第五話 眠る場所
目と首の疲れには気を付けるんや。
「あらまぁ、こんなに汚れちゃってねぇ、可哀そうにねぇ。本当にこんなに綺麗なお洋服なのにねぇ、可哀そうにねぇ、ねぇ?」
「あ……、あい……」
「本っ当に、気が利かない連中なんだからね。今、夕飯作ってるんだけど、なんか食べれないものあるかい?」
「え、あ……、あいじょうぶ、で、す」
困ったな。畑に行ってから記憶がないぞ。
現在、私は村の女性たちに囲まれ、歓待を受けている。汚れた服と手に残る確かな疲れから、私が大地を削り続ける人形と化していたと推察できる。
「まだちょっと時間かかるからさ、体拭って着替えてきな。服は洗っといてあげるからさ」
「あい」
本当は風呂に入ってさっぱりとしたいところではあるが、魔法に精通していない人間社会では、水を用意して熱するにも難儀するのだろう。川があって木が周りにあるのだから、用意しようと思えば用意できるのだろうが、いかんせん平民文化といったところか。手間や実利を考えれば、普段は水で濡らした手拭いで体を拭って済ますのが経済的なのだ。日中であれば川で水浴びも出来るであろうしな。
村に風呂文化を広める方法を思案しながら、こっそりと魔法で手拭いを温め体を拭う。桶に入った水で絞りなおして拭うこと数度。完全に泥が落ちたことを確認し、用意された着替えに袖を通す。質素ではあるが、十分に清潔で大きさも問題ない。人間と体の構造は、角以外ほぼほぼ同じと考えてよさそうだ。
しかし、どうにも釈然としない。体は綺麗になったが違和感は拭えない。子供用の服に着替えた少女は、自身の身体的特徴に目を向ける。
3000年の時を経て、確かに成長はしていた。だが、いまだ身長は150cmに届かず、痩せぎすの華奢な体は、大人とするには無理がある容姿であった。
「私は一体何歳になったら大人になれるのだろうか」
悪魔の中には年を経ても、その姿に僅かな変化しか見せぬ種族もいる。だが、幼少期の変化がこれほど遅い例は聞いたことがない。少女の見た目は人間でいうところの12歳か13歳程度に見られるだろう。人によっては身長の低さから、もっと下に見る者もいるに違いない。現に、着替えとして渡された服の元々の主は、10歳の少女なのだ。
だが、当の少女に焦りはなかった。まだまだ自分は成長すると確信している。その根拠は血筋に求めることが出来る。簡潔に述べると少女の母は、とても豊満でグラマラスだったのだ。
「早く母様のように威厳のある姿になりたいものだ」
少女の脳裏に、今は亡き母の姿が思い浮かぶ。
母様はよく眠る御方だった。起きている姿を見るのは月に数度であった。赤子の頃はよく泣いたものだが、その泣き声と父のあやす声が母の子守歌になっていたのは、今となってはよき思い出よ。あの美しき姿は、きっと眠ることで培われたのであろうな。
私も母ほどではないがよく眠る。だから今は我慢なのだ。そう信じて用意された子供服に文句も言わず、ただ村の女性の親切さに感謝する。
余談ではあるが、少女は人間でいうところの16歳程度まで成長している。成長には個人差があるのだ。
「おうっ! 鬼子ちゃん似合ってんじゃねえか! 今日は助かったぜ!」
少女が着替えから戻ると、畑で会った男も何人か集まっていた。声をかけてきた男は夕飯前にも関わらず、既に顔を紅潮させている。禿げ上がった頭まで色を変え、海の魔物が如き様相を呈する。その様子に、女たちは呆れと侮蔑の目を送っているのだが、全く意に介する素振りも見せない。可憐な少女はこれが苦手である。
「おい、タコ野郎! ここは子供も集まるんだ。食事は出すが、酒はご法度なんだよ!」
「だから先に飲んできたんじゃねーか。いいじゃねえか細けえ事はよ。いつもみたいに見逃してくれよ。な?」
