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名前のない悪魔  作者: ジレスメ
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第四十七話 忘れられぬ人

 いらっしゃい。


 思ったより三倍時間がかかった。オートチェスを一週間もしていないというのに。挿絵は頑張って描く。でも、今日はもう寝る。ほんま、ぷんすかやで。


追記:話数間違えてたから直した。挿絵入れた。

 昨今、クリモリ村では夜が早くなっている。夏が終わり、秋口が迫ろうとしているのだ。皆、炊煙が上がれば家へ帰り、腹を満たせば早々に床へ就いた。


「オホネ様は……、まだあの調子なのかの?」

「ええ、終日を門の前で過ごし、たまに出歩いたと思えば、周囲の森を警備に巡回。夜に姿を見た人が腰を抜かして、近隣の家に運び込まれる事例が後を絶ちません」


 オホネ様の復活はあっさりと村民に受け入れられたものの、昼夜を問わぬ死者の体は、ここに来て怪奇現象の面目躍如を果たしていた。オホネとしても、村民に遠慮をして夜中に動くことが多かったのだが、不意打ちで目に映る明らかな違和感は、村を震撼させるに十分な効果を発揮した。

 心の奥底に刻まれた恐怖は消えることがない。へべれけに酔っぱらって帰路に就いた村男ビル氏が、次の日失神した姿で発見されて以後、村の人々は日が暮れてから出歩くことを控えるようになる。誰もあんな無様な姿を晒したくはなかった。


「まあ、そのうち慣れるじゃろう。オホネ様にしても、我らが口出しすることでもあるまい。何をしようがしまいが、時間が解決することは往々にしてよくあることじゃ」

「時間ですか……。時間はすぐに経ちますからね。後しばらくで、エルフの皆さんも海へ行っちゃいますよ」

「もう、そんな時期じゃったな。寂しくなるが、皆海の幸が恋しくなって来た頃じゃろうからの」


 集会所改築の手伝いに励むエルフ達を眺め、村長とジルナートは流れた時の長さを感じ入った。


「うう……頭が痛い……。あ……、お早うございます……」

「お早うございますアルメトラさん」

「お早う、今日もぐっすり眠れたようじゃの」


 青褪めた顔をしたアルメトラが足をふらつかせ、アルコールの匂いを漂わせながら挨拶を交わす。


「うう、メトラは傷ついております。兄さんは何処へ行ったのでしょうか……。最期に会った時の事を何も覚えていません。昨日も記憶が……」

「……いつの間にか、いなくなってましたねえ……」


 忙しすぎた。アルメトラが酒をしこたま飲み、メヒヤーがイミーニアを連れ帰ってきたり、オホネ様が動き出したりと、村中がてんやわんやでしっちゃかめっちゃかしていた時、アルカハクはひっそりと姿を消していた。

 もしかしたら、当人は誰かに別れを告げていたのかもしれない。だが、そんなことはあの喧騒の中で誰も覚えていない。というよりも、アルカハクは一緒に食事をするという約束があったから村に残っていただけで、その理由が消えれば、出ていくのも彼にとっては自然だったのだろう。

 約束には話し合いも含まれていたはずである。だが、アルカハクの性格を鑑みるに、一言二言のやり取りで十分に果たしたと判断している可能性が高かった。


「アルメトラさん、まだ酔いが残っているようですね。少し休んでた方がいいですよ」

「ふ、ふふ……、メトラは飲まずにはいられません……」

「ほら、肩を貸しますよ。家へ戻りましょう。村の景観を損ないますから」

「ふふ……う、……うぇぇ、あ、頭が痛いし、胸がむかむかしま、ふ……」


 アルメトラが村に来てから繰り返される日常の一コマ。毎度付き合わされるジルナートも介護役が板につき、風紀を乱す不埒者の回収送還が迅速になっていた。


「な、なな、なんですの、あの破廉恥な女性は!」


 遠巻きにその光景を目撃していた散歩中のイミーニアが憤慨する。

 アルメトラの服装は、質実剛健を良しとするザッツカークの基準であれば、顰蹙を買うものであることは間違いない。とことん軽装で無駄のない、ある意味で質実剛健な姿ではあるが、そう捉えるには、体に余分な魅力が付きすぎていた。


「ね、ねえ、おかしいわよね! あなたもそう思うでしょ?!」

「あ、あい……あいあい。そ、そう、お、思いま、す……」


 早朝から散歩のお共に駆り出されていたアンジェラが、眠い目を擦りながら調子を合わせる。イミーニアが村に来た最初の数日は、ジルナートが案内を務め、話し相手となっていたが、最近ではジルナートも忙しいことが多く、アンジェラを連れて散歩することがイミーニアの日課となっていた。


