い年月をかけて魔術を修行する内に体が理解していくことです。言わば魔術修行の反作用として、魔術師の体が作られるのです。私の得意とする強化魔術は、この反作用を技術として応用させたものなのです。代表的なものだと、地属性魔術を応用して、肉体や物を固くする、などですね。そして、私の魔法『柔肌』は肉体の治癒と強化。私の魔法で強化させると、本来長い年月をかけて体が培ってゆくはずの魔術耐性を発現させ、きっかけを与えることが出来るのです」

「俺が、魔術を? だけどなんでそんなことを――」

「説明終わりです。では……、お邪魔します」


 必要な事だけ話し終えると、マデzィマディは蹲るルヴナクヒエに猛禽の如く飛び掛かった。


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっとまずいって、今はあ!!」


 とある事情により走れないルヴナクヒエは、海老の様に後退する。だが、それでは機動力が違い過ぎた。海老と猛禽ではスケール感に差が有りすぎたのだ。


「フフフフフ……、小さな子に見られながらというのは……、何だか背中がぞくぞくしてきますね……」

「何?! 何なの?! あんた何なの?!?!」


 そこに、いつも見ていた気取り屋な男の姿はない。まるで少年に戻ってしまったかのように怯え、叫び、狼狽していた。

 アンジェラもこの事態をどう動けばいいのか、未だ判断がつかずにいる。まず、マディマディなる人物が敵なのかが分からない。不用意に刺激したくはないし、見捨てるつもりはないが、ルヴナクヒエには来るなとも言われている。そもそも元気に見える。動きは妙だがダメージを受けたように見えないのだ。


 清廉な少女には、淫獣の持つ牙の鋭さが理解出来ない。

 この瞬間、全てのイニシアチブはマディマディが握っていた。


「さあ、愛の決闘です。本当に汗を掻くのは……これからですよ!!」

「嫌あぁ!! やめてぇ! 下は、下は駄目だから!!」

「安心なさって。何度へこたれようが、私の魔法は立ち上がらせてくれるはずです。だから、我慢せずにどんどん………………」


 体の動きが封じられ、魔の手が禁断のエリアへと伸びようとしたその時、マディマディがルヴナクヒエの顔を見つめ、硬直した。


「あ、あの……、手、離してもらえます……か?」

「……そうでしたか、残念です。仕方ありませんね。ハメられた気分なのです。はめてないのに」


 マディマディは立ち上がり、先程までの勢いが嘘のようにあっさりと引き下がった。


「国とは袂を分かったつもりだったのですが、縁とは奇妙なものですね。私がここに来たことは、他言無用にしてください。あなたと同じように、私も難しい立場なのです」


 着衣の乱れを整え、怯える青年にそう告げる。ルヴナクヒエにとっては向こうの事情など知る由もないのだが、築き上げた男の矜持喪失の危機を脱した今この時、理解は追い付かずとも首は自然と縦に振れていた。


「それではさようなら。魔術を使えるようになるか、後はあなたの努力次第です。辛い時はマディマディの体を思い出してくださいね」


 そう言い残すと、マディマディの姿は森の木々の中へ音もなく溶けて消えた。卓越した武術家のみが為せる運足の妙であった。


「……何だったんだ一体……」

「ル、ルヴナクヒ、エ、だだ、だいじょう、ぶ……?」

「おっと、まだ寄るな。俺の体が万全を期すには時間を要する」

「ど……毒、みたい、な?」

「精神的……な、毒みたいなもんだな。ある意味、俺の鋼の自制心があったからこそ耐えられていると言っていいかもしれん。とりあえず、離れてくれ」

「あ、あい。ル、ルヴナクヒエは、す、すごいや!」


 流石はルヴナクヒエである。あの女は私の理解を超える『技』を持っていた。最初から最後まで惑わされ、私は手出しすることが出来なかった。ルヴナクヒエは追い詰められこそしたが、私では分からなかった技の性質を理解し、最後まで屈さなかったのである。やはり武術家としては、自分の数段上をゆく男なのだ。


 後でどんな技だったのか聞いてみることにしよう。


 蹲ってゆっくりと呼吸を整えるルヴナクヒエを遠巻きに眺め、少女はそんな友人の姿に頼もしさと誇らしさを感じていた。


「おや、アンジェラ様、こんな所におられましたか」

「わっ、び、びっくりし、た!」


 突線背後に黒い気配を感じて振り向くと、同時に声がかけられた。


「これは失礼を致しました」

「え、い、いや、いいよぉ。そ、それで、な、何、ふぁ、ファウプ、二」

「ええ、実は妙な人間が村に入り込んだようなので、その報告に参りました。かなりの手練れのようでして、追跡しきれません。害意はないようなのですが……」

「それならさっき帰ったぜ」


 相変わらず蹲ったままのルヴナクヒエが代わりに答える。その横から入った声の主を見て、ファルプニは怪訝な表情を見せた。


「帰ったとは? それに、どうかされたのですか貴方は?」

「さっきその妙な人間に会って色々あったんだよ。よく分からんが話はついたらしいから、もう問題ないだろう。ちなみに、俺の方も大丈夫だ。そっとしておいてくれれば問題ない」