「あんたねえ……。今日はさ、ほら! こんな可愛いお客さんが来てくれてんだ。あんたみたいなのに絡まれると村全体が誤解されちまうよ」
気の強そうな女は少女の肩に手を置き、酔っぱらった男に退場を促す。
どうやら、ここは村人が食事をしに集まる場所らしい。思えば、ここは他の建物よりも立派で大きく造られていた。村の寄り合い所や、外から来た客人が留まる場所としても使っているのかもしれない。人が集まれば秩序が必要になる。道理であるな。
「ハハハ、だから言ったじゃねえかビルさん。やめときなって。でも、ま、ビルさんに酒やめろつっても無理な話か!」
「フフ、それもそうだわね。でも限度ってもんがあるわ」
「んだよ、もう。わーったよ。今日は帰るよ。だけどさー、ちょっと、な?」
「分かってるよ。ほら! 持ってきな。次からは飲む量減らすんだよ。あんたはただでさえ酒に弱いんだからね」
「おお! 食堂の女神様は人情ってもんを解してらっしゃる。あんたの愛さえありゃ酒なんていらねえんだがなあ……。それでは、さらばだ皆の衆!!」
酔っぱらいの男は、湯気を溢す蓋の付いた木製の器を受け取ると、軟体動物のように足をくねらせながら帰路に就く。やけに準備がいいが、自宅で食事する者のために、食べ物を持ち帰れるようにしているのだろうか? 村人全員が入れるほど広くはないし、そういうシステムができるのも自然な流れか。
「フフ、何言ってんだかね」
「ビルさんは昔から姐さんに一途っすからね」
「やめとくれよ、この年で色恋沙汰なんてまっぴらごめんさ」
呆れたような顔に大げさな手つきを加えて、興味がないことを強調する。
見たところ、30代前半でも通りそうな容姿と快活さを持っている。本人にその気さえあれば、4,5人は好きにできる男がいるのだが、当人はそういったことにサバサバとしているのだった。
「ごめんよ、嬢ちゃん。変な邪魔が入っちまって。お腹空いたろ? 体は冷えてやいないかい? 温かいスープにしといたから、たんと食べな」
……この女、本当に親切だな。もしかしたら、痩せた体を見て心配しているのかもしれない。掛け値なしの善意に少し戸惑いながら、差し出された料理を見る。
見た目は野菜の入ったスープだが、白っぽい欠片に貝殻のような形をしたパスタも入っている。なるほど、ここでは主食に小麦を持ちているのだな。そしてこれは……。使い慣れていないスプーンで恐る恐る口に運び咀嚼する。白っぽいものが見た目では何か分からなかったので、とりあえず食べようと考えたわけではあるが、なるほど、わからん。そもそも私は食事が必要ない大悪魔であるから、味という経験則による判断は無理があったな。
「こ、この、しし、白、いの、は?」
「白いの? あー、そりゃ魚さね。塩漬けにした魚を燻製にしてあんだけど、味付けにそれを千切って入れてんのさ」
「な、なるほ、ど」
魚か……。わからんわけだ。なにしろ3000年以上生きて、ついぞ味わう機会に恵まれなかった代物だ。水車の近くで見かけたが、あれを食べたのだろうか? そう考えると感慨深いものだな。だとすると、川で獲れた魚なのか。しかし、塩はどうやって手に入れたのだろうか?
「おいしいかい?」
「あ、あい! と、ととと、とても、とてもい、いい」
「フフ、そりゃ何よりだよ。本当は肉やきのこなんかも入れれたら良かったんだけど、贅沢すると後で苦しいからね」
「ぜ、ぜいたくは、よ、よよくない! じゅ、十分おいし、い」
実際美味い。味付けはシンプルな塩のみで素朴な味わいだが、野菜はしっかりと煮込まれ柔らかく、パスタは食べやすいよう一口大に整えられ、歯ごたえを残している。そして、香りづけに細かく刻んで振りかけられた柑橘類が変化を生み出し、味が平たんにならぬようにという、細やかな気遣いが見て取れる。
限られたリソースを思いやりによって昇華させる。実にニクイねぇ!