「うーん、考えなきゃいけない事が一杯だなあ」

「ふぇ? う、うぇぇ……」

「あー、大丈夫大丈夫、こっちの話ですからねー。下向くと気道と内臓を圧迫しますから、上向いて呼吸落ち着けましょうねー」


 遠目に見えるアンジェラの疲れた様子を今後の課題にしながら、今は目の前に転がる景観問題を片付けることに専念した。


 はあ、アルカハクさん、何処へ行ったんだろう。


 酒気帯びた吐息を首筋に当てられながら、ジルナートは逃がしてしまった腹底の見えぬ男を思い、自身の甘さを悔やんだ。


 肩に担いだ妹と同じく、アルカハクもまた自由奔放な人種であることは知っていたのに、優先度の高い出来事に振り回され、話しの席を後回しにしてしまった。

 というよりも、忙しすぎて忘れていた。いつどのタイミングでいなくなったのかすら見当がつかない。無口で話しかけ辛い雰囲気も相まって、誰も近づこうとはしなかった。妹も見れば酔っ払っているか寝ているかで、まともに会話出来たのかすら怪しい。


 ……可哀そうなことしたかな。


 後悔先に立たず。半裸男の行方は知れず。

 アルカハクがいれば、アルメトラに割く手間を省けた可能性もあっただろう。そう思うと、余計に罪悪感を抱いてしまう、打算的なジルナートであった。




 クリモリ村より遥か南東の地、ここにはかつてエルフの国があった。領主不在の大地は、精霊の加護を失い、そこに住まうエルフの数は段々と減少していった。今では呪われた地クリモリと同じように、魔獣の跋扈する緑荒無人の大自然が広がっていた。


「ぐ……」

「さ、今日は終わりです。お茶にしましょう」


 失われた国に踊る二つの影。周囲には砂塵が舞い、陥没した大地には木々が伏せる。

 強者による戦いの跡であった。屈強な戦士が膝をつき、その前には見目麗しき気品に満ちた女性が悠然と立ち、手を差し伸べていた。


「あなたは本当に体術へのこだわりがあるのですね。魔術の才能が有るのですから、工夫すれば私にも勝てるでしょうに」

「……生まれ持ったものだけが、歩む道と行き着く先を決めるとは思わない」

「まあ、こだわり屋さんなんだからカハクちゃんは」

「…………いつか、拳だけであなたを超えてみせよう、母さん」


 女性の名はアルマディア・サーキュレ。かつて王国で聖女として崇められた人間である。


「やあ、帰ってきたのかいカハク。食事の準備が出来たから呼びに来ようと思って来たんだけど」

「えらく騒がしいと思ったら、カハクか。丁度お風呂も沸かしたところだ、入ってきたらどうだ?」

「相変わらず励んでるなー。元気してたか?」


 森の中から、ぞろぞろと男達が現れる。

 男達は皆一様に細身で、顔立ちが整っている。そして、特徴的な牙が生えていた。


「……御壮健で何より。父さん方」




 アルマディア・サーキュレはヴァリエンテの貧しき家に生まれた。生活は困窮していたが、マルマーゼオ家が発令した、貧者救済の施策による配給食によって、生き永らえていた。

 だが、施策は問題の根本的な解決に繋がるものではなかった。怠惰な者は堕落し、挫折を知った者は求められるべき生活を諦める。次第に、そのような生活者を見下す者が現れ、社会の空気が人間の階層化を進めた。それは労働に対しても紐づき、職業は階級に応じて与えられるべきという暗黙の了解が作られると、生活困窮者はより、貧困から抜け出すことが出来なくなっていた。


 そんな時代の流れであった。アルマディアが売りに出されたのは。

 娘が憎かったわけではない。見目麗しき娘はサーキュレ家の自慢であった。それが、砂に水を撒くような、無為な酒代へと変わろうとしている。


 両親は諦めてしまったのだ。自分達と一緒にいても娘は幸せに出来ない。たとえ、買われた先で慰み者の玩具にされたとしても、その方がまだ将来への希望があった。娘に残された、その小さな希望だけは、潰したくなかった。