「そっと? どこか怪我したのですか? 私の目には問題ないように映りますが……。ともかく、何か見過ごしがあって大事に繋がってはいけません。どれ、私が見てみましょう」

「え、そうなるの? ちょっ待っ――」


 ファルプニがルヴナクヒエの脇に手を差し入れ、抱え上げる。


「別段変わった様子は……」


 ある一点に生じた膨張率の変化を見つけ、ファルプニは凍り付いた。

 同時に、アンジェラも彼の身に何が起きていたのかを理解した。


 本で見たことがある。人体の急所は性差によって差異が生じるという。間違いない。ルヴナクヒエは急所への打撃を受けたのだ。ちょっとやそっとの腫れではない。相応の痛みもあったであろうに平静を保てているのは、流石の精神力としか言いようがない。


「あ、あ、貴方は、何を考えているのですか?!?! ば、馬鹿、変態!! そんなの、そんなのは、よくありません!!!」

「うるせえ! 俺は今さっき人生最大ともいえる恥辱を受けたんだぞ?! 男の恥を上塗りすんじゃねえ!! 離せ!!」

「わ、分かってますよ、汚らわしい!」

「ふぁ、ファウプ、二、は、腫れは治せる?」

「わ、わわわ、私がですか?!」

「やめろ、話を広げるんじゃねえ、さっさと忘れろ!」


 若干涙目で開き直るルヴナクヒエ。そして、赤面して狼狽えるファルプニ。その様子を見て、アンジェラは思う。


 今日はえらく肝を冷やしたが、なかなか良い一日になったのかもしれない。


 隣人の普段は見れぬ一面を見れたことで、少女は何となく胸に楽しさを覚えていた。




「んー、今日はこのへんにしときましょうか~」

「はい、今日はとても勉強になりました。有難うございます」


 清廉な水の張られた池に、男の影が二つ映る。バランとジルナートである。ジルナートは忙しい中時間を作り、バランに魔術の指導を仰いでいた。


「それにしても、いいんですか? こんなにあっさりと教えて頂けるとは思っていませんでした」

「や、魔術はこの世界の理ですから、惜しむものだとは思いませんね~。それに、もし断っていたらどうしました?」

「差し出せるものは全て出しますね」

「ん~、そういところですよ。私苦手なんですよね、責任感じちゃうのは。僕も君には興味が有りましたし、話は早い方がいいです。ちなみに、魔術の使い道を聞いても?」

「特には。普通に生きるよりは、どうしようもないことが、どうにか出来る機会が来るかもしれませんから」

「はは、いや~、面白いですねえ。まるで自分というものが見えてこない。君は今の僕と似ているのかもしません」

「バランさんと似ているなら、それはとても光栄ですね」

「いやいや~、むしろ僕が君の様になるのにものすごく時間がかかってしまったんです。きっと君の方が立派な人間なんだと思いますよ」

「立派な人間、ですか」

「そうですとも。君はさっき魔術の使い道はないと答えましたが、それは違います。目的があまりにも大きくて分からないんだと思いますよ。そうでなくては、それだけの熱心さと技量は持てません」

「……」

「さ、帰りましょうか。こんなに静かで綺麗な場所だと、つい帰り時を見失ってしまいます」


 池の水面にはヒツジグサが白い花弁を覗かせ、浮かぶ葉の上には蛙が大胆不敵にこちらを観察している。人間の生活域から離れ、野生の闘争も限られた安息の地。枝葉の隙間に許された木漏れ日が辺りを照らし、生命の息吹だけが音を奏でていた。


「僕は、いつもここで魔術の鍛錬をしているんです。母さんが僕を生んだのもここで、なんとなく不思議な力が宿っている気がして。……バランさん、僕は魔法を使えるようになると思いますか?」

「……使えるようにしてみせましょう。君は、神の祝福を受けていますよ」


 バランは魔術の使い道を一つ得て、にこりと笑った。




「……寂寥感なのです。マディマディの胸は空虚です」


 マディマディことアルマディア・サーキュレは未だ村の中を彷徨っていた。


「人は、飢えては生きられません。愛も渇けば、私は、生きられぬのです……」


 お預けをくらって増幅した人恋しさが、村の外へ足を向かわせることを躊躇させていた。


「もし彼が、マディマディ好みな細身のおのこであったなら、このような思いは……、でも流石に王族は面倒……」


 欲望と後悔を呪詛の様に呟きながら木立ちの影を歩き続ける。ルヴナクヒエ襲撃から随分と時が経ち、既に日は落ち始めていた。

 そんな時であった。目的の"ブツ"を見つけたのは。


「こ、これは間違いありません、神の思し召し、据え膳おのこ! マディマディこういうの大好き!!」


 目に映るのは丘を下る細身な青年。地味な顔立ちだが、物憂げな表情と清潔感のあるサラサラとした長い髪はアルマディアのときめきインジケータMAXを記録した。


「はあ、せっかくバランさんが時間を取ってくれてるんだから、僕の使える時間も増やさないと。アルメトラさんはどうしようかなあ」


 聖女が求むるは、ただ愛故に。ジルナート青年に神の祝福を。

 お疲れさまでした。


 絵のモチベと小説のモチベがぶつかれば、間を取ってゲームをしてしまうのが人の道理といふものか。

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