「まったく変な子だね。まあ、お気に召したようでなによりだよ。たっぷりあるから好きなだけ食べるといいさ」
「あ、あい、がとう、ぁ、え……えと、えーと……」
「あぁ、そういや自己紹介してなかったね。あたしはシャヴィ・サリエン。シャヴィおばさんって呼んでくれるといいよ。一応、この家の主ってことになってるね」
「あい。あいが、とう。シャ、シャビさ、ん」
そうか、シャヴィさんというのか。この人間は際立って親切に感じる。礼には礼を。名前をよく覚えておかなくてはな。しかし、サリエン……というと、あの格好つけた、口の悪い男だよな? 親子なのだろうか。だが、小さな村では同じ姓を持つものが多くいても不思議はないか。
「どういたしまして。たしか、お嬢ちゃんは記憶を失くしてて名前も分からないんだったね? まあ、焦らずゆっくりしていくといいさ。ここにいる間は好きにしていいからさ、寝所はうちの二階を使うといいよ」
「……あい。ほ、本当に、い、いい……の?」
「かまやしないよ。なーに、子供一人増えたくらいで文句言うような奴は飯抜きにしてやるよ。それにさ、あんたは礼儀正しいし、気遣いもできる。そんな子なら大歓迎だよ」
や、優しさが痛ぇ……!
記憶を失ってるなんて嘘なんです、ごめんなさい。このような運びとなってしまったことは、誠に申し訳なく思う次第でありまして、悔悟の念に堪えません。来る時が来れば真実を話すと約束いたしましょうシャヴィさん。本当にすみません。
少女は脳内謝罪を繰り返すことにより、猛然と攻めかかってくる罪悪感に耐える。ただでさえ華奢な体は、申し訳なさで更に縮こまっている。
「こんなに痩せ細っちまって可哀そうに……。いっぱい食べて元気になるんだよ。明日はもっと栄養のあるものを作ろうかね」
なんというか、人間に対する対応を間違えた気がする。こんなに親切な人間達ならば、正直に自分が悪魔であることを話しても受け入れられたのではないだろうか。
とはいえ、それは結果論である。無防備な理想主義は千年先を歩むこと能わず。無用な不安を与えて信頼関係の構築を難しくするのは得策ではない。出会った時点では、親切な相手かどうか判断する材料もなかったわけだしな。
というか、怖かったし。上手く喋れる自信なかったし。
「食べ終わったみたいだね。おかわりはいいのかい?」
「あ、ああい。ご、ごちそうさま、でし、た。も、もう、お腹い、いっぱい。と、とて、も、おいし、かった!」
「フフ、ありがとう。食べてくれるのが全員あんたみたいな子だったらいんだけどねえ」
「ふへ、え、えへへ……」
「さ、食器は洗っとくからさ、あんたは二階の部屋で休んどきな。昼間に畑行って疲れたろ? トイレはそこの裏戸出てすぐにあるからね。朝ご飯もちゃんと作ったげるからさ、何も心配せず今日はゆっくり眠るんだよ」
「あい!」
きっと上手くいく。こんな人間達なら、こんな悪魔でも――
「…………?」
ふと視線を感じる。
「あぁ、気にしないでおくれ。おばさんはね、あんたみたいな細っこい子を見ると心配になっちまうんだよ。……その服ぴったりだったみたいだね。よく似合ってるよ」
「あ、あい、ほ、本当、に、た、助か、った」
よくは分からないが、親切にしてくれる理由があるのかもしれない。
シャヴィさんの顔に影があるのを感じて、なんとなく、そう思った。
この村は思った以上に大きい。おそらく数百人は住んでいるだろう。
だが、ここは深い森の中だったはずだ。実際に村は森に囲まれているようだった。今日は村の温かな部分だけしか目にしなかったが、それが村の全てではないのだろう。
あのシャヴィさんの顔を瞼に残し、清潔なベッドの上で少女は今日を経て明日を思う。
「私には何が……」
報恩謝徳。村のために何かしてやりたい。柔らかなベッドの温もりに気持ちが高ぶってくる。
大悪魔である少女は1ヶ月程眠らずとも活動に支障をきたすことはない。だが、趣味として睡眠を好んでいたし、睡眠が美しき体を作り出すのだと信じていた。
そんな大悪魔が、ベッドの上でこのような気持ちになったのは初めてのことであった。生活は村に合わせたい。好意で休むことを勧められたのだから、それに従いたい。だが、いてもたってもいられない。
少女は思う。きっと、きっとなにか自分にもできることがあると……。
EVO 2018の配信を追いかけているため寝不足です。
みんなも無理せんときや。