 そして、アルマディアは親元を離れた。

 引き取られた先はアマンドラ。両親の願いは意外な形で果たされる。

 彼女を受け入れたのは、王国内で『封命』の異名をとる魔法士、ゼルネット・サヌトゥハだったのだ。




「母さんには教会に戻ってもらいたい」

「やです。マディマディは帰りません」

「……マディマディ……?」

「なんです? 母の名を忘れたのですか?」

「カハク、マディマディは最近マディマディなんだよ」


 アルカハクの思考が止まる。彼には明確に理解できない存在が一つあった。母である。

 嫌っているわけではない。武芸者としての一線級の実力には、敬意を抱きさえする。だが、彼の心が母の精神に汚染されることを拒絶していた。


「……ともかく、ビスカントが困っている」

「知りません。あの陰気な魔術オタクはダサいのです。舞い上がって勝手に二つ名なんか作っちゃうし。よりによって、何で私が重拳なのですか? 可愛くありません。ぷんぷんなのです」


 アルマディアが頬を膨らませ、わざとらしい不満顔を作る。そうした母の奇怪な言動を目の当たりにする度、アルカハクは心が暗く冷えていくのを感じた。


 ちなみに余談ではあるが、アルカハクは母につけられた重拳の二つ名を羨ましく思っている。


「だったら、仕事はしなくていいから、戻るだけでもしてくれ。表向きには、聖女捜索が羊角の剣の最重要任務ということになっている。ビスカントが査定に響くと嘆いていたぞ」

「やなものはやーです。聖女プレイは飽き飽きなのです」

「…………」


 アルマディアはヴァリエンテを離れた後、ゼルネットの指導によって、その非凡なる魔術の才を開花させた。王国内では、ケンプ・フィンド・ビスカントと並ぶ魔術界の麒麟児と称され、将来を嘱望された。後にビスカントは強すぎる探究心と信仰心が災いし、異端者の烙印を押されてしまうのだが、アルマディアは順調に地位を築き上げ、いつしか聖女と呼ばれるようになる。生来の愛情深さと、その分け隔てなき優しさは人心を癒し、王国に住まう人間全てを虜にしたのだ。

 だが、聖女と呼ばれようになった所以は、そうした性格以上に、その容姿の美しさにあった。陰気な変人と美しき才女。同じ魔術の天才でも、評価の方向は、見た目という分かりやすい要素に大きく左右されていた。たとえ、同じく奇行があったとしても。


「まあまあ、カハク、久し振りに帰ってきたんだから、仕事の話はひとまず置いといて、もっとゆっくりしていきな」

「そうだぞー、ほら、この肉俺が狩って来たんだ。いくらでもあるから、好きなだけ食え」

「………………」


 整った顔をしたオークの男達が皿に盛った料理を机に並べ、丁寧に作られた革張りの長椅子にゆったりと腰掛ける。その表情や言動はどこか幼く、アルカハクの事情についても深く考えていない。


「あ、あの、お、お水、持ってきました!」


 思考の錆びつてゆくアルカハクの元へ、耳の長い少年が冷えた水を持ってくる。


「……母さん、何処から攫ってきた?」


 以前帰ってきた時には見かけなかった少年であった。その長い耳を見るに、おそらくエルフなのだろう。透き通るような白い肌に薄く色づいた唇はどこか煽情的で、少年期特有の高い声と華奢な身体つきも相まって、少女と見紛うほどであった。


「失礼ねカハクちゃん。森で彷徨っていたところをマディマディが保護したのです」

「保護……?」

「いや、マディマディの言ってることは本当だからね、カハク。ほら、レフィーも言って」

「は、はい! ぼ、くは、あの、もっと東の森に住んでたんだけど、魔獣に追われて、それで、父さんも母さんも、あの……」

「いや、もういい。……分かった」


 アルカハクは頭を抱えた。母は本来優しい人間である。少年を保護したのは本当だろう。そして、そんな母に少年も懐いたのだろう。それは理解できる。だが、拭いきれない違和感があった


「その服は……、なんだ?」


 違和感。それは少年の身に纏った衣服である。丈の短すぎる革製の黒い短パンに、革のサスペンダー。それに靴下。以上であった。少年が身に纏うのは、体に張り付いたそれだけであった。少年が少女ではないと即座に判断できたのは、偏にその異様な恰好があったからである。


「ま、マディマディが作ってくださいました!」

「よく似合ってるでしょう? カハク、あなたももっと体が細ければ作ってあげたのですけれど」

「……」


 妹に会わせるわけにはいかない。この母親は、毒だ。悪影響があることは必至。

 クリモリ村で見た妹は、どことなく母親に似てきていた。だが、まだだ。妹には慎みが感じられ、御淑やかで、誰にも迷惑をかけていなかった。まだ、母の領域には足を踏み入れていない。このまま毒を離し、正常な人々の中で暮らせば、妹は正常な、清浄な意思をもって育つはずだ。


「……ともかく」

「またともかく、ですか。カハクちゃんは昔から話の切り出し方が苦手でちゅねー」

「…………ともかく、だ。本当に、教会へは戻るつもりはないのか?」

「戻りません。マディマディは愛の旅人なのです。マディマディは万人を愛しましたが、教会の方々では、大きすぎる愛を受け止めきれないのです。だから、外界へ向かったのです。見なさい。今私達は満たされています。そう、この場所こそ、私の探し求めていた愛のコロッセオなのです」

「……コロッセオ……。」


 理解不能な言葉の羅列に、今さっきまでの会話に連続性を見出せず、前方から聞こえてくる言葉を脳がただの音として処理し、耳を素通りしてゆく。混迷した思考回路には、今見えている景色が現実世界なのかという疑問さえ湧いてくる。


「カハク、あなたも戻りたければ、私達はいつだって受け入れるのですよ。……メトラも――」

「駄目だ、断る!」


 母の発した単語に、咄嗟に脳ではなく、心が反応した。


「……もう、メトラの話題になるといつもそうなんだから」

「俺達も大きくなったメトラに会いたんだけどなあ」

「でも、メトラのためには、広い世界を見せることも必要なんだろうな……」

「そうですね……、ここはマディマディの作り出した愛の終着点。必ずしも娘のためになるものとは限りません。旅をせねば愛の飢えは満たされぬのです」


 アルマディアの目端に涙が滲む。言動こそおかしいが、善良で愛情深き人間なのである。娘を引き離されたことは悲しい。だが、それを行った息子を恨むことなく、その考えを尊重して受け入れる。

 アルカハクもそんな母の姿を見ると、一度くらいは合わせてもいいのではと、つい考えてしまうこともある。だが、どんなに清らかに見えようとも、毒は毒なのだ。大きすぎる愛は、世間一般における倫理観からすると歪んでいるのだ。


「でもなあ、俺らの娘だぞ? もう成人してんだぜ。大きくなってマディマディみたいに綺麗になってんだろうなあ」

「あんなに可愛い子の成長を見れなかったのか……」


 アルマディアの隣に腰掛けた男達が残念そうな顔を作りながら、机に並べた肉料理をつまむ。


 彼らはアルカハクとアルメトラ、兄妹の父親達である。三十年前にアルマディアを慕い、オークの郷からこの地へ移った。青年期を少し過ぎたはずだが、その顔は一様に若々しく、幼い印象さえ残る。

 それもそうだろう。彼らが郷を出たのは十代の頃。アルマディアと共に過ごす安全で満たされた時間は、精神的な成長を必要としなかったのだ。

 だが、それにしても若すぎる見た目には、別の理由が存在していた。


「……メトラの話は終わりだ。ここへ来たのは、教会へ戻ってくれるよう説得するため。それ以上話すことは……いや――」


 長椅子に腰掛ける男達を見て、アルカハクは言葉を止める。細身だが鍛え抜かれた体を持ち、魔獣の徘徊する森を平然と歩きまわる強さを持っている。いくら人間よりも寿命が長く頑健な体を持つオークとはいえ、郷を出た彼ら全てが、たまたまそうであったなどということは有り得ない。


「クリモリに有る村の場所を覚えているか?」

「ええ、もちろん。愛の山へ向かう途中で見つけた、思い出の景色ですもの。忘れるものですか」

「少し前に、そこで類稀な闘いの才を持つ男に会った。だが、魔術を知らない」

「……そういうことですか、珍しいこともあるものですね。カハクちゃんが私に頼み事なんて」

「……このまま人間の短い命で散らすには惜しい、そう思っただけだ」


 魔術を高度に習熟した者は、定められた時の理を超え、命を伸ばすことが出来る。アルマディアに連れ添う男達も、そうして若さを得たのだ。アルマディアの力によって。


「それで……」

「……なんだ?」


 マイペースで常に柔和な表情を崩すことのないアルマディアが、この日初めて真剣な顔つきを見せる。


「その方は、良き男、なのですか?」

「…………」

「答えなさい。重要な事なのですよ? 返答如何では、マディマディは行けないかもしれません」

「やはり、いい。忘れ――」

「行きます」


 アルマディアが曇りなき眼で宣言する。


 アルカハクの父親を『彼ら』と表現したのは、それが嘘偽りなく、最も適切だったからである。


 『重拳』の二つ名を持つ魔法士にして、王国の聖女アルマディア・サーキュレ。かつて王国中の男達を虜にした、天下無双の淫獣であった。




「あ」

「どうしたのです?」

「……」


 アルカハクは忘れていた。現在、村には妹が滞在していたことを。

 アルカハク痛恨のお兄ちゃんうっかりであった。


挿絵(By みてみん)

 お疲れさまでした。


 花粉症重症化以後、肌荒れがなおりゃにゃい。

